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待ちぼうけ。
在校生から卒業を惜しまれる者、友人同士で卒業という一つの区切りを噛み締める者、先生や保護者に囲まれて労を分かち合う者など、まるで卒業式は前座だったとでも言わんばかりに僕とは無縁な賑わいを見せる学校の庭を背にして校舎に立ち入る。
全ての人の目が校庭に向く中で歩き進める校舎内というのはものの見事に静寂に包まれていて、なんだか彼女と最後にあったあの日を思い出してしまう。
高校生活において、他学年と関わるには部活か委員会、もしくは学校中に響き渡る名声が無ければ基本的には無縁というもの。
例えば、廃部が決定して新入部員が入らなくなった映像研究部にはそもそもの話、後輩が存在しないし、在籍していた美化委員には縦の繋がりと言うものが存在せず、基本的にクラスか学年単位で動くの常であるため後輩とは縁がない。
最後に残る名声というのも、楠木さんレベルでなければ滅多に通用しないような常識外れのものであり、それが僕にあるかどうかなんて聞くだけ無駄である。
ゆえに僕は後輩とは無縁であり、更には友人と言う概念も楠木さんただ一人であるため、その彼女が来ていないのだから彼女以外の誰かと別れを惜しむくらい感情を共有することは絶対になかった。教師や保護者と労を労うとしても、僕が関わりのあった教師と言えば宮野先生と勅使河原先生くらいのもので、ただでさえ多くの生徒に囲まれていて近付くことすら出来ない様子を離れた場所から見れただけでも十分と言えるだろう。
「……見事に一つも当て嵌まらないや」
卒業式のあるあると言うよりかは、普通に学校に通って、普通に友達を作って、普通に学校生活を送っていれば後輩からも同級生からも先生方からも得られたはずの人望を披露する場とも言えるもので、こうして一人で校舎の中を歩いている僕はただ単に圧倒的に人望がない、というのが正しい認識であった。
「楠木さんが居ないと、僕は本当に一人だったんだな」
楠木さんが居てくれたから。
僕が今こうして無事に進路も決まって卒業することができたのは、本当にその一言に尽きるだろう。
彼女が居なければ。
もしも拒絶されていたら、僕はどうなっていたか。
考えるだけでも恐ろしく思える。
学校に残る全ての賑やかさが校庭に集約しているかのようで、漏れ聞こえる声に耳を澄ませながら僕は部室へと続く廊下を名残惜しむかのように歩いていく。
何度も何度も歩き慣れたこの廊下は、静寂さも相俟って、卒業という旅立ちに向かう僕のための花道のようであった。
「先輩! お元気ですか!!」
「ッ!? びっくりしたぁ」
「ご卒業、おめでとうございます!!!」
しかして、その静寂は部室に辿り着く前に破られる。
穏やかな一時を歩んでいた僕の心拍数を突如として跳ね上げさせた犯人は、文化祭で何かと面倒を見られた被服部の一年生、爆音後輩少女であった。
「あ、ありがとう……。あぁそうだ、被服部存続、おめでとう」
「その節は、ありがとうございました!! ところで先輩は何処に向かわれるのですか? 忘れ物でもありましたか!?」
「少し、部室に用があってね。君は?」
「私ですか! 私は、皆さんが賑わっている横で一人寂しく校舎に入って行く先輩が見えたので後を追ってきただけです!! よろしければ記念品を貰ってもよろしいですか!」
「随分はっきり言うんだね……」
「誤魔化した方がよかったですか?」
「いいや、はっきり言ってくれた方が嬉しいけど……。でも、記念品? あげられる物なんて何もないよ」
「制服のボタンとか、ネクタイとか、なんでもいいんです! あぁ、それとも楠木先輩に差し上げる約束でもしていましたか!?」
「別に、そういう訳じゃないんだけど……まぁ、ボタンとかでいいなら」
確かに、中学校の卒業式では、後輩からもモテていた同級生があらゆる制服の素材を奪われていたのを思い出す。
無関係とは言え、あの様は正しく蝗害を彷彿とさせる悍ましさがあったことを思い出して身構えてみたものの、後輩少女は「ありがとうございます!」と彼女の明朗快活さが溢れた感謝の言葉を告げた後、流石は被服部と言うべきか、いつでも持ち歩いているのか懐から糸切狭を取り出してブレザーのボタンを一瞬にして外して見せる。
「本当は楠木先輩のが欲しかったんですけど、今日はいらっしゃっていないようなので先輩のボタンで我慢します! 宝物にしますね! ありがとうございました!!」
