第100話 虚実古樹の私から⑥
「やあ、今日も時間丁度だったね。」
「当たり前だろ。」
いつものように、彼は不愉快だ、という感情を一切隠すつもりがない口調で答えた。そうした所で、私が喜ぶだけだということが分からないほど、彼は愚かでは無いだろうに。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか。こんなにも月が綺麗な夜だ。まあ、確認はしてないけどさ。」
「……やたらと気分がいいな?」
訝しげな口調で彼はそう答える。確かに、少しだけ高揚感があった。私自身も気付いていない変化にこの短い会話で気付くのは、嫌いとはいえ付き合いの長さの賜物だろう。
「よく気付いたね。流石私の第1眷属だ。」
「いつもより不快だったからな。害虫が活発に動いていたら、嫌でも目に付く。」
「つれないなあ。」
けれど、彼はそれでいい。まだ捨てきれない僅かな希望を叶えてくれる可能性があるのは、もはや彼だけなのだから。
「実は今日、久しぶりにヴラドの夢を見たんだ。多分数百年ぶりのような気がするよ。」
「ヴラド?確か、真祖の1人、だったか。」
「そうそう。真祖にして最強。文字通り鋼の肉体と、その声を聞いた者を恐怖で縛る『咆哮』、統率のとれた眷属によって人間達を恐怖の底に突き落とした『強靭なるヴラド』さ。」
「そうか。」
心底興味がない、と言った口振りだった。彼が人間として産まれるより数百年前に死んでいるのだから、興味が持てないのも仕方ないのかもしれない。というよりも、そもそも吸血鬼の話に興味がないのか。
「それで、その『強靭なるヴラド』とお前の機嫌がいい事になんの関連があるんだ?」
とりあえずと言った口調で彼は訊ねる。
「久しぶりに友人が夢に出てきたら嬉しいだろう?」
「ゆ、ゆうじん…………!?『ゆうじん』、というのは、人が有る、と言う有人でも、世捨て人を差す幽人でもない、他の意味の『ゆうじん』か?」
心底信じられない、と言った声色でパソコンの向こうの彼は聞き返す。
「ああそうさ。友達や旧友と言い換えてもいい。それでいて君には存在しない友人さ。」
「凄いな…………。君と友人になろうと思うなんて、ヴラドという真祖はさぞ寛大な心を持っていたのだろうな。」
思ってもいない理由で、彼はヴラドに好感を抱いたようだ。
「傷つくなあ。これでも、私は人に慕われる方なんだよ?」
「恐怖による言論弾圧で抗えなかっただけだろう。」
あまりの信用のなさに笑えてくる。確かに暇つぶしで殺したり、飽きた時に眷属を皆殺しにしたりはしていたが、そういう恐怖政治はしてなかった、ような気がする。
…………こういうのを、恐怖政治と言うのか?
「…………まあ、上に立つ者は時に力を振るう必要もあるのさ。」
私の言葉に呆れるようにため息を吐いた。
「………それにしても、唯一の友人の夢を数百年ぶりに見るだなんて、真祖エディンム様は人肌が恋しくなったのか?」
彼は私を馬鹿にするような口調で言った。いつからか、私を殺すのを諦めた彼は、こうして精一杯の悪態をつくようになった。まさしく負け犬の遠吠えだ。それでもあの日見た彼の目が忘れられずに、私は彼を生かしている。
そんな彼への失望はともかく、確かに、何故このタイミングで彼女達の夢を見たのだろう?
目を覚ました時にヴラドとマリアの声が聞こえると錯覚してしまう程の、鮮明な、過去の記憶。彼の言うように、寂しさを覚えたわけではない。
「…………日々に、飽いているから、かもしれない。」
「お前がそういうこと言った時は、大抵ろくなことがない。変な命令をするなよ。」
冷静な口調を取り繕っているが、内心焦っているのが見て取れる。あまり記憶にないが、多分、なにか私のせいで嫌な思いをした記憶があるのだろう。そもそも吸血鬼になったのがそうだともいえるが。
「まあ、何か面白い催しが思いついたら手伝ってもらうさ。700年前の友人を思い出すような、そんな退屈を消し飛ばしてしまうような、素敵な催しをね。」
本気の舌打ちが聞こえて、見えない彼の表情が手に取るようにわかった。
「それで、今週涼は何かあったのかい?」
「いつも通りだ。」
「そうかい、それは残念だ。」
「もうすぐ夜が明ける。切るぞ。」
彼の言葉に部屋の外を眺めるが、相変わらず日が射さない樹海では、昼も夜も変わらない。
「もうそんな時間か。早いねえ。じゃあまた、次の木曜日に。」
「ああ。」
私の言葉にそれだけ返事をして、彼は通話を切った。
これで、私の1週間は終わった。後はまた、次の夜を待つだけだ。
棺桶に入り込んで、蓋を閉める。今夜もまた、彼女達に会えるだろうか。




