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シナリオ。

 

「気を付けて帰れよー。体育委員はこの後打ち合わせだろ、行くの忘れるなよ~。それから、涼村と楠木は職員室な」


 午後から授業に参加すると、一日がこんなにも早く終わるだなんて……! と、一人浮かれていたところに宮野先生からの呼び出しを受け、僕のテンションはジェットコースターの如き乱高下を見せる。

 何のことですかなんて聞くだけ野暮な話で、思考を巡らせるまでもなく呼び出された理由は昨日の一件についてだ。


 病院に行ってからの登校ということで、宮野先生に報告した後で教室に辿り着いたのは、既に授業が開始した後のことだった。

 午後の授業開始から数分が経った頃に教室の後ろのドアから入った時には一斉に教室中の目が僕を向く、と言う地獄のような体験を味わわされたのだが、注目されただけでそれらしい詮索は一切されなかった。

 唯一、以前昼休みに話しかけてきた陸上部男子のクラスメイトだけが「あれってマジ?」と聞いて来たのだが、どうやら昨日の一件はもう既に噂になっているようだった。


 彼の又聞き曰く、噂では遊佐さんと楠木さんがトラブルを起こしたところを、僕が体を張って仲介したのだそう。僕の額の絆創膏はその時のものであるとかなんとか……。詳しくは彼も分かっていないようだが、どうやら噂にはヒレが付いて出回っているようだった。

 話を聞く限り、どうせなら誰の目にももう少し格好良く映るように脚色してくれればよかったと思わなくもない。

 遊佐さんにも楠木さんにもどちらにも有利になるような噂でないことを祈るばかりだが、その噂の出所は容易に想像がつくため、あまり期待は出来そうにもなかった。


「怪我、大丈夫なの」

「あ、楠木さん。おはよう」

「おはよう、じゃなくて。……頭、大丈夫なの」

「なんか違ったニュアンスを感じなくも無いけど、怪我のことなら平気だよ。お医者さんもびっくりするくらいなんともなかったよ」


 先生に呼ばれた、という大義名分を手にしたからか楠木さんは職員室に向かう道中の廊下にて僕の後ろから駆け寄ってきては、心配する様子で声を掛けてきた。


 放課後という名の自由へと解放されて羽ばたいていく生徒達で混雑する校舎の中を並んで歩くのだが、片やただでさえ噂の絶えない才色兼備にして『完全無欠の女王様』。片や、顔も知られていない平凡男子生徒の二人が並んでいる光景、というのは目を引くようで周囲から注目を集めてしまう。

 僕としては楠木さんとの会話というのはすっかり慣れたものではあるが、周りからすればそもそも「孤高」を振り翳していた女王様が誰かと一緒に居ること自体珍しいのか、何かを探るようにぼそぼそと声が聞こえてくるのは、あまりいい気分とは言えない。

 日頃から視線や注目を集めやすい楠木さんはいつもこんな気分を味わっているのかと思うと気の毒に思う反面、誰もが羨むような美人として生まれた者の宿命なのかと納得せざるを得ない。


「そう。それなら、よかったわ。……本当に、よかった」


 楠木さんは僕が思っていた以上に心配をかけてしまっていたのか、報告を受けてホッと胸を撫で下ろす様子は、普通に学校をサボる理由にしようとしていた僕にちょっとした罪悪感を植え付ける。

 僕としては本当に何でもない怪我だと思っていたし、周りが思う程深刻な訳がない、と勝手に楽観視していた。周りだって、誰も僕のことなんか心配していない、とすら思っていたくらいだ。

 けれども、楠木さんが本当に安堵した様子を見せたお陰で、僕はその認識を改めなければならなさそうだった。とりあえず、学校で滅多に開かないスマホでひめ姉に「なんともなかった」と病院の検査結果を簡単にしたものをメッセージを送ると、秒で既読が付いて「良かった!」というメッセージに続けて、猫が泣いているスタンプもセットで返ってきた。無事の報告に泣くほど嬉しい、というのは拡大解釈ではないだろう。