「嬉しいような、嬉しくないような。……って、ん? なんだこれ」
余計な一言を残してにこやかに手を振り去って行く後輩少女の背に向かって手を振り返した後、体を翻した時に気付く。
「二個目なんだけどなぁ」
見つけたのは、襟にピンで止められた卒業生を見分けるための花。
ご丁寧に「卒業おめでとうございます」と書かれたリボンまで付けられたそれは、卒業式の前に配られたものと同じ形。
後輩少女がどうやってこれを手に入れたのかとか、いつの間に付けたのか、とかはどうだっていい。ボタンのお礼とは言え、これが彼女なりの祝い方なのかと思うと思わず笑みが零れてしまう。
校庭で賑わう同級生たちが感じているのはこれか、と無縁だったものに手が届いたことへの充足感に包まれながら、ボタンが一つ外れた制服姿のまま部室へと向かって歩き始めるのだった。
「…………ここともお別れかぁ」
辿り着いた部室は、次年度以降は物置として使われるそうで、ひっそりとたたずむように存在を示していた映像研究部の表札も、僕達の卒業と共に撤去されていた。
最後のお礼、とばかりに先日掃除したお陰か、いつもの埃っぽい空気は感じられないのがどこか虚しさを感じさせるかのよう。
もし僕が二年生の時に映像研究部としての活動を認めてもらうよう努力していれば、先輩たちから受け継いだこの部活をもう少し存続できたのではないか。それこそ、楠木さんが手を貸した被服部のように。
あの文化祭でのランウェイの後、楠木さんに脚光が集まったのと同じように学校内では被服部に注目が集まった。そのお陰か在校生の中から興味を持った生徒から数名の入部希望者が現れたことに加え、文化祭の展示に訪れた人たちから巻き上げた、もとい力を借りて廃部を反対するための署名をも集めていたらしく、被服部は手芸部との合併という実質的な廃部を免れたのだそう。
当然、宣伝のために手芸部の発表に横入りした件でそれ相応の罰を下されていたのだが、それでも尚、余りある成果を手にした被服部の後輩たちを見て、僕も同じように行動していれば、と心を動かされた。
映像研究部としてこれまで活動されてきた部室が、来月からは存在理由を奪われるとあって虚しさを感じずにはいられないのだが、いくらたらればを考えたところで今が変わるわけではないことは、良く知っている。
今を生きる僕達に変えることが出来るのは、過去ではなく未来。
そう教えてくれたのも全部、楠木さんだったから。
「変わっていたらきっと。陽葵さんと出会えなかったかもしれない。そう思うと、廃部で良かったのかもね」
少しだけ埃を被った机を撫でながら、思い出を一つ一つ振り返っていくように一人呟く。
楠木さんと出会えたこと。
それこそが僕のこの学校での──否。人生における最大の幸運だったと言えるだろう。
もしも映像研究部が廃部でなかったら、他の部員が存在していたら、僕と楠木さんはきっと出会うことは疎かすれ違うことすらなかったかもしれない。
そう考えると、廃部で良かったのだろう。
何事も、諸行無常。盛者必衰だと考えるならば、この部活は廃部になるべくしてなったのだと思う方が、卒業という旅立ちに相応しいように思える。
僕は今日、この学校から卒業すると同時に、この部室と言う巣から旅立つのであった。
「立つ鳥跡を濁さず、とは言うけれど、最後にちゃんと片付けるから許してよ」
誰に言い訳しているのかも分からないまま、僕は棚に残る映像研究部の名に相応しくない女性向けファッション雑誌の束を机に並べる。
部室に置かれていた映画のDVDらは元より先輩たちから受け継がれた物であり、廃部に当たって学校側に寄付するという形となったものの、この雑誌たちに関しては僕が一年間を通して買い続けたものであるため処分は僕に任されていた。
しかし、これら全てを僕が持ち帰っていいものかと悩みあぐねた結果、楠木さんと相談して決めるということで落ち着いていた。それが今日のはずだったのだが、当の本人が来ないのであればこの雑誌の行方が決まらないことに僕は頭を悩ませていた。
「……とりあえず、来るまで中身でも見てようかな」
一年間で溜まった雑誌の総数は、約二十冊。
実際には一年間に発刊されるのは五十冊近くにも及んでいるのだが、テスト期間や受験等で楠木さんが仕事を受けれなかったこともあって、その半数程に落ち着いていた。それでも、積み上げてみればかなりの高さになるし、机二つ並べた程度では広げられない程の量になる。
「僕、こんなこと言ってたっけ」
