第24話 虚実古樹の私から
崖の上にそびえ立つ、何年も前に捨てられた小さな木製の砦。
何故この砦が建てられたか、なぜ捨てられたのかは、私は知らないし、知る気もない人間の事情など一切興味がなかった。
外壁には何箇所も穴が空いており、そこから月の光が射し込んでいる。そんな朽ちかけた建造物を、私はいたく気に入っていた。
居城よりも、何故か此処が落ち着いた。城の守りは彼等に任せて、私はここで1人、射し込む月光をただ眺めているのが好きだった。
その日もそうしていたが、突然正面扉が乱暴に蹴破られる。
ぞろぞろと入り込む、銀製の剣と、槍、クロスボウを構えた十数人もの神父達。
「死ねぇ!!エディンムぅぅう!!!」
おおよそ神父とは思えない乱暴な口振りで、彼等は私に襲い掛かる。
ギルが死んでから、私はいつの間にかエディンムと呼ばれるようになっていた。名前など、なんでもよかった。あってもなくても、どうでもよかった。だから私はその名前を名乗る事にした。
「君達も懲りないねえ。」
もう、いい加減飽きた。取り回しは効くが、リーチが短すぎて私に届かぬ剣を振るう雑魚、リーチは長いが、小回りの効かない槍を私に振るう馬鹿。
クロスボウに至っては、あんな小さな矢じりに付いた銀で私が死ねる訳が無い。軌道だって直線的だし、そもそも速度が遅い。
いつもの様に全員殺して、私はその死体の上で月を眺める。
今や、彼らが私の唯一の敵だ。命を脅かす事すらない、エクソシストの亜流の彼等が。
彼等は、所詮第五眷属以下の低位の吸血鬼しか殺せていない。彼等のあまりに鈍すぎる刃は、ただ徒に自らの命を奪うだけだ。そのくせ、聖十字教団は今全盛期を迎えて、やたらと数がいるのが始末に負えない。
虫を潰すように、私に襲い掛かるハンターを殺す。
おかげで食料には困らないが、刺激がない。飼い主からただ餌を貰うだけの、愛玩動物のような気分だ。
「こんばんは。」しばらくすると、ビレッタ帽を被った1人の神父がまた砦の中に入ってくる。。
「こんばんは、神父さん。申し訳ないが今日は満室でね、他を当たってくれないか。」
死体に腰をかけたまま、適当に彼をあしらう。この惨状を見れば、彼は帰るだろうと私は踏んでいた。
「気にしないでいい。すぐに1人分部屋が空く。」
「おや、随分自虐的な自己紹介じゃないか。」
大量の死体を目の前に、何故こうも自信満々なのか、理解に苦しむ。餌風情が、偉そうに。私はいい加減苛立ちを覚える。
「自己紹介はこれからするさ。私はガーベラ。枢機卿を務めている。これから君達が足蹴にしてきたものの祈りが、君の魂を天に帰す。」
ジャラジャラと、鎖の擦れるような音がする。
形の異なるいくつもの銀製の十字架が、鎖のように連なっていた。長さは5メートル程だろうか。
「おや、初めて見るおもちゃだ。」
見たことの無い武器に、少しだけ興味が湧いた。。立ち上がり彼を正面から見据える。
背はさほど高くないが、身体の使い方に隙がない。半身にして、ナイフを持つように片手だけ突き出した手に先程の連なった十字架を持つ。
彼が思い切り十字架を振るうと、鞭のようにしなり私の身体目掛けて襲い掛かる。今までの武器にしては早速いが、目で追える程度の速さだ。
指で掴もうとした、その瞬間、急に軌道が変わる。慌てて身を躱すが、掴もうと伸ばしていた右腕に当たり、肘から先が私の体より離れた。
3000年間、一度も感じたことのなかった激痛が、私の身体を襲う。
「ぐぁぁあっ!痛い、いた、……んふ、ふはははは!!!」
ああ、これだ。これが私の求めていたものだ。
「君、いいよ最高だ!!!」
私を無視して、彼はまた十字架を振るう。今度は躱し、彼に接近しようとするが、避けたはずの十字架が私を貫こうと後ろから襲い掛かる。が、それも躱すと、彼の腹を思い切りに殴る。
彼は腕を挟み、後方に飛ぶことで衝撃を殺したが、感触的に恐らく腕の骨と肋が折れていた。
「コンセプトも悪くない!!私に殺された哀れな子羊の無念が、連なりひとつの刃となって、真祖を殺し得る武器になる!いい!すごくいい!最高だ!!」
