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衝撃。

 

「く、楠木さん……っ!? どうして、ここに……?」


 現在時刻は正午前。


 既に授業の無い三年生とは異なり、今日という日は一、二年生にとってみればただの平日。それ即ち授業の真っ最中であり、普段であれば壁や扉越しに聞こえてくるはずの昼休みや部活動と言った外の喧騒は、静寂という答えでもって今が授業中であるという事実を教えてくれる。


 そして、一つの物音でさえも騒音に聞こえてくるようなそんな静寂は机に突っ伏して眠る人にとって見れば最高のコンディションであり、僕が入ってきたことにすら気付かずに眠っている彼女の隙間から見える寝顔は、見ているだけの僕ですらも幸せになってしまえそうな程に気持ち良さそうな寝顔を彼女は浮かべていた。


 そんな一握の幸福を堪能しているような彼女のことを、一体誰が起こそうとするものか。

 一体誰が彼女の睡眠を邪魔できるものか。


 とは言え、そんな思いを抱いたからと言って、僕の中に芽生えた『何でここに楠木さんが!?』という疑問が解消される訳ではない。

 むしろ彼女がこの部室に存在しているお陰でたった今疑問が増えたと言っても過言ではなく、僕は音を立てぬように彼女の対面の席、つまりはいつもの場所に腰を下ろす。

 眠っている彼女を起こさないようにいつもより慎重に、いつもより全身に力を込めて席に着くのだが、その瞬間だけは緊張しない訳にはいかなかった。

 ついさっき合格発表を迎えて、これからしばらくは精神衛生上安泰の時が続くぞと、滅多に緊張するようなことは待ち受けていないぞと自分に言い聞かせたのも束の間、半日と経たずしてその覚悟が歪んだことについては苦言を呈さずにはいられない。


「……疲れてるのかな」


 しかし、僕のしょうもない悪感情も、楠木さんの天使のような寝顔を前にすれば毒気も抜かれるというもので、僕は静かに背もたれに体重を預ける。


 部室の扉が開いても、僕が椅子に座っても目を覚ます気配のない楠木さんを見て彼女の疲労を察する。


 新年が明けてから合格が発表された今日に至るまで、僕は彼女がどこで何をしているかなんて知らないけれど、彼女が夢のために邁進していることだけは知っていた。


 文化祭の一幕で一躍脚光を浴びた今が、楠木さんにとって頑張り時。

 彼女の抱く夢はただ頑張れば、ただがむしゃらに努力を続けていれば辿り着けるような場所ではないということを、僕は彼女自身の口から耳にタコができるくらい聞かされていた。曰く、「夢が叶う為には、運が必要不可欠」とのこと。

 そして、その運が向いている今こそが絶好の機会であるため、楠木さんはどんなに目が回る日々が続いたとしても頑張らねばならない。それが、彼女の生きる世界であることは十分に理解していた……つもりだったのだが、疲れ切った様子の彼女を見て、そんな感想はすぐにでも吹き飛んだ。


 本音を言うならば、そんなに頑張らなくてもいいのではないかと思う。

 もっと休めばいい、無理しないでほしいと切に願うのだが、それら全ては僕の価値観であって、それを口にして言うことは楠木さんの夢を、努力を否定することに繋がるということを、僕は知っているからこそ、僕は幾ら手を伸ばしたところで絶対に彼女に手が届きもしない遠い場所から、エールを送り続けることしかできないのであった。


「……お疲れ様」


 僕が言うべき言葉は、疲れた様子で眠り果てる彼女にかけるべき言葉はただ一つ。

 余計な言葉で飾るなどという色気のある言葉選びなんてことは僕には到底真似できないから、シンプルに、そして簡潔に頑張りを労う一言だけを彼女に届けと願いを込めて独り言ちる。


