第1話 槁木死灰の私から
ああ、日が昇ってきた。忌々しい陽の光に、私は嘆く。
ああ、今日も死ねなかった。
曙の空とまだ沈んでいる太陽、そして未だに生きている自分を恨みながら、カーテンを乱暴に閉める。
先程までいたPCが乗ったデスクに座り直してヘッドホンを付けた。
「こっちは陽が昇ってきたぞ」
パソコン画面越しの彼にそう伝えると、「今昇りだしたのか。随分夜が伸びたねえ。」と、10月頃から変わらず同じことを、12月になっても変わらない調子で言った。
画面越しなのでわからないが恐らく表情も同じだろう。
永く生きてる分季節の移ろいにも鈍感になっているのか、陽の届かない樹海の中の小屋に住んでいるためその辺りを知覚する能力が鈍っているのかは定かではない。
「そういえば」
馬鹿にするような、どこか喜んでいるような調子で彼は言う。
「そういえば、誕生日おめでとう。」
「うるさい。」
やや苛立ちながらそう返す。彼は自分が死にたがっているのを知っている。知っていて、このような言い方をする。ほら、やはり死ねなかった、と。
過去に、私は何度も自殺を試みた。太陽の下に身体をさらし、陽の光で焼け死のうとしたが、痛みと恐怖に耐えきれず、死ねなかった。
醜く何度も爛れた火傷を負うだけで、その傷もすぐに治ってしまう。そしてまた陽の光に耐性が出来て、次に死のうとした時はさらなる苦痛に耐えなければいけない。
完全な悪循環だった。
「今年で何歳になったんだっけ?」
変わらず、小馬鹿にするような言い方で、知っているのに私に聞いてくる。
「丁度300歳だ。」
吸血鬼になってから、300年。それが私の年齢だ。
「へえ。もうそんなに経ったんだねえ。」
さらに嘲るように彼は言った。
「もういい加減、諦めたら?」
ふざけるな。そう言おうと思ったが、言ったところで苛立ちが増すばかりだ。
彼との会話を不毛だと感じた私は、「夜が明けたからもう切るぞ。」そう彼に伝え、切ろうとした。
「あ、少し待ってくれないか。」
珍しく少し慌てた様子で彼は私を静止した。
「300歳の誕生日プレゼントだよ。いい話をしてあげよう。」
彼は新しい遊びを考え付いたような調子で切り出した。面倒だな。過去にもこういった調子で彼が話すことは度々はあったが、そのたびに面倒な目に遭ってきた。
吸血鬼の残党集団に混じってヴァンパイアハンターと闘ったり、かと思えばそのまま逃げて、本来流水を渡れないのに無理やり渡り、日本に来たり。聞く前からげんなりとした気持ちになる。
「君の死に方についてのヒントだよ。」
「え?」思いもよらない言葉に、思わず聞き返してしまう。
「何度も言ったかもしれないが、僕を始祖とする眷属は、皆適応能力が優れており、本来吸血鬼の弱点にも何度も喰らうと耐性ができる。」
どこか誇らしげに彼は声を張る。
「他の一族が数秒で朽ちてしまう陽の光を数分は耐え、もう一度陽の光を浴びた際にはそれよりも長い時間耐える事が出来る。それはもちろん、君とて例外ではない。」
今や他の吸血鬼は滅び、吸血鬼と呼ばれる化物は私と彼、2人しか居ない。それなのに、他の一族などとまだ他の吸血鬼がいるかのように彼は言う。変わらず彼のことは嫌いだが、そんな彼の姿は哀れでもある。
「そのため、僕の眷属には過去に自殺に成功したものはほとんどいない。皆痛みに耐えられず、せいぜい深い火傷を負うだけだ。そんな中で、私が唯一知っている自殺を成功させた、彼女の話をしよう。」
ーーーーーー
まだ君と出会うより前、今から700年くらい前だっただろうか。僕の第3眷属、名前は…なんだったかな?確かマリアだったと思う。
マリアは人間との共存を望んでいた。
自身が生きるために必要な量の人間の血しか吸わず、私たちの城に乗り込んできた人間も、彼女は出来るだけ殺さず、生かして捕虜か奴隷にしていた。
そんな彼女がある日言った。
『人間を外から捕らえるのではなく、捕虜を利用して家畜化するのはどうでしょうか?』と。
きっとそうすれば城の外の人間を殺さずに済むと思ったんだろう。家畜のみを餌とすることが出来れば、きっと城の外の人間とは共存が出来るはずだ、と。
