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進路相談。

 

 お姫様と、執事。


 俗に言うコスプレとは異なり、概念的に言うならばロリータやゴスロリと同じ部類に属するコンセプト系ファッション、というのがひめ姉の通説であり、彼女が絶対に譲らない点であった。

 コスプレじゃない、と言うのがひめ姉の趣味においてとても大事な要素のようだが、付き合わされる僕や正紀さんには正直な所、どちらでも良かった。

 万が一それを口にした場合、ひめ姉は満面の笑みを湛えたままで怒ってくる。怒っていると認識できない顔で怒ってくるのが何よりも恐ろしいのだが、正紀さんはそれが楽しみで怒られていると言っていたことも少しだけ怖かった。目の前で姉夫婦の、それもかなり特殊と言えるようないちゃつきを見せられるのは、ちょっとだけ気持ち悪かった。


 そのコンセプト系ファッションに僕を巻き込むためにひめ姉が買ってくる洋服は、コスプレ程とは言わずとも、どれも衣装のように個性的かつ派手で、それ単独で着られる程に落ち着いたデザインは数少ないがゆえに、気に入ったものを買ってくる度に僕の箪笥の肥やしにならざるを得ないのだ。

 今日用意された衣装も、一年以上前にひめ姉が意気揚々と買ってきたかと思えば家で着せ替え人形された時以来のものだったりするのだが、思いの外着心地は悪くはない。

 ただ、写真に撮られ続けるというのは想像以上に体力を使うもので、道行く先々でひめ姉に写真を撮られる度に、メンタルポイント、略してMPが一ずつ減っているような気がした。中でも、やはり街中でも目を引く格好をしているせいか、観光客や外国人にカメラを向けられるのは全くと言っていいほど慣れなかった。

 思う存分ひめ姉に連れ回された僕は、写真の確認をしているひめ姉の傍でベンチに腰掛け、ぐったりとしていた。


「ゆーちゃん、どっかで休憩する?」

「進路の、話を……」

「あっ、そう言えばそうだったね。忘れてた」


 今ナチュラルに「忘れてた」って言わなかったかと聞く耳を疑ったが、まさかひめ姉が趣味のコンセプト系ファッションで写真を撮りまくって楽しくなっている間に本来の目的をすっかり忘れてしまっているだなんてことがあるはずがないだろう、とまで考えた辺りで有り得なくない話である事に気付いたのだが、僕にはそれを追求できるほどの体力も気力も尽きてしまっていた。


