第四話 いっこく橋動物病院
休診日の朝。
普段と同じ時間に起きたわたしは、いつものように朝食を済まし、そのあと居候の動物の世話をした。そして、道路の朝の渋滞が少し落ち着いたところでサンクに乗り込んだ。
近所のケーキ屋さんでいくつかショートケーキを買い、そのまま高速に乗った。
目指すは、いっこく橋動物病院。
病院に近づくにつれ、所々に懐かしい風景が見られた。
何度となく曲がった見慣れた角を過ぎると、いっこく橋の看板が見える。
病院の駐車場にサンクを止めると、正面の入り口から堂々と病院へと入った。
ちょうど患者さんが途切れたところか。待合室には誰もいない。
受付に目をやったところで、そこにいた森先生と目が合った。
「あれ?高原先生、どーしたんですか?」
「え~、なんで森先生が受付にいるの」
すぐに森先生は冷ややかな目となり・・・。
「さては、初診でーすとか言って受付を騙そうとしていましたね」
わたしたちの声を聞いて慌ててやって来た看護師の女の子が森先生の後ろでキョトンとしていた。
「バレたか。腕をあげたね、森先生、いや院長先生」
「高原先生のやることは、毎回一緒ですから」
そう言いながら、森先生はこちらへどうぞと、奥の医局へわたしを案内した。
「あ、これ皆さんでどうぞ」
途中、キョトンとした看護師さんに買って来たケーキを渡した。
「いつも気遣いありがとうございます」
気付いた森先生が振り返って言った。
「いや、お金を使っただけだから」
そんな会話を医局にいた残りの看護師さんふたりと男性の若い獣医さんが聞いていた。
「あ、こちら高原先生。ここの病院で大活躍した先輩です」
おお、すごい紹介の仕方。
「でも、高原先生が来たときは何か企んでることが多いので注意するように」
それは余分だ。
すると急に奥のロッカー室からの扉が開いた。
「やっぱりそうだ。車を見てひょっとしてって思ったんだけど、高原先生いらしてたんですね」
旧姓、上田さんだ。
森先生は、わたしがいっこく橋を辞めたあと、しばらくして上田さんと結婚。
そしてその後、いっこく橋動物病院を受け継いだ。
「せっかくだから、上に来てよ」
上田さんは森先生のことは気にかけず、自宅部分の2階へと招いてくれた。
案内された10畳ほどの2階のリビングは、中央のソファーとテーブル以外にあまり家具はなく広々とした印象を受けた。壁一面にあるいくつかの扉の奥は全て収納になっているのだろう。
南向きの窓からは暖かな光が差し込んでいた。きっとこれはリフォームしたな。
「2階は初めてでしたよね」
そこに座って、と上田さんはソファーに手を向けた。
「そーだね。前に来たときは森先生がここを受け継いだ時だったけど、その時はまだ院長いたもんね」
「少しして、完全に引退するってことで院長は奥さんの田舎に引っ越して、今はのんびり畑仕事してるみたい」
「そっか、院長元気でよかった」
「先生、コーヒーでよかったよね」
「あ、うん、ありがと」
上田さんは奥のキッチンへと向かった。
しばらくすると、コーヒーのいい香りがリビングを満たした。
ドタバタと音がしたかと思うと、ドアが開いて森先生がわたしの持って来たケーキの箱を抱えて入って来た。
「みんなに好きなの取らせて、残りを持って来ました」
「おお、スタッフのこと第一に考えるなんて、立派な院長になったね」
わたしは森先生に向かって気の抜けた拍手を送った。
「スタッフあっての病院ですからね」
上田さんがそう言いながらコーヒーとケーキを載せるお皿とフォークを持って来ると、テーブルに並べ始めた。
何気なくケーキの箱を見てみると、イチゴショートとチーズケーキがしっかりととってあった。
ほんと、気が利く院長だ。
「ところで、何かあったんですか?何もないのに高原先生はこんなとこ来ないでしょ」
森先生はわたしの正面に座るとすぐに聞いて来た。
「何もなきゃ、来ちゃダメなの?」
「怪しいよねぇ」
上田さんがコーヒーとお皿にのせたイチゴショートをくれた。
「お二人の生活をちょっと覗きに来ただけだよ。いただきまーす」
わたしはフォークでケーキを小さく切ると、そのまま頬張った。
「まぁ、高原先生も元気そうなんでいいんですけどね」
森先生が言う。
「森先生は元気じゃないの?」
「去年から新しい先生が来たんで、教育に悪戦苦闘中なんですよ」
森先生はモンブランを手に持つと、そのままかぶりついた。
「自信ばっかりあるだけでやることが追いついていないんですよね」
そう言うと、軽くため息をついてコーヒーカップに手を伸ばした。
「森先生の時みたいに、上田さん、いやいや奥さんか、にしごいてもらったら?」
「わたしはもう仕事に口を出さないことにしたんです。裏で支えようと思って」
森先生の横に座った上田さんは、そう言って舌をちょろっと出した。
「とかなんとか言ってますけど、MRI入れろってうるさいんですよ」
森先生は上田さんの舌に気付いていない。
「おお、すごいね」
「これからの動物病院は、そー言うので箔をつけないとね」
上田さんが真剣な表情で言った。
ほんとに裏で支えてるんだ、てか、使ってるだけか。わたしはそう思うと、最後のケーキを口にした。
「でも、借金がすごいんですよ。ここを買い取った時の返済もあるし」
「そうねぇ、借金ばかりだねぇ」
そう言う上田さんの表情は明るかった。きっとしっかりと計画を立てているのだろう。
森先生はちょっと押しの弱いところがあったから、上田さんが支えることでちょうどいいのかもね。
インターフォンが鳴った。上田さんが出る。どうやら、病院からのようだ。
「診察お願いしますって」
上田さんはインターフォンの受話器を戻すと、森先生に言った。
「さて、美味しいコーヒーも頂いたし、そろそろ帰るね」
わたしはコーヒーを飲み干しそう言うと、立ち上がった。
「えー、もう帰るんですか」
「二人の顔見れたから、もうお腹いっぱい」
わたしはそう言いながら、ふざけてお腹をさすった。
「先生、また来てくださいね、絶対」
森先生が、真剣な顔で言ってきた。
「あ、そうだ。先生、手を出して」
横で上田さんが笑っている。
森先生は、慌てた表情で動かそうとした手をすぐに止めた。
「その手には乗りませんよ、ったく」
あはは、そーだね、もう、森先生に渡すものはないものね。
また来るよ、ありがとう・・・。
森先生はドタバタと診察に行き、そのあと上田さんが駐車場まで送ってくれた。
「高原先生、ほんとに何かあるなら、言ってくださいよ」
車のドアを開けようとしたわたしが振り返ると、そこにはちょっと心配そうな上田さんの顔があった。
わたしは少し考えてから・・・。
「そーだ。石津先生が病院を辞めるって。でも、これはどーでもいいこと」
「どーでもいいことじゃないと思うけど。じゃぁ、これでやっと一緒に住めるの?」
「どーかなぁ。そんなことは一言も」
上田さんはわたしの言葉を聞いて呆れた顔をする。
「いい加減、高原先生のことを考えてあげればいいのに」
「まぁ、ふたりとも普通の人生を歩めないのは十分わかってるし・・・」
「それでも別れないのは、うまくいってるってことかな」
「あはは、そーだね」
わたしはサンクに乗り込むとエンジンをかけた。
「また来てね、待ってる」
そう言うと、上田さんは優しく微笑んだ。
「うん、ありがとう」