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謝罪。

 

「なんだったの、あの人達……」

「なんか、すごいものを見たね」


 話し合いという名の出来レースが終わったのは、僕達が彼らの待つ部屋に足を踏み入れてからわずか三十分後のことだった。


『――ごめんなさい!!』


 僕達が入室してすぐ、青白い顔をした遊佐さんが椅子から立ち上がったと思えば、まず真っ先に頭を下げた。


 昨日部室で見せた荒々しい姿も、病院で見たやさぐれた雰囲気も嘘のようにしおらしくなって謝る姿は一瞬にしてその場の空気を支配して見せた。

 遊佐さんの姿も、声も、表情も。どこからどう見ても反省の意を示しているようにしか見えず楠木さんも一瞬面食らっていたものの、先生達の落ち着くようにという声に反応を示してお互いに席に着いた。

 僕としては、一言二言交わしただけでも分かるような彼女の計算高さから、遊佐さんならそうするに違いないと想定できていたため大して驚かなかったが、その間に他の三人の反応を伺ってみると、三人とも遊佐さんに続いて動く素振りは無いまま苦々しい表情をしているように見えて、話し合いの雲行きは余りよろしくはなさそうだ、というのが最初の印象だった。


 しかし、いざ話し合いが始まってしまえば、この場における裁判長も担う宮野先生によって自分達の仕出かしたことの重さを知り、みるみるうちに顔色が悪くなっていく四名。

 思いの外演技派な勅使河原先生も役に没頭している内にノリに乗ってきたのか、話し合いは加速度的に彼らの罪悪感を煽るような内容へと変貌していき、四人は瞬く間に震え上がっていた。

 目立つクラスメイト達は男子二名、女子二名の組み合わせであったが、遊佐さんではない方の女子は話が進む毎に顔を青褪めさせ、宮野先生による「これは集団暴行事件だ。世間に公表すれば、お前達は傷害罪の犯罪者として逮捕されてもおかしくはなかったんだぞ」という言葉が決め手となり、その女子は「ごめんなさい」と言葉を繰り返しながら泣き出してしまう。

 また、残る男子二人も顔色を悪くさせて俯いたものの、宮野先生はこの話からは耳を塞ぐことなど許さない、とばかりに事実を羅列していく。片方の男子は恐れ戦いた様子で顔全体に汗を滲ませていて自分のやったことの重さを実感しているようだったが、残るもう片方の男子は何故か、僕達や宮野先生ではなく、遊佐さんを睥睨していた。


 その理由はすぐに明らかとなる。


 僕の怪我は自分から怪我したもので、あなた達に責任は問わない、というのを宮野先生が代弁してくれて、楠木さんの手首の怪我も、反省して謝ればこれ以上大ごとにはしないといった旨を口にした途端、遊佐さんが待ってましたと言わんばかりに改めて謝罪の姿勢を取って見せた。

 冒頭に既に謝罪の意思を見せていたからか、彼女の謝罪がすんなりと受け入れられたのを見て、恐怖に歪んでいた二人もそれに続こうとした時に、事は起こった。

 遊佐さんを睨んでいた男子生徒が立ち上がり、遊佐さんを指差して大声で言ったのだ。


 ――お前のせいだ、と。


 俺達は巻き込まれただけ。

 僕が事を大きくしたと言っても過言ではないからこそ、事を荒立てないために「巻き込んでしまった」と言ったように、彼もまたその主張を口にして言ったのだ。

 だがそれは宮野先生の「巻き込まれたのはお前達の意思でだろ。巻き込まれただけと言うのなら、どうして引き留めなかった。こんなことするもんじゃないと、どうして止めなかった」という正論過ぎる一声に彼はそれ以上の反論はできず、続く「将来同じ目に逢って警察に捕まったとしても同じことを言うつもりか」という言葉に完全に沈黙せざるを得なくなっていた。


 そんな事があって一瞬場が乱れたものの、残る二人は素直に楠木さんに頭を下げて謝罪をした。

 遊佐さんのせいだ、と口汚く罵った男子生徒だけは、こちらの出した条件にすら不満を見せ、最後まで自分は悪くないとでも言い張るかの様子でその場の空気に耐え忍ぶ様子で小さく謝罪の言葉を口にした後で、話し合いの場はお開きとなった。


