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\完全! 無欠! 女王様!/

 


 楠木陽葵(ひまり)

 彼女のことを一言で説明するならば、『完全無欠の女王様』と評するのが最も適しているかもしれない。

 教室の隅っこで誰からも興味を向けられないような僕とは違って、誰もを惹き付ける素質を持つ彼女は凄まじい人だった。もしもカリスマ、というものが目に見えるのならば、彼女は果たしてどんな色をしているのか僕には見当もつかない。


 楠木陽葵と言えば、まず何よりも語らなければならないのは彼女の美貌だろう。

 目鼻立ちの整った顔に主張しすぎない程度に化粧が施された彼女の顔は多くの人の目を惹き付けて止まない。スラっと伸びる鼻筋や際立った猫のような大きくも鋭い眼。小さくても艶のある唇は、僕と同じ人種とは思えない程に綺麗であり、彼女が一度街中を歩けば、誰もが足を止めて振り返る光景が容易に想像できた。それに何よりも目を引くのが、彼女の胸元程の長さにセットされた栗色の髪。よく手入れされた髪の毛は、彼女の身動ぎ一つで弾むように揺れ、風に靡く様はまるで御伽噺に出てくる黄金色に輝く馬のたてがみのよう。

 彼女が運動着に身を包んで準備運動の一つでもすれば、男子は野良猫に成り下がって誰もが揺れ動く栗色の髪を目線で追う事だろう。かくいう僕も、その一人なのだが。


 その美貌こそが同い年であるにもかかわらず彼女を魅力ある「女王様」たらしめる大人の色気というものを放っているのだが、彼女が誰の目からも憧憬を集める理由はそれだけには留まらない。

 男子と並んでも遜色ない背丈の彼女は同性に囲まれれば頭一つ分飛び出して見えるように、その恵まれた体躯が示す通りに運動が非常に得意であった。それは異性の男子から見ても羨む程の素質で、彼女自身は特定の部活には所属していないものの、普段の体育の授業や体育祭で見せた片鱗は相当なもの。


 それだけ運動が出来れば周囲から助っ人や部活の勧誘が凄まじいのではないかと聞かれると、実際はそうでもない。

 それこそが、彼女が「女王様」たる所以。


「バスケ? なんで私が。ていうか、あなたは誰なの?」


 これは、過去に女子バスケ部がメンバー不足で大会に出られない旨を説明して頼み込んだところで、女王様が放った言葉。鋭い眼光を受けて尻すぼんでいく他クラスと思しき女子生徒に対して女王様はその後も執拗なまでに刺々しい態度を見せると、怯んでいた女子生徒はその余りの恐怖に泣き出してしまった、という逸話が残っているほど。

 そしてそれは同性に限らず、異性に対しても同様──否。異性に対してはそれ以上に苛烈な勢いであり、彼女の美しさに目を眩ませた男子生徒が近付いては玉砕していく、というのは珍しくない話だった。


「話? 顔も名前も知らない人のためにどうして私が私の時間を割かなくちゃいけないの。話があるなら今、ここで、言って」


 どこからどう見ても告白するぞと意気込んで向かってくる男子生徒を、彼女は一切の容赦なく玉砕していく。

 後輩も、同輩も、先輩も関係なく引き寄せてしまう彼女は、誰が相手であろうとも一切許容せずにその場で告白するか、逃げ帰るかの二択しか与えない。

 当然、告白したところで「誰?」となっている彼女の心に響くはずもなく、全ては断られるのだが、中にはプライドを傷付けられて逆上する者すらいたというのだ。


「話したことも無い相手に突然告白されて、私がどんな気持ちかも推し量れないような人など願い下げです。帰ってください」

「てめぇ……こっちが下手になってりゃいい気になりやがって──いててててて!!!!!」

「……見ていないで先生を呼ぶか、手を貸すかしてください」

「あ、あぁ」


 しかし、彼女は護身術の心得でもあるのか、掴みかかって来た先輩を軽く捻り上げたことすらあったらしい。

 ……らしい、というのは、これは彼女が一年次にあった時の出来事らしく、僕はその時この学校には在籍していなかったからという単純な理由。


 僕がこの進学校にやってきたのは、今からちょうど一年ほど前の、高校二年生の四月。僕がその年の一年生の入学と共に転入してきたのは、父親の転勤が理由だった。

 今ではとうに廃れた言葉である、転勤族。

 その名残があるわけでもないが、父親は数年に一度というペースで頻繁に人事異動がある職務らしく、加えて片親の父子家庭と言う家庭事情であり、僕は転校を余儀なくされた。九つも離れた姉は既に自立していているため姉を頼ることも出来ず、ましてや別の家庭を持った別れた母親を頼る訳にもいかず、僕は大人しく父親の向かう先へと付いてきた次第であった。

