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ボロが出る。


「完全に寝不足だ……」


 昨日の帰り道、偶然にも同じ電車に乗っていたらしいひめ姉と共に帰宅した後、色々と根掘り葉掘り聞かれるのではないかと思い身構えていたものの、思いの外静かだなと拍子抜けしたのも束の間、僕はひめ姉のことを勘違いしていた。


 ひめ姉は明日のためにお互いの準備を終わらせてからが、本番。

 エンジンに火が点いたのは午後9時を回ってからだった。


 まずは家を出て待ち合わせの場所で合流を果たすまでで一時間。その後もひめ姉の興奮し切った様子の悲鳴が続いて、写真に残したお出掛けの模様を片っ端から尋ねてきたのであった。

 駄目出し二割、絶叫三割、褒め千切り五割といった割合で、ひめ姉は本来なら聞いてる側であるはずが、話す僕の何十倍も口を動かして行間を読みまくるひめ姉は完全に暴走状態へと天元突破していき、ひめ姉の口が閉ざされたのは確か午前四時を過ぎた頃だったような記憶がある。

 その頃には僕の頭もぼんやりしており、いつ寝たのかなんて覚えてもいない。むしろ、ひめ姉の絶叫を子守唄に眠りに落ちていたかもしれない。


 とにかく、明け方まで起きてお出掛けの様子を懇切丁寧に説明させられたし、あのガーベラについても一から百まで話さざるを得なかった。


 ガラス細工のガーベラ。

 それは今回のお出掛けで最も大きな収穫といっても過言ではない『友情の証』。

 これに関しては、ひめ姉にお土産を渡すついでに開示した訳だが、ひめ姉の興奮が最も高まったのもこの瞬間であったと同時に、ひめ姉が最も重い溜め息を吐いて肩を落としたのもその時だった。

 前者はまだしも、後者のがっかりされるような反応は誠に遺憾であると言わざるを得ないのだが、いくら考えてもその理由の一つもまともに思い至らないのは、ひめ姉にあって僕に無いもの、それは人間関係構築能力の有無。つまりは経験値。その最たるものにして基礎的な能力である『友達力』の欠如が原因であると考えられる。


「はよ~、結月っ。眠そうな顔してんね!」

「ゆ、遊佐さん。おはよう」

「み・お・な。何回言ったら慣れるかなぁ?」

「そ、そんな簡単じゃないんだから、慣れないよ」

「慣れるまで続けるけどね。嫌なら止めるけど……孤立したあたしが話しかけられるのは結月くらいしかいないんだよねぇ」

「うぐ……。本当に、良い性格してるね」


 下駄箱で僕を見かけた遊佐さんが挨拶と共に近付いてくる。

 相変わらず距離感の近い遊佐さんは会う度に僕の呼び方を矯正してくるのだが、遂には上目遣いまでセットして僕が断る余地をとことんまで排除して追い詰めてくる。

 僕がそう言われて断ることができないことを分かった上でそのような態度を取るのだから、遊佐さんは楠木さんに負けず劣らずの性格をしていると言える。


 そんな良い性格をしている遊佐さんが目敏く見つけたのは、僕の通学鞄からぶら下がるガラス細工のガーベラ。先週は付けていなかったそれを見つけたかと思えば、遊佐さんはにひひ、と笑ってそれを指差す。


「そんなに褒めないでよ、っと。可愛いの付けてるじゃん」

「こ、これは……」

「怯えなくてもいいんだよ? 先週の時点で付けてなかったのに、週明けから付けて来るなんて週末に何かがあったとしか考えられないじゃん? そんで、週末……というか昨日? 結月が誰と何処に行ったかも知ってるあたしとしては? 辿り着く答えは一つんなんだけどね?」

「ひ、秘密に、してくれる……いや、してください、お願いします……」


 両掌を会わせて懇願するような姿を取った僕を前にした遊佐さんは僕の足元を見るでもなく、朝の廊下でぶわははは、と噴き出して僕の背中をバシバシと叩いてくる。


 やがて落ち着きを取り戻した遊佐さんが口にするのは、僕が危惧したような内容とはまるで違う、僕が遊佐澪奈という少女を見誤っていたことを痛感させられるような内容だった。