「はぁ……。まさか、こんなことになるなんてな」


 進路指導室で待っているよう言われて先に返された二人で待っていると、後に撤収してきた宮野先生が戻ってくるなり盛大な溜め息を吐いてソファに深く腰を下ろした。

 先生曰く、僕達が去った後のあの場所ではさらに問題が起こったようで、不服そうにしていた男子生徒が遊佐さんに口角泡を飛ばす勢いで悪態を撒き散らしたのだと言う。

 被害者である僕達からすれば自業自得だと言わざるを得ないのだが、それでも多少の罪悪感を覚えずにはいられずに二人して表情を曇らせていると、先生は苦笑いしながら「お前達はそのままでいてくれよ」と言った。


「後始末は大人の仕事だ。お前達はもう、この件は終わったものだと思ってもらって構わない。ただ、神崎だけは厳重注意として扱わせてもらう。楠木には近付かせないように配慮するようにする。逆恨みされても、おかしくないからな」

「……一人だけクラスを移すって言うのは、出来ないんですか?」

「今回は当事者間で解決した、ってことになってるからな。それは難しい。保護者にも報告はするが、なんて言われることやら。高三になってまでも親に迷惑かけるなよなぁ……ったく。保護者対応が嫌で高校教師を選んだ、ってのに、高校生は高校生で、もっと面倒な仕事ばっかりだぜ」

「生徒の前で言うことじゃないですよね、それ」

「疲れたんだ、大目に見てくれ。それと、素直に謝った連中の遊佐達はお前達二人に近付いてくることもあるだろうが、どう接するかはお前たち自身で決めてくれよ。あの感じじゃ、残りの三人は本気で反省してそうだ。あれが演技だったとしたら、あいつらには俳優の道を進めるさ。先生としてはもうこれ以上問題を起こさないで欲しいが、別に無理に仲良くしろとも言わん。そこんところは、大人が介入する訳にもいかないからな。……は~ぁ。今回のことも踏まえて体育祭の編成も考えないといけないだなんて、仕事が倍になったような気分だ」

「あはは……」


 以前よりも明け透けに、というか疲れているせいかいつもより開けっ広げにぶっちゃける宮野先生に対して、僕達は苦笑いを浮かべる他無い。


「気を付けて帰れ、と言いたいところだが。お前達には……と言うより楠木にはやらなきゃいけないことがあるのを、忘れてたぜ」

「くっ……」

「楠木さん……」

「補習、やっていけよ。こんな事があっても、提出期限は変わらないからな」

「チッ」

「楠木さん? 舌打ちは良くないと思うけど」

「チッ、チッ」

「二回もした!」

「あはは。お前達は随分仲良くなったみたいで先生としては安心だ。最終下校の鐘が鳴るまで、存分に補習課題に取り組んでくれたまえ。多分、暫くの間は勅使河原先生が様子を見に来ると思うが、気にしなくていいからな」


 そう言って僕達を進路指導室から追い出した先生は、まだしばらく寛いでいそうな空気だった。


「……大丈夫? 補習課題だけなら、図書室なりなんなりで場所を変えてもいいと思うけど」


 部室の前にやってきた僕達だったが、扉に手をかけた状態で動こうとしない楠木さんを見て、僕は今更になって昨日の出来事が彼女のトラウマになっていることに思い至る。


 部室にいたら突然襲われる、なんて経験をしたんだ。それは部室自体にいい思い出がなくて当然だろう。

 それならば、と部室にこだわる必要も無いはずだと提案したところ、楠木さんは聞き取れない声量でブツブツと口元を動かした後、意を決した様子で刺した鍵を回すのだった。


「……私の、私の大事な居場所を汚しやがって。怖くなんかない、怖くなんか、恐くなんかない……。ここは、私の大事な場所。誰にも踏み入れさせない、私と、涼村くんの居場所。逃げるな、逃げるな私。大丈夫、私は……一人じゃ、ない!!」


 唇を噛むような感情を吐き出す楠木さんの横顔に見蕩れていると、ガラガラとスライド式のドアが転がる音がして、僕達の目に部室の中の景色が映る。

 そこには、昨日最後に見たような荒れ果てた部室の姿は無く、誰かの手によってすっかり綺麗に片付けられた元の部室の姿があって。

 意を決して踏み入れてみれば、やっぱり少しだけ埃臭い。けれども、窓から差し込む西日の明るさと部活に勤しむ学生の声が僕達を日常へと引き戻すかのようで、ここ以外に居場所のない僕達を、この部室はまるで何事もなかったのように歓迎してくれていた。