 転校せずに一人暮らしをする、という選択肢もあったのだが「それだけは許さない」と過保護なのか放任なのか判別の付きづらい父親がその選択肢を握り潰したため、僕は父親の転勤に引っ付いてこの学校に転入してきた。僕自身、前の高校に未練があったわけでも無く、そうと決まれば一切の反発を見せることなくここまでやって来たのであった。


 閑話休題。

 男女問わず全方位に対して強気な態度を取る「女王様」は、その態度故に当然周囲から遠巻きにされ孤立していた。誰に対しても心開かずといった様子の彼女は、望まずして孤立する僕とは違って自ら進んで孤立を選んだ彼女は「孤高」の存在としてクラスに君臨していた。


 それが転じて、彼女は噂程度でしかなかった「女王様」という呼び名が定着し、クラスでも畏敬の念を集めていた。

 だからこそ、誰もが彼女の見てくれや運動と同様に、『楠木陽葵は文武両道である』と思い込んでいる。


 かく言う僕もそう思い込んでいた一員だったため、昨日の放課後に起こった出来事が一夜経った今でも信じられずにいた。それどころか、クラスの中で名前すら知らない人がいるような存在であるパッとしない僕が彼女に勉強を教えただなんて、誰に話しても「有り得ない」、「妄想乙」と鼻で笑われることだろう。

 クラスのパッとしない僕と、圧倒的なカリスマと畏怖を併せ持つ彼女のどちらを信じるかと言われれば、そうやって主張した僕でさえも後者を信じたい。楠木陽葵が実は勉強が出来ないだなんて、楠木さんの女王様としての姿が壊されるような真実は胸の奥に秘めておくべきだった。


 そんな思いが強いからこそ、昨日の出来事がまるで夢か幻のように思えて仕方が無い。帰り際に放たれたあの言葉も、もしかしたら僕の頭が勝手に生み出した妄想上の声だったのかと思う方が現実味が出てくるというもので、「そんなこと言ってないんだけど。キモっ」と言われてもおかしくないかもしれない。そんなことを言われた暁には、僕は白目を剥いておしっこを漏らす自信がある。


「おーし。そんじゃお前ら、気を付けて帰れよ~。受験まで気ぃ抜くな~。補習の二人は放課後、残って課題を終わらせるようにな~」

「せんせー! 補習受けてるのって誰なんですか~?」

「たかが三十余人だろう。先生に聞かなくても消去法で分かるはずだが?」

「ちぇ~。隠さんでもいいでしょー!」

「はいはい、帰った帰った」


 なればこそ。僕は何も知らない顔をして立ち去るのが吉なのではなかろうか。

 なんて言って昨日のことで悶々としている内に、気が抜けるような宮野先生の声に教室の中から渇いた笑いが零れ、僕達のクラスに限らず他のクラスも同様に放課後の喧騒に満ちていく。

 ある者は帰路に、ある者は今年で最後の部活動へ。またある者は受験に備えて自習室へと赴く中、学級の中でも特に目立つクラスメイト達はどこへ行くこともなく、ひとところに集まって賑やかに談笑を始めてしまう。


 普段の僕ならば一切気にせず帰路につくし、向こうも僕が視界に入ったことにも気付かないはず。だがしかし、今は帰路についた振りをした「女王様」が教室に戻って来るやもしれないのだ。わざわざ彼女がそんな事をするのには、必ず何かしらの理由があるはず。そしてその理由と言うのが、彼女が「女王様」であるためには『完全無欠』でなければならないということなのではないだろうか。そうでもなければ、わざわざ帰った振りをするだなんて面倒な真似をするのだろうか。

 だから宮野先生の性格を利用して、補習の対象者を名指ししていない事を逆手に取ったのだろうが、この状況は彼女にとっても僕にとっても非常にまずい。


 そして何よりも、たむろする彼らが赤点を取ったクラスメイトを、補習対象者を探そうとしている会話が聞こえてきたのが一番まずい。

 楠木さんが補習対象者であると知られれば、彼女のブランディングが崩れるどころか、ただでさえこれまでの態度で彼女自身周囲から恨みを買うこともあったのだ。楠木さんの弱みが晒されるということは、それらの人物が彼女に食って掛かる切っ掛けを与えることになってしまうことに繋がる。