「ひー、笑い過ぎてお腹苦しい。ってか、結月ってばあたしのことなんだと思ってんの。……って言ってもまぁ、そう思われても仕方ないようなことしたのはあたしなんだけど。でも、あたしが心入れ替えたの知ってるでしょ。あの女ともう一回敵対するような行動、取れる訳ないじゃん。それに、人の恋路を邪魔する暇なんてないしね。一応あたしら、受験生だかんね?」

「恋路って、僕と楠木さんは友達で──」

「あーはいはい。そうだったね、そう。あんたらは、友達。それを邪魔するのは野暮ってもんでしょ。そんな野暮な真似を、あたしはしようとしてたワケだけど」


 笑うに笑えないブラックジョークを口にした遊佐さんに掛ける言葉も見つからず、僕達は朝の喧騒に満ちる教室へと足を踏み入れる。

 教室に入ってすぐ、席の離れた僕と遊佐さんは分かれるのだが僕達に声を掛けに来る人はどこにもいない。僕は日陰者で、遊佐さんは後ろ指差される状態。

 そんな二人のどちらか片方にすら声を掛ける物好きは──居たようだった。


「──」

「──」


 一人だけ、噂のせいで孤立した遊佐さんに話しかけに向かったのは、陸上部の彼。

 あの遊佐さんも珍しく目を丸くしているが、話している内容は聞こえてこない。けれども彼女の言葉を借りるのであれば、人の友誼の橋掛けに聞き耳を立てるような無粋な真似はしない方がいいだろう。


 そう思っていると、教室の前の扉から一輪のカーネーションの如き煌びやかな女性が、もとい楠木さんが教室へとやって来る。

 一瞬、時が止まったかのように教室中の目線が彼女に向かうのだが、それもすぐに喧騒を取り戻す。

 その際、楠木さんが僕の方をじっと見て、鞄についたガーベラのガラス細工を見つけると、彼女は分かりやすい程に口元を緩めているのが僕にもはっきりと見えた。

 そんな分かりやすい反応をして見透かされないだろうか、と思って教室中に視線を向けてみるが、この程度ではクラスメイトの誰も僕と楠木さんの視線が交差していることに気が付いた様子は無かった。


 その後も、彼女は今日一日、人目を盗むようにして頻りに後ろの僕の方を振り向いては鞄に揺れるガーベラを見てはほくそ笑むのを一人繰り返しているのだった。


「……ねぇ、あいつ。隠す気あんの?」


 誰かに気付かれやしないかと気が気じゃなかった午前中を過ごした昼休み、案の定分かる人には分かってしまったらしく、クラスにおいてその分かる人に該当する唯一の存在である遊佐さんが呆れた様子で物申しにやってきた。


「休み時間ならまだしも、あいつ授業中にもチラチラ見てたでしょ」

「結構、頻繁には……」


 数えただけでも、昼休み前最後の授業だけで六回。楠木さんは僕の方を振り向いていた。

 彼女の一挙手一投足が注目を集めるのは言うまでもなく、事情を知らない周りの席のクラスメイト達が「今日女王様とやたらと目が合うんだけど」とざわつき始めた辺りで僕は冷や汗が止まらなくなっていた。


「せめて遠慮するよう言っておいてよね。これ以上騒ぎになると面倒事に発展するぞ、ってね」

「遊佐さんが言うと」

「みおな」

「み、澪奈さんがそう言うと、説得力あるね」

「……結月って時々、性格悪い所出るよね。そんなところまであの女に似なくてもいいのに」


 はぁ、と溜め息を吐いた遊佐さんは、八方美人な彼女が人前で到底していいような顔ではない表情をして唾のように言葉を吐き捨てると、立ち上がって去ろうとする。

 しかし、一歩足を踏み出した時点で足を止めて身を翻した遊佐さんは、今度は人を精一杯おちょくるような笑みを浮かべて振り返ると、聞いてもいないことをペラペラと語り出す。


「どこに行くのか、って顔してる? しょうがないから教えてあげる。あたしってば、今日はお昼ご飯一緒に食べる約束してる人がいるの。ごめんね、結月。今日は一緒に食べられなくって」


