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再会と、感謝。


 進路指導室を後にして部室に向かう足は、何かに急かされるみたいにしていつもより早い速度で回転していく。


 廊下は走るな、と書かれた壁に貼られた注意書きの紙を横目に、僕は逸る足を止められないでいた。


 校庭から聞こえてくる部活の声がいつもより小さく聞こえるのは、きっと僕の耳がその声を受け入れる余裕が無いことも要因の一つで、外から聞こえる声は過ぎ去っていく。

 そんな声にかまけている暇など無い、とでも言うかのように、部室で待つあの人の元へと一刻も早く向かいたかった。会って、この胸に沸く感謝の気持ちを伝えねばならないと思っていたから。その感情が、僕の体を突き動かしていた。


 はあはあ、と息を切らす程の距離でもない廊下を息を切らして早足で辿り着いた先。部室の扉の前で僕は息を整える。

 今日は夏休み明け初日。二学期の始業式に加えて諸連絡などといった午前中だけで済むような時間割であり、放課後の時間になってから一時間近くが経過したこの時間まで彼女が残っているとは考えにくいものだが、僕は知っている。楠木さんは約束を守る人だということを。


『部室で、待ってるから』


 宮野先生によって進路指導室に連れ出される前、すれ違いざまにそう言われたことを覚えているから、僕はこの扉の向こうに楠木さんが待っていることを知っていた。だからこそこうして急いで早足で向かってきたのだが、いざ扉の前に立つとなると、正体不明の緊張に見舞われてしまい、部室の扉を開くだけの行為が遥かに難しく思えてならなかった。


 それもそのはず。

 何せ楠木さんと会うのは八月の頭に一緒に行ったオープンキャンパスが最後で、それ以降は顔を合わせていなかったから、こうして二人で会うのはおよそ一ヶ月ぶりなのだ。

 お互いの連絡先も知らなければ、共通で足を運ぶ先も無い。

 学校という共通点を除けば、僕と楠木さんを繋ぐものは、何もなかった。


 だからこそ、この一か月で楠木さんに何があったのかを知る由もない僕は、この扉を開くことすら躊躇してしまっているのだった。


 男子、三日会わざれば刮目して見よ。

 そんな言葉があるように、真の男女平等社会を形成しつつある現代においてこれが性別関係無しに当て嵌まるものであるとするなら、楠木さんも大きく変わっていてもおかしくはない。

 楠木さんは元より、今よりももっと高く舞い上がれるポテンシャルを秘めているのだから、一ヶ月もあれば、ただでさえ手を伸ばすのがやっとの存在であった彼女が、手を伸ばしても決して届くことのないもっとずっと遠い存在になっていても不思議ではなかった。


 そうなったとき、楠木さんは僕をどう見るのか。

 そもそも見てくれるのか。

 そんなありもしない妄想ばかりが頭に巡るのを、頭を振って振り解く。


 たった今、彼女なら中で待っていてくれている、と確信を持っていたのにどうしてこうも悪いことばかりが思い浮かんでくるのか。自分の思考力と想像力のマイナスな方向に向く豊かさには辟易する。

 先程宮野先生からいただいた「自己評価が低すぎる」という僕の短所に関しても、その貧しい豊かさが諸悪の根源かとすら思えるほどにネガティブな思考が厄介だと思い始めた。


「すぅ、はぁ……」


 もう一度だけ大きく息を吸って吐いての深呼吸をして平静を取り戻した僕は、ようやく部室の扉に手をかけ、意を決して大きくスライドするのであった。

 そうして一か月半ぶりに訪れた部室はなんだか懐かしく思えると同時に、対して涼しくもない風が吹き抜けていくと、僕の視界の中では栗色の髪が楽しそうに風に揺れて弾む光景が映し出された。


「遅いんだけど」


 栗色の髪が揺れ、整った顔つきの彼女の切れ長で猫のような目がこちらを向いて歓喜に沸いて瞬いたかと思えば、その目は僕の見間違いだったかのように取り繕うみたいにしてすぐに細められ、への字を描いた口からは不満が零れる。


