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ひまり視点です。


自覚。

 

「盛大に逃げられてやんの。……ってか、追いかけなくていいの?」


 涼村くんに逃げられた。

 その事実を前に、私はすっかり脳味噌が働くのを放棄したかのように手指の一本も動かせないまま、去って行った彼の背中を追いかけることもできないまま呆然と立ち尽くしていた。


 そもそも、彼が逃げる羽目になったのは全部、目の前でやかましいくらいピーチクパーチク騒いだ遊佐澪奈のせい。

 この女が途中で入ってきたりしなければ、彼が逃げることなんてなかったのに。


 もっと長い時間、二人で居られたのに。

 ずっと一緒に、居られたはずなのに。

 そこまで考えたところで、ようやく動き出した私の頭は疑念を生じる。


 ──本当に、遊佐澪奈一人の所為なのか、と。


 あの時、私は何を言おうとしたのか。

 今私が抱いている行き場のない欲求は、果たしてなんなのか。

 久し振りに取ることが出来た彼との、涼村くんとの二人きりの時間。


 彼は私に、『普通』を教えてくれる。

 涼村くんと一緒に過ごす時間が、何よりも大切でたまらない。


 だから、一緒に居る。


 生まれながらにして背負った、母親譲りの美形としての宿命。

 私は、自分が人よりもずっと優れた容姿をしていることを自覚している。

 そのせいで他人から羨まれたり、嫉妬される日常には慣れているつもりだった。


 それでも、彼と関わるようになってから、私は『普通』というものを初めて知った。

 日常だと思っていたものは、普通の彼らにとっては非日常であることも。

 非日常を生きる私にとって、その普通の日常といわれているものこそが私一人では手に入れられない非日常であることも全部、涼村くんと一緒にいることで初めて経験して、初めて知ることばかりだった。


 例えば、普通の高校生として友達ができて、放課後には同じ部活でわいわい騒いで、一緒に遊びに付き合ってくれたり、友達のお姉さんとも仲良くなったりして。


 そんな、私には一生経験することがなかったかもしれない、微かな憧れを抱いていた青春。

 これまでは青春という実体のないものに現を抜かす人たちを鼻で笑って小馬鹿にしていた、その青春というものに、私は恋焦がれていたことに気付かされた。

 もしも涼村くんに会えていなかったのなら、小馬鹿にする傍らで、青春を謳歌する高校生たちを尻目に一人帰路につく日々が退屈であったことも、自分が鼻で笑った人たちを本当は羨んで嫉妬していたことも知らないままだったかもしれない。


 私にとって彼は、涼村くんは──。


 斜に構えていたのは、それが自分には縁遠いものと諦めていたからなのだと教えてくれた人。

 そんな普通の幸せを諦める必要は無いのだと教えてくれた人。

 私もまた、普通の高校生でいいのだと教えてくれた人。


 私にとって涼村くんというのは、私一人では諦めてしまっていた「普通」というものを一緒に叶えてくれるような、特別で、大切で、いつの間にか私の中にいるのが当たり前になっているような人だった。


 だから、テストのご褒美、なんて言ってみたのはただの冗談のつもりだった。

 無謀に晒された、彼の後ろ姿を見るまでは。


 ──あの瞬間。


 私は彼を、()()に見てしまった。

 彼のことを独り占めしたいと、強く思う私の本心が、彼を支配しようとした。

 それこそ、私の持つ全てを使ってでも支配しようとした感情。

 憎む程に嫌いな、血の繋がりを持った父親譲りの暴力的な面が、顔を出してきた。

 蛙の子は蛙。そんな言葉があるように、私は紛れもなくあの父親の子なのだと思い知らされたのは、涼村くんが昔の私と同じ顔をして立ち去っていくのを目にした直後だった。


「……」

「ほら~。もう背中見えなくなっちゃったよ? 追いかけなくていいの? ま、あたしとしてはこんなドラマチックな修羅場を目撃できてハッピーだけどね」

「……うるさい。出てって」

「本当に出てっていいの~? 結月ってば、一回壁が出来ると多分、自分から避けるようになるタイプじゃないかな。二度と会えなくなるかもよ? 謝ることもできないまま、このままお別れで、本当にいいの?」

