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見えない関係。


「──おわっ、ったぁ~~~~~!!!」


 隣の席で、陸上部の彼が大きく伸びをして叫ぶ。

 そうして伸びを取る姿は彼だけに留まらず、周囲の多くのクラスメイト達が似たように脱力したり、項垂れたり。男女問わず見られるその反応は多岐に渡る。


 それもそのはず。たった今、四日間にも及ぶテストの日程が全て終了し、束の間の解放感を享受できるのはこの過酷な期末テストを乗り越えた者達の特権と言えるからだ。

 その中でも僕は項垂れる反応の方に仲間入りを果たしており、周りで口々に零れる「どうだった~?」や「自信あり!」といった感想に溢れ返る中、僕は一人机に突っ伏して深い溜め息に包まれていた。


 どうしてそうなっているのかなど、言うまでもないだろう。

 僕は結局、頭の中、胸の中で黒い煙を上げて燻り続ける思いの整理に気を取られた結果、二週間の努力の成果をまともに発揮することすらできず、満足いく成果も出せないままテストが終わったのだから、このまま溶けて消えてしまいたいと思うのは致し方ないだろう。

 だからと言ってこの結果が僕をヤキモキさせた楠木さんの所為だ、とか言うつもりは毛頭ない。これは全て一人でけじめをつけられない幼稚で情けない僕の気持ち悪い感情が悪いのだから、今回も赤点を取って補習対象になったとしても、それは楠木さんの所為ではない。

 むしろ、ここで楠木さんに当たり散らかしでもしたら、僕は本気で自分に見切りを付けるかもしれない。そこまで成り下がった自分に生きている価値など無いと理解してしまうから。

 勿論それを自覚している以上そんな結果になることは無いのだが、それでも下手をしたらそうなりかねない、という危惧は想定しておいて無駄はない。


 僕は僕に、これっぽっちも期待してなど、いないから。


「ゆ~づきっ」

「……ゆ、遊佐さん」

「澪奈、ね。いい加減慣れなってば。っていうか、あいつじゃなくてがっかりした? そんなにしょげるなんて、どんだけテスト悲惨だったのさ」


 突っ伏す僕の頭上から降り注いだ明朗な声に顔を上げるとそこには、にしし、と笑う遊佐さんの姿が。

 陸上部の彼と正式にお付き合いするようになった体育祭以来、彼女は僕や楠木さんに突っ掛かるようなことが少なくなって、僕達の関係は希薄になったかに思っていたのだが、遊佐さんはこれまでと変わりなく陸上部の彼ではなく僕に声を掛けてくる。

 陸上部の彼に用があるんじゃないのか、と僕の顔に書いてるのを読み取ったのか、遊佐さんは「相変わらず分かりやすいねぇ」と軽やかに笑いながら友達同士で集まってテストの感想を言い合う陸上部の彼の方を指差して答える。


 体育祭以降、彼女は僕を下の名前で呼ぶよう強制しなくなった。

 しなくなった、というだけで下の名前で呼ぶように仕向けてはくるのだが、強制はされなくなった。

 どうして、なんてのは聞かなくても分かる。

 それが男女の関係と言うものだからなのだろう。

 僕も陸上部の彼と同じ感性だということに辟易しながら、僕は遊佐さんの会話に混じるのだった。


「そうでもないよ。遊佐さんが教えてくれたことも役に立ったし」

「うはは、相変わらず結月は分かりやす過ぎ。自信ない、って顔に書いてあるよぉ?」

「そういう遊佐さんはどうだったの」

「えぇ~? あたしの聞いちゃう~?」

「聞いてほしいくせに」

「お? 結月のくせに言うようになったじゃん。ま、あたしは今回も学年一桁順位の自信はあるけどね」

「それは……純粋にすごいね」


 金曜日から土日を挟んだ来週の月曜日から、テストの返却が始まる。

 今日の三科目の担当教員はこの土日を生徒の数だけ採点に追われるのかと思うと「ご愁傷様」としか思えないのだが、奇しくもそこに僕らが担任の宮野先生が担当する英語の論理・表現の科目が入っているため、どちらかというと高みの見物の意趣返しを果たせそうである。

