第213話 いつ見ても、君は。
海から吹き付ける冬の風は、以前来た時よりも乾いており、海から少し離れた、砂浜に繋がる道路の上にいる私達すらも切り裂くような鋭利さがあった。夜の闇の向こうに聞こえる波の音も、どこか威圧するように聞こえる。
「やっぱり、冬は寒いね。」
靴を取りに戻るついでに手袋とマフラーを取りに戻った槿は、そう言いながら身を震わせていた。
靴も手袋も厚く保温性が高そうな生地で、私から見れば充分暖かそうに見えたが、それでも寒いらしい。吐く白い息が、弱々しく彼女の口から漏れている。
「どうする、他の場所に移動するか?」
「え、来たばかりなのに。」
「身体に障るかもしれないだろう。」
私の言葉に不満そうに口を尖らせているが、どう考えても私の方が正しい。余命云々は置いておいても、元々身体が強くないのだから、出来るだけ労るべきだ。
そんな事を自分で考えて、気分が沈む。早く検査結果を聞きたいが、心の準備が出来ていないと言う矛盾した心のせいでどこか落ち着かない。
「ちゃんと防寒しているから大丈夫、だと思う。海に入ったりしなければ。」
「……少しでも体調が悪くなったららすぐに言ってくれ。」
軽い発作であれば、教会からも病院からも然程離れていないので、余程の重症でなければ問題は無い、はずだ。
「うん。心配してくれてありがとう。」
そう言って槿は微笑む。彼女にこういう顔をされると弱いな、と私はため息を吐く。
「ねえ、折角来たんだから、ちょっと散歩しようよ。」
寒さで微かに震えているが、それでも高揚感が上回っているようで、口角は上がり、目はキラキラと輝いていた。
「それもそうだな。」
元々そのつもりではあったが、わざわざその事を言って水を差す必要もない。私の言葉を聞いて、槿はゆっくりだがどこかリズミカルな足取りで砂浜に降り立つと、私に向かってダンスに誘うように右手を伸ばす。
先程とは逆だな、と私は苦笑しながらその手を取り、彼女の方に足を進め、路面とは違う柔らかい地面の感触を足の裏に感じる。
「やっぱり、靴って大事だね。今日は足の裏が痛くない。」
その場で何度も足踏みをしながら、嬉しそうに私に報告する。そういえば、この前はそんな事を言っていたな。だから今日は短いブーツのような形状の靴を履いているのか、とどうでもいい事に気が付いた。
「それは良かったな。」
私がそう言うと、ふふん、と鼻を鳴らして何故か自慢げな表情を浮かべる。やはり浮かれているのだろう。いつもより機嫌がいい。
それにしても。と私は周囲を見渡す。辺り一面砂浜で、その向こうは海と地平線しか見えない。これではどこに歩いたところで、極論どこにも行かなくても大差ないのではないか、と思わずにはいられない。
「それで、どっちに行きたいとか、希望はあるのか?」
そうは思いながらも彼女に訊いた。
「特にないかな。暗くてほとんど景色とか見えないし。」
そう言いながら、槿はとりあえず海を向いて左手側に歩き出した。何か明確な根拠がある訳ではなく、『ただなんとなく』という足取りだった。
「なんだ、それは。」
私は呆れながら彼女の右手側に並んで歩く。彼女の銀色の髪が、潮風と月の光に照らされて、揺れる度にスパンコールのように輝いて見えた。
「この前も、言ったけれど。」
目を細め、口角を上げて槿は笑う。一緒にいればいる程、彼女の細部が目について、その全てが愛おしく思えるせいで、いつも見惚れてしまう。
「ただ、涼とどこかに行って、あまり実りがない事をしたかっただけだから。」
「この前も言っていたな。私には、あまり理解できないが。そもそも、普段の会話だってあまり実りのある事ではないだろう。」
「それも、そうだけれど。でも、この一年で、気が付いたのだけれど。」
やたらと神妙な顔で、人差し指を立てて、私の目を真っ直ぐ見つめる彼女の緑色の瞳に、私は身構えた。
「会いに来てくれるだけでも嬉しいけれど、何か特別な事があれば、もっと嬉しい。たとえそれが、どれだけ些細な事でも。」
彼女の言葉に、私はおもわず吹き出した。
「出会った頃と、全然違う事を言っているじゃないか。」
「あなたと、皆のおかげでこんな我儘になっちゃった。」
口に手を当てながら、咲いたように槿は笑う。こんな我儘なら、大歓迎だ。