「……今から追っても、もう遅いし」


 本当にこの女は、目障りで、耳障り。

 そのくせ、私よりも頭が良くて、人気があって。

 可愛げのない私なんかよりも人目を集めるのは、この女の、遊佐澪奈の天真爛漫なところに惹かれるからだとすれば、涼村くんがこの女に惹かれたとしてもおかしくはない。


 可愛くもなければ、口も悪いし、性格も悪い。

 そして遂には、人間性にまで難が出てきた私なんかよりもよっぽど──。

 なんて考えてみたけれど、そんなの絶対に嫌だ、と叫ぶ私が居るのもまた事実。


 遊佐澪奈の言う通り、涼村くんは私とは違って自分の機嫌は自分で取るタイプだ。

 彼は彼が言う程、子供なんかじゃない。自分の機嫌の一つすら自分で取ることのできないお子様の私と比べれば、彼はよっぽど大人である。

 そして、そんな人は人に対して滅多に壁を作ったりしないが、一度できたら取っ掛かりすら掴ませてくれなくなる。しかもそれは、相手のために避けるのだ。今回の場合では、涼村くんは間違いなく私を避けるようになる。そんなことを考えるだけでも胸が苦しくなるのだが、彼であれば必ずそうする。私がもう二度と、彼のことを思い出さないようにするために、彼は私から距離を取る。

 なぜなら、彼は優しいから。

 自分のことなど二の次で、いつだって彼は自分に関わる人を優先する。子供も、大人も、性別も関係なく。涼村くんの中では、自分自身が最も優先順位が低いから、彼が我を通すなんて光景が一切見えないのだ。


 そして何よりも、遊佐澪奈に言われるまでもなく、彼のことは私が一番知っている。

 知っているのに、彼を傷付けた。

 だから、追いかける足も動かない。

 否、動いてくれない。

 本当は追いかけたいに決まっている。追いかけて、謝らなければならないことも分かってる。

 なのに、私の足は恐怖で竦んで動けなくなっているようだった。


 そう、恐怖だ。

 私は恐れている。

 ようやくできた彼との繋がりが断たれるかもしれないということを。


 そこまで分かっている。分かっているのに、動けない。

 それはどうしてなのか。そんなもの、分かり切っている。

 私はただ、自分が傷付くのが嫌なだけだ。


 追いかけた先で拒絶されるのが、何よりも怖い。

 涼村くんに拒絶されるのを想像しただけで、鳥肌が立って、足が竦むくらい、私は彼と離れることを、酷く恐怖していた。

 これが遊佐澪奈なら、他のクラスメイトなら、どうだっていいと思える。だけれども、涼村くんに拒絶されることだけは容認できなかった。


 それを見透かしているみたいな物言いをして悠々と私と涼村くんの世界である部室に図々しくも立ち入ってきた遊佐澪奈は、余裕ぶった態度で椅子に腰を下ろした。


「そう? あたしは結月みたいに、クソ面倒な性格してるあんたの背中を全力で押すとか、そんな真似してあげないからね。……それでも、話だけは聞いたげる」

「は? なんであなたなんかに」

「ん~。だってあんた、結月しか友達いないんでしょ? かと言って結月とのトラブルを結月に話す訳にもいかない。そうなったら、あんたは誰に相談するつもりなの?」

「……」

「あんたが人間関係の悩みを一人で抱えて一人で解決できない、なんてこと、あたしにだって分かる。どうせ、すっかり怖気づいて追いかける勇気が出ない、ってところなんでしょ? あたしから言わせれば、そんなのつべこべ言ってないでさっさと追いかけるべきだ、ってドラマとか見てても思うけど、いざ目の前で見ても同じことを思ったね。でもまあ、あたしは結月には世話になったから、その借りを返すって体で話ぐらいは聞いてあげるよ。これなら、あんたも気兼ねないでしょ?」