 それが見れただけで、充分。

 彼女の声が来ただけで、僕の胸は嬉しいという気持ちでいっぱいになる。

 言いたかったことも何もかもを忘れて、僕はただ足を組んで座って頬杖をつく彼女の姿に見蕩れてしまう。


 廊下と部室を隔てる一枚の扉を抜けた先で待っていたのは、僕の不安を鼻で笑うような結果だった。

 楠木さんは約束通りに部室で僕を待っていた。

 夏休み前と変わらず、彼女はここで……、部室で待っていてくれていた。


 彼女は相変わらず息を飲むような美少女であり、夏休み前と比べて更に美しさに磨きがかかっているように思えるのは、僕の心の持ちようが変化したからなのか、楠木さんの努力なのか。それともその両方なのかは神のみぞ知るもので。

 もしも傾国の美女というものが確かに存在しているのなら、楠木さんはまず間違いなくその一人だろう。知性も理性もある一国の主である王様すらも傾倒するような、目も眩むような美貌。もしくは、知性も理性もあるからこそ、彼女の美貌の真の価値というものを分かっているから傾倒してしまうのか。


「……ご、ごめん」

「別に怒ってないから。待つのも、好きだし。……それで、志望校、決めたんだ?」

「うん。寛永大にした。楠木さんは、あんまりいい思いしないと思うけど……」

「なんでそこで私が出てくるのよ。あんたのやりたいことが出来る大学に行く。それが一番でしょ。それに……。今度からは、一緒に居てくれるんでしょ」

「うん」

「目を、離さないでよね。あと、手も」


 冗談を口にして悪戯に笑って見せる楠木さんに対して、意外と幼稚な面があるんだな、なんて感想を浮かべて、彼女の笑みに釣られて僕も笑みを零す。そのついで、とばかりに宮野先生からの伝言も口にする。


「……ふーん、そう。宮野先生って、意外と考えてる人なのね」

「意外と、って」

「だって軽薄そうじゃない。まあ、夏休み間はお世話になったけど」

「そうなの? それで、楠木さんにはまた話が行くと思うけど」

「良い機会だし、乗ってあげようかしら。私は慣れてるからいいけど、他の子が同じ目に会わないように釘を刺すための意味も込めて」

「慣れてるからいい、って問題じゃないよ。少なくとも僕は、楠木さんも同じ目には逢ってほしくないから……って、馴れ馴れしかったかな……?」

「……そんなこと、ない」


 少しだけ踏み込もうとした僕が咄嗟に我に返って踏みとどまると、楠木さんは一瞬言葉に詰まった様子を見せた後、口元を隠すみたいにしてそっぽを向いてしまう。しかし、横を向いた彼女の耳が赤く染まって見えるのは、気の所為だろうか。西日が差し込むにはまだまだ早い時間だから、日差しのせいというわけではないと思うのだが。


「そ、それよりも、お腹空かない? どこか涼しい所でご飯食べましょ」

「あ、うん。僕も、楠木さんと色々話したいことがあるからさ」

「奇遇ね。私も、涼村くんとは色々話したいことがあるの」


 そう言ってふふっ、と柔らかな笑みを口元に浮かべた楠木さんと共に学校を後にしていく。

 途中、玄関付近で勅使河原先生とも会うと、楠木さんと二人ですっかり仲良くなった様を見せつけられたのだが、いつの間にそんなに仲良くなったのかと聞けば「秘密」とだけ返ってきたのだけは首を傾げるばかりで、僕は置いてけぼりを食らう羽目になった。

