第216話 飛花落葉の私と、今も変わらない、優しい夜の闇の中で。
「と、いう訳なんだけれど。」
私は、この間お父さんに言われたことを涼に伝えた。星空の下、波の音が響く場所で。私達が誓い合った場所からは、少し離れてしまったけれど。それでも、伝えるなら今しかない、そう思った。
何故今伝えたのか、とか、『あなたに伝えていいのか、躊躇していた』とか、そういう事は一切伝えなかった。ただ、お父さんに言われた事だけを伝えた。
話している間、彼の顔を見る事は出来なかった。彼がどんな顔をしているのか、何を想っているのか。考えるのと不安が胸によぎる。出来るだけ余計な事を考えないように、ただ、言われたことを伝えることに徹した。
「……つまり、君は、槿に残された時間は、あと数年は残されている、という事か?」
涼は、私の言った言葉を咀嚼するように、困惑した様子で私に訊いた。
「まあ、そういう事になる、かな?あ、でも、もしかしたら、発作で急に、とかはあり得るらしいから、もしかしたら意外と長くないかもしれないけれど。」
出来るだけ明るい調子で私は彼に伝えた。だから、お願いだから、私の事を嫌いにならないでほしい。心の中で、そんな事を思わず願う程、私は涼が離れることを恐れていた。
「だが、それでも暫く生きる事が出来るのかもしれないのだろう?」
「それは、そうだけれど……。で、でもーーー!」
私が言い終わる前に、彼が深く息を吐いたのが聞こえた。私の心臓は、大きく跳ねた。ああ、涼はやっぱりーーー。
「ああ、良かった……!」
「ーーーえ?」
予想外の言葉に、思わず彼の方を向く。今まで見た事がない程、嬉しそうに笑う彼は、脱力したように両手を砂浜について、天を仰いでいた。
「良かった。本当に良かった。まだ、私は、君と一緒にいる事が出来るんだな。」
喜びを嚙みしめるように言葉を発する彼に、私は嬉しさよりも困惑が上回った。
「えっと、ごめん、ね?」
「は?」
訝しげな表情で私を見つめた後、すぐに涼は察したようにああ、と呟いて、からかうような笑顔を見せた。
「まさか、『私が生きていたら、涼は死ねなくなるから嫌がるかも』とでも思っていたのか?」
「うっ……。」
「案の定か。」
「だ、だって……。」
こんなに彼が喜んでくれると思わなくて、私は罪の意識から体を縮こまらせて胸の前で指先を弄ぶ。そんな私の様子を見て、涼はまた嬉しそうに笑った。珍しい彼の一切影のない笑顔に、そんな場面でもないのに、私の胸が高鳴る。
「君が生きてくれる事が、何よりも嬉しいんだ。槿と一緒に過ごせるのならば、今までの300年の苦痛にすら、死ねなかった情けない自分にすら感謝する程に。」
そう言ってくれた彼の瞳は、出会った時はあれだけ暗く濁っていたのに、満月が浮かんでいる夜空のように、優しい光に満ちていた。
こんなに、私の事を想ってくれているんだ。そう思うと、冬の空気すらものともしない程、暖かいものが私の内側を満たした。
「だ、大丈夫か?」
涼は不安そうに私の顔を見つめる。気が付くと、私の目からは涙が流れていた。
「これは、ちが、くて……。」
否定しながら、涙を拭う。けれども、拭う傍から涙が溢れた。
「す、済まない。何か不用意な事を言ってしまったか?だが、君を傷付けるつもりはなかったんだ。」
慌てた様子で、私に近寄り、不慣れな手付きで私の目から溢れる涙を拭う。血の通わない彼の指先が、不思議と暖かく思えた。
「そうじゃ、ないからっ……。」
涙の止まらない泣き顔のまま、私は無理矢理笑顔を作る。けれど、それが余計に涼を不安にさせたらしい。
「何か、私に出来る事はないか?」
真剣に私を心配してくれる彼に、悪い私は悪戯心が芽生えた。
「……じゃあ、ぎゅって、して欲しい。」
「わ、分かった。」
まるでガラス細工に触れるように、優しく包み込むように手を回し、抱き寄せる。彼の胸元に顔を埋めるように、私も彼の背中に手を回して、非力な私なりに精一杯彼を抱きしめた。
「あと、『好き』って言って欲しい。」
「……好きだ。これでいいか?」
「もう少し、感情を込めて。」
「……好きだ。愛している。」
「ふふ、嬉しい。」
「それは良かった。……というか、泣き止んでいるだろう。私が抱き締める少し前から。」
「そんなこと、ないけれど。」
嘘だった。彼の言う通り既に私は泣き止んでいて、それが分かった上で私の言う事を聞いてくれた彼が、また愛おしくなる。
「ねえ、クリスマス、楽しみだね。」
「そうだな。だが、私にとってこれ以上のプレゼントは無いだろうな。」
「そこまで喜んでくれるのは、嬉しいけれど。」
素直に喜んでくれるのが、少しくすぐったい。それに、少しプレゼントのハードルが上がってしまったのかもしれない。
常磐さんに相談して美味しいらしいワインを買ったのだけれど、喜んでくれるだろうか。
けれど、それでも彼への感謝を、何か形にして伝えたい。彼が喜んでくれるかは、分からないけれど。
「絶対、24日来るの忘れないでね。」
「ああ。分かった。」
「絶対だから。」
「分かった。何があっても君に会いに行くさ。」
冗談めいているけれど、優しい口調で涼は私を抱き締めたままそう言った。
私は、生きている事の喜びを、生まれて初めて噛み締めた。