「私にでっかい借りがあることも忘れてないでしょうね」

「う~っわ。全然かわいくねぇ~。……ま、ここは結月の顔を立てることにして、まずはなんで喧嘩してるのか、聞かせてみなさいよ。あたし、こう見えても口は堅い方なの。あんたのこと、色々黙ってやってるつもりなんだけどねぇ? そのネックレスとか」

「……別に、喧嘩した訳じゃないから。放っておいて」

「そういうの、いいから。つーか、結月のあんな顔見て放っておけるわけ無いし。それならあたしは、結月の味方するよ? 卒業まで一切あんたと関わらせないことだってできるし」

「……」

「でもま、結月がそれを望んでいるとは思わないからこうしてあんたに手を貸してるの。それくらい、あんただって分かってるんでしょ? 今のままじゃダメだって思うんなら、その偏屈な態度を改めるべきじゃない? それとも、あんたはこのまま結月と一生仲違いしたままでいいんだ?」

「嫌に決まってる!!」

「うおぅ……思ったよりもガチじゃん。なら、話してみなよ。三人寄れば文殊の知恵って言うでしょ?」

「……二人じゃない」

「学年9位のあたしの頭脳があんたと同等って言いたいなら大間違いだけど」

「………………うざ」


 遊佐澪奈は相変わらず腹が立つ女。

 でも、今この場で私が一人だったならきっと、塞ぎ込んだまま一歩を踏み出せなかったかもしれないと思うと、認めたくはないけれども認めざるを得ないくらい、この女がここに居てくれて助かった。

 ただ、口汚く言葉を並べて無理やり背中を蹴ってでも私を追い立てようとしてくれたのはいつか絶対報復してやると心に決めて、私は先の展開の一部を口にする。

 本当は誰にも話したくなんかない、打ち明けたくなんかないくらい、部室での涼村くんと二人だけの時間は特別だった。

 けれども、このまま意固地になって鎧に身を包んだままでは、私は卒業するまで、この部室で彼が来るのを待ち続けるだろう。もう二度と、彼が来ないと分かっていても。


 だから、話した。

 このまま離れ離れになるなんて、絶対に嫌だったから。


「はぁ~……。正直あんたがここまで色ボケだとは思ってもみなかったんだけど……。いや、ネックレスの時点でゲロ重感情向けてるな、とは思っていたけど……まさかここまでとはねぇ」


 そうやって意を決して離した結果が、これだ。

 人を小馬鹿にしたみたいに肩を竦めて窓の外に視線を向ける姿は、全く以て解決に導いてくれるとは到底考えられないような間抜けな顔を晒している。

 こんなのに頼る必要なんて最初から無いし、初めから一人でどうにかすればよかった。

 少なくとも私には、姫和さんが居るから。

 涼村くんのことで姫和さんを頼るのはすこし狡い気がしていたけど、こうなってしまったらもう、背に腹は代えられない。


「あなたなんかに期待したのが間違いだったわ。もういい。一人で何とかするから」

「いやいやいやいやいや、今のはちょっとびっくりしただけだから! ちゃんと考えてあげるって!」

「……」

「そう睨むなっての。いいから座りなよ。あたしだって今の話、口から砂糖吐きながら聞いてただけじゃないんだから」


 真剣な眼差しに変わった遊佐澪奈の目を見て、私は次にふざけたらさっさと帰ろうと心に決めて再び椅子に腰を下ろす。

 聞くだけ無駄だとは思いながらも、私は遊佐澪奈の話に耳を傾ける。

 なんだかんだ言って、この女が言う世渡りの術は、間違っていないことを知っている。

 それを認めるのは癪だけど、処世術だけなら私はこの女に勝ることができないと理解してしまっていた。


「……そもそも、あんたは結月があんたのことをどう思ってるか分かってるの?」

「どうしてそんな話になるの」

「いいから。答えてよ」

「……涼村くんは、私のこと、友達だ、って言ってるけど」

「それが本音だと思ってるの?」

「……どういうこと」

「あたしは今まで五人の男と付き合ってきたけど、二人きりで一緒に居てもいい、って思う人としか付き合って来なかったし、付き合ってきた男もそう言ってる。結月もきっとそうだよ。あんたのこと、憎からず思ってるんじゃないの」