 それがどれだけ虚しくて、どれだけ微力だとしても、彼女の味方であり続けると誓った以上、僕は彼女がどれだけ離れたとしてもそれを続けるだろう。


 だって、僕は──。


「んん……」

「っ!」


 僕の思いが通じたのか、それとも単純に睡眠のお邪魔をしてしまったのかは分からないが、身動ぎする楠木さんに僕は思わず喉を鳴らしてしまう。


「あぁ、なんだ、結月くんか……。冷たくてきもちい……」


 身動ぎする彼女を見て、起こしてしまったか、と終末を告げるラッパを鳴らしたかのような緊張が走る中、緩慢な動きで頭を上げた楠木さんの目がぼんやりしているのを見て「あ、寝惚けてるな」と確信した僕が胸を撫で下ろしたのも束の間、彼女は机の上に置かれていた僕の手を取るやいなや、僕の手を枕にして再び浅い眠りについていく。

 寝惚けているとは言え、呆気に取られていたお陰で腑抜けていた僕の手は簡単に楠木さんの内側へと引き込まれたわけだ。


 彼女がいつから眠っていたかは不明だが、机の上で突っ伏して寝ていた彼女の内側の空間では、蒸された熱が僕の手は包まれる。

 時折僕の手の甲を撫でる睫毛にこそばゆい思いをひた隠しながら、直に触れる彼女の頬の柔らかな感触に、申し訳なさを体現するかのように僕はせめてもの思いで顔を背けるのだった。


 扉を開く音や、僕が入室する音。

 目を覚ますには十分な音が立てられたにもかかわらず目を覚まさない程に深い眠りについてしまう程に疲れているのであろう楠木さんが僕が喉を鳴らした程度の些細な音で目を覚ますとは到底思えない。

 それは考えればすぐに分かったはずで、抵抗も出来たはず。

 だというのに抵抗しなかったということは、つまりは僕がそれを望んでいたということになるのだが、この状況が果たして健全かどうかと問われると首を縦に触れないがゆえに、僕は苦渋の選択もかくやと言えるような決断、満足げな寝顔を晒す楠木さんを起こす、という決断を下す。


「く、楠木さん。楠木さん、起きて」

「……結月、くん? 結月くんの、声がする……」

「いるよ、ここに。心苦しいけど、その、手を離してくれると、僕の精神衛生上助かるんだけど……」

「手……ぇ? 手が、どうし、た……の──ッ!?」


 楠木さんはまず、僕の声に反応を示した。

 しかしそれはまだ寝惚けていると言っても過言ではないぼんやりとした反応であり、まるで夢の中で会話しているかのようなふわふわとした言葉を吐くばかり。

 そんなぽやぽやとした楠木さんが可愛らしくていつまでも見ていたいと胸が締め付けられるような思いを味わったものの、これ以上は楠木さんの尊厳にも関わってくる事だと判断して僕は寝惚けている楠木さんを覚醒させるという恨むべき選択を取る。


 その結果、楠木さんは自分の認識と現実のズレを感じ取ったのか次第にゆっくりと頭を上げていき、そして遂に僕と目が合ってしまうのだった。


「──」

「お、おはよう……?」

「え、え……? え、──え?」


 目が合うやいなや彼女の重たかったはずの瞼が限界まで見開かれており、同時に言葉も失っている様子からして空前絶後の驚愕を味わっていることが見て取れる。

 そんな状況下で現状の理解を進めるべく瞳を彷徨わせるのだが、上体を起こしても尚、僕の手を離そうとしない繋がったままの手は彼女の意思なのかそれとも無意識なのかが分からず、ついつい口を出してしまう。


「その、手を──」

「ッ!? ご、ごめんなさい。わざとじゃ、なくて」


 ばばばっ、といつだって冷静沈着な楠木さんにしては珍しく、僕の指摘を受けて慌ただしく捕まえたままの僕の手を解放する。


 楠木さんの手から解放された僕の手には肌に吸い付くようなモチモチな彼女の頬の感触だったり、温かな彼女の熱が記憶されているかのようで、離してくれとは言ったものの、実際に離された今ではそれらが恋しくて仕方がないように感じられているのをおくびにも出さずに、僕は頭を抱えてうんうんと唸る彼女に視線を向ける。


「夢じゃ、なかった……!? どこからが夢で、どこからが現実……!? というか、今も夢……なわけないか。へ、変なことしてないわよね……!?」


 立場が逆転しているけれども、なんだか以前にも似たようなことがあった気がして僕が小さく微笑むと、楠木さんはいつになく余裕のない様子で、自らの毛束に隠れるようにしてその隙間から睨みを利かせる。


