第12話 死にたい理由と、ポストスクリプト
1725年のその日を私は今でも覚えている。
霧雨が灰で出来た体に染み込むような、そんな冷たい夜。
人間として過ごしていた記憶は全くなくて、気が付くと私は吸血鬼だった。
周囲を見渡すと、10名近い村人と、何人かの神父のような格好をした人が無惨に殺されていた。
争った形式があり、私ともう1人、『彼』が立っていた。
彼は、私に言った。
「ようこそ、化物の世界へ。どうだい?故郷の友人達を殺した気分は?」
にやにやと下品な笑みを浮かねながら、彼は私に尋ねる。
「は……?殺、した……?」
何も状況が掴めない。ここにいる人たちを、私が、殺した?
「そうさ!君が殺したんだ!いい景色だったよ、必死に抵抗しながら、命乞いしながら、かつて自らと生活を共にした仲間に殺されたんだ!」
そう言って、彼は高笑いした。
「俺は!俺はやってない!」
「殺したんだよ、脆い人間を引き裂く時に、上位存在として力を振るう事への甘い快楽を感じただろう?むせ返るほど漂う血の匂いに、吸血鬼としての絶頂を覚えるだろう?ああ、もしかして、殺した記憶がないのかな?それは残念だ!」
そう言って、また彼は狂ったように笑う。赤い、鮮血のような眼が、暗い夜に異常なまでに輝いていた。
「ふざ、けるなぁ!!」
私はそう言って、彼を殺そうと襲いかかった。こいつを殺した後に、自分も死のうと。
「はぁ……。期待はずれだ。」急に彼から表情が消え、彼はそう呟くと、私を蹂躙した。一方的に、圧倒的に。
それから、私は彼を何度も殺そうとして、何度も返り討ちにあった。返り討ちに会い、身体を癒す度に、身体は人間の血を求めて、酷く乾いた。
身体中が干ばつするような感覚。それが吸血鬼の飢えだ。
私が飢える度に、彼は私の目の前に催眠をかけられて昏睡状態の人間を差し出す。
暫くは我慢するが、飢えに耐えきれず、私はその人間の血を啜った。身体中に水が巡り、多幸感が身体を支配して、満腹になると、急に自己嫌悪に陥る。それを何度も繰り返した。
そのうち彼への復讐は諦めた。それ程までに、力の差は圧倒的だった。
次に私は、自殺を試みた。簡単なはずだった。太陽の下に出る、それだけで死ねるはずだった。そう思って太陽の下に出た。
身体が焼け爛れる激痛に苛まれ、暫く耐えると意識が遠いていく。ああ、もうすぐ死ねるんだ、そう思っていた。
気が付くと、私は日の当たらない場所に逃げていた。
呼吸すらままならない身体で、全身は焼け爛れ、死の恐怖に支配されていた。
「私に敵わないから自殺を選ぶなんて、君は立派だねえ。まあ、死ぬ度胸もないようだけど。」
気が付くと傍らで私を見ていた彼が、馬鹿にしたように笑う。
彼の笑い声が響く部屋で、私は悔しさと自らの情けなさに打ちひしがれた。
それ以来、死ぬ事を異常なまでに恐れるようになった。ヴァンパイアハンターに出会っても逃げ出してしまう。
自殺を試みても、焼ける痛みに耐えきれず、すぐに影に隠れてしまう。
死ぬ事すら出来ず、自らを吸血鬼にされた復讐すら果たす事も出来ない。何も出来ないで、300年生きてしまった。それが、槁木死灰の私なんだ。
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「軽蔑してくれても構わない。今日まで私は、君に伝えていなかったんだ。」
話す機会が無かった、というのは言い訳でしかない。機会があったとしても、恐らく曖昧に濁していただろう。君を愛そうとしているのは、人殺しの化物だと、そう伝える事と何ら変わらないからだ。そう思って、話していなかった。
だが、何今日彼女に黙っている事は、何故かできなかった。真名で命令された訳でもない。理由は私にも分からない。
「ううん。そんな事ないよ。話してくれて、ありがとう。」そう言って、彼女は首に回していた手を、より強く抱え込んだ。
「大丈夫。私が、必ずあなたを、救ってあげる。」この苦しみから、という意味だろう。つまり、殺してくれるという事だ。
「ありがとう、槿。」私には、それしか言えなかった。
その後病院に着き、彼女を病室まで送った。