僕の眷属は飢えにも耐性があるから、傷を負ったり、能力を使い過ぎたりしなければ、食事も数十年に一度すればいいだけだし、数も多くないから確かに家畜化した人間だけで食事を賄うのは実現可能だった。まあ、純粋に快楽目的で吸血する眷属もいたけどね。
家畜の餌を用意とか世話とか面倒だったから正直嫌だったんだけど、彼女が『自分が全て責任を持つ』って言っていたし、敷地内に空いてる土地もあったから、許可する事にしたんだ。
結果としては、数十年は上手くいった。
十数匹から始めた人間は最終的には百匹近くまで増えて、食事の改良することで外の人間よりも味は良くなった。
実際狩りに出掛ける頻度は格段に減り、城に責めてくる人間も減ったから比較的平和に時間は流れていたよ。
マリアは献身的に家畜の世話をしていた。家畜小屋の掃除も奇麗に行ったし、定期的に牧場で運動もさせていた。
催眠をすべての家畜に掛けて脱走しないようにもしてた。世話をしやすいように体内時計を昼夜も逆転させていたり、とにかく色々頑張っていたよ。
そんな中、あの不幸な出来事が起きた。
黒死病、ペスト。聞いたことはあるだろう。例にも漏れず、家畜達にもかかった。まあ、繁殖個体以外は同じ部屋だったし、当然と言えば当然だろうね。
人間の病気に対しての知識なんてないし、みるみるうちに減っていく家畜に対して、マリアは遂に心を壊してしまった。
気が付くと、家畜小屋にはもう数匹しか人間が居なくなっていた。その家畜達が寝た後、前日に死んだ家畜を埋めた彼女は、日の出とともに牧場の真ん中でこう叫んだ。
『主よ!何故彼らにこのような試練を与えたのですか!答えて下さらないならば、せめて私にも苦痛と苦しみを与えてください!』
その後も何かを叫びながら、彼女は手に持った銀の杭を自らの胸に突き刺した。陽の光に焼かれて、くべた薪のように、数時間は燃え続け、最期は白い灰になって彼女は死んだよ。
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「結局、吸血鬼を殺すのは人間ということさ。ちなみに、残った家畜は誰も世話をせず、あっさりと死んだよ。」
「……倫理観が違いすぎて、あまり言いたいことが入ってこなかったんだが。」
「え、嘘?」彼は、本気で困惑した様子だった。
「人間を愛したら死ぬ事ができるんじゃないかって話なんだけど。」
言いたいことは分かった。どのような形であれ、愛する者の死は耐え難い。それこそ、自らも後を追ってしまうこともあるほどに。寿命の短い人間はうってつけという事だ。
「ペットロスって言葉があるらしいよ。人間にも。」
彼は、そう続けた。
「言いたいことは分かった。」
決して礼を言うつもりはなかったが、確かにそういう方法もある、というのは理解した。
「まあ、いい加減新しい刺激がないとね。」
と彼は呟く。暇つぶしの為に、私が右往左往する様を見て笑いたいらしい。彼はそういう男だ。
「じゃあ次もいつも通り一週間後の木曜日に、3時から話そうか。お休み。」
そう言って彼は通話を切った。時間は8時を過ぎて、日が昇っていることがカーテン越しにも分かった。
ガラスからわずかに漏れる陽光程度では死ぬことはないが、陽の昇る時間は体が異常に重くなる。
パソコンを閉じてベットに潜り込み、目を閉じた。
「人間か………。」先程の話を少し思い返す。もう、人間とは200年以上話していないだろう。いや、雑談、という意味では、300年間1度もしていない。
大抵は、命乞いだ。するのは私の方だが。ヴァンパイアハンターから逃げる際に必死に並べた命乞いが、最も新しい会話だ。
吸血をする相手も、基本彼が樹海で見つけた自殺志願者ばかりだ。
最早ほとんど人間と関わることはなかったが、自らの死のために、人間を利用する。なるほど、化物らしい。
しかし、そんな事が都合良く行くとは思えない。が、最早他に方法も無いことも確かだ。いずれにせよ、もう朝だ。次起きた時に考えよう。
目を瞑るとあっという間に睡魔が襲ってきて、私は眠りに落ちた。