第15話 私が逃げなかった理由
気づかれないよう、少しずつ後退りをしながら、出来るだけ冷静に状況を把握する事に努める。
周りを見た限り、恐らく彼等3人以外はいない。
先程私がぶつかった壁は、間違いなく結界だ。
私が以前催眠を使った際に、能力が使用された位置を特定され、私のことを見越してに病院全体に結界を張った。
前回から4日経っている今日も結界を張っていたという事は、毎日病院に来ていたか、吸血鬼の睡眠の間隔から、おおよそ辺りを付けて今日結界を張ったのか。
前者ならまだ大した問題はない。問題は後者である場合。吸血鬼の体質を知っているという事は、それだけ狩る対象として調べている、つまりヴァンパイアハンターである可能性が高い。
病院全体に張られていた結界は、気が付くと私と神父を囲む形で、20m四方程の張られている。恐らく結界を展開しているのは両脇にいたシスターだ。
今は結界の外にいる事から、戦闘自体は得意でないのだろう。だが、かなり連携が取れている事から、恐らく3人はこの陣形を相当やり慣れている。
「なあ、私は本当に君達に危害を加えるつもりはないんだ。今日ここに来たのも人間の血をする為じゃない。頼むから、ここは見逃してくれないだろうか。」
両手をあげて、出来るだけ敵意のない事が伝わる様、必死に伝える。
「二度と口を開かないで下さい。貴様がその、人の血を啜り殺した薄汚い口で人と同じ言葉を喋っているだけで反吐が出そうです。」神父は、微笑んだ表情から微塵も変えずに言い放つ。
和解は無理だな。
ヴァンパイアハンターの中には、吸血鬼の成り立ちから、同情を見せるハンターもいたが、彼は吸血鬼を嫌悪している様子だ。
身内を殺された人間が吸血鬼を根絶やしにするというモチベーションでハンターになる事はよくあるらしいが、彼がそうだとすると妙だ。
私と彼以外は吸血鬼は皆滅んだはずだ。
そして私も彼も樹海の自殺者以外は吸血していないし、死体は森に埋めている。吸血鬼の仕業と気付かれる可能性はほとんど無いはずだ。
彼が密かに街中で人間の血を吸っていれば話は別だが、彼は心底ハンター達との闘いに飽き、自らの死を偽装してまで日本に来たのだ。
わざわざ気づかれる危険のある行動をするとは思えない。
分からない点は多いが、まず1つはほとんど確定した。
目の前の神父は、ヴァンパイアハンターだ。
能力使用を察知し、吸血鬼を狩る連携に優れ、吸血鬼を恨んでいる人間などハンター以外考えようがない。
面倒だな。思わずため息が出る。
「一つだけ、選ばせてあげましょう。」
微笑みながら変わらない調子で神父は言った。
「黙って首を差し出すか、必死に抵抗して無様に死ぬか。大人しく首を差し出せば、最大限の慈悲として、出来るだけ痛みを感じない様殺して差し上げます。」
「それはありがたい。」神父の年齢は20代前半から半ば、体格はやや筋肉質、身長約180cm。
過去に闘った神父達に比べると細身だが、充分動けそうではある。
武器は正面からは見えないが、恐らく神父服の内側に隠しているのだろう。が、シルエット的に恐らく長物、剣や猟銃は持っていないはずだ。という事は、銀の杭か、拳銃、十字架辺りだ。
(……まさか、『連なる聖十字架』は無いよな?)最悪の想像が過ぎる。が、すぐに候補から外す。
過去に1度『連なる聖十字架』を持った司教を名乗るハンターから逃げた事があるが、結界のない広大な森という、吸血鬼に圧倒的に有利な場面であっても私は傷を負い、死の数歩手前まで行った。
1000年前に彼の右腕を奪った武器でもある。この状況で相手が持っていたら、余程の場合でない限り確実に死ぬ。であれば、考えるだけ無駄だ。
「どちらも魅力的な提案だが、出来れば先に神父様のお名前を教えていただけないだろうか?」手を挙げたまま、出来るだけ相手を刺激しないように訊ねる。
和解は無理だが、それでも出来るだけ穏便に済ませたい。せめて、今日だけでも。
「化物相手に名乗る名前もありませんが、いいでしょう。教えて差し上げます。」
祈る姿勢を解いて、両手を降ろし、彼は名乗る。
「サリエル・連花 黎明と申します。聖十字教団では、司教を務めております。」
司教、まずい。
身体が恐怖を支配し、体を翻す。本能的に身体が逃げようとする。この若さで司教という事は、確実に正規の実績ではなく、化物の処刑人としての実績を評価されている。
どの武器持っていようが、全力で逃げない限り私は死ぬ。正しく、彼は私の死だ。
数歩反対向きに駆け、私は足を止める。
逃げようにも、結界がある。しかも、私は死にたいんだ。今ここで彼が痛みのないように殺してくれるなら、わざわざ逃げる必要もない。ただ一時、勇気を出すだけだ。「痛くないように殺してくれ。」と、精一杯懇願するだけでいい。
彼の方を向き直った。
彼は、突如逃げようとした私を追うつもりで走る助走を見せていたが、突如こちらを向いた私に面を食らったようで、先程までの余裕の笑みは消えていた。
「殺してくれ。」
そう言おうと、口を動かしかけたが、ふと、とある事が脳によぎった。
彼、『藍上 央』が、今日槿に会いに来る。槿と会って彼が何をするか分からない。
下手したら槿は死ぬかもしれないし、もしかするとより最悪な目に遭うかもしれない。いや、今はそんな事は関係ない。
数百年ぶりに死ねるチャンスなんだ。彼女は、死ぬまでの退屈を埋める為に、私は死ぬ為に彼女を利用している。契約も今はない。彼女の事は考えるな。
彼女の事は大して知らない。連絡先すら知らない。いつから入院しているかも、好きな物も知らないし、出会って数週間しか経っていない。
私が彼女に対して知っている事はせいぜい、いつもの様に生きる事を諦めて笑う彼女と、クリスマスの時の様に、笑ったり照れたりするーーー。
「済まないが、やはり死ぬのは嫌だな。逃げるのも癪だ。」
声は震え、膝は笑っている。だが、私は精一杯強がった。槿には、もし今日生き延びることが出来たら、精一杯恨み言を言ってやろう。
お前のせいで、死ぬより怖い目に遭った、と。君を守る為に、俺は死に立ち向かう羽目になったんだ、と。
「大変申し訳ないのですが、貴様は逃げられません。私が殺すからです。化物らしく、無惨に。」
彼が右腕を体の前に突き出し、掌を下に開くと、神父服の裾から、ジャラジャラと音を立て、幾つもの連なった銀製の十字架が姿を見せる。
『連なる聖十字架』だ。
きっと私は、槿に恨み事を伝える事が出来ずに死ぬ。
 