「涼村くんを他の男の人と一緒にしないで」

「うわめんどくさっ」

「でも……それって」

「まあ、あんたと結月は多少特殊な人間ではあるから確かに普通の人と同じ括りにするのは違うような気もするけど、普通だったら、苦手な人の誘いなんてのは断って当然でしょ? これまであんたの誘いに、結月は断ってきたことあった?」

「……ない」

「それがどういう意味か、分かってるの?」

「でも、涼村くんは……」


 遊佐澪奈の言う通り、涼村くんが私の誘いを断ったことは、一度もない。

 それが何を意味するのか、私には分からない。

 経験の無いことを経験が浅いまま理解しろだなんて無理な話。

 それも、今回の一件は基礎を飛ばして応用からやっているような感覚。

 人間関係が希薄なまま高校も卒業間近になって、今更基礎を培う時間なんてないまま友人関係を築き上げた私にとって、人の心を慮るなんてのは無理な話で。


 それでも、涼村くんの考えていることだけはいつも、手に取るように分かっていた。

 いつだって、どんな時だって彼の顔を見てきたから。

 穴が空くくらい見つめてきて、彼のコロコロ変わる表情を見て、彼が何を考えているかも分かっていたのに、今はそれが分からない。

 だからそれが怖いと言っているのに、遊佐澪奈は何をさせようというのか。私には涼村くん以外の人の考えていることなんて、分からないから。


「結月の方から誘われたことないって? そりゃあそうでしょ。体育祭の感じを見てれば分かるって。結月はそういうことする子じゃない、ってね。でもそれは、結月が踏み込み過ぎないようにしていたんでしょ? 友達としての垣根を越えないように。わざわざあそこで宣言みたいなことしたのは、結月なりの誓いに見えたけどな、あたしには」

「誓いって、そんなの……」

「そうだよね。正直、重いって言うか。……でも、結月はそれをした。普通、彼氏彼女じゃない相手のために、たかだか友達のために動ける人なんて滅多にいない。私の彼氏だって、多分、動けない。熱血そうに見えて、意外と冷たいし。でも、結月は違う。たかだか友達程度の関係でも、動けちゃうんだよ。普通に考えて歪んでるし、異常者だとも思う。……でも、あたしはそれに痺れたよ。かっこいいな、って普通に思ったよ」

「……」

「それだけ思われてるんだな、って思うと、正直あんたが羨ましいよ。あんたが手放すんなら、あたしが貰ってあげたいくらい」

「は?」


 遊佐澪奈の言っていることも、理解できる。

 いくら友達が居なかった私でも、彼の友達に対する執着は異常とも言えるくらい、激しかった。

 私の顔色を窺って、言葉を選んで、詰まらせて。そんな気遣い、友達の間には不要だとも思ったし、口にも出した。それを経ているからか、私に対してのみに素を見せられるようになった彼を見る度に、私は不思議と優越感を覚えていたのを否定できなかった。


