第14話 あの日、私が遅れた理由
彼が槿に会いにいくと言った日。私は9時に家を出た。
いくら彼より先に槿の病室に行く必要があるとは言え、9時では消灯時間の10時より早く着いてしまうが、この時間に出たのは訳があった。
病院の近くの繁華街で降りると、既に一度来た事のある花屋に向かった。
「あ!お兄さん1週間ぶりです!」9時20分にもなるとあまり客が来ないのか、そもそも花屋はそんなに混雑するものでもないのかは定かではないが、店内からそう元気に私を呼ぶ声がした。クリスマスの事ではとても世話になった花屋の椿木だ。
「そうだな。この前は世話になった。」彼女がいなければ、槿をこの前程喜ばすことが出来たかは怪しかった。独特な距離感ではあるが、そこは本当に感謝している。
「全然いいんですよ!おばあちゃんも言ってましたけど、いい思い出になる事が出来たら嬉しいんで!彼女さん、喜んでくれました?」
「ああ、初めて見る程喜んでいた。」そもそも彼女でもないし、付き合いもそこまで長くはないが。
「マジですか……!?絶対それ聞いたらおじいちゃん達喜びますよ!今電話持ってきます!伝えてあげてください!」そう言って椿木さんは電話を持ってこようとする。
「いや、それはまた今度の機会にしてくれ。今日はあまりに時間が無いんだ。」慌てて彼女を静止する。
「そうですか……残念です……。」濡れた子犬の様な彼女の態度に、どこか罪悪感を覚えるが、時間が無いのはあながち嘘ではなかったし、そもそもいきなり電話をかけられたら祖父母からしても迷惑だろう。君の口から感謝を伝えて欲しいと椿木に言って、とりあえずその場は収めてもらった。
「それはそれとして、お世話になったので椿木さんと御祖父母に何かお礼をしたいのだが、何か出来ることは無いだろうか?」そう本題を切り出す。もしかしたらまたお邪魔させて貰うかもしれないので、出来るだけ椿木家とは良好な関係を保っておきたい。
「さっきの言葉で充分ですよ!」何故か先程の言葉で感涙の涙を流している彼女はそう胸を張る。
「流石にそうする訳にはいかないだろう。金銭であるとか、労力であるとか、形や行動としてお礼をさせて欲しいんだ。」私がそう言うと、「気持ちは嬉しいですけどなんかありますかね……。」と考え出す。まあ、いきなりこんな事を言われてもそうなるか。また出直すと伝えようとしたが、「あ、そしたら!」と彼女は閃いたかのように言った。
「普通に畑のお手伝いに来てもらえると嬉しいです!」労力と私が言った時点で、言われる気がしていた。が、恐らく私はそれを手伝う事ができない。
「畑の手伝いと言う事は、恐らく朝から昼の時間帯か?」
「まあ、そうですね。」
「大変申し訳ないが、私は手伝う事が出来ない。少し事情があってな。」流石に太陽に当たると焼け爛れて死ぬんだ、とは言えない。
「あーそうなんですね!それはしょうがないです!そしたら何かいい案思い付いたらお兄さんにご連絡しますね!連絡先教えてもらっても大丈夫ですか?」
「ああ。構わない。」スマホから、メッセージアプリの連絡先を交換した。
「家族と職場の人以外の連絡先初めて手に入れました!」と嬉しそうに彼女は言った。よく分からないが、まあいい事なのだろう。そういえば、槿と連絡先を交換していなかったな、と気付く。どうせ今日行くのだし、その時に交換しよう。
「あ、全然別の話なんですけど、ご迷惑じゃなければ彼女さんのお見舞いとかって言ってもいいですか?」そう聞かれて、少し迷うが、恐らく槿は嫌がらないだろう。むしろ、いきなりお見舞いに来る彼女を面白がる気がする。
「大丈夫だ。槿もきっと喜ぶ。」そう言って、病室の番号を伝えて、「椿木さんは日中に病室に行ってくれ。」と伝えた。
「もちろんです!お兄さんの分もお花持って行きますね!」
「そしたら、これを花代に充てて欲しい。」そう言って、彼女に財布に入っていた1万円札を渡す。
「お花代こんなにいらないですよ!」そう言って拒もうとするが、「余ったら何か好きな事に使ってくれていい。少ないが、お礼のつもりだ。」どうせ彼の稼いだ金だし。
少し逡巡した様子だったが、何か閃いたような顔をした後、「分かりました!」と元気に返事をして受け取った。
何を思い付いたか少し気になったが、恐らく悪事では無いだろうし、とりあえず受け取って貰えたので、良しとした。そもそもここであまりゆっくりしている時間もない。
他に客も来たので、私はそこで椿木と別れ、病院に向かう。時間は10時30分程で、おおよそ予定通りの時間だ。
いつものように、病院の駐車場を通り過ぎて槿の病室に向かう。が、病棟から数メートル程離れた位置で、見えない壁に弾かれた。
そこまで速い速度は出していなかったが、弾かれた勢いのまま、「ゔっ」と言う鈍い悲鳴を上げて無様に転がり、駐車場のゴツゴツとしたアスファルトが私の身体を削るように刺さった。傷は付かないが、それでも痛いは痛い。
「なんだ……?」片腕を支えにして立ち上がり、周囲を確認すると、正面の10メートル程離れた位置に、目を閉じて指を組み、両手を合わせて祈る様な仕草をする神父と、更に少し離れた、神父と左右等間隔位の位置に同じ様に祈る2人のシスターが見えた。
目の前の神父は、目を開け、僅かに微笑みながら、告げるように言葉を発した。「いい夜ですね。人殺しの化物には勿体ない位です。」
やはり槿に連絡先を交換しておくべきだったな。こういう時に遅れる理由を伝えられない。精一杯平常心を装いながら、私は彼に提案した。
「話し合いで解決する訳にはいかないか?」
「ええ。残念ながら、私はあなたの死です。」
そう言う神父の背中に、半分欠けた月が異常なまでに輝いていた。