「おし、来たか二人とも。とりあえず、こっちだ」


 職員室に付いて早々、宮野先生は僕と楠木さんを進路指導室に移動させ、早速本題へと移る。

 生徒や教員が跋扈する校舎内で人に聞かれたくない話ができるような場所は、内容が生徒を含むようであるならば誰にも聞かれないようにするためにはこの進路指導室か、応接室くらいしか適している場所は無い。各専科の準備室なんかは、自由に使えないし。


「遊佐たちには昼休みに呼び付けて、放課後にお前達を交えた話をするって言ってある。今頃は勅使河原先生と教頭が話を付けてくれてるだろうよ」

「話を付ける、ってなんですか?」

「ようは落ち着けて話し合いできるように空気を作ってくれてるわけだ。初めから俺は悪くない、っつう態度で来られたら話にならないだろ?」

「そんなことを言ってるんですか」

「そうなんだよなぁ……。遊佐は反省してるみたいだったけど、他の連中がな……。遊佐に言われてやっただけ、俺達は悪くない、って自己保身に走ってな。……お前達を呼んだのは、そんな連中でも無罪放免で済ませるのか、最終確認ってやつだ」


 宮野先生と楠木さんの視線が、僕に集まる。

 昨日、あの場所にいたのは全部で四名。病院で会った時と先生の話からしても、遊佐さんが反省しているのは本当のよう。

 あの噂の出所も、彼女が今回の一件の落としどころを用意するために脚色して流したものに違いないだろう。彼女には残る三人が反発しているのが分かっていたから噂には三名の話が出てこなかったのだろう。自分一人で罪を被る、というよりかは、噂の一端を引き受ける代わりに無罪にしろ、という一種の抗議の意味合いが強いように感じるのは、彼女と言葉を交わしたからだろうか。

 遊佐さんは軽薄そうに見えてその実、かなり計算高い強かな女性なのかもしれない。


 とまで考えて、そこで問題となるのが三名の処分の行方だ。

 嘘でもいいから遊佐さんのように反省した姿を見せられれば良かったのだろうが、自分達の受験が迫っているという現実と、受験に傷が付いた状態で望まなければならない事態、という板挟みのストレスできっとまともな判断も下せなかったのかもしれない。その結果、こうして先生を悩ませる程に反発している、というのだろう。

 それにしても、自分の身を守るためとはいえ、あれだけ仲良くしていたはずの遊佐さんを売るような真似をするだなんて、僕からすれば正直考えられないことで、彼らも遊佐さんと同じく無罪放免でいいのかと言われると悩ましい所だった。


「……先生方は、もう既に結論を出しているんですよね」

「まぁな。被害者の楠木が言ったように、涼村の意見を最大限組み込んだ結論を出してる。かなり譲歩して、停学の一歩手前である厳重注意で済ませるのが妥当、と判断した。まぁ、学校側からしても公表する必要がない、望ましい結論ってやつだが、俺としては気に食わないな。楠木も、これでいいか?」

「はい。涼村くんがそれでいいのであれば、ですけど」

「そ、それにしても、先生達の対応、随分と早くないですか? 昨日の今日、でしたよね?」

「まぁ、受験は疎か、来年以降の学校の評判に直結する問題だからな。それに、加害者側の保護者とは昨日の内に連絡がついたからな。家庭内でどんな話が行われたか、なんての俺らが知る手立ては無いんだけどな」

「……先生、ちょっと怒ってます?」


 宮野先生の口ぶりに違和感覚えて、僕はつい口を挟んでしまう。

 先生はいつもなら猫を被るというか、明け透けなように見えてもそれは先生の中できちんと線引きが行われていて、話していいことと悪いことを区別して、もう少しオブラートに包んで話すような人だ。