 だから教室でも、彼が誰かと話す度に様子を伺って、放課後になれば逐一尋ねたりしていたのだけれども、今となってみればそれも異常行動のように見えていたのかもしれない。


 それでも、彼が人間関係に酷く臆病で、それでも私にだけは心を開いてくれている理由を、私だけは知っていた。

 それは彼の過去に関わる問題。

 ゆえに迂闊に遊佐澪奈に打ち明けることはできないが、彼女は流石というべきか、少なくとも彼の普通とは違うところを的確に見抜いているようだった。

 姫和さんから聞くまで分からなかった私からすれば、それすらも憎く感じられるのは、涼村くんを奪われたように感じてしまったからか。


 それに何より、彼が誰かのモノになるなんてことを考えただけでも吐き気がする。

 彼の隣にいるのは、絶対に私がいい。

 私以外の誰かが傍にいることを、きっと私は許容できない。


「冗談だってば。でも、そこまで想われてるのに、友達の域を出ないのは、どちらかがブレーキをかけているとしか思えないでしょ?」

「ブレーキ? 私はブレーキなんか……」

「ふぅん? あんたって、恋愛になると積極的になるのねぇ。女王様の意外なパーソナル情報手に入れちゃった」

「ぶち転がすわよ」

「ひっどい言葉遣い~! 結月が聞いたら卒倒しちゃうんじゃない?」

「……二度とその口開けなくして上げる」

「ま、冗談はこの辺にして、結月が恋人以上にあんたのことを想っているとして」

「……っ」

「は? 何今更恥ずかしがってんの? かわいいかよ」

「う、うるさい」

「それなのに一線を越えて来ないのは、まず間違いなくあんたのことを気遣っているから以外には考えられないでしょ。どうせ、自分はあんたに相応しくない、とでも思ってるんじゃないの?」

「そんなこと」

「あるの。あたしの周りでも聞くよ。あんたと結月が友達であることすら烏滸がましい、みたいな話をね」

「……誰が、そんなこと」

「怒るな怒るなって。ま、そこはあたしがそれとな~く注意したけどさ。でも、あたしもあんた達と知り合うまでは同じ考えだったよ。だからあたしも、同じ位の人としか付き合いなかったし。でも、あんた達みたいに周りの目線に縛られずに仲良くしてるのを見て、なんだかその考えがアホらしく思えてきて……。そんで、その先入観を取っ払ったら前よりもずっと生きやすくなったって言うか」

「そんな風潮、あたしは気にしないけど」

「あんたが気にしなくても、結月が気にするの! 結月ってば、ただでさえ人の顔色伺って、視線まで気に掛けるくらい神経質なんだから、あんたと付き合いでもしたらなんて言われるか考えるだけで、きっとストレスなのは間違いないでしょ」

「……周りの連中の所為、ってこと?」

「殺気立てないの。結月が絡むとあんた、IQ下がり過ぎじゃない……って、元から低いか」


 遊佐澪奈の煽りに反応する余裕すらなく立ち上がった私は、その噂を根元から断つべく動き出すのだが、またしても憎き女である遊佐澪奈の言葉によって足を止めざるを得なくなる。


「ってかあんたが行ったところでどうするの。私達は付き合ってます、とでも言うの? 付き合っても無いのに」

「私と涼村くんは……好き、とか、そんな言葉で言い表せるような関係じゃない……」

「……それで? 友達だから、って言ったところで、そんなことだれも信じやしないと思うし、むしろ結月はそれを否定するかもよ? きっとそうなるのが嫌で、結月は身を引いていたのかもしれないし。っていうかそもそも、結月はあんたのこと嫌いかもしれないじゃん?」

「ッ! そんなこと、ない……」

「さぁ、どうかな。今回のことで嫌いに──っと、これは流石に意地悪だったね。言い過ぎた、ごめん。けど、そもそも、あたしはあんたが結月のことどう思ってるかも聞いてないんだけど?」

「私、は……」

「今回のこと、あたしはただ単にあんたが二人の距離感を測り違えたのが原因だと思ってるけど。だって、わざわざ距離を取ってる結月に、あんたは近付き過ぎた。それがどうしてか、あんたは分かってるんでしょ?」