 それから僕達は移動して駅前の学生で賑わうファミリーなレストラン──ではなく、少し外れた食事も楽しめる喫茶店に足を運んでいた。


 テーブルに着いてすぐ、胸を張って自慢げに語る楠木さんの姿が見れただけでも満足というもの。


「ここはコーヒーじゃなくて紅茶に力を入れてる喫茶店なの。勅使河原先生に教えてもらって、夏休みの間よく来てたの。いい匂いするでしょ?」

「……本当に夏休みの間に楠木さんと勅使河原先生の間に何があったの」

「秘密って言ってるでしょ。ここは何でも美味しいけど、私はオムカレーが好きなの。涼村くんには、このミックスプレートがオススメね。ボリュームがあって美味しいわ。お昼はご飯大盛り無料だけど、どうする?」

「本当に通い慣れてるんだね。……大盛りにしようかな」


 楠木さんが慣れた様子で店員さんに注文していく傍ら、僕は喫茶店の内装に視線を巡らせる。

 喫茶店、というと昭和レトロな雰囲気漂うクリームソーダとコーヒーサイフォンのお店、というイメージだったのだが、ここはどちらかというとモダンな印象の強い店内。

 そして楠木さんの言う通り、お客さんのほとんどが紅茶を嗜んでいるせいか店内はコーヒー豆を焙煎する香りよりも、紅茶の茶葉が花開くフルーティな香りだったり、建材の木の匂いだったりと、落ち着いた雰囲気を放つ店構えであり、僕も好きな雰囲気だった。


「それで、話っていうのは何なの?」

「そうだね、ご飯が来る前に済ませちゃおうか」


 そう言って巡らせていた視線を手元のお冷に戻して水を一口含んだ後に、僕はしずしずと言葉を選んで口にする。


「僕と結婚し──」

「ンぶっ!?!?!?」


 言葉を口にした途端、同じタイミングでお冷を口に含んだ楠木さんは盛大に噎せ返る。


「ゲホッ、ゲホッ!?」

「だ、大丈夫……?」


 どれだけ動揺したのか、飛び散った水をおしぼりで拭いながら心配そうに顔を覗き込むと、楠木さんは落ち着きを取り戻しはしたものの彼女の目は焦点が定まらない様子で激しく泳いでおり、顔は真っ赤に染まっているようだった。


「だ、だだだ、誰と、誰が……?」


 そんな状態で振り絞るかのように吐き出したのはそんな言葉で。

 何かを期待するような声音に僕は一瞬首を傾げた後、素直に、正直に、誠実に答えを口にした。


「ひめ姉と正紀さん……あ、ひめ姉の彼氏さんの名前ね。二人が結婚して式と披露宴を開くから、僕と一緒に楠木さんも出ないか、って聞こうとしたんだけど……」

「…………」

「楠木さん? 大丈夫? おーい?」

「……………………」

「く、楠木さん? なんか、怒ってる……?」


 律儀に答えた結果、楠木さんは赤みを帯びた顔で一瞬だけ忌々し気に睨みつけてきたかと思うと、すぐに脱力した様子で肩を落とした。

 それが楠木さんの心情を表しているのは良く分かるが、僕には彼女が何を感じて何に失意したのか、さっぱり分からない。


 夏休みを経てから楠木さんに対して一番の大きな変化を感じられるのは、彼女の感情表現が豊かになったところだろう。短時間でこんなにも顔色がコロコロと変わる様を見られるなんて体育祭前の僕に言っても信じてもらえないだろうと思えるくらい、彼女は話していてよく笑うようになった。

 完全無欠の女王様としての威厳溢れる様も格好良くて好きだったが、そこに愛嬌という名のかわいらしさがプラスされたなら、楠木さんの魅力は何倍、いや、何十、何百倍にも膨れ上がるというもの。


 しかし、それが却って僕の中にあるやましい独占欲を刺激してくるようで、僕の前以外でそれを見せるというのを想像しただけでも不快感が湧き上がって来るよう。

 それを必死に胸の奥の奥、タンスの隙間に捻じ込んで黙らせるように唾を飲み下し、蓋をする行為には気付かれないよう、ようやく落ち着きを取り戻した様子の楠木さんと相対する。


