第2話 飛花落葉のあなたへ
死ぬならこんな夜がいい。
窓なら外を眺めながら、そんな事を思う。冬の澄んだ空を、満月が照らしていた。
夜は好きだ。暗くて冷たくて、少し怖いけれど、どこにいても平等に包み込んでくれる優しさがある。
私はもうすぐ死ぬ。
その事はとっくに受け入れていて、特に不安はない。
だが、それまで私はどう過ごせばいいのだろう。
この残された僅かな時間で、この身体で、私はこの退屈とどう向き合えばいいのだろう。
残された時間の大半を過ごす、病院と呼ばれる白い建物は、退屈と不安で出来ていた。
私には、それを変える力も意思もなかった。
コツコツと、窓を叩く音が聞こえた。
窓を見ると、どこか人間離れしている程に綺麗な青年が窓を叩いている。
20歳前後に見えるが、どこか、今すぐに枯れてしまいそうな大木のような、そんな雰囲気だった。
夜に溶け込むほど黒く、目にかかるくらいの長さの髪は、手入れをせずにボサボサになったのか、パーマなのか分からない質感で、肌は透き通るほどに白く、満月の光を反射している。
二重の、黒い瞳の中には逆光全く光が宿っていない。どことなく覇気のない表情だが、どこか高揚しているようにも見えた。
モックネックのニットに、細いシルエットのスラックスと、ロング丈のチェスターコートを着ており、その全てが黒い色だった。僅かにニットが少し薄い色ではあったが、夜の下ではほとんど違いが分からない。
ふと、ここが4階なのを思い出し、彼が恐らく人間でないことを悟った。
ついに死神が迎えに来たのかもしれない。そんな事を思う。
もう一度彼はノックをして、何か口を動かしている。
よく見ると、「入っていいか?」と動いているように見えた。
私は人とかけ離れた雰囲気をした青年がわざわざ許可を取るのが少し面白くて、私は少し笑う。
肯定の意味で頷き、窓を開けようと近づいた。
私が頷くのを見た青年は、黒い霧となり、窓の僅かな隙間から侵入した。
室内で霧は腕の形を取り、錠を開け、転落防止のため30度と開かない窓を開けると、すべての霧が室内に入り、再び先程の青年の姿をかたどった。
自身で入ることができるなら、何故最初に許可を取ったんだろう、と妙な所で礼儀正しい青年が何処かおかしくてまた少し笑うと、そんな様子をあまり気にしない調子で、やはり高揚気味に彼は言った。
「お嬢さん、良ければ話を聞いてくれないか?」
「死神さんのお役に立てるようでしたら。」なんにせよ、退屈はしなそう。夜は、静かに私達を包んでいた。
ーーーーーーー
目を覚ますと、日はすっかり暮れていた。
ベットから出てスマホの画面を見ると、日曜日の22時と表示されている。いつも通り、3日程寝ていた。
吸血鬼は寿命が長く、食事はほとんど必要としない。
彼の言っていたように、数十年に1度1人分の血を吸えば事足りる。
理由としては、代謝がほとんどない上に一生の大半を眠って過ごすかららしい。大体の吸血鬼は私の様に3日~4日寝るらしい。
昔はヴァンパイアハンターに不意をつかれないように棺桶で寝ていたのだが、吸血鬼の事実上の絶滅と共にヴァンパイアハンターもいなくなったため、私はベットで寝ることができる。それだけは悪くない。現代の唯一のメリットだ。
棺桶は硬く、狭い。あれば寝具ではない。遺体を入れる箱だ。
ベランダの掃き出し窓を開け、ベランダに出ると、手すりから顔を出し、地面を眺めた。
14階の部屋から見下ろす景色は、日本国内有数の都市部であるからか、夜だと言うのに忌々しい程に眩しく輝いており、空を見上げると僅かに欠けた月すらも私を嘲笑するように輝いていた。
陽の光以外は浴びても問題は無いが、強い光は不快感を覚える。今の夜は、吸血鬼には明る過ぎる。
溜息をつきながら、気持ちを切替える。
さて、獲物を探すために久しぶりに外に出よう。
地面を眺めながら、私は決意した。
獲物と言っても血を吸う訳ではない。
私が愛する相手を探す。つまり、彼の言う自殺方法を試そうと思っていた。彼は間違いなく私が自殺する為に苦悩したり失敗する様を楽しむつもりなのだろうが、それでも私はやるしか選択肢がない。
最早藁にもすがる思いだった。私はそれくらい自らの死に飢えていた。
まず、対象を絞る。
すぐ死ぬ人間がいい。出来れば病気などで余命が短ければいいが、あまり短すぎても愛着が湧く気がしない。
1年から2年程度が理想的だろう。老衰などで寿命の近い人間でもいいが、今の私は20代前半の青年の姿をしている。
であれば、向こうから見て年齢が近く見える方が、恐らく警戒されづらい。