付箋の貼られたページを捲ると、そこにはいつ見ても何度見ても綺麗だと思える楠木さんのモデルとしての姿があり、中に張られた付箋にはその時に彼女に向けて言った僕の感想が彼女の字でびっしりと書かれていた。
自分の記憶を漁ってみるとそんなことも言ったな、という程度ではあるが、彼女の凛とした字面で記された感想を見る限りでは一言一句正しく書き写されているのを見て、僕は思わず笑みを零す。
こんなこと言ったかな、と思って再びモデル姿の楠木さんを見て感想を思い浮かべてみるとその通りになることからきっと間違いではないのだが、それだけはっきりと彼女は覚えていてくれているのかと思うと僕は嬉しくなってくる。
この毎月恒例のようになった品評会のお陰で、僕は褒め言葉のボキャブラリーが潤沢になったように思えるし、少しずつだが自分の気持ちを言えるようになっていたことを実感していた。
「……綺麗だなぁ」
一度は目を通したはずの楠木さんのモデル姿。
それでも、ページを捲って彼女を見つける度に新鮮な感想として彼女の美しさを称えるかのように感嘆する吐息が漏れ出るのを、自分の意思では止められない。
僕と比べることすら烏滸がましい程に完成された彼女に対して、僕はこれから胸に積もり積もった好意を思う限りのありったけを告げるのだと考えると余計に緊張してきてしまう。
だからなのか、雑誌の中の彼女に向かって、僕は独り言のように呟き繰り返すのだった。
「──君に会えて、僕は変われた」
楠木さんに出会えたことで、僕は変わることが出来た。
正確には、変わりたいとは常々思っていたが、僕の逃げ腰な姿勢と自分のことが認められない自分がいるせいで踏ん切りがつかなかった。けれども、楠木さんが僕に変わる切っ掛けを与えてくれた。それも、一度や二度では無く、何度も、何度も。
もしも彼女に出会えずにそのままだったなら、一人のままだったのなら、僕は決して踏み出す勇気が出なかっただろう。それくらい、僕は人としての欠陥だらけの人間だったように思える。
「君に会えて、僕は僕のことを、少しだけど好きになることが出来た」
そんな欠陥だらけの自分のことが嫌いで嫌いで。大嫌いだった僕自身のことも、楠木さんと関わり合うことで少しずつ自分自身のことを知っていって、少しだけど好きになれた。
そして僕が自分のことを好きになったように、僕自身のことを気付かせてくれた彼女に惹かれている自分にも気付いて。
だけれども、生まれて初めて出来た本当友達と言う関係も壊したくなくて僕は一歩踏み出せずにいて。それでも勇気を出すよう背中を押してくれた人たちが居てくれて。
僕は本当に人に恵まれているのだと、今になってようやく痛感した。
その想いを、感謝を含めて、僕は僕のこの想いを彼女に伝えたかった。
「僕と出会ってくれて、ありがとう」
「これからも僕はずっとあなたの傍にいたい。あなたの傍で、あなたの夢を一番に応援したい」
「だから僕は……。涼村結月は、楠木さんのことが、楠木陽葵さんのことが好きです、大好きです」
ようやく口に出来た、好きの二文字。
ただでさえ自分の思っていることを口にするのが苦手な僕にとっては、小さい頃から言わされ慣れているひめ姉以外に言うことがどれだけハードルの高いことか。
実際の彼女を目の前にしていないというのにもかかわらず、思いの丈を口にした僕の心臓は鼓動を増しているし、顔も触れば火傷しそうなくらい熱く感じられる。
そんな状態でいざ楠木さんを目の前にしたら言えるのか、と自問自答をするが、出てくる答えは「言うしかない」という単純明快な答えただ一つ。
緊張しない方法くらいは教えてくれてもいいじゃないか、と思いながらも、自分の中にある答えなんてのは最初から決まっており、緊張しようがしまいが僕はもちろん、言うしかないのであった。
「……まだかな」
なんてこと繰り返しながら、僕は楠木さんを待つ。
彼女がやってくるのを期待しながら、ただひたすらに待ち続ける。
だがしかし、楠木さんはやって来ない。
卒業式の余韻に浸っていた校庭の騒がしさが消えて、学校に夕日が差しても尚、彼女は姿を見せない。
部室の中で一人、萎むことのない期待を胸にそわそわと落ち着きない様子で待っていても、楠木さんが来る気配はない。
それでも、僕は待ち続ける。
楠木さんは約束をしてくれたから。
今日この日に、僕の答えを聞いてくれると。
その約束だけを信じて、どれだけの時間が過ぎたことか。
日は落ち、街の明かりが夜の世界を照らし始めた頃、長らく静寂に包まれていた部室に、遂に人の到来を知らせる音が、部室のドアが開く音が響く。