「それを、あなたに聞いてるんじゃない!」

「……目くじら立てて怒んなって。そもそも、あたしが言うまでもなくあんたは分かってるはずでしょ」


 まるで子供が答えるのを待っているみたいに慈愛に満ちた目で私を見つめる遊佐澪奈を前に、私は言葉に詰まってしまう。

 いつもみたいに、人を舐め腐った目で、態度でいる彼女からは想像できないような立ち振る舞いに、私は真剣に向き合うべきだと錯覚して、言葉を選ぶ。


 涼村くんのことを、私はどう思っているのか。


 そんなこと、聞かれずとも分かる。

 彼は、私にとってかけがえのない友人であり、私に普通の高校生活というものを教えてくれた人だ。

 その経験は特別で、友達と言うものを忘れかけていた私に、手を差し伸べてくれた彼の背中は、とても大きく見えていた。

 それも、日を追うごとに、彼と接する度に、私は彼のことをもっと知りたいと、もっと彼と一緒に居たいと思うようになっていった。


「私にとって、涼村くんは……」


 彼が笑えば、私も嬉しい。


 彼が悲しめば、私も悲しい。


 そうやって感情を共有することも、下らないことでぶつかり合うことも、彼に関わる記憶は、関わり始めてから今まで僅かにも色褪せることなく、鮮明に思い出せる。


 モデルとしてファンレターを貰ったのも、彼が初めて。


 一緒に帰ったのも、男の人に助けてもらったのも、手を繋いだのも、二人で映画を見たのも、何もかも涼村くんとが初めてで、彼と一緒にいる時間は不思議といつだって幸せで、その幸せは毎日更新される日々。


 これからもずっと、私が経験する初めての相手は、彼がいい。

 そう、思っていたはずなのに。


 そう思っていたからこそ、私は欲をかいた。

 今よりもっと一緒になれれば。

 彼と一つになれたら。


 そんな邪な感情で、私は彼を傷付けた。

 そして、そんな彼を見て、私も傷付いた。

 被害者ぶるつもりはないけれど、そこで私は、彼が傷付けば私も傷付くことを知った。


「その感情の名前を、あんたは……、楠木陽葵は知ってるんじゃないの?」


 あぁそうだ。

 他人に言われずとも、分かっている。

 分かっていて、今の関係に甘えていたのだから。


 ──好き。


 私は、涼村くんのことが、好きだ。

 これ以上ないくらい、大好きだ。

 私を『私』として見てくれる、接してくれる彼のことが、どうしようもないくらい、好きなんだ。


 インクと紙のにおい。それから埃っぽい部室で重ね合った時間は、斜陽に照らされた私達だけの世界。

 手が重なるのも、視線が交差するのも、悪戯なんかじゃない。明確な私の意思が、体を突き動かしてきた。

 私の感情が意志を持って体を動かしていたとするならば、その感情には力がある。私の知らない私を作り出すような、そんな力が。

 だけれども私はそれを、受け入れた。受け入れて、彼への強い思いを、肯定したからこそ体が動いたのだ。

 ならば、その感情に名前を付けるのであれば、一つしか存在しないだろう。


 あの日、二人で見に行った映画のように、ヒロインが身を焦がしていた感情。

 誰もが憧れ、失望し、頭を悩ませて、それでも尚、手を伸ばすことを諦めない感情。

 普通の高校生であれば、普通に経験する感情。


 そうだ、この感情に名前を付けるのであれば、それ以外に相応しいものなどあるはずがない。

 いや、あってたまるものか。


「自分に正直になりなよ、いつまで子供でいるつもりなの? あんたは」

「──私は、涼村くんに、恋……してる……?」


 口に出した途端、体の中に積まれたエンジンに火が付いたみたいに奥底から熱が湧き上がって来て、胸、首、そして頬と膨大な熱量が全身を蝕むかのようで、私は思わず頬をに手を当てて体を縮めてしまう。

 私と涼村くんの関係が、たった一言で区分されるのは癪ではある。言葉如きが、私達の関係を決めつけないでほしいとは思う反面、言葉にして明確になると、これまで霞がかっていた思考が急に晴れていくかのよう。

 しかし、生まれて初めての恋の感覚に、目の前が開けていたとしても正しい道がどれかは分からなかった。


「…………え、ちょ、めっちゃ可愛い反応するじゃーん。弄ってやろうと思ってたのに、そんな反応されたら、応援するしかないじゃん……」

「……これって、どうすればいいの」

「普通なら、さっさと告れよって思うけど、あんた達の場合は正直特殊だからなぁ。それに、受験期真っ盛りの夏本番に恋愛ごとに現を抜かすのは正直、おすすめできないかな」

「……あなた達は、いちゃついてたじゃない」

「あたし達、夏休みはほとんど会う約束してないの。受験が終わるまでは、二人きりで会ったりしないようにしよう、って約束してね。彼氏は推薦だとしても、あたしは国立志望だし、共テまで受験は終わらないし」

