第11話 初めて見る君の表情
花畑内を周りながら、ここに辿り着くまでの話を相槌を打ったり、時々笑いながら聞いていた彼女は、聞き終えると、「じゃあ、私の為に探してくれてたんだ。」と嬉しそうに言った。
「まあ、そうだな。結局、ここを見つける事が出来たのはほとんど運みたいなものだったが。」
そもそも彼女の楽しめるような場所が繁華街にある可能性が低いと気付かなかった事も結果として幸いしたな、と今思った。
「前、君が私に薔薇を渡した時に、私が言ったこと覚えてない?」
立ち止まってこちらを向き、小首を傾げながら私に聞く。
思い返したが、思い出せない。
「……すまない、忘れた。」
「あの時私は、『私を喜ばせようとしてくれた気持ちは嬉しい』って言ったの。結果や、過程がどうであっても、私を喜ばせようと、君が私の為にって何かをしてくれる事が、私は嬉しい。」
一呼吸置いて、槿は続ける。
「それに、私の願いを叶えてくれて、こんな素敵な場所も教えてくれた。病院内の白い景色だけが私の世界だったのに、こんなにも多くの色を君はくれたんだよ。」
「ありがとう、涼。」
そう言って彼女は、また大きく笑った。
私は、時が止まったと錯覚してしまう程、その笑顔に見とれてしまった。花より美しい、なんてキザな事を言うつもりもないが、またあの笑顔が見たいと、そう思う程には。
その後もしばらく歩いて、少し疲れたと彼女が言ったので、少し離れたところにある大きな樹の下に座る。
「そろそろ帰るか?」槿の身体を心配して、私は尋ねる。
「うん。でも、あと少しだけ話したいんだけど、いいかな?」
「構わないが、無理をするなよ。」
時間はもうすぐ1時になろうとしていた。病院を抜けてから、1時間近く経つ。あまり長時間外にいるのは、流石に体に障りそうだ。
「わかった。それじゃあ大事な話をするね。」そう言われて、思わず身構える。
「まず1つ目なんだけど、私とあなたで交わした契約なんだけど。あれって、変えることとか出来ないかな?」
「変えれるが……何故だ?」いきなりの申し出に少し驚く。やはり、今日の出来事が何か不愉快だったのだろうか。
「あ、先に言っておくけど、別に君の何かが嫌いだったとかじゃないよ、ただ……。」
「ただ?」
恥ずかしそうに膝を抱え、そこに顎を埋めるようにして槿は続けた。
「ただ、あんまりロマンチックじゃないなって……思って……。本当に好きになってくれたとしても、契約のせいか分からないでしょ。」
ああ、なるほど。言いたいことはわかった。相手を愛そう、愛させようとする契約は、確かにそうなった時にどこか疑念が生まれる。
契約があろうがなかろうが、私は槿を愛そうとするし、槿に好きになってもらおうとするが、あくまで契約ではなく、自らの意思で、という体を取りたいという事なんだろう。
「言いたいことはわかった。確かに、その通りだ。」
「本当に?良かった。」槿はそう言って嬉しそうに笑う。
「そしたら、契約は、破棄するか?それとも、何か新しい契約を交わすか?」
一応どちらも可能だ。やり方は過去に彼に聞いたことがある。
「そしたら、新しい契約をしたいんだけど。」また少し恥ずかしそうに、槿は言う。
「なんだ?」
「『最低でも1週間に1度は、会いに来ること。』とか……」
そう言って、さらに膝に不覚顔を埋める。
あまりにいつもの様子と違う彼女に、思わず笑ってしまう。達観した様な表情はまるでなく、1人の19歳の少女がそこにいた。
「随分と以前に比べて優しい契約になったな。」
そう言うと、彼女の陶器のような白い肌は赤く染まり、こちらを睨むように見つめる、長い睫毛の下の少し青みがかった瞳は潤んで見えた。
「そしたら、お互いその契約を結ぶことにしよう。『最低でも1週間に1度、会うことを拒まない。』」
そんな彼女の様子に思わず笑みを浮かべながら、私は彼女に提案する。今も1週間に2回は会いに来ているのだから、余程のことが無い限り契約を破る事はないだろう。
「……うん。ありがとう。」完全に顔を膝に埋めて、彼女はか細く言った。
「では、改めて、契約を……」そこで彼女は顔を起こして、私を静止する。