「……何考えてんだろ」


 昨日たった一日だけ、それもほんの少しの短い時間補習を共にしただけで、僕はどうしてこんなにも楠木さんのために頭を巡らせなくちゃいけないのか。

 そう思って我に返ったのも束の間、それでも僕は楠木さんのために思考を繰り返す。そうするべきだと、何かが訴えているかのようだったから。


 昨日は急遽委員会の仕事を終えた後に宮野先生からの呼び出しを受けてからの補習の課題だったが、生憎と今日の僕は用無しのしがない民草でしかないため、彼らが帰るのを黙って待ち続けるしかない。だからと言ってここで補習の課題を取り出せば、まず間違いなく彼らの目に留まる。

 宮野先生から補習対象者を聞き出そうとしていたクラスメイトが談笑する中に混じっているのだ。わざわざ自習室に行かずに教室に残って勉強する人なんて補習対象者以外に存在しないのだから、残るもう一人の補習対象者について聞き出されるかもしれない。

 彼らの毒牙にかかった僕は、きっと呆気なく「女王様」について吐くことになって、彼女から『完全無欠』を奪う一役を買わされる羽目になる。


 それは些か自意識過剰気味かもしれないが、エンタメに飢えたエンタメ中毒の高校生なんてのはエンタメの為ならば喜んで外道にでも成り下がるものだ。

 とは言ったものの、クラスメイトとすら関わりの薄い僕の知識は本やドラマ、ネットやテレビの世界に限られるのだが、事実は小説よりも奇なりである。一市民に過ぎなかった僕が昨日女王様と補習を共にしたという事実だけでも十分フィクションを越えている以上、僕の知恵や知識は一切役に立たないと見るべきだろう。

 まあ、初めから僕は僕自身に期待なんてしていないのだけれども。


 しかし、孤高を気取る「女王様」が槍玉に挙げられる可能性が非常に高い以上、この教室に彼女を登場させてはならないということだけは僕の勘が強く囁いている。

 確証も根拠もないが、なんとなくそんな気がするのだ。であるならば、いち早く教室から離脱しなければ、という結論に辿り着く。


 そう思って鞄を隠すように両腕で抱きかかえたまま教室を出ようとした、その時だった。


「涼村よぉ。お前、補習受けてんべ?」

「えっ、な、な、なんで、知ってるの……?」

「わはは、適当に聞いてみたけど当たってたぜ!」

「あっ……」


 親しくもなんでもないというのに突然名前を呼ばれ、がしっ、と体に密着し肩を寄せられて問い掛けられると僕は慌てふためいた様子で簡単にぼろを出してしまう。


 カマをかけてきたのだと分かったときにはもう遅く、教室で目立つクラスメイト達は「チョレぇ~」と笑いながらハイタッチし合う。何がウェーイだ、ウェーイ。彼ら彼女らの、いつだって人を舐め腐ったような振る舞いが、僕は気に食わなかった。人を小馬鹿にして楽しむような、愉悦の最底辺にあるような行為。それがどうしても、僕には受け入れられなかった。

 もちろん、それを指摘するような勇気なんてものは持ち合わせていないし、突然覚醒して勇気が手に入ったりなんてしない。僕は物語の主人公じゃないんだから。


 僕が生まれ持った生来の素質は、黙って嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない無力な旅人。流れに身を任せて流れて行くことしかできない雲のよう。

 人の好きな物が好きだといって、嫌いなものは嫌いだという八方美人は人に好かれないことを身を以て知っているため、僕のコミュニケーションの根幹にあるのは『沈黙は金』という静観、ただそれだけであった。


 肩を縮こませ、相手の不興を買わないようにここから離脱することとは別に、何が何でも「女王様」の秘密を漏らしてはならないと思うと、自然と体が強張ってしまう。


「そんなに怖がらなくてもいいって。取って食うわけじゃねぇからよ」

「えー、涼村って何考えてるか分かんないっていうか、ノリ悪くない?」

「まぁまぁ、今から聞き出すんだから、変な事言うなっての。……そんでよ、お前の他の補習対象者って、誰か教えてくんね? 残ってんのがー、後はお前とオタク達の誰かとぼっちが数名……そんで、女王様なんだわ。んで、涼村が一人確定したらその残りの誰か、ってことなんだけど……?」