性別は、同性より異性の方がいい。吸血鬼の性質として、異性の方が心を許して貰いやすい傾向にあるからだ。
吸血鬼は吸血した人間の遺伝子情報から外見的特徴や身体的特徴の優れた部分のみを受け継ぎ、姿を変える。そうする事で、整った容姿になっていく。人間を家や城に招く際、また招かれる際の成功率を上げるための進化だと彼は言っていた。
つまり、話を聞いてもらいやすい。だからこそ、異性がいい。
対象は決まった。病気で余命1、2年程度の20歳前後の女性を私は探すことにした。そんな人がいるかは分からないが、まあいなければ徐々に条件を緩めればいいだけだ。
であれば、まずは病院を周ろう。
目的を決めた私はベランダから身を乗り出し、最後に外に出たのはいつぶりだったか、そんな事を考えながら、忌々しく輝く地面に向かって飛び降り、すぐに体を数十匹のコウモリに姿を変えた。
変身能力を使用したのは最早100年近く前かもしれない。確かコウモリに変身してヴァンパイアハンターから逃げたのが最後だった気がする。
コウモリは、それぞれ私の住むマンションを中心として、別々の方角に飛び立った。
それぞれ近場の病院を当たっていき、個室に女性はいるか、年代はどれ程かを確認し、20代であれば、窓をノックして、部屋に入れてもらおうとした。
結果としては、壊滅的だった。
まず、個室に入院している女性は意外といた。
が、病院という施設の特性上、やはり人間的には高齢の者がほとんどだった。
また、たまに20代前後の女性がいたとしても、窓の外から私がノックをした時点で、半狂乱になるか、慌てて逃げ出すかで窓を開けてもらう所ではなかった。
2階以上の部屋の窓をノック出来る人間はいないということを私が思い出したのは、4回ほど同じ過ちを繰り返してからだった。
ということは、この方法は成功しないな、と4回目の失敗を得て気づいた私は、ふとスマホの画面を見た。
日付は代わり、1時になっていた。ここからマンションに帰るまでに1時間もかからない距離であるし、日の出は6時を過ぎたくらいの時間だ。まだ日が出る前に帰ることが出来る。
この方法を続けるか、とりあえず今日は諦めて帰るか、他の方法を試すか。少し逡巡した後、あと1度だけ試して、まあ失敗する可能性が高いだろうが、失敗したら諦めて今日は帰ることした。
病院の屋上から上空に飛び立ち、自分のマンションのある方向に背を向けると、100メートル程先の距離に別の病院を見つけた。
あの病院を覗いて、条件に当てはまる人間がいなければ帰ろう。と、気持ちは帰る方向に向いていた。
正直な話、4回の失敗で心が挫けていたし、十数匹のコウモリになり四方に散って探し、条件に当てはまる人間を見つける度に人の姿に戻っていたのだが、人の姿になるには全てのコウモリが1箇所に集う必要がある。
コウモリが集まるのを待ち、失敗したらまた四方に散る。
この作業があまりに面倒で、もうすっかりやる気は失せていた。
こうやって理由を探してやらない性格も、私が今日まで死ねていない原因なのだろう。
そんな事を考えながら病院に近寄り、窓の外から個室を覗くと、そこに彼女はいた。
丁度20歳くらいだろうか。白にも銀色にも見える長い髪は月光を反射して輝いており、上体を起こして私がいる窓の方に顔を向けているが、私には気づいていない。
何故こんな時間まで起きているのかは疑問だが、好都合だと思い、私は窓を軽く叩いた。
彼女は私に気付くと少し驚いた様子だったが、逃げる様子はなかった。
もしかして、と私は思った。もう成功することは無いと思っていたが、もしかして。
もう一度窓を叩き、少し遠いところからでも口の動きが分かるように「入っていいか」と口を動かすと、彼女は何故か少し笑って、首を縦に振った。
どこか彼女は、もうすぐ自分が枯れることを知っていながら、ただその時を待つ花のように見えた。それは諦観にも達観にも見えた。
彼女が窓を開けようと身体をこちら側に回したが、許可さえしてくれれば窓は自分で開けることが出来た。
私は霧に変身し、窓の僅かな隙間から腕分を向こう側に入れて窓を開けると、残りの霧も彼女の部屋に入り、また人の姿に戻った。
彼女はまた楽しそうに笑っていたのだが、私は運良くここまで成功した事の高揚感で、その事には気付かず、出来るだけ丁寧な口調で話そうと意識しながら言った。
「お嬢さん、良ければ話を聞いてくれないか?」
「死神さんのお役に立てるようでしたら。」そう言って笑う彼女は、暗い病室の中で1人だけ、月の様に輝いて見えた。