 その十二科目全てのテストが返却された後に、我が校では学年上位五十名の名前と成績が貼り出されるのだが、そこに遊佐さんは一桁順位に入り込めるとまで断言できる成果を誇っているのだ。

 そんな成績、僕や楠木さんでは引っ繰り返ってでも届きそうもない順位であり、その事実は十分に手放しで褒めるに値するものだった。


 何せ、三学年だけでも九クラス。三百人近い人数がいる中で、遊佐さんは手の指に入り込めるほどの成績を残しているのだ。

 しかも、僕は実際に見たわけでは無いから正しくは不明であるが、それを安定して取っているのだから、遊佐さんの影の努力が透けて見えるかのようであった。


 確か、僕と楠木さんがお出掛けした際にも彼女は塾に行く途中だったようだし、遊佐さんは僕と楠木さんが思っているよりもよっぽど賢いのだと思い知らされる。

 それだけに、あの事件は実に賢くないと言えるのだが、今の僕と同じように、あの時はいろいろな意味で切羽詰まって正しい判断が出来なくなっていたのかもしれない。遊佐さんは僕なんかと比べられるのは嫌だろうから、このことは胸の内にしまっておくべきだろう。


 自信満々な遊佐さんとは比べ物にはならないような三桁順位の僕からの一円にもならないような賞賛を受けた遊佐さんは、何故だか目を丸くして驚いた表情を見せていた。


「……なんか、変なこと言った?」

「いや、なんか素直に褒められると普通に嬉しいんだな、って思って。結月が分かりやすいのがここで活きてくるなんて思ってもみなかったからちょっとびっくりしてる……」

「なにそれ」

「いやぁ、てっきり、自慢したいだけなら帰って、くらい言われるものかと思ってたから」

「そんなこと言わないよ」

「そう? あいつなら言いかねないし、結月もしばらく会ってない内に染められちゃったのかと思ってたから」

「楠木さんだってそんなこと……いや、言うかも」

「でしょ~?」

「それでも、僕は遊佐さんがすごいことは知ってるからね。素直にすごいって褒めるよ」

「はぁ~。褒められるのって気持ちい~。久しぶりに褒められたよ」

「彼氏が褒めてくれるでしょ?」

「あ~……、あたしってば何かとライバル視されるんだよねぇ。彼氏と彼女だし、もっと気楽にいよう、って思ってるんだけどね。それでも、気に掛けてくれるのは嬉しいんだけど、たまには素直に褒められたいというか……」


 僕には到底真似できない、真似しようとも思わない体育祭での大胆告白で、クラスのみならず学校中から公認されて祝福を受けた遊佐さんと陸上部の彼の青春を謳歌するカップルは誰が見てもお似合いだと言えるような理想の関係を築いているように見えていた。

 だが、そこには見えない落とし穴があったらしく、遊佐さんは苦笑いを浮かべていた。


「──澪奈! テストの点数で勝負すんの、忘れてないよな!」

「忘れるわけないじゃ~ん」

「お、涼村と話してたのか? 聞いてくれよ、涼村。今回と前回の点数の上がり幅で勝負してるんだけどな、俺、今回相当自信あるんだよ」

「あたしとの勝負、っていうか、自分との勝負でしょ?」

「そう……これは俺の得意な長距離走と同じ、俺自身との勝負だ。だけど、総合で百点以上伸びてれば、澪奈が昼飯奢ってくれるらしくてな! マジ感謝してるぜ~。楽しみにしとけよ!」

「へぇ……。ところで、遊佐さんの成績次第では何かやるの?」

「澪奈の成績ィ……? 澪奈ならいつも通り上位にランクインするだろ。それが当たり前なんだからさぁ。俺も追いつくのは無理でも、少しでも近付いてやるつもりだぜ。むしろ、今回のテスト結果だけでも──」


 その辺りで僕は陸上部の彼の言葉をシャットアウトしてしまい、それ以上彼の言葉を聞くつもりはなかった。

 彼は自慢しているつもりのようだが、隣の彼女の表情も見えないようでは、それは自慢ではなくただ笠に着ているだけの行為でしかないように思われるのは致し方ないだろう。


 遊佐さんは確かに、彼女にしたら自慢したくなるような女性ではあるが、それはどうしてなのかをまず考えなければならないのだと彼の振る舞いを見て悟る。

 当たり前の成績、当たり前の振る舞い。それを身に付けるに至った彼女の努力を認めてあげないのは、遊佐さんの積み重ねてきた努力を切り捨てるようなもの。

 そもそも、彼女が努力を重ねてきたのは、陸上部の彼と出会うためではない。遊佐さんは遊佐さん自身のために、血の滲むような努力を積み重ねてきたに違いないというのに、それを自分のことのように自慢する素振りは果たして正しいのかどうか。