「う……!」


 どこからどう見ても彼らが欲しい答えは僕ではない。僕の、その更に先にある何か。

 その正体は、すぐに分かった。


「あたし、女王様に賭けてんだけど」

「えーっ、俺あのぼっちの子にしちゃったよ」

「女王様もある意味じゃぼっちの子、だけどな」

「ぶはは、言えてる! マジじゃん!」

「俺、涼村に入れてたからジュースよろしくな」

「最低保証じゃん。ロマンがねぇし」


 彼らは仲間内で補習対象者が誰かを当てる賭けをしているようで、何も知らぬまま賭けの対象にされていることを知った瞬間、僕は余りにも惨めな思いを抱かずにはいられなかった。

 だからだろうか。用意もしていなかった()がペラペラと口から飛び出したのは。


「え、えぇと……。昨日は、僕一人だったから、誰も見てないんだ。サボったのかな。だから今日は僕もサボっちゃおうかな、って思って。あはは……」


 目立つクラスメイト達に目もくれず、僕は捕まっていた腕から抜け出して、逃げる。

 背中越しに「つまんねー」とぎゃははと笑う声が聞こえるが、振り返らずに、逃げる。


 逃げることが悪だという人がいるのなら、あの場で味わわされた僕のこの惨めな感情から逃げなくて済む方法を教えて欲しい。

 好きでもない相手に媚び諂うようにヘラヘラと笑って見せるのは、笑いたいから笑っているんじゃない。これ以上事態を悪い方に向かわせないための処世術。それを八方美人だなんだと揶揄され、足蹴にされる所以は無いというのに、僕には笑って済ませることしか出来ないのは、果たして悪いことなのかどうか。それ以外の方法があるのなら、誰か僕に教えて欲しい。

 こんな惨めなことを繰り返して生きるくらいなら、死んだ方がマシだと思う前に。


「……っ」


 別に賭け事自体は悪くない。身内で済ませれば誰にも迷惑を掛けないし、誰にも怒られないから。でも、それを僕を嘲笑うみたいに聞いてくるのは、話が違うんじゃないか。

 それだけじゃない。

 それ以外にも胸に積もった不快感が、僕の足を動かしていく。

 何がそんなに腹立たしいのか、何がそんなに惨めったらしいのか、苦痛に歪む顔は誰にも見せられなかった。


 しかし、キャパシティを越える激情に飲まれて頭が真っ白になったのも束の間、推進力を得た僕の足が教室から遠ざかって階段に差し掛かったところで、僕は階段の影より飛び出して来た人物とぶつかって足を止めざるを得なくなる。


「きゃっ!?」

「ご、ごめんなさ……いっ!?」

「急に、危ないじゃない──って、あんたは……!」

「っ、こっち……!」

「え!? ちょっと」


 教室からは死角で助かったと息を吐く間もなく、僕はぶつかった相手の手を取って階段を降りて行く。

 抜けるかと思った腰を改めて踏ん張って向かう先は、未だ人目の残る正面玄関──ではなく、人の往来が少ない技術棟に程近い部屋までやってくると、相手と二人で物置のような小さな部屋に逃げ込んだ。


「ふぅー、危なかった……」

「ねぇ、ちょっと、いつまで手首、掴んでるの? 痛いんだけど」

「ぉわぁっ!? ご、ごめんなさい……。い、急いでたから……!」

「あーぁ、跡残っちゃいそう……。随分強く握ってくれて……。こんな暗がりに私を連れ込むなんて、随分といい度胸してるじゃない。大人しそうな顔して、やる時はやるのね」

「いやっ、ち、違う……くて」

「は? 気持ち悪いからそれ以上近付かないでくれる?」


 ぶつかった相手、と言うのは、僕の頭を悩ます彼女。

 今日もまた時間を置いて戻って来たつもりの女王様。即ち楠木陽葵であり、彼女とぶつかった途端、頭の中が真っ白になった僕は後先考えずに彼女の手を掴んでここまで走って来たのだ。

 時間が経ったとは言えまだ校内にはちらほらと生徒の姿は残っていたし、そんな中を僕は彼女の手を掴んで駆け抜けて来たかと思うと、たちまち顔から色が抜け落ちていく気分に見舞われる。

 しかし、それ以上に不味いのは、彼女に勘違いされている事だろう。

 楠木さんは僕が手を出すためにここに連れ込んだと思い込んでいるようで、体を掻き抱くようにして僕から距離を取っていく。それが正しい判断とはいえ、彼女の尊厳を守ると同時に僕の尊厳を死守するためにも必死で弁明を果たす。