 きゃはっ、と弾むような語尾を付けてウインクまでして見せた遊佐さんは、やはり転んでもただでは起きない強かな女性である。

 一度だって僕とお昼を食べたこともないのに、わざわざ周囲に見せつけるみたいにして断りを入れてくる辺り、彼女は人を見下さなければ生きてはいけない生粋の女王様気質のようであった。

 そんな遊佐さんが楠木さんを敵視するのは、結局のところ同族嫌悪のようなものだとしか考えられないのだが、そのことを二人に言った日には、両方から僕の豆腐のように脆く柔らかいメンタルを粉砕するような罵詈雑言が浴びせられるのが目に見えているため、自衛のためにこの思いは胸に秘めなければならなかった。


「権力闘争に敗北したくせに……」


 しかし、秘め切れなかった僕の胸の内がポロっと零れた瞬間、優雅な歩調で歩み去って行た遊佐さんがギョロリと振り返り「何か言った?」と唇だけが動いたのが見える。しかしその様相は周囲にはにこやかに見える反面、僕の目には内心では猛り狂うような炎の嵐が吹き荒いでいるのが見えるため、これ以上の失言は許されないことを悟った僕は笑顔で首を横に振ることしか許されないのであった。


 酷い冷血政治を見た、とばかりにお昼ご飯の入ったコンビニのレジ袋をぶら下げて教室から去り行く中、遊佐さんが混ざったのは例の陸上部の彼が所属する男女混合の友人グループのようで、彼らは立ち込める噂の真偽など全く気にする素振りも無いらしい。

 それを気に食わない、といった様子で眺めている集団があることに、僕は気が付かない振りをして教室を後にするのであった。


「な、何しに来たの」


 昼休みの喧騒に逆らうようにして教室を抜け出した僕が向かった先は、楠木さんがいるであろう場所。映像研究部の部室であった。

 鍵が開いていることを革新してガラリ、と音を立てて戸を開いた先で待っていたのは、慌てた様子でネックレスを胸元に隠す楠木さんの緊張した面持ちだった。


「ノックくらいしなさいよ」

「ご、ごめん……。そんなに驚くとは思ってなくて……」

「それで。何しに来たの、って、お昼?」


 楠木さんははっきりと見て取れるくらい取り繕った様子で、ネックレスを隠しながら頻りに髪の毛を弄りながら質問を繰り返すと、僕の手に持ったコンビニのレジ袋に目が向いて少しだけ驚いた様子を見せた。


「話すついでに、一緒に、食べようと思って」

「そう……」


 許諾も拒絶もしない楠木さんの様子に戸惑って扉の前で困っていると、「いつまで立ってるの」という声が掛かって座り直した楠木さんを見て、許容はしてくれたのかと判断して、いつもの部活のように向かい合った机の向こうで楠木さんのお弁当が風呂敷を広げている対面に腰を下ろす。


「それで、話って何なの」


 卵サンドの封を切ってそれに「いざ」とかぶりつこうした直後、すっかり平静を取り戻した楠木さんが丁寧に詰められたお弁当を口に運びながら本題に入ってきたため、僕は一度卵サンドを口から話して早速本題へと移る。


「えぇと、昨日の、お花のことなんだけど……」

「知ってるわ。姫和さんに話したんでしょ。朝早くに大量にメッセージが来てたもの。よくもまぁ、事細かに話したものね」

「うぐ、すみません……」

「別に、怒ってないから。それに帰り際に言ったはずでしょ。姫和さんに聞かれたら別に話しても構わないって。私達のことを知ってるのは姫和さんだけなんだし」


 楠木さんの言葉の通り、彼女の顔色は一切変わりなく、むしろ柔らかな笑みすら浮かべているように見えるのはきっと気の所為では無いはず。

 だが、その穏やかな表情を見る度に、この和やかな空気が一変することを僕は今から口走らなければならない重責についつい口が重たくなるのだが、ここで話さなければ話が進まない以上、僕は今この場で楠木さんの穏やかさを無に帰すような真似をしなければならなかった。


「その……ことなんだけど。えぇと、昨日の朝、駅前でばったり遊佐さんと会っちゃいまして……その時につい、ポロっと、お出掛けする旨を零してしまったというか、何というか……」