「……なんで、もっと早く気付かなかったんだろ」


 少なくとも、体育祭で、涼村くんが私の手を引いてくれた時点でこの気持ちに気付いていれば、何かが変わっていたかもしれないのに。

 テスト勉強で彼の家にまで行ったのに、もっと何かあったかもしれないのに。


「後悔してるとこ悪いけど、あたしとしては今の状況の方が、あんた達にはちょうどいいと思うけど」

「……なんでよ。邪魔するつもりなの」

「はぁ~、結月のことしか頭にない感じ、ちょっと可愛いじゃんか。……でもね、あたしは今、あんたと結月は距離を置くべきだと思ってる」

「それは……」


 遊佐澪奈に言われずとも、私だって分かってる。

 正直、今の私の状態は非常に危うい。

 恋心を自覚してからというもの、彼のことを考える度に身体は熱を持ってしまうからだ。

 今の私は、これまで私が幾度となく吐き捨ててきた、恋愛に夢中になって浮かれているような猿同然だったから。それを自覚しているからまだ平静を保っていられるけども、もしも今、涼村くんを目の前にしたら、私は自分でもどんな行動に出るのか予測できない。


「ま、それでも謝った方がいいとは思うけどね。けど、そこで告白するのは止した方がいい」

「それは、涼村くんの気持ちが分からないから?」

「あたしからすれば、結月の気持ちは分かり切ってるけど……。結月はきっと、最後の最後で必ず躊躇すると思う。特に、恋愛事なんて免疫無さそうだし、今の時期に受験以外のことにリソースを裂くのは、きっとお互いにとって得策じゃないはず。だから、告白はもっと後の方がいいと思うけど」

「そう……」

「なんだ、随分と素直じゃん」

「涼村くんを傷付けたっていう事実は、変わらないから……。これ以上嫌われるなんて、耐えられない。だから、今のままでもいいから、関係を続けたいの」

「最初っからそうして素直にしてればもっといろいろと変わったんだろうと思わない訳じゃないけどさ……。結月にも事情があるように、あんたにもあんたなりの事情があったんだろうね。まぁ、頭も冷えたようだし、少しは落ち着いて考えられるようになったんじゃないの?」

「……また、色々と相談しても、いいかしら」

「結月のことになると途端に殊勝だねえ。ま、首を突っ込んだ手前、あたしも協力してあげる。ほら、スマホ出して」

「スマホ……?」

「連絡先だよ、連絡先……って、もしかして、結月のも知らない感じ?」

「き、聞くタイミングが無かっただけよ」

「マジで!? うはぁ~。これは、先が思いやられるよ……」

「うるさい」


 人を小馬鹿にしたような雰囲気を取り戻した遊佐澪奈に噛み付くけれど、すっかり慣れた様子であしらわれてしまう。

 けれども、涼村くんのことで頭がいっぱいの私は、最早そんなことに腹を立てることすらなくなって、涼村くん以外の人と帰る帰り道でこれからのことを話し合ったのだった。


 ひとまずの目標は、仲直りと、下の名前で呼ぶ事、それから連絡先の交換に決まったのだが、遊佐澪奈からすれば「朝飯前」だろうが、私からすれば地獄のような難易度であることに変わりなく、私は家に帰ってからも頭を悩ませることになる。


 その晩、姫和さんに報告だけはしなければと思い「私は、結月君のことが好きです」と打つのにも送るのにも時間をかけた一文を送った直後にかかってきた電話によって根掘り葉掘り聞き出された結果、日付が変わるまで続けた電話口で熱を持つくらいの赤面を晒す羽目になってしまった。










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