第210話 確か、結局40分は経っていたと思う。
指輪を購入した後、私と連花は9階のカフェに移動した。
ガラスの壁面にメニュー表が貼られている横に、『勧誘禁止』という張り紙がされているのを見て、なるほど、こういう長く腰を据えることが出来る店だからこそ、そういう事をする者が現れるのか、と変なところに私は感心した。
入ってすぐのカウンターで。連花は温かい紅茶と何やら緑色のパスタを頼み、私も何も頼まないというのはどうかと思い一応ホットコーヒーを頼むことにした。
店内も込み合っていて、私達は奥の方に空いている席を発見すると、そこに座った。
彼からの言葉を待ったが、彼は席に着くやいなや、黙々とパスタをフォークで巻いて口に運び出す。ただ1人で食事をしたくなくてあんな事を言ったのか?と今日の彼の情けなさから疑いの目を向けるが、彼はそれにも気が付いていないようだった。
パスタを口に運ぶ連花の表情はやたらと真剣な表情で、どこか眉間に皺が寄っているようにも見えた。
「不味いのか?そのパスタ。」
声を潜めながら、彼に訊ねる。
「はい?」
急に何の話だ、と言わんばかりの表情を彼は浮かべる。
「険しい表情をしていただろう。」
だったら何なんだ、先程の表情は、と言う言葉を婉曲表現で伝える。ああ、と納得して、彼は少し気まずそうにフォークを置いた。
何やら考え込んでしばらく黙った彼をただ待っているのが暇だった私は、間を持たす為に珈琲を一口啜る。磁器の滑らかな曲面に沿って黒い液体が私の口内に流れる。熱い液体が体内に流れることに違和感はあるが、特に飲めないという事もない。
央程食べ物に興味が無いので、何やら苦味とその奥に風味のようなものがある、程度にしか感じない。そういえば、央が珈琲を飲んでいるところは見た事がないな、とそんなどうでもいい事に気が付く程、連花は押し黙ってた。
2口目を飲んだ時、ようやく彼は口を開いた。その顔にはわざとらしい愛想笑いが浮かんでいた。
「そういえば、槿さんのプレゼントはどうされたんですか?手には持っていないようですが。」
その口調も不自然な程明るく、違和感を覚えるが私は一応その会話に付き合う事にした。
「失くす事が無いよう、身体にしまっている。」
コーヒーカップを置いて、私は机に右手を置いてゆっくり持ち上げ、先程買ったペアリングのラッピングされた箱と、それが入った袋を机の上に置く。
「……便利ですね、それ。」
「そうだな。おかげで空を飛んでもスマホを失くすこともない。」
袋に手を押し付けるようにして、再び体内に戻す。可能性としてはそう高くはないが、コーヒーをこぼしたり、連花の緑色のパスタソースが跳ねる可能性もあるし、そのまま机の上に置いて帰るかもしれない。万が一にでも失くしたり汚したりする事は避けたかった。
「その指輪にした理由、当てて見せましょうか?」
からかうような口調で私の顔を見つめる連花は、先程までの不自然さは感じない、自然な笑みを見せた。それが人を小馬鹿にする笑いだというのは、聖職者としては如何なものか、とは思うが。
「言ってみろ。合っていようが間違っていようが、お前にはしっかりと後悔をさせてやる。」
「はいはい、分かりましたよ。」
呆れたように手を払うような仕草をして、再び彼はフォークを手に取り、パスタを巻いて口に運ぶ。呆れたいのはこちらだ、と言わんばかりに私は深く溜息を吐いて、再びコーヒーを啜った。
「本当に、あなたは槿さんの事を好きですよね。」
どこか、意味深な言い方を彼はした。肯定も否定もする気はなかった私は、彼の続く言葉を待った。
くるくると、皿の上でパスタを回しながら、連花は次の言葉を探しているようだった。
ふと見ると、彼の頼んだ紅茶は、一口も飲まれていないというのに湯気が立っていないのが見えた。私のコーヒーも、今やホットよりはアイスに近い温度になっている。
既に30分は経っているのではないかと思い、スマホを見ようとしたその時、連花は意を決したように口を開いた。
「涼。聖十字教団に入信するつもりはありませんか?」
「ーーーは?」
いきなりの言葉に、私は理解が追いつかない。
君がそんな事を言っていいのか、とか、私の存在をどう説明するつもりだ、とか、そもそも吸血鬼が所属出来るのか、とか、色々と聞きたい事はある。
そんな私の口から出たのは、たった一言だった。
「ここは勧誘禁止だぞ。」