「何、笑ってるのよ」

「ふふ、なんでもないよ」

「じゃあなんで笑ってるの。やっぱり、何かあったんでしょ」

「何にも無かったって」


 だが、その眼光はいつものような鋭利さは微塵も宿っておらず、自らの非を気にするばかりで気が気でない様子が眼光にも表れているかのように弱々しく愛らしいものであった。


「怒らないから言いなさいよ」

「えー。だから何も無かったよ?」

「手を繋いでたんだから、何も無かったわけないでしょ」

「まぁ、強いて言うなら……」

「強いて言うなら?」

「楠木さんの可愛い寝顔が見れたってことくらいかな」

「そ……っ、う言うのを、聞いてるんじゃなくって……!」


 僕と関わった人曰く、僕は考えていることがすぐに顔に出るのだと言う。

 だから秘密や隠し事なんてできっこないと思っていたのだが、それを逆手に取るようにして僕は僕の思っていることをそのまま口に出す。

 こうすればきっと、誰よりも僕のネガティブな面を見抜いて来た楠木さんであれば僕のこの言葉が間違いないということが必ず伝わってくれるだろうと思ってのこと。

 すると彼女はもごご、と口ごもって微かな怒りとそこそこの興奮と歓喜を盛大に足してごちゃまぜにしたような感情を顔に宿して再び顔を背けてしまうのだった。


 少し意地悪だったかと、彼女の求めている答えを知りながら隠していたことに若干の罪悪感を抱く隣で、百戦錬磨の楠木さんの珍しい表情が見えたとご満悦な自分がいるのも事実であり、こんな風に些細なやり取りの中にも僕は幸せを感じていた。


 その幸せが彼女に向ける好意が由来のものであることはとっくに自覚していた。


 好きだから、楠木さんの一挙手一投足にも注目してしまう。


 好きだからこそ、感情を共有したくなる。


 そんな想いが日に日に増すと同時に、この好意を伝えてしまうことで今のこの幸せな空間が破壊されかねないとも思うと、僕は二の足を踏んでしまっていた。


 ──僕と楠木さんは友達同士。


 それが今の僕達を説明するに相応しい言葉であり、それ以上を望んだ時に今のこの幸せが続くと断言できないことが、僕の胸の中に秘められた好意を伝えきれていない原因であった。

 端的に言うならば、『怖い』のだ。関係が変わることが、この幸せな記憶が一時のものとなることが。


 楠木さんと関わったことで、僕は変わった。

 今まで認めることが出来ていなかったどころか、嫌いとすら思えていた僕自身のことを、少しだけ好きになれた。楠木さんは僕にここに居てもいいんだと思わせてくれた、僕が変わるきっかけをくれた人だから。

 それは彼女に憧れると同時に、人一人の人生を大きく変えてしまえるほどに魅力を秘めた彼女に惹かれるのはごく自然なことでもあった。


 けれども、僕が彼女のことが好きな理由はそれだけじゃない。

 女王様という鎧の下に隠された少し幼い少女性も、努力を努力だと認識して頑張ることが出来る姿も、全てが魅力的だと思える。そんな風に楠木さんのことを知れば知るほど彼女のことを好きになっていく自分がいた。