「……は?」

「だから、何というか……僕のガーベラの件も、見抜かれていたというか……」

「あの女なら、そうよね……あの目敏い猿なら、多少の変化も見逃さないものね。なんでもっと早く言って──。いえ、気を抜いた私も悪かったわ」


 恐る恐る口を割った末に待っていたのは、険しそうに眉間に皺を寄せる楠木さんの姿。

 遊佐さんに対して拭いきれない因縁を持つ楠木さんにとってこの情報は正しく水を差されるかのようなものに違いなく、彼女の機嫌を損ねるようなものであるのには違いなかった。

 だからこそ最悪も想定していたのだが、楠木さんの口から吐かれたのは全くの別の、酷く羞恥に悶えるような細々とした言葉だった。


「……じゃあ、あの浮かれっぷりもあいつには、バレてたってこと?」

「お、恐らくは……」


 はっきりと「はいそうです」と言えなかったのは、これ以上楠木さんに恥ずかしい思いをさせないという僕なりの気遣いの証明だったのだが、楠木さん程にもなればその言葉だけでも「遊佐澪奈は気付いている」という事実に行き着くには十分であり、羞恥が限界に達した彼女は「あうううう……」とか細い奇声を発しながら天井を仰ぎ見るので精一杯なのであった。


「はぁ……。まるで悪い夢でも見てるみたいね」


 楠木さんの羞恥に悶える姿を横目に卵サンドを頬張っていた僕は、彼女がようやく落ち着きを取り戻した辺りで一つ、この状況の解決策を提案する。


「それじゃあ、花の飾りはもう、付けて来ない方がいい……?」

「それは、嫌」

「え?」

「せっかくお揃いで買ったんだし、別に悪いことしてるわけじゃないし……付けていても、いいでしょ」


 僕の提案に、楠木さんはそっぽを向いたまま自分のネックレスを大切そうに撫でながら、まるで誰かに良いわけでもしているみたいにそう言って否定するのであった。

 そのことに、僕は不思議と笑みが零れて仕方が無い。

 提案してみたものの、この件で僕達が引け目を感じる要素なんて一つも無いし、そもそもこれは、僕が楠木さんの友達として胸を張れることの出来ない弱さが招いた事象でもある。

 であるならば、現状はこのままで、遊佐さんに言い触らさないよう再三の申請を行った方が早い。

 その上で、僕は楠木さんの友達として恥じる必要がないくらいの自信を身に付けるべきだと考えるべきだった。


 だって、あんなにも嬉しそうに「友情の証」を眺めている楠木さんの期待を裏切るような真似、誰だってしたくなんてないだろう。


「……でも、あんまり見過ぎてると、内情を知らない人にもいつかバレかねないよ?」

「それは……我慢するから」

「体育の時とかどうするの」

「外すに決まってるでしょ。傷でもついたらどうするの」

「それなら僕も、こうして席を外す時は大切にしまっておいた方がいいかな」

「っ、そうね。今も心配だし、それがいいと思うわ。できるなら、肌身離さずに持っていて欲しいし」

「……楠木さんって、意外とお土産とかの行方気にするタイプ?」

「そうだけど。悪い?」

「いや、僕も同じだったから、楠木さんが嬉しそうにしてるのを見ると僕も嬉しくなるなぁ、って思っただけ」

「……っ、あっそ」


 僕のガーベラにまで心配を寄せる楠木さんは、間違いなくイイ人だろう。僕にはもったいないくらいだ。

 それでも、僕は彼女の友達に相応しいだけの自信を身に付けるのが最優先だと思えるのは、僕の胸に宿る小さなプライドがそうさせているのだろうか。それとも、分不相応な独占欲が、そう思わせているのか。今の僕には、その二つの違いも、判別の方法も分からなかった。


 その後、軽い雑談をしながら昼食を終えた僕は、午前のように頻繁に見てはほくそ笑むのを頻度を減らしてもらうよう楠木さんに頼み込み、楠木さんは遊佐さんの口を封じる手立てを考えるとかなんとか物騒なことを口走っていた。

 楠木さんがお縄になるようなことはないだろうが「穏便に済ませてね」とまるで悪い方を催促するみたいに言って見せると、彼女は珍しく歯を見せて笑っていた。


 そんな笑顔も、僕には眩しく見えて。


 そうして放課後の時間が訪れ、僕達は体育祭の練習に精を出す。







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