 人間関係における経験値の低さが際立つ僕に言われるのは癪かもしれないが、僕には彼の行動が正しいとは思えない。

 今の彼はまるで、遊佐さんを踏み台にしているかのように見えて酷く不快ですらあった。


「遊佐さんは……」

「結月。いいの、平気だから。……あたしからちゃんと言うから。でも、ありがとね」

「? 何の話だ?」


 遊佐さんがもういい、というのなら僕はこれ以上口出しするつもりも、陸上部の彼に諫言するなどという無謀な真似をする必要も無い。

 彼が僕に親し気に接してくれているのは単なる気まぐれで、クラスの中心にいるような人物は本来であれば僕なんかのことは路傍の石としか思っていないはずだ。それを証明するように彼の友人たちは僕に興味を抱かないし、遊佐さんや陸上部の彼が話しかけてくれなければ、丸一日会話をしない日なんてのはざらにあるくらいには孤独を感じられる。


 だからと言って教室での孤独が寂しいわけではない。

 むしろ、その後の放課後の時間、楠木さんと二人で過ごす部室での時間が何よりも楽しく感じられるためにスパイスにすらなっているように感じていた。

 だからといって無暗に誰かを遠ざけたり、誰かと敵対するような真似は望んでなどいるはずもなく、僕が首を突っ込むのを遊佐さんが望んでいないのであれば、無様な正義感を滾らせて浮かした腰が行き先を奪われて椅子に腰を下ろした後に、僕は再び机に突っ伏すと間もなくやってくる放課後まで時間を潰すのだった。


「……何の話してたの」

「何の、って……なんでもない、ただお疲れ様、って言ってただけだよ」


 帰りのホームルームも終わり、放課後の時間がやって来る。


 テストが終わった後、部活も解禁されたとはいえ、特にこれと言って何もすることのない僕と楠木さんは、エアコンのない部室よりも空調の利いたドリンクバーだけで長時間居座ることを許される高校生御用達のファミレスへと場所を移して簡易なお疲れ様会を開いていた。


「嘘。あの女、あんたになんか耳打ちしてたじゃない」

「見てたの?」

「見てた。だから、何の話してたか正直に言いなさいよ」

「本当に大したことじゃないよ。ただ、遊佐さんと付き合ってる男子が、遊佐さんを軽んじてるように思えるよね、って話をしただけ」

「ふぅん」

「なんでそんなに嬉しそうなのさ」

「知らないの? 人の不幸は蜜の味って言うでしょ。特に、嫌なやつの不幸はとびっきり甘くておいしいの」


 サラダを突っつきながら愉悦を浮かべる楠木さんは相変わらず性格が悪いように見えるが、これが彼女なりのジョークなのかと思いきや本心であるが故に、手が付けられない。

 楠木さんが全方位に対して棘を向けるような人物であるという認識は何一つ間違っておらず、例の一件によって負わざるを得なくなった引け目という圧倒的なアドバンテージを最大限活用できる遊佐さんに対しては、特にそれが顕著であった。


「でも……誰にも褒められないっていうのは少し、可哀そうじゃないかな」

「そんなの、当人同士の問題でしょ。外野が口出しする権利なんてある訳無いじゃない」

「そうなの?」

「そうよ。それをなんとかしようだなんて、傲慢もいいところ」

「楠木さんに言われると、なんだか説得力があるもんだね」

「あんたも、随分マシな性格になってきたじゃない。でも、他人事に首を突っ込むのなんて火に油を注ぐだけよ。あんたの場合は油を被って突っ込んでいくようなものね。怪我する前にやめておいた方が身のためでしょ」

「そうなんだ……」


 冗談で言った説得力云々であったが、楠木さんの気迫の込められたアドバイスの内容に思わず喉を鳴らしてしまう僕は、相変わらず人の意見に流されやすいと遅れてやってきたピザを口に運びながらそんなことを考える。