 けれども、僕には自信が無かったのだ。

 関係が変わることを恐れ、常に一歩引いた立場で振舞っていたことこそ、自信の無さの表れ。克服しなければならない、自分の弱さそのものだった。

 だから僕は、変わりたいと強く願った。たくさんの努力をした。最低でも彼女の隣に立っていても笑われないようにと、友達として相応しいように、と。


 そして今日、僕のその努力は『合格』という形で実を結んだ。

 受験の合格という成功体験は僕に自信を与えてくれて、自分を少しだけ好きになることが出来たように、胸を張って前を向いて歩いて行けるような気がしていた。

 手にした合格は、僕一人では決して手に入れらなかったもの。

 ひめ姉や正紀さん、遊佐さんに陸上部の彼、宮野先生に勅使河原先生、それから楠木さん。

 多くの人との関わりが僕を変えてくれた。努力が実を結ぶまで、たくさんの水を与えてくれた。


 全ての努力は、僕がこの思いを伝えるためにある。

 よこしまであると言われればそうなのだが、僕にはこの邪念だけが全てだったのだ。

 そしてそれがまさか今日、楠木さんと出会えるとは思っていなかった今この瞬間こそが好機であると、僕は今の今まで秘めていたこの想いを、打ち明けるつもりだった。


 それが、楠木さんとの約束でもあったから。


「……そう言えば、陽葵さんはどうしてここに?」


 しかし、僕はいつだって出だしに躓く。

 ムードを作る、というのがへたくそで、緊張で強張った身体のまま何気ない会話を続けるのだった。

 受験の時の何十倍も緊張しているのが分かると、全校生徒の前で告白をした陸上部の彼の凄さが、改めて理解できると言うもの。


「どうしてって、今日は結月くんの合格発表の日でしょ。一番には無理かもしれないけど、今日の内に知りたかったから……駄目かしら」

「駄目なんかじゃないよ。むしろ、居てくれて、嬉しかった」

「……それじゃあ、結果を聞かせてくれるかしら」


 僕の口ぶりで、もしくは僕がここに来た時点で結果は分かり切っているかのような楠木さんは、居住まいを正して尋ねる。

 どこか期待に満ちた楠木さんに対して、僕もまた胸を張って彼女が待っている答えを口にするのだった。


「無事、合格しました」

「! おめでとう」


 待ちに待ったその言葉を聞けたからか、楠木さんは満面の笑みを浮かべて一言、僕の労を労う言葉を掛けてくれる。それだけで僕は十分報われた気分になって「陽葵さんのお陰だよ」よ言葉を返した直後、突然彼女のスマホが震え出す。


 余計な邪魔が入ったとばかりに顔をしかめた楠木さんが「事務所からだ」と呟いたのを聞いて、僕は電話に出るよう促す。

 彼女は「でも」と渋る様子を見せたが、最終的にはその場で電話に出るのだった。

 僕も楠木さんと同じように表情を顰めたかったが、彼女の夢に直接繋がる仕事の話であれば僕はそれを邪魔したくなんてない。僕のせいで彼女の夢が途絶えるなんてことは絶対にあってはならないと胸に誓っていたからこそ、僕は彼女に電話に出るよう勧めたのであった。


 電話の途中、彼女が何度か僕の様子を伺うようにして視線を向けてきたのを見て、電話口での話の中身が何となく察することが出来た。

 これでは、最早告白どころではないかと諦めつついると、電話を切り終えた楠木さんが申し訳なさそうな顔で僕の予想した通りのことを口にするのだった。


「……ごめんなさい。このあと、すぐに仕事に向かわなくちゃいけなくなっちゃって……」

「ううん、いいんだよ。頑張ってきて。ずっと、応援してるからさ」

「でも、だけど……」


 彼女の中では仕事と僕とが天秤にかけられているのだろう。

 その事実だけでも十分僕は嬉しいのだが、僕はそんなこと望んでなんかいない。

 

 楠木さんには、脇目も振らずに自分の夢を追いかけて欲しいからこそ、僕は彼女の背中を押す言葉を選んで口にする。


「次は、いつ会えるかな」

「! 次、次はきっと、卒業式になるかも……。けど! 絶対、卒業式の日には来るから!」

「うん、楽しみにしてる。ちゃんと雑誌も買って応援してる。だから、頑張ってきて」


 それだけ告げると、楠木さんは決心がついたのか荷物を持って立ち上がる。

 彼女にとって、彼女の抱く大きな大きな夢にとっては、今が一番大事な時期である。

 僕のせいでこのチャンスを逃したとなれば、それは彼女にとってどれだけ大きな損失になるか分かったものではないし、僕が彼女の足かせになることなんて、望んでなんかいないのだ。


