第16話 人が吸血鬼を殺せる理由
以前彼に聞いたことがある。
吸血鬼とヴァンパイアハンターの歴史は、一言で表せる。
一言で言うと、被食者が捕食者をどうして殺せるようになったか。
その理由は至極簡単で、被食者にも牙があったから。知恵と信仰と、それを操る身体と言葉が。
聖十字教団の経典では、人間は死後あの世に行き、そこで天国や地獄のどちらか適切な場所に行く事で、魂は救われる、らしい。詳しくは知らない。あくまで彼からの聞いだけの話だ。
死した肉体のまま、現世を彷徨う化物の私には残念ながら縁遠い世界であるし、あの世の存在の是非を問うつもりは無い。とにかく、そうなっているらしい。
現世に彷徨う魂を救済しようと結成されたのがエクソシストで、その中でも吸血鬼の救済に特化した部隊がヴァンパイアハンター。
彼等の特徴として、皆銀製の十字架が付いたロザリオを着けている。いざと言う時の武器として、そして、自身が吸血鬼にされた時にそのまま自害するらしい。
また、彼等は吸血鬼の弱点を利用した武器を駆使し、私達吸血鬼を殺していたのだが、それらの武器の中で、最も私達が恐れていた武器、それが『連なる聖十字架』。
死んだハンターの遺品である、銀製の十字架を連ね、鞭のようにしなり、剣のように鋭く、音速を超える速度と、自在に動く切先は何人もの吸血鬼を葬ってきた。
死んだハンターの加護と恨みを受け継ぐ、人間の狂気的なまでの執着が産んだ武器。
過去にも相まみえたその武器が、今再び私の前に現れた。私を確実に殺すと息巻く司教の手元に。
彼が裾から『連なる聖十字架』が出てくるのを見て、私は直ぐに司教の反対側に駆け、張られている結界を破るつもりで思い切り殴る。
逃げるつもりはないが、流石にこの結界の範囲では一瞬で殺されるだけだ。結界の外に出る必要がある。
結界には大きくひびが入る。もう一度殴れば壊せる。そう思い、もう一度大きく振りかぶった。
「背後を見せるとは随分と余裕ですね。」いつの間にか司教は私に近付き、、手の内側で滑らせるようにして、直線状に十字架を飛ばす。
「くっ!」なんとか躱し、その勢いのまま羽を広げ、上空に逃げる。羽を広げると細かい方向転換は出来なくなるが、その分速度が出る。
とにかく相手と距離を置くためには、羽があった方がいい。
先程殴った箇所に目をやると、既にひびは塞がっている。
シスターが修復したらしい。かなりの練度で結界を張っており、目の前の司教から逃げながら破るのは無理だ。
司教は『連なる聖十字架』を自身を中心に円を描くように振り回しながら、私に駆け寄る。
私は必死に高度を保とうとするが、結界が十字架の届く高さでまでしかない。彼に背を向けないよう後ろ向きに飛び、距離を取りながら、飛んでくる十字架に警戒する。
「いつまでも逃げれるつもりですか!」彼はそう叫ぶと、私をめがけて十字架を振るう。
以前であった司教の『連なる十字架』より射程自体は長いが、軌道が直線的だ。速度に大きな違いはないが、これならばなんとか躱せる。
私は必死の思いで何度も迫る十字架を躱しながら距離をとる。その状況がしばらく続くと、私は違和感を覚えた。
おかしい。何故、何故私はまだ生きている?
以前会った司教であれば、恐らくもう既に5回は死んでいる。今思えば、最初に結界を破れなかった時点で死んでいてもおかしくない。
もちろん、真名を得たことで私の俊敏性も格段に伸びてはいるが、それでも説明が付かない。
そこで、私は一つの、考えてみれば至極当たり前の仮説に思い当たる。
彼が私に向かって十字架を振るったのを見て、今までは躱しながら距離をとっていたが、今度は反対に距離を詰めた。
「なっ!!」急な私の行動に驚いた様子で、彼は私の動きに対応できていなかった。
私はそのまま反対側に通り過ぎて、また体を司教の方に向ける。
司教も慌てて私の方を向くが、その際に『連なる聖十字架』に働いていた遠心力が歪み、急激に速度を落とす。
やはり、私の思った通りだ。
「なあ、一つ聞きたいんだが。」少し余裕を取り戻した私は、司教に訊ねた。
「化物と会話するつもりなど」そう言う彼の言葉を遮り、私は続ける。
「今まで、私以外の吸血鬼と戦ったことはあるか?」
「……それがなんだと言うんですか?」急に罰が悪そうに彼は返す。
そうだ。考えてみれば当たり前だったんだ。私と彼『藍上 央』以外に吸血鬼はいない。
もし居たとしたら、彼が間違いなく私を連れて余計な事をしに行くに決まっている。であれば、今目の前の司教の、あまりに不慣れな動きに説明が着く。
彼には、実戦経験がない。
恐らく普段はゴースト等を相手にしている、普通のエクソシストだ。脇に控えたシスターとの連携のスムーズさや、彼の若さに見合わない高い階級等は、それで説明が着く。
なぜ『連なる聖十字架』を持っているか、吸血鬼に強い敵意があるのか、私の能力使用を察知したのか、それは未だに疑問だが、とりあえずその点は今は考えなくていい。
1つの希望が見えた。これならば。
これならば、何とかなる。槿に恨み言を言う事は叶いそうだ。
だが、それはそれとして、もう一つ以前変わらない大きな問題があった。
私には、実戦経験がない。