 それなのに、随分とこちら側に立って話しているなと感じて口を挟んだのだが、それに何よりも気にかかったのは、宮野先生の一人称だった。


「……そりゃあな。大事な生徒同士の間で起こったトラブルを、被害者の両名が気にしていないと言っているのにかこつけて、まるで揉み消すみたいに嬉々として事を進める学校側にも、三年生にもなって自分のやったことの非を素直に認められないどころか、むしろ仲間に押し付けるような真似をするあいつらにも、お前達の間でそんなトラブルがあったことにも気が付けない俺自身にも腹が立ってしょうがないんだ。……この件で学校側はアイツらを許すようだが、俺は正直、判断にあぐねている。このまま飲み込むのが正解か、否かをな」


 いつだってヘラヘラとした弛んだ表情を絶やさない宮野先生は、いつもより低いトーンの声で本心を曝け出す。目元を手で覆ってしまっているため表情は伺えないが、相当に険しい表情を浮かべているに違いなかった。

 そんな中、宮野先生の溜め息を掬うように穏やかな声音で楠木さんが言葉を放つ。


「教師として複雑な気持ちなのは分かります。ですが、彼らも宮野先生の生徒。反省を促すだけではなく、許しを与えるのも先生の仕事なのではないですか? 正直、私もこのままでいいのかとは思っています。部室に入られた時も、手を掴まれた時も、本当に怖かったので。でもそれ以上に、私のせいで涼村くんが傷付いたことの方が、よっぽど怖かったです。取られた物も涼村くんが取り返してくれました。その涼村くんが許すと言っているのだから、私は彼らに謝罪以上のことを求めたりはしません。もう関わらないで欲しいとは、思っていますけど」


 淡々と、けれども力のこもった楠木さんの言葉は、宮野先生のみならず僕の心にも響く。

 彼女が「怖かった」ということに見向きもせず、ただ謝罪だけで済まそうとしていた僕の愚かさも、一度は決めた答えを一時の感情で揺さぶられる僕の弱さも、全部ひっくるめて僕は答えを出すのだった。


「僕の気持ちは、変わりません。遊佐さんたちに、楠木さんへの謝罪を要求するだけです。それ以上も、それ以下も要求することはありません」

「そうか……。それで、本当にいいんだな?」


 宮野先生の最後の確認に頷き返すと、先生は深い溜め息を吐いて項垂れてしまう。


「はぁ……。俺達よりも、お前達の方がよっぽど大人だな。それじゃあ、これ以上俺がうだうだ言ってる場合じゃない、って訳だ。それなら、取り決め通りに事を運ぶ。それでいいな?」

「事が運ぶ、って、まるで台本があるみたいな……」

「まるでもみたいも何も、その通りだ。芸能人の記者会見だって台本があるんだ。生徒への罰を訴えるのにも台本くらい用意するさ。……とは言ってみたけど、実際には勅使河原先生が用意しようって言い出したんだけどな」

「勅使河原先生が、ですか?」

「自分が顧問をしている部活でこんなことが起こったんだ。勅使河原先生も結構気に病んでいてな。だがまぁ、こんなパターンで台本が用意されるなんてのは涼村、お前の決定があったからこそなんだ」

「ということは、もしも僕がさっきの質問に首を横に振っていたら、その台本が全部お釈迦になってたってことですか!?」

「あぁ、全部パァだったな。まぁでも、予め答えの決まった裁判なんてのは出来レースだ。台本があってこそだろ。もちろん、演出はモリモリに盛り込んであるぜ」

「ということは、相手は誰も、この結果で済むってことを知らないんですか」

「当たり前だろ。むしろ、学校側からは保護者にだけ結果が決まってることを伝えている。もちろん、何かあれば変わる可能性がある、とは伝えていたけどな」

「親から抑えられて、あの態度ですか……。度し難いですね」

「「……」」

「ふ、二人してなんですか、その目は」

「いや、楠木さんにしては、難しい言葉を知ってるんだな、って思って」

「おま、涼村……。そういうのは分かってても言わないもんなんだぞ」

「……涼村くんは、後で覚えていて下さい」

「ひぃ、僕だけ……」


 ギロりと向いた横眼は僕の生存本能を刺激し、一瞬にして張り詰めた緊張感が丸まっていた背筋がピンと伸びる。気を緩めたら殺されるのではないかと思う程の緊張感に包まれながら、僕は先生の説明に耳を傾ける。