 僕が望むのはあくまでも楠木さんの夢が叶うその時をこの目で見ることだけ。

 それが彼女の傍であるか、それとも関係のない場所で見届けるかは関係のない話。


「……」

「陽葵さん?」


 荷物を手に扉の前に立った楠木さんであったが、彼女は扉の前に立ったまま動かなくなる。


 行かなきゃいけないんじゃないのかと声を掛けようとした、次の瞬間。


 楠木さんは肩に担いでいた荷物を床に落としたかと思いきや、勢いをつけてその身を翻す。


 身を翻した彼女の行く先は、楠木さんを見送るために立っていた僕の方向。


 何を考えているのか読めない目を伏した状態の楠木さんがツカツカと早足で僕の方へと向かってくる間も、僕は身動きできずに立ち止まっていた、その、直後──。


「ひ、陽葵さ、ん……っ!?」

「っ」


 カツン。

 僕と楠木さん、どちらの息を飲む音だったか。

 しかして静寂に包まれた部室に聞こえたのは、エナメル質同士がぶつかる小さな衝突音。


 僕達の間にあった距離は、ゼロ以下にまで接近を果たしていた。


 僕の見開かれた目に映るのは、目と鼻の先は疎か、何一つとして隔てるものが無い状態で触れ合う程に密着した楠木さんの美しく整った顔。


 彼女の睫毛の長さを、肌の透明さを改めて知った僕は、ただただ瞬きを繰り返すのみ。


 一目見て緊張しているのが分かるくらい閉じた瞼に力が込められているのが見えるのと同時に、もたれかかる彼女の体重と女性の体特有の柔らかさ、それから上気した体が発する熱を触れ合った先から感じられるのだが、そこに唇が加わっているとは思いもしなかった僕は瞠目するばかりであった。


 ──キスをされた。


 その事実が遅れて僕の体を下から突き上げるような衝撃となって襲い来るが、僕の頭は並べられた事実を咀嚼することが出来ずにひたすらに固まってしまったまま、言葉が出ない。


「ぶつかっちゃったわね……」

「──」

「……待ちきれなかったの。だから……次はちゃんと、結月くんの方からシてくれる?」


 何の脈略も無いキス。

 否、脈略はあった。脈があったのだと思う反面、僕は唇に残る彼女の熱と、その感触に頭が真っ白になって固まったまま、切望するかのような楠木さんの表情をただ黙って見下ろすばかり。


「答えは、次に会った(卒業式の)時に()()()()()


 自分の取った行動に顔を真っ赤にさせながらも最後に一度だけ僕の背中に手を回して楠木さんは耳元でそう呟く。


 その後、体を離した楠木さんが今はこれでいい、と満足げな表情を見せてから部室を後にしていくのだが、彼女が小走りで駆けていく足音が聞こえなくなるまで僕は固まったままだった。


「~~~~~~~っ!?!?!?!」


 ようやく動き出すことが叶った僕だったが、彼女の後を追うのではなく、口元を覆ってその場に蹲るばことしかできない。


 それは触れた感触を忘れないようにするためか、それとも緩んだ口元をひた隠すためか、それともその両方か。


 動けるようになったとは言え、未だに混乱する頭では何もかも判別できない状況にあり、冷静になった僕の頭が彼女の後を追うべきだと判断した頃には、既に楠木さんの気配は去った後だった。


「……これって、そういうこと、かなぁ」


 色んな意味で嵐が過ぎ去った後、僕は気を抜けば弛む口元を気合いで引き締めて考えるのだが、未だに混乱する頭と未発達な自己肯定感では正しい判断が付かない。

 少しでも自分のことが好きになったということと、だからと言って誰かが僕のことを好きになることがイコールで繋がらない僕の頭は、良い方向に変わることが出来たとは言え、人の好意には鈍感なままであった。


「でも、陽葵さんが動いてくれたのは、確かだから……」


 踏ん切りがつかない僕の代わりに、楠木さんが動いてくれたこと、それは間違いない。


 ならばそれに応えるという意味合いも含めて、僕が動かないわけにはいかない。


 むしろ楠木さんは、僕が動くための大義名分を与えてくれたように思えるからこそ、僕は僕でやらねばならないと強く思えるのだった。


 それから十分程部室で放心していた僕は無事に帰宅したのだが、常に頭の端っこに見える「キス」の衝撃がチラつくお陰で、ひめ姉達がお祝いしてくれていることに集中できなかった。

 ただ、お祝いとしてひめ姉お手製のフレンチのコース料理が出てきたことにはさすがに驚かざるを得なかった。










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