第203話 初めて会った時から、君は。
その日、槿はどこか物憂げだった。
央がクリスマスパーティーに参加したがっていた日から3日後、12月13日に何時ものように彼女の部屋で話していたのだが、槿の様子はいつもと違っていた。
楽しそうに最近あった事を話すその口は言葉少なで、嬉しそうに笑うその表情は硬く、青い瞳はどこか遠くを見つめていた。
「どうかしたのか?」
まさか、彼女の身に何かあったのだろうか。私の胸に不安がよぎる。まだ元気そうにしているが、そもそも元気そうにしている事自体奇跡に近い。何かあってもおかしくない。頭はその事を理解していた。
図星を突かれたように槿の身体は小さく跳ねた後、弁明するような声で、「大したことじゃ、ないんだけれど。」と続けた。
「話した事はあると思うけれど、私、定期的にお父さんの病院に行って健康状態とか見てもらっているのだけれど。」
聞いた事はある。確か、週に一回とかの頻度で浅黄の所に行っているのだったか。
「それで、今度いつもの検査より、もう少し詳しい事が調べられる検査?をすることになって。……その、時期が、時期だから。」
『時期が時期』という言葉に内心落ち込むが、出来るだけ表に出さないようにする。そんな事をしたところで、槿相手にどれだけ意味があるのかは怪しいところだが。
「あ、でも別に、何かが悪くなっているとかではないから。その点は、安心してほしい。」
案の定、彼女は慌てて否定をする。敵わないな、と苦笑しながら、今どうにかなっているわけでない事が分かり、ひとまず安堵した。それと同時に、別の思いが芽生えた。
「それにしても、君がそういう事を気にするというのは珍しいな。」
「こう見えて乙女だから。意外と繊細なんだよ?」
何故か誇らしげに胸を張る槿を私はつま先から頭の先まで何度も見つめる。
「君は、どう見ても乙女だと思うが。」
「あ、ありがとう……?」
一変して恥ずかしそうに顔を俯けた。私ともう一年近くいるのだから、いい加減こういうやり取りに慣れてもいいだろうに、一向にその様子はない。まあ、彼女らしいと言えば彼女らしいが。
「私が言いたいのは、君が自分の生死に関しての事で憂いているのは珍しいように思えてな。もちろん、それがいけないとか、そういう訳ではないのだが。」
すると、槿は少し困ったように笑うと、躊躇いがちに口を開いた。
「今でも、死ぬのは怖くない。けれど、死にたくはない、かな。」
槿の顔に滲む怯えは、彼女が言っているように、死ぬことが怖いというよりも、『自分がそう思っている事を認めてしまうのが怖い』といった様子だった。私は槿の様子に同情しながらも、それ以上に嬉しかった。
「随分、出会った時とは変わったな。」
「それはそうだよ。あの時は、お父さんとも仲が良くなかったし、話し相手は向日葵さんくらいだったから。今は、皆がいるし。勿論、涼も。だから、もう少し生きていたい、かな。」
「そうか。……良かった。」
ああ、良かった。私は目を瞑り、深く息を吐いて噛みしめた。『もう少し生きていたい』と、槿が思えるようになったことが、何より嬉しかった。
「へー。恋人が不安がっているのが良かったんだ?」
緊張を誤魔化すように、槿はからかうような笑みを浮かべて私の顔を覗き込む。
「そういう意味ではない。大体、私達は恋人同士と言えるのか?」
「え、酷い。あんなに沢山好きだと私に言ってくれたのに。」
何かの台詞の引用だろう。平坦な口調で、わざとらしく身体をしならせて槿は泣くような素振りを見せた。
「そんなには言ってないだろう。」
「『そんなには』言ってないけれど。何回かは、言ってくれてる。」
少し顔を赤らめながら、にやにやとからかうように私を見つめる槿から、私は照れくさくて目を逸らし、咳払いをした。
「話を変えるが、」
「あ、恥ずかしいんだ?」
「……話を変えるが、その検査が終わったら、何かしてほしい事とかないのか?」
「え?」
意外だったのか、槿は驚いた表情を見せた。
「何かご褒美があれば、少しは気も紛れるだろう。欲しいものでも、してほしい事でも。今思い浮かばないのならば、別に今でなくてもいいが。」
「嬉しいけれど、珍しいね。涼がそういう事言ってくれるの。」
「ほかならぬ、恋人の頼みだからな。」
「え!?」
槿は赤面してわたわたと手を動かした後、不意に我に返ったかのように考え込み、私に訊ねた。
「……私達って、恋人同士って言っていいのかな?」
そんな事は、私に聞かれても困る。というか、君が言い出したんだろう。