「あ、待って、もうひとつあるんだけど。」
少し赤みが残った顔で、彼女は言う。
「なんだ、何か別の契約か?」
「そうじゃなくて、名前。なんだけど。」
「名前?」
「君の真名、私に付けさせて欲しいんだけど、ダメかな?」
いきなりの提案に、流石に私は少し迷った。
真名。以前にも話したが、吸血鬼には本来誰にも明かさない本当の名前がある。槿に説明した時は無い場合は半分も力が出せない事と、吸血時に変化しやすい程度の内容と伝えたが、あくまでそれは無ければその程度、という話だ。
真名を他人に知られる、という事はそれだけで1つの契約のようなものだ。
吸血鬼にとって名前は鎖であり、錨であるが、真名は根幹の、言うなれば心臓に直接繋がる鎖だ。
どの程度絶対的なのかと言うと、1人1つまでではあるが、真名を使ってされた命令は、私の同意のある無しに関わらず絶対に破ることが出来ない。
しかも、それは彼の命令よりも優先される。まさに命を直接握られているようなものだ。
「実は、もう名前も決めてあるんだけど。」
悩んでいる私を見て、槿はそう続ける。
「ちなみに、なんだ?」一応聞くだけ聞こうと思い、そう槿に促す。
「うん、実はーーーーーはどうかなって。」槿は、また少し恥ずかしそうに言った。
聞いた私は、驚きのあまり数秒固まり、思わず笑ってしまう。
「それが、私の真名なのか。」
「なんとなく、それがいいかなって。」
また顔を赤くする彼女を見て、思わず笑う。いつもと逆だな、と思う。いつもは私が喋り、彼女が笑うが、今日は彼女が喋って、私が笑っている。
「構わないよ。それで。」
「え、いいの?」
「ああ、面白い。」考えてみると、私は死にたくて彼女といる訳で、別に命を彼女に握られたところでなんの問題も無いはずだ。
「では、新たに契約を交わそう。槿、私の後に続いて言うんだ。前回と似たような形だ。私、岸根 涼は、以前交わした契約を棄却する。」
「私、月下 槿は、以前交わした契約を棄却します。」
「また、新たに、私、ーーーーーは、『最低1週間に1度は、月下 槿に会いに来ること』を誓おう。」
思わず真名で契約してしまったが、まあ真名を知っている相手ならば問題は無い。
「私、月下 槿は『最低1週間に1度、ーーーーーと会う事を拒まない』事を誓います。」
槿も、私に合わせて真名で私を呼称する。
契約を終えた後、少しの間沈黙の後、どこか不思議な空気が流れて、お互いに笑い合う。
「これからもよろしくね、涼」
「こちらこそよろしく頼む、槿」そう言って、またお互い笑った。
その後、1時半を回り、彼女を病院まで送り届ける事にした。彼女を抱え、来た時の様に勢いを付けて飛ぶが、真名の影響か来た時より高くまで飛んだ。羽根を広げずとも安定して飛ぶことが出来たため、帰りは羽根は広げずに飛ぶことにした。
「ねえ、聞いてもいいかな。」途中、槿はいきなりそう切り出した。
「何なりと。」思い出したかのように、私は畏まる。
「まだ続いてたんだ、それ。」そう言って槿は笑い、こう続けた。
「涼って、なんで死にたがってるの?」
不意の質問に、思わず黙ってしまう。
「そうか、まだ言っていなかったな。」
「言いたくないなら、言わなくてもいいんだけど。」
「言いたくない訳ではないんだ。ただ、話す機会が無かっただけだ。」
そう、話す機会が無かっただけ、それだけだ。
「……吸血鬼になる方法を、槿は知っているか?」
「吸血鬼?……知らない、かな」急な質問に槿は戸惑った様子だった。
「吸血鬼にも、上と下に犬歯があるんだが。」
「下にも犬歯あるんだ。」
「まあ、上の犬歯程目立たないがな。基本吸血の際は上の犬歯のみを突き刺すので、下は増やす時にのみ使う。1人の吸血鬼につき、最大で2人、同時に吸血鬼を、自らの眷属として作れるらしい。」
そこまで言った後、一呼吸置いて、私は続ける。
「純潔な、つまり性行為を行ったことがない人間が、吸血鬼の上の犬歯と下の犬歯で吸血をされて、体内の血液を全て吸われると吸血鬼として生まれ変わる。」
「……それって。」
「ああ。俺は、彼『藍上 央』の眷属として300年前吸血鬼にされた、元人間だ。」