私の首元に刃が迫る。こんな経験、3000年ぶりだ。
でも、まだ届かない。もう少し、あと少しだ。
私の一撃を食らってなお立ち上がる彼に向かって、私のちぎれた右腕を投げた。
「それはご褒美だよ。傷が治った時にまた私を殺しにくるといい。」
これ以上戦って、ここで殺すのは勿体無い。そう思い、私はその場を後にした。
眷属達にも教えてあげよう。きっと、彼等もあまりに一方的な殺戮に、退屈しているはずだ。
「連なる十字架、ですか……」当時の第一眷属の、名前も思い出せないが、そいつが私に聞き返す。
「そう、それが私の右腕を奪った!!きっといつか私の元に届くかもしれない。刺激的だと思わないかい!?」
眷属を全員集めて、先程の話をした。思っていた反応とは異なり、歓喜というより、困惑と怯えが混じったどよめきに、少し私の熱が落ち着くのを感じる。
「まあ、そういうことがあったってことさ。」
「は、承知致しました。十分警戒致します!」
第一眷属がそういって跪くと、皆それに合わせて同じ姿勢をとる。
「警戒って……。まあいいよ好きにすればいい。解散。」
皆、喜んでくれると思っていたのに、気分が高揚していたのは私だけで、他は皆青い顔をしていた。急に、先程の出来事がどうでもいい事のように思えた。
私は解散させた後、それでもどこか先程の枢機卿に期待して、眠りに落ちた。
1週間後、目を覚まし、いつもの様に第一眷属に留守を任せようと、声をかける。すると、彼は何かいい事があった顔で、「エディンム様!ご報告が!」と声を張る。
「なんだい?楽しいことかい?」
「楽しいかは分かりませんが、きっと喜んで頂けるかと。」
彼がこういう事を言うのは珍しい。
「いいじゃないか、楽しみだよ。」
「ではこちらに。」
そう言って、大広間を案内される。
そこには、拷問の限りを尽くされた、恐らくあの枢機卿であろう何かがあった。当然、既に事切れている。
「…………これは?」
「ええ、エディンム様の腕を不遜にも斬り裂いた神父でございます。夜中に歩いているのを見かけまして、私達眷属何名かで襲い掛かりました。何人かはその時殺されてしまいましたが、路上に孤児がいたのでそれを人質にすると、無事捕まえることができました。」
嬉しそうな声で、顔で、これは続けた。
「エディンム様の痛みを少しでもこの餌に分からせてやろうと、拷問にかけましたが、いつの間にか息が絶えておりました。まあ、所詮ただの人間でしたな。」
「全員集めろ。」
「は、はい?」
「全員集めろ。今すぐだ。」
「は、は!」それはそう返事をして、眷属を全員広間に集めた。100人近くいた眷属が、明らかに半数以上減っている。
私は、酷く失望した。これは全部、いらないな。
「貴様等に命じる。『これから一生、太陽の下で過ごせ。』」
「そんな、エディンム様!?エディン様!!エディンム!!おい!この、イカレ野郎がぁああ!!」
そう、口々に彼等は叫びながら、彼等はまだ見ぬ太陽を追って、どこかに消えた。
その後、彼等の行方を私は知らない。
私は独り玉座に腰掛けて、失った右腕を見た。枢機卿が死んだ後も、不思議と取り返す気にはならなかった。
ーーーーーーーー
私はそこで目を覚ました。
いつもの様に、木々のざわめきが聞こえる。
『連なる聖十字架』なんて懐かしいものを見たからか、1000年前の夢を見ていた。
懐かしい、そんな事もあったな、と今ではいい思い出だ。
彼の死後、『連なる聖十字架』は高位のヴァンパイアハンターが持っているのを見かけるようになった。
そして、ついこの間出会った司教の手元にも。
あの枢機卿の意思は、執念は、か細いながらも、今日まで連なっていた。
だが、あれからどれだけのヴァンパイアハンターと戦っても、彼を超える人は現れなかった。
そのうち戦いに飽きて、こんな辺境の国まで来た。
いつかまた、私を私を彼か、ギルのように楽しませてくれる人は居ないだろうか。
木々の隙間から射し込む光を眺めながら、心を吸血鬼に囚われた哀れな人間2人と、叶わない死を求める吸血鬼を想った。
 