「お、落ち着いて。おおおお落ち着いて、話を、しましょう」

「……あんたの方が落ち着いたら?」

「……やましい気持ちとかが、あったわけじゃないです。それだけは、分かって欲しい」

「…………ま、あんたにそんな度胸は無さそうってのは初めから分かっていたけど」

「わ、分かってて言ってたの……!?」

「異性と二人きりの空間じゃ、それくらいの危機感は持ってるの。女子は全員ね。自意識過剰とでも笑えばいいけど、私はこの態度を変えるつもりは無いから。例えあんたが相手でも……何をするか分かったもんじゃないから」

「それは、本当に、ごめんなさい。でも、あの時はこうするしかなくて……」

「何か、理由があるみたいだけど」


 鞄から手を離して床に置いた僕は、顎で「早く言え」と催促する楠木さんに教室であった出来事を説明する。途切れ途切れな僕の言葉に彼女は最後まで聞き終えてから「……そう」とだけつまらなさそうに一言だけ呟いた。

 そして、話し終えたところで僕はようやく楠木さんが補習対象者だということを隠す意味について思い当たる。よくよく考えてみれば僕が彼女を庇うような理由も無ければ、義理なんて無いことが分かるのだが、何故だかあの目立つクラスメイト達と彼女を鉢合わせるわけにはいかないと思ったが故の行動に、僕は自分の行動に疑問を抱かずにはいられなかった。


「……それで? この部屋は、何?」

「あ、えっと、ここは映像研究部の部室で、部員以外には滅多に人が来ない場所なんだ」

「へぇ……。あんた、そう言うの好きそうだもんね。部員なの?」

「う、うん。僕と、あともう一人だけ幽霊部員がいるだけの、極小部活です……」

「確かに、研究部っていう割には、何にもないのね」

「……今年で、無くなることが決まってるからね。新入生の募集もしなかったから」

「ふーん。その幽霊部員、ってのは、顔を見せに来たりするの? 顧問は?」

「え、えっと、幽霊部員は陸上部と兼部してるから、滅多に来ない……というか、絶対来ないと思う……。名前を借りてるだけ、みたいな感じだから。それと、顧問は一応、勅使河原先生、だけど」

「へぇ、勅使河原先生か……。それなら、丁度いい、か」


 なんか今、悪口言われなかった? という僕の些細な疑問も他所に、楠木さんは矢継ぎ早に質問を繰り出したかと思うと、今度は一人でぶつくさと呟き繰り返す。


 転入当初、三年生だった先輩に無理矢理引きずり込まれた映像研究部は先輩たちの卒業と同時に僕一人だけになった。転校生の僕が引きずり込まれた時点でお察しの通り、後輩はおらず名前も姿すらも知らない幽霊部員と僕と、コレクションされた映画を数本だけが残された部室はすっかり寂れてしまって見える。

 とは言え、僕も特別先輩と仲が良かった訳ではない。ただ、この部室の居心地が良かっただけなのだ。


 そして何よりも、映像研究部自体忘れられた存在であるがゆえに、学校で一人で過ごす時間の多い僕にとってこの部室は正しく孤城とも呼べる存在。即ち、僕は孤城の主でもあるのであった。

 そして僕にとってこの孤城は正しくパラダイス。勅使河原先生も滅多に覗きに来ることは無いし、無くなることが決まっている以上、活動報告も無くていい。まるで第二の自室のような環境に不満があるとすれば、エアコンが無いことくらいだろう。──ではなく、この部室には目先の危機とも呼べる存在であるあの目立つクラスメイト達が近寄る心配はない。


 僕がほしいままにする部室の存在を自慢気に披露、もといその旨を改めて伝えようとしたところで、僕の口よりも早く楠木陽葵の口が先に開かれる。


「よし、決めた。私も入部するから、映像研究部」

「そ、そっか、それはよかった……って、うん?」

「部長からも許可貰えたことだし、勅使河原先生に言ってくるわね」


 まさかの僕の安穏が破壊されるなんて思っておらず、彼女の口から破滅の言葉が吐かれたにもかかわらず僕の頭は彼女の言葉を理解するのを拒否して固まってしまう。

 けれども、すぐさま記憶を振り返った直後、既に鞄を置いた楠木さんの姿が見えないことに僕は頭を抱えて、この高校生活において最も大きく、最も悲愴感漂う声を、上げるのだった。


「って――ぜ、全然よくないよッ!!!???」









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