「あれ? なんかあそこ、人集りがあるよ」

「うん?」


 ひめ姉の声に顔を上げると、視線の先にあるのは人集り。

 今日は土曜日で歩行者天国が解放されているとはいえ、人の往来がある中で大人数が集まるのは迷惑だろう、と何の気もなしに様子を伺っていると、突如として悲鳴が上がる。


「っ!?」

「何かな、誰かいるのかな!? 有名人とかかな?」


 突然の悲鳴。

 それは悲劇的な危険を報せる悲鳴ではなく、いわゆる黄色い声というやつで、そこに集った女性たちの興奮によって沸き上がった歓声であった。

 何の前触れもなく「わっ」と沸き上がる大歓声に僕は思わず肩を跳ねさせる。

 何事か、と道を歩く人たちもその方向を見るが、みんなすぐに興味を失って自分達の目的のために足を動かしていく。

 人集りは気になるものの、僕もその人たち同じで一刻も早く休めるところに行きたかったのだが、ひめ姉は違った。


「ねぇねぇ、なんか撮影してるみたいだよ! ドラマかな!? 映画かな!?」


 そう、ひめ姉は世間一般の人と同じ感性を有していないように見えて、結構なミーハーなのだ。

 キラキラと目を輝かせるひめ姉に「早く行こう」なんて言えるはずもなく、僕は最後の気力を振り絞る思いでひめ姉と共に人が集まるその場所へと足を向けていく。

 衆目が一つに集中しているのであれば、僕達に目を向ける人もいないだろうという浅はかな期待を肩に担いで。


「……モデルの撮影みたいだよ」

「へぇー。スナップショットみたいなやつかな?」

「街中で撮影するやつ? あれって一般人を狙うイメージがあるけど……」

「なんの華もない一般人で撮っても映えるんだよ? モデルさんとかで撮ったら絶対もっとかっこいいに決まってるよ。ほら、あの人とか超かっこいいし!」

「本当、だ──ッ!?」


 まずい。

 モデルの撮影、と分かって咄嗟に楠木さんが頭に過ったものの、そんな都合のいいことがあるわけないか、なんて能天気に考えていたついさっきまでの僕を殴ってやりたい。


 ()()


 いるじゃないか。

 周囲の一般人と比べても明らかに風体の違うモデルさん達に混じって一人、僕の知っているの顔が、いらっしゃるではないか。


 学校の女王様こと、『楠木陽葵』が、モデルの姿をして立っているではないか。

 彼女の代名詞とも呼べる威風堂々たる立ち姿は圧巻の一言に尽きるというもので、一般人は疎か成人女性のモデルに囲まれていながらも彼女の衆目を惹き付けて止まない美しさは、比べるものではないと分かっていても決して見劣りしていない。

 まさかこんな場所で出会うなんて思ってもみなかった僕は即座に身体を翻してひめ姉にここから立ち去るよう訴えるのだが、ひめ姉は「あの人綺麗」と言いながら「もうちょっとだけ」と僕の提案は却下される。


「いや、でも待てよ……?」


 よくよく考えてみれば、楠木さんが今の僕の恰好を見て涼村結月だ、と分かるかどうか。

 その可能性はかなり低いように思えるのだが、果たしてどうだろうか。


 と、そこまで考えて、僕は今の自分の恰好を知り合いに見られたくないことを思い出す。

 もし万が一、いや億が一、楠木さんが僕を僕だと認識した時に、モデルの彼女に何を言われるか気が気でない僕は頭を抱えたくなってしまう。

 そんな僕の様子を訝しんだひめ姉が顔を覗き込んでくるが、彼女は何を勘違いしたのか、ニンマリと笑って言葉を並べてくる。


「ゆーちゃん。……もしかして、あの中に好みの子でもいたのぉ? ゆーちゃんから恋バナとか聞いたこと無かったから、男の子が好きなのかな、なんて思ったこともあったけど、やっぱりちゃんと女の子に興味あるのね! 誰かしら? 誰? どの子が好みなの? あの子? それともこっちの子? お姉ちゃん的にはあの子がゆーちゃんにはお似合いかと思うんだけど……」

「や、やめてよ、ひめ姉! め、迷惑だから……!」


 周りから微笑ましいものを見るような目が向けられてくるが、僕からすればとてもつもなく居た堪れない気持ちでしかない。むしろ針の筵にでもなれば早々に抜け出せるのに、なんて考えていると、どこからともなく目線が向けられているような気がして頭を上げる。すると、モデルの一人が僕とひめ姉の方に目を向けてじっと見つめているではないか。


「あ」

「も~、そんなに言うならいいよ、どっか休憩できるところ探そっか」

「は、早く。早く行こう」

「そんなに休憩したかったの? 無理させちゃった? 大丈夫?」


 ひめ姉の背中を押してまでも人集りを抜けようとする僕に対してひめ姉が申し訳なさそうに心配してくるのだが、違う。僕はただ、目が合った人から逃れるためにこの場から離れるのだ。


 目が合ったのは、言うまでもなく楠木陽葵。モデルの現場でも変わらず完全無欠の女王様である。

 ばっちりと目が合った彼女から逃れなければならないのだが、ひめ姉は彼女のことを知らないし、僕が彼女と目を合わせたことにも気付いていないだろう。ゆえに、僕だけが黙っていれば全ては何事もなく、荒波が立つ間もなく過ぎ去っていくはず。