「っ!!」
ガララ、と文字通り待ちに待った音を立てて開かれた扉の音に、僕のうつらうつらとしていた意識が瞬く間に覚醒する。
背筋をピンと伸ばして顔を上げた先で、僕は念願の待ち人の到来に表情に喜色を浮かべ──、
「……えっと、ごめんなさい、驚かせちゃったかしら」
「て、勅使河原、先生……」
僕の顔色は、すぐに落胆の色へと変わる。
その変容を目の当たりにしたからか、部室にやってきた勅使河原先生は事情を察したかのように優しい声音で謝ってくる。
今だけは何故か、その優しさが、やけに胸に染みるのだった。
「卒業式が終わってから、ずっと待っていたの?」
「……はい」
「そう……。でも、ごめんなさいね、もう閉める時間なの。楠木さんから連絡とかはあったの?」
「いえ……」
連絡先は、知らない。
それだけのことを、どうしてか口にすることが出来なくて、勅使河原先生は僕のその反応を見て困ったように眉を寄せるばかりであった。
教師としての職務を実行するべきか、大人として寄り添うべきかを判断がつかずにいるのが分かって、僕は勅使河原先生を困らせたかった訳ではないと弁明して帰り支度を済ませる。
何故だか、そうする方が正しいのかと思えたからだった。
「……帰ります。委員会でも、部活でもお世話になりました」
「いいのよ、そんなこと。でも、本当に良いの? 楠木さんから連絡があっても涼村君に連絡しなくていい、って言うのは」
「はい。これは、僕と楠木さんのことですから、学校を巻き込むわけにはいかないので」
来なかった、ということはつまり、そういうことなのではないか。
そう思えてしまうと、途端にこんな時間まで待っていた自分のことが恥ずかしく思えてきてしまい、僕は勅使河原先生の折角の申し出も断ってしまう。
もしも叶うのであればその連絡は欲しかったが、その上で連絡が来ないことになれば、今僕の頭に過った『もしも』が答えになってしまう。
そうなることが怖くて僕は正解も不正解も存在しない、どちらでもない状態のまま、悪くない記憶のままで高校生活を終わらせることを選んだのであった。
それは答えに背を向けて逃げると言う選択であり、考え得る限りでは最悪の手とも取れるのだが、追い詰められた僕にはそうすることが最善手であるとしか考えられなかった。
僕の手に握られた花束は、一つの蕾を残して萎れているように見えた。
「お帰り、ゆーちゃん。どうだった──って、ゆーちゃん!?」
「……楠木さんは、来なかったよ」
その後、どうやって帰ったのかも曖昧なまま家に辿り着いた僕が玄関で靴も脱がずに膝を抱えているのを見つけたひめ姉に真実を告げた途端、僕の目からは涙が溢れてきた。
生まれて初めての友達。
初めての変革、初めての恋。
僕という存在に鮮烈なまでのいくつもの「初めて」を刻みつけた彼女は、僕が見ていた白昼夢だったかのように消えてしまう。
──この日、楠木さんは約束の場所には来なかった。
その事実が何よりも苦しくて、その夜、僕は大粒の涙を流し続けた。
ひめ姉と正紀さんはずっと傍に居てくれて、僕は年甲斐もなく情けない姿を晒しながら一頻り涙を流した。
それでも、どれだけ傷付いていようとも、時間は流れるし、お腹は空いてくる。
ひめ姉のご飯は胃袋も心も満たしてくれるようで、少しだけ元気を取り戻した僕は、深い眠りについた。
そうしてやって来る『明日』は傷付いた僕を慰めてくれる気配も無く、普段と何ら変わりなく過ぎていく日々に備えるかのように、これからのことと向き合うことを決めて僕は明日へと一歩を踏み出していく。
遊佐さんから届いたメッセージには端的に事実だけを書いて送ると、それきり連絡は来なくなった。彼女なりの気の遣い方というものなのだろう。今はそうして放っておかれる方が、心地よかった。
僕と楠木さんは、別々の方向を向いて歩き出した。
僕には僕の、彼女には彼女の人生がある。
楠木さんの選択を尊重するし、僕は僕の道を歩いて行かなければならない。
いつまでも落ち込んでばかりいるわけには、いかないのだから。
楠木さんはあの場所に来なかったけれども、彼女が教えてくれたことは無駄にはならない。
だからこそ僕は、もしも次に会う時が来たなら、一人でも立って歩いて行けているのだと胸を張れるような人生を送りたい。そう強く願った僕は、前を向いて歩き始める。
胸に残る、大きな大きな気持ちに蓋をしたまま──。
評価と感想お願いします。
最終回じゃないよ!!まだ続きます!