「食べないの?」

「……明日から撮影入ってるから、いい」

「……言ってくれれば別の日にしたのに」

「いいの。あんたが美味しそうに食べてるのが見れれば、それでいいの」

「なんか、ひめ姉みたいなことを言うね」

「姫和さんとは毎日連絡取っているもの。お姉様として勝手に憧れさせてもらっているから、そう言ってもらえるのは光栄なことね」


 僕の知らないところで二人がそんなに仲良くなっているだなんて思ってもみなかったため、彼女の口から聞かされた話には耳を疑った。

 けれども、勉強会の最中に垣間見せていた二人の親友のようなやり取りを思い出してみれば、それは特別なことでもなんでもないのかと思うと僕は思っていたよりもすんなりと受け入れられるのであった。

 四六時中スマホとにらめっこできない僕からすれば、そんな頻繁な連絡は大変じゃないのかと思うのだが、楠木さんも女子ということだろう。あのひめ姉の連投について行けるだけの現代スペックがあるのだと分かれば、僕だけが時代に取り残されて行きそうであった。


 僕は筆まめとは遠くかけ離れたものぐさであるため、スマホによってお互いの距離が縮まった現代において僕はみんなの足を引っ張る存在である。

 中学生の頃も、連絡先を交換した友人には「返事が遅すぎる」と言われて親交が断絶させられた経験を持つため、連絡手段に富んだスマホの機能を半分の活用できていないのが事実。


 未だに楠木さんの連絡先も手に入れられていないのは、きっとその経験が尾を引いているからなのかもしれない、というのはひめ姉にも楠木さんにも話せていない。

 こんなことで落胆され失望されはしないと思うが、もしも万が一楠木さんにまでSNSで落胆され失望された日には、もうスマホには触れなくなるかもしれないと思うと、彼女の連絡先を聞くに聞けないのが現状。かといってこのまま連絡先を知らないまま口約束に頼り続けるのはいかがなものか。


 しかし、僕にとってこの話題は、切り出すも闇、切り出さぬも闇。

 正しく前門の虎、後門の狼とも言うべきジレンマに挟まれながら、すっかり慣れたものとなりつつある彼女から注がれる視線を受け止めながら僕はお値段通りのピザを口に運ぶのだった。


「……テストのご褒美、忘れてないから」

「むぐっ!!?」


 だがそれも、僕の反応を予測していたであろう楠木さんのにんまりとした笑みによって阻害され、僕は盛大に噎せ返ってしまう。


「私、今回のテストはかなり自信あるの。約束、忘れてないでしょうね?」

「お、覚えてるよ……うん、覚えていたくなかったけど」

「そう? でも覚悟しておいた方がいいわよ。私、もしかしたら五十位以内に入っちゃうかもだし」

「それは言い過ぎじゃない? 前回どれくらいだったのさ。というか、今までの最高順位は」

「それこそ前回の順位が最高ね。二百八十位くらいだった気がするけど」

「下から数えた方が早くない!?」

「返却される際には堂々としてるのがポイントね。そうすれば勝手に周りが勘違いして過大評価してくれるもの」

「そりゃあ、勘違いしたくもなるよ。まさかそんな堂々としている楠木さんが赤点取ってるとは思わないからね」

「それが、今回で一気に上昇したら、みんなどんな顔するのかしら」

「まぁ、楠木さんの努力は知ってるからね。それに、自己採点はしてるんでしょ?」

「じこさいてん……?」

「そんな事だろうとは思ってたよ。とりあえず、今日の分だけでも自己採点、する?」

「手伝ってくれるの」

「だって、楠木さん一人じゃできないでしょ?」

「やらないだけで、出来ないとは一言も言ってないのだけれど」

「じゃあ、やらない?」

「そんなにやりたいなら手伝わせてあげる」

「はいはい。やりたいですよ」

「なんだか雑になってきてないかしら」


 その後、ちゃっかりデザートは食べる楠木さんと一緒に今日の三科目を振り返りながら自己採点を行い、彼女の根拠のない自信がすっかり打ち砕かれて「もう無理かも」と現実を突き付けられたことによる自身の喪失へと変わっていく姿を、僕はパンケーキを口に運びながら目の当たりにするのだった。









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