「……ちょっと、動揺しただけ。それで、姫和さんと彼氏さんの結婚式に、私が出ないか、って話でいいのかしら」

「うん、そう。日程は年末、ってことしか聞いてないけど、出られるなら招待状を送るって言ってた。……でもまあ、これはきっとひめ姉の気遣いなんだと思う」

「気遣い?」

「そう。僕はひめ姉を引き取った母さんとは折り合いが悪いからさ。父さんは多分、何も言えないだろうし、会場で僕を孤立させないために楠木さんを利用してるんだと思う。だから、嫌なら全然断ってもいいからね」


 母さんは未だに、自分の愛娘であるひめ姉から高校、大学の青春時代を奪った僕のことを許していない。

 僕を引き取らなかったのも、きっと僕が家庭に無頓着な父さんに似ていることをあの時から察していたからかもしれない。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と言うように、母さんは父さんに纏わる全てを憎んでいるのだろう。父さんが好きな仕事も、父さんと暮らしている僕のことも。だからきっと、父さんのことを一生許さないと誓って出て行った時からずっと、母さんが僕のことを認める日は一生来ないということは覚悟している。


「……もし私が行かなくても、あんたは一人でも行くんでしょ」

「行くよ。ひめ姉と正紀さんには返しきれない恩があるから。どんな形であれ、お祝いはしてあげたいしね。それに、流石に祝いの席ではやっかみをぶつけてくるような真似はしないと思ってるし──」

「行く。行くわ。私も、涼村くんと同じ席でいいから行くって伝えてちょうだい。……私が、守るから」


 ぐっ、と拳を固く握り締めた楠木さんは僕の続く言葉を遮るようにして参加を表明し、小さく何かを呟き繰り返す。

 それでも、楠木さんが来てくれる、という事実にホッと胸を撫で下ろしたのは、自分でも知らない内にあの母親と顔を合わせる機会というものに恐怖し、緊張していたのだろう。彼女を家の問題に巻き込むつもりはないが、一緒に居てくれるだけで安心できるというものだった。


「披露宴は年末の時期だけど、楠木さんは受験平気なの?」

「私は推薦だから、十月の末が本番なの。もう二ヶ月を切っているけどね」

「そうなんだ。夏休みは、勉強してたの?」

「えぇ、もちろん。推薦だから受験勉強に加えて、小論文と面接の練習もひたすらね。宮野先生と勅使河原先生にはそれでお世話になったの」

「へぇ……。僕はこれからお世話になりそうだよ……」

「もし、受かったら──」

「受かったら?」

「……なんでもない」

「えぇ? 気になるんだけど?」

「受かったら改めて言うから。……でも、もうあんなことは、しないって約束するから」

「あれは……、少しびっくりしただけだから」

「それでも、涼村くんの嫌がることは絶対しないから」

「それは、僕も同じだよ」


 それから間もなくして、一部始終のやり取りを見られていたのか胡乱な目を向ける店員さんを楠木さんが宥める、といった不思議な光景を目の当たりにしながら運ばれてきたミックスプレートとオムカレーに舌鼓を打つ。

 お互いに一口ずつ交換し合ったり、夏休みの間の出来事を報告し合ったりと、終始和やかなムードで食べ進める食事は、今夏一番美味しかったと評するべき味であった。ちなみに二位はひめ姉に連れて行ってもらった漁港直結のお店で食べた海鮮丼である。


「スイーツは別腹よね」

「オススメはあるの?」

「そうね、一番はやっぱりカスタードプリンだけど、私が好きなのはお店で焼いてるスコーンね。紅茶とよく合うの。でも私の今の気分はスイートポテトなの」

「じゃあ僕はカスタードプリンにしようかな。スコーンは、また今度来たときにするよ」

「それじゃあ、また一緒に来ましょ」

「うん。勉強も、捗りそうだしね」

「……そうね」


 すっかりご飯のお皿も空になって、僕達はデザートメニューに目を馳せる。

 そこには様々なスイーツが並んでいて、スイーツ単体を目的にやって来てもいいくらい、種類が豊富だった。

 その中で楠木さんはスイートポテトを。僕は、彼女のオススメであるカスタードプリンを選んで注文している間、食後の口腔内をスッキリさせるような紅茶を口に運ぶと、僕はすっかり抜け落ちていた当初の目的を思い出して姿勢を正す。