「今日は、楽しかった。色んな話も聞けて、涼の事を前よりたくさん知れた気がする。」
「そうか、君が楽しめたのなら何よりだ。……また日曜日、会いに来るよ。」
「うん、おやすみ。」そう言って、彼女はいつもの様に微笑んだ。
電子キーを守衛に返し、全員にかけた催眠を解くと、私は帰路に着く。
普段通りに飛んでいるつもりでも、いつもより速い速度が出る。やはり、真名を得たからだろう。
真名を槿に付けられ、私の死にたい理由を彼女に知られる。槿のいつもと違う笑顔、恥じらう表情、楽しそうにはしゃぐ姿を見ることが出来た。
私にしても、色々とあった1日だった。数週間前までは想像もつかない程。
マンションに戻り、ベッドに横たわる。まだ3時手前だが、明日も彼と話す為に起きなければいけない。目を閉じて、私は眠った。
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「月下さん、おはようございます。起床時間ですよ。」私は、いつもの様に向日葵さんに起こされた。
クリスマスの夜、涼と別れた後、私は流石に疲れていたのか、すぐに目を閉じて、昨日の事を何度も思い返した。
病室にいる私に、暗い闇から手が伸びる。その手を掴むと、私の身体は宙に浮かぶ。空から見える景色は、今まで見たことがないほどに綺麗だった。
人の温もりが造る輝く星と、手に届きそうな程近い空の星。そして、優しく私を包んでくれる、冷たいけれど、どこか温かい幽靄の夜。
ふと降ろされて、私は森の中にいた。目の前には、温もりを感じる花畑と、そこで吸血鬼と話した優しく流れる時間。いつもより優しく微笑む吸血鬼。
そして、彼の独白。目の前の死にたがりの吸血鬼は、自らを罰することも出来ず、ただその罪に苦しむ、ひとりの人間だった。
そして、贖罪の方法として、私を愛し、死ぬ事を選んでくれた。
私は、自分が思っていたような人間ではなかったらしい。それを昨日、思い知った。
自らの死の為に私を利用して、打算と、契約の為に私を愛そうし、私を恋に落とそうとする吸血鬼。
それが分かっているのに、私の為に空回っている不器用な姿や、楽しそうにする姿に思わず胸をときめかせてしまうなんて。
吸血鬼としての性を受け入れられず、死を恐れる彼の心の弱い部分を、愛おしいと思ってしまうなんて。
出会って数週間もしないのに、彼の数百年の人生の、更にだった1年、その更に7分の1の、数時間にしか満たない時間だけでも、私の物にしたいと思う程、愛してしまうなんて、思ってもいなかった。
だから、私は決めた。あと1年程しかない命を、彼の為に使おう。必ず、彼を救ってみせると。
「あ、そう言えば月下さん。ちょっと聞いてくれる?」向日葵さんにそう言われて、思考の世界より戻ってくる。
「どうしたんですか?」
「昨日、見ちゃったのよ。」声を潜めながら、彼女は言った?
「見た?」
「そう!お化けを見ちゃったの。あんなにはっきり見たの長い事働いてるけど初めてよ。」腕を抱えて、身震いするように言った。
「怖いですね。何を見たんですか?」
怪異の象徴のような吸血鬼と会っているが、幽霊は見た事がない。どんな姿だったのか、少し気になる。
「無人の車椅子が、勝手に動いてたのよ!」
ああの時いた看護師さんは、向日葵さんだったのか。
それを聞いて、思わず笑ってしまう。
「え、なんで槿ちゃん笑ってるの?」困惑しながら、向日葵さんは私を見つめる。
「大丈夫です。きっと眠ってたんですよ。」
未だに困惑している様子の彼女を尻目に、私はまだ見えない夜に思いを馳せた。
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日本某所、聖十字教団の大聖堂。
「連花司教、昨晩確認された能力使用痕跡の座標特定、完了しました。」いつもの様に朝の祈りを終えると、そう報告があった。
「そうですか。遅くまで作業頂きありがとうございます。」遂に、この日が来た。他のエクソシストに嘲られながらも、吸血鬼を追い続けた、私達一族が報われる時が。
「行きましょう。夜の闇を晴らしに。」
「「はい!!」」
連なる十字架が、熱く使命に燃えているのを感じた。