「あ」


 いつもと変わらぬ様子で迎え入れてくれた部室を前に、楠木さんが向かい合って置かれた机に駆け寄ると、机の上に置かれた物を手に取ってにこやかな笑顔でそれを向けてくる。


「無事、だったみたい」

「よかったね」


 それは、楠木さんがモデルとして載っている雑誌【Elma(エルマ)】。

 遊佐さんの手によって楠木さんの載っているページは切り裂かれ、楠木さんの手元には彼女が載っているページだけが帰ってきたものの、本体がどうなっていたかは楠木さんにも僕にも分からなかったのだが、部室を片付けてくれた人が見つけて机の上に置いておいてくれたのだろう。

 しわくちゃで変な折り目が付いてしまっているが、それでも確かに雑誌の形を保っていた。


「そう言えば、楠木さんに返したあのページはどうなったの?」

「……あー、あれね。あれは……普通に、私の家に置いてある、けど」

「そっか」

「……何、自分の書いたメッセージがどうなったか、気になるの」

「いや、楠木さんなら大事にしてれてるだろうな、って思って。だって、宝物なんでしょ。あれ」

「っ……。あんたの、そういうところが……!」

「うん?」

「なんでもない!」


 雑誌を開いて、確かに楠木さんのモデルとしての姿が載っていたページが破り捨てられているのを見てそんなことを聞いたのだが、楠木さんを却って怒らせてしまった。

 ファンから貰ったものを大事に取っておくなんて、見習うべきプロ意識だと思ったから言っただけなのだが、あまり触れない方がいいのかもしれない。確かに、僕も「これが宝物なんだ」と無作法に言われるのはあまり好きじゃないかもしれないし、楠木さんもその心理だったのだろう。


「い、いいから、早く課題手伝って」


 照れ隠しのように椅子に座って「早く」と催促する楠木さんは、普段が大人っぽく見えているせいか、年相応の反応がかなり幼く見えてしまう。


 彼女の可愛らしい催促に「はいはい」と呆れながら席について向かい合う。

 たった一日空いただけなのに、こうして向き合う瞬間が久しく感じられるのはどうしてだろうか。


「……」


 なんてことを考えながら、いざ彼女の課題に手を付けようと待っていると、楠木さんは席に着いた状態のまま、鞄から課題を取り出す素振りも、顔を上げる素振りも見せない。

 どうしたのだろうか、と疑問に思っていると、楠木さんは唐突に「ごめんなさい」と謝罪を口にしたかと思えば、僕に向かって頭を下げてきた。


「ど、どうしたの!? 怪我のこと!? 怪我ならもう平気だし、そもそも楠木さんのせいじゃないし……!」


 昨日、あれだけ心配してくれたからな、と思いながら腕をわたわたさせながら、額の傷はなんともないことを証明するために軽く叩いてみたりして顔を上げて欲しい旨を伝えようと試みるものの、楠木さんは断固として頭を上げようとはしない。

 そもそも僕には彼女が謝る理由が見つからないのだ。怪我の件も含めて、昨日の一件は先の話し合いで全て解決したもので、楠木さんが謝ることなんてないはずなのだ。

 なので、どうして楠木さんが謝っているのか判断するには彼女の口から聞き出す他無く、言葉を待つしかなかった。


「……おととい」

「おととい? 月曜日?」

「帰り道で、私、あんたに酷いことを言った」


 楠木さんの声を受け、僕はようやく彼女が何を言いたいのか思い至ることができた。


 月曜日の帰り道、進路のことでお互いに考え方が異なっていたが故の対立。

 だがあれは僕の方こそ、受験期に入ってデリケートな心情の彼女に配慮が足りていなかったと言えるため、謝るのは僕の方だ。


 未来に目を向けるという点では、今更になってスタートラインに立てた僕と、何年もかけて未来を見据えてきた楠木さんとでは、文字通りステージが違うのだ。あの時楠木さんが腹を立てたのは十分な理由があり、僕は彼女の腹を立たせるような不用意な発言をした。