 何せ僕はこの格好だ。いかに楠木さんと言えども、クラスメイトから顔も覚えられていないような僕のことを、学校とも普段とも異なる姿をした僕のことを一目見ただけで見抜けるはずもないだろう。

 一週間共に補習課題をして過ごしたからって、彼女はそんな短い期間で人の顔や名前を覚えようとするタイプじゃないはず。現に、部室では僕は一度も名前を呼ばれたことが無いのだから。

 よくよく考えてみればそれは随分と失礼な話であり、僕もよく許しているな、と思う。

 基本的に彼女が僕を呼ぶ際は「ねぇ」か「あのさ」である。僕はペットか何かと思われているのだろうか。


 今だけはこのひめ姉のファッションに感謝するべきだろう、と頷き繰り返しながら人垣に背を向けて去って行く。


「お腹も空いたし、ご飯食べながらお話にしよっか」

「ん」


 店先から漂ってくる食欲と鼻孔をくすぐるニンニクの香りに誘われてイタリアンレストランに導かれていくと、店員に案内された席は一面ガラス張りで内からも外からも様子が伺える大通りに面した席だった。

 楠木さんから逃げてきたはいいものの、目と鼻の先というのはいかがなものか。しかし、空腹の高校生男児の前に現れたニンニクの香ばしい匂いに抵抗できるはずもなく、僕の視線の先を追ったひめ姉に促されるようにして入ったお店は、週末のお昼時ということもあって賑わっていた。


「ランチもやってるって。よかったねぇ」

「ピザ食べたい」

「うんうん。いっぱい食べようね」


 頻繁にご飯を食べさせてくれていたということもあって、ひめ姉は僕が食べる姿が好きというのを公言している。

 それについては、嬉しさ三割、恥ずかしさ二割、感謝五割といったところだが、それで美味しいものが食べられるのならひめ姉のためにいくらでもパンダになろう。そう決意したのは確か、高校の入学祝いで父さん不在の中、父さんのお金で高級焼き肉を食べに行った時のことだったか。


「それで、確か進路の話だったね。進学するか、就職するか……ゆーちゃんは決めてるの?」

「……それも、全然」

「そっか。私も、高三の時期は悩んだなぁ。ゆーちゃんのために、ゆーちゃんと一緒に暮らすために就職することも考えてたんだよ。そしたら、お母さんがすっごい怒っちゃって」

「……初めて聞いた」

「初めて言ったもん」


 輪切りのレモンが浮かんだピッチャーから水を注ぎながら注文した料理が来るのを待つ間、当初の目的であった進路について話し合う。

 話し合いが始まった途端に衝撃の事実が明かされるも、ひめ姉のあっけらかんとした様子は、僕の胸に自責の念が湧く余地すら与えなかった。


「無理やり進学させられたような感じになったけど、私は大学行って良かったとも思ってるよ。私だって、十七、八歳の時にやりたいことなんて見つかってなかったよ。この趣味だって、大学に入ってからだし。まぁ、昔から可愛いものは好きだったけどね。だから、やりたいことを探すために大学に進むのも悪くないと思うよ。私の周りも、そういう子多かったし」

「やりたいことを、探すために……?」

「そう。やってみたいこと、あるんじゃないの?」

「やってみたいこと……。あ、アルバイト、してみたい」

「うんうん。いいよいいよ」

「本当にこんなので、いいの?」

「いいのいいの。大学に行ったからって、その専攻に必ず進む訳じゃないもの。大学に行ってる人の九割くらいは、自分が本当にやりたいことなんて分からないようなものよ。高校を決める感覚で大学を選ぶ人もいれば、惰性で大学進学する人もいる。だからね? もっと気楽でいいのよ。ゆーちゃんは気負い過ぎなの。もっと肩の力を抜いて、思い浮かんだこと、言ってごらん?」


 そう言われてみれば、そうなのかもしれない。

 大学進学、と聞くと、自分の身に迫って来ているにもかかわらずどこか他人事のようでありながらも神聖視しているような気配があって、心のどこかでは大層ご立派な意思意欲がないと口に出すことすら許されないものとすら思っていたのかもしれない。