「……楠木さん」

「どうしたの。急に真面目な顔をして」

「これは、きちんと言うべきかと思って」

「そ、そう……。じゃあ、私もちゃんと聞いてあげる」


 カチャリ、とカップを皿をの上に置いた楠木さんも、僕を見習うかのように背筋を伸ばす。

 その所作や振る舞いと言うのか、纏うべき雰囲気は流石と言うべきか、僕が肩肘張っていると形容されるのに対して楠木さんの方はそれが有るべき姿であるかのような佇まいは僕では一生モノにできないスキルだと思わされる。

 しかし、僕もそれに圧倒されて見蕩れているばかりではなく、口にすべきことを一つ二つと深呼吸をした後、言葉にするのだった。


「楠木さんが言ってた、僕が僕自身を卑下することは僕を評価してくれた楠木さんやひめ姉を否定するって話。その意味が、ようやく分かったような気がしたんだ」

「……何か、それを考える機会があったの?」

「うん、あった。今もまだ、それで悩んでる」

「なら、私にも──」

「ううん。これは、僕が決めなきゃいけないことだから。僕が決めるべき決断なんだと、思ってるから。……それでも、本当に迷ったときは、楠木さんに相談してもいい、かな?」

「……えぇ。いつまでも待ってるから」

「すぐに答えを出すよ。……それで、考えてるときにはずっと、今も、楠木さんの言葉が忘れられないんだ。『自分自身が信じられないなら、楠木さんやひめ姉が言っていた言葉を信じればいい』。この言葉に、僕は自分が分からなくなりそうになると毎回、ずっと救われてたんだ。だから、今日は感謝を伝えようと思ってたんだ。楠木さんの言葉は、僕に勇気をくれたから。だから、ありがとう。そして、これからも、よろしくお願い、します……」


 今のこの恵まれた環境が、いつまでも続くとは思っていない。

 だけどせめて。せめて楠木さんと別れる卒業の日までは、彼女とずっと一緒に居たい。言葉だけじゃなく、彼女の熱を傍に感じて居たかった。

 だから最後のは我儘。僕が生まれて初めて口にした、わがままだった。

 そんな子供じみた手法で同情を誘うような真似に対して、楠木さんは一瞬だけポカン、と呆けたような表情を浮かべた後、口元を小さく緩めてこう言うのだった。


「ふつつかものですが、私こそよろしく……、なんてね」


 そう言って小さく頭を下げたかと思うと、頭を上げて視線が交差すると、僕は耐え切れなくなってにへらっ、と笑みをこぼしてしまう。


「なにそれ」

「いいでしょ。いつか言ってやろうと思ってたの」

「そういうのは、ちゃんとした時に言うべきじゃないかな?」

「今のはちゃんとした、の枠組みには入らないのかしら?」

「いや、そういうんじゃなくてさ」

「じゃあ、どういうの?」

「…………言いたくない」

「なにそれ」


 両手指を交差させてその上に彼女の小さな顔が乗るのを目の当たりにすると、僕はそれ以上の追及を避けるかのように目線を逸らしていく。

 いつになく上機嫌な彼女を前に、僕は楠木さんのいつの日か来たるべき日を想像しては、隣にいるのが僕ではないという自惚れも思い違いも甚だしい勘違いをしたことを見透かされたくなくて目線を逸らす。


 そんなやり取りをしている間に注文していたデザートが届いて、僕達は既に甘ったるい口の中に更に甘いものを放り込んでいく。その間も夏休みの間の話をしたりと、今いるこの一瞬を切り抜いて永遠にしてしまいたいと思えるくらいに愉しい時間を二人きりで過ごすのであった。


 生クリームとさくらんぼが乗った王道のカスタードプリンは、半分くらいが楠木さんの胃袋に収められた、ということだけを記しておこう。










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