 だからこそ、昨日は来ているかも分からない楠木さんに謝るつもりで部活にやってきたら、あんなことになってしまったのだ。

 であれば、今ここで頭を下げるべきは楠木さんではなく僕であるべきで。


「こっちこそ、ごめんなさい。きっとあの時の僕は、浮かれてたんだと思う。楠木さんの立場を考えた言葉を選ぶべきだった」

「っ、なんで、あんたが謝るの。……私はあの後、ずっと後悔してた。あんたが、将来を見据えられるようになったのに、その芽を潰すようなことを言った。……人の夢を笑わないで、って言っておいて、私が一番、人の夢を、あんたのことを、見下してたの。私は……私自身が、私の一番軽蔑する人に、成り下がってた。それに、昨日は、あんなことが起こるなんて思ってなくて……。本当はずっと謝りたかったの。でも、あんたの顔を見ると緊張しちゃって、なんて言えばいいか分からないし、どんな顔して会えばいいか分かんなくて……。それで、部活になかなか来なくて……また、嫌われたと思って……。そしたら、あんなことになっちゃって……。酷いことを言った罰だと思って受け入れようとしてたのに、でもやっぱり受け入れられなくて……。そしたら、あんたが来てくれて……」


 楠木さんの声は、言葉を進める度に濁っていく。

 次第に涙が混じる声に、僕は黙って耳を傾けていた。


 栗色の髪が俯いた彼女の顔を隠すように、さらさらと流れる。

 僕なんかに泣き顔を見られたくないだろうから、僕もそっと目を逸らす。


「……」

「……ハンカチ、使う?」

「泣いてない!!」


 けれども、言葉が途絶えて心配になった僕がハンカチを差し出したところで、彼女は間髪入れずに噛み付くように叫んで、僕のハンカチを強奪していく。

 素直なのか、素直じゃないのか分からない友人の姿に、僕は思わず苦笑を零してしまう。


「何笑ってんの……」

「いや、楠木さんも、僕と同じことを考えてたんだなぁ、って思って」

「どういう意味」

「変な意味なんてない、そのまんまの意味だよ。僕も、あの日はずっと楠木さんのことを考えてた。何が楠木さんの気に障ったのか、どうやったら許してもらえるのか、って。……でも、普段はこんなこと考えないんだ。一度関係が断絶したら、僕はそれを取り直そうとは思わない。もういいかな、ってなっちゃうのに、楠木さんは違った。まだまだ僕は君のことが知りたい。──楠木さんは何が好きか、何が嫌いか。どんな時に笑って、泣いて、怒るんだろう、とか……。そんなことを考えている内に、もっとたくさん君のことを知りたいと思っている自分に気付いたんだ。そう思えたら、仲直りしないとなぁ、って思って。だから昨日は、一日中ずっと謝る機会を探してたんだ。あんなことになっちゃったけど、きっと僕は、楠木さんのことを特別に思ってる。そういう思いを、どうしても伝えたくて、このままお別れになるのが嫌で嫌で仕方なくって、君に謝りたかったんだ」

「と、特別? それって──」

「特別は特別だよ。大事な大事な、友達ってこと。友達なんて、十年近くできてなかったから、僕の中では楠木さんは特別なんだ」

「……あっそ」

「ちなみに、部活に遅れたのは委員会の仕事があったからだよ」

「あっそッ!!!!!」


 なんだか物を言いたげな視線を向けながらも、言葉を交わした果てにお互いに「ごめん」と交わして笑い合う。

 楠木さんの顔が少しだけ赤いのは、泣いた後だからだと思うし、夕日のせいでもあると思う。だからきっと僕の顔も赤くなっているのが彼女の目に見えていることだろうが、それも全部夕日のせいだ。


 冷たい印象が強い彼女の表情がにこやかなものになり、目元を腫らした後とは思えないくらい口元を頻りに動かしている彼女の顔が見れて、僕は少し安堵する。

 彼女には、大人な涙よりもよっぽど、大輪の花が咲くような笑顔の方がよく似合う。


「それじゃあ、課題を進めようか。どれくらい進んだの?」

「……昨日は、あんなことがあったから」

「……全く進んでないんだ」

「う、うるさい」

「明後日までに終わるの、これ?」

「あんたが手伝ってくれれば、終わるわよ。……多分」


 そう言って、僕達は今日もまた最終下校時刻を報せる鐘の音が鳴り響くまで、向かい合わせになって課題に取り組むのであった。

 ちなみに、楠木さんに奪われたハンカチは「洗って返すから」と言われて彼女の胸ポケットに収められてしまうのであった。










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