 夢を語るのも同じだ。夢を叶える地盤があってこそ、可能性を感じられる才能があって初めて夢は語っていいものだと勝手に決め付けて、勝手に諦めてきた。

 でも、実際はそうじゃない。現実はまるで異なるものだと教えられて、僕はレモン水の入ったコップに手を添えながら視線を落としながら、ポツポツと語っていく。


「……もっと、たくさんの映画とか、見たい。色んな所に、遊びに行ってみたい。ゲームだってしたい。勉強もしたい。本もたくさん読みたい。ひめ姉と……お父さん達と、旅行にも、行ってみたい。美味しいご飯も、いっぱい食べたい。友達が、欲しい」

「うんうん。やりたいことたくさんあるね」

「でも、こんなこと……」

「こんなこと? そんなことない。立派な夢だよ。私だって同じこと思ってるし、それを叶えるために仕事、っていう努力をしてる。その比率がどう違うかできっと人の価値観は決まるんだろうけど、人の価値観を定めることに決まりなんてないんだよ。もちろん、弁護士になりたい、医者になりたい、先生になりたい。色んな夢があると思う。けど、ゆーちゃんの夢がそれらに劣ってるなんて、私には思えないなぁ。だって、ゆーちゃんの大好きが詰まった夢なんだよ。それを誇らないでどうするの。私達のことも一生懸命考えてくれてて、私はすっごく嬉しかったよ?」

「そ、っか……。この夢で、いいんだ」

「そうそう。大学なんてのは『四年間』って言う時間を趣味のために使える言い訳。趣味のついでに世間体を手に入れるための道具、って思うくらいが丁度いいよ」

「そんな適当で……」

「いいのいいの。でも高校までの学びを受ける場所とは違って、大学や専門学校っていうのは学びに行く場所なの。そこだけは履き違えちゃ駄目だからね。そうだなぁ、それでいてゆーちゃんにお勧めできそうなのは例えば、心理学とか、経済学……それから、文化人類学とかどうかな? まぁ、この辺りは学校の先生に聞くのが一番だよ。そうだね、聞くときは……ずばり『先生が一番勉強して良かったな、って思う学問はなんですか?』とかがいいかも。何が面白かったか、とかでもいいかな? ちなみに私の一番のお勧めは文化人類学だよ」

「な、なるほど?」

「映画や博物館、美術館に行く時、更に理解が深まって見えるようになる、って言ったら興味あるでしょ?」

「う、うん! 凄い、わくわくする……!」

「つまりはそういうことなんだよ。何がしたいか、よりも、何に興味を持てるか、が大事なの。それで、どう? 少しは進路について、光明が見えてきたかしら?」

「なんだか、出来そうな気がしてきたよ。ありがとう、ひめ姉!」

「お姉ちゃん大好き! とか言ってもいいんだよ?」

「大好き! ありがとう!」

「うへへ、うふへへへへぇ……! ゆーちゃん、私も大好きぃ……!」

「ひめ姉、ちょっと気持ち悪い顔になってるよ」


 過去。ひめ姉の行動に僕は救われた。

 そして今も。今度はひめ姉の言葉に、僕は救われた。

 進路希望調査という名の厚い雲によって覆われていた僕の心に、いつだって光を差してくれる。そんなひめ姉に申し訳なく思うと同時に、何よりも感謝しているのは間違いようのない事実であり、今後一生をかけてでも恩を返さなければならない、否、返したい相手だと改めて強く思えた。


 話が切り上がるタイミングで先んじて運ばれてきていたサラダたちを押し退けるようにして、注文した品々がテーブルに届き始め、僕とひめ姉はお互いにエクストラバージンオイルやパルミジャーノの香りをふんだんにまとったイタリアンに舌鼓を打つのだった。









メリークリスマス。

という訳で、評価と感想下さい。

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