「あいつらが落ち着いたようなら、俺の後に続いて二人が視聴覚室に入る。そこで、第一声に謝罪の言葉が無いようならば、停学か、もしくは自主退学かをちらつかせながら話を進めていく」

「うわぁ、えげつないですね」

「これくらいしないと、分からないだろう。自分達がどんなことをしたのか、それを骨の髄まで理解してもらう」

「先生、ちょっと乗り気ですか?」

「……その後、楠木と涼村の二人の意見を持ち出し、こちらから譲歩する。これはあくまでも、初めから決まっていた訳じゃない、という風体を取るだけだ。学校側で決めてました、なんてのは言えないからな。前例が出来上がってしまう訳にはいかないんだよ」

「前例、ですか」

「あぁ。過去にこんな事があった、ってのは意外と結果を左右するものでな。今回のことも、いずれ噂やら時効やらですぐに広まるだろう。人の口には戸が立てられないからな。それで、今回学校側がこんなことをしていた、なんて広まったら、同じような事態になった時に相手がつけあがるかもしれないんだ。受験期だから揉み消してくれる。そう考えるやつが出てこないとは限らないだろ」

「実際問題、今こうして出てきた訳ですもんね……」

「そうだ。だからこうして学校側はあくまでも、楠木と涼村の意見を尊重しただけ、と白を切るんだ。当事者間で済んでいたことだから、という感じでな。ただ、今回の一件では先生からあいつらに楠木への接触禁止を申し付けるつもりだ」

「接触禁止って……同じクラスですよね? クラスを移動させるんですか? それだと、せっかく水面下で収めようとしたのに意味が……」

「実際問題、かなり厳しいことではあるが、クラス内での接触禁止を命じるようになる」

「それは、余りにも現実的ではないかと思うのですが」

「分かってる。だから他の先生方にも協力してもらうつもりだ。今後の学校生活で楠木があいつらのことで窮屈な思いをしないよう、最大限の配慮をする。これは楠木の意思ではなく、第三者から見た総合的な判断で行われる。もちろん、相手には知られないようにな。もしも全員がそれに該当するようなら、学校側も公になっても構わないという言質はとってある。だから安心して話し合いに臨んでもらいたい」

「……はい、分かりました」


 学校側の意思として、被害者を最大限守るための措置である、という先生の説明に、楠木さんは自分がそうされるだけの被害を受けたということを再認識した様子で頷き返した。

 その後、宮野先生から向こうの状況が落ち着いたという連絡を受け、三人でお茶を飲んだ。

 そんなゆっくりしていていいのかとも思ったが、先生曰く、こういうのはちょっと遅れて行くくらいがこちら側がアドバンテージを持てるのだと、社会人になってから必要になるぞ、なんてことを教わった。


「さて、そろそろ行くか。お前達は座っていてくれればいい。質問には頷くだけでいい。無理に答えようとすることも、相手からの質問にも答える必要は無い。分かったな」

「はい」

「涼村も、いいか?」

「……最後に、一つだけいいですか?」


 僕達は座っているだけ。

 主導権は先生達が握る。

 それで問題無いのだが、僕は一つだけ注文を付けることにした。

 楠木さんに相談もしていないけれど、僕の意見も尊重してくれると言うので、恐らく問題無いだろう。

 二人の視線が集まる中で、僕は一つ、注文を口にする。


「──思いっ切り、脅してやってください」


 その言葉を耳にした途端、楠木さんからは溜め息が、宮野先生からはくつくつと言う笑いが起こる。


「涼村くん……」

「こ、これくらいは、いいでしょ……。それに、なんだか映画の裏取引みたいで、わくわくしちゃってるし」

「遊びに行くんじゃないんだから」

「で、でも、これは迷惑料として……。楠木さんだって、見てみたいでしょ?」

「まぁ、ちょっとは」

「本当にちょっとだけ?」

「……少し、興味、ある」

「なので、先生! お願いしてもいいですか?」

「お前らなぁ……」


 本人の前では言えないが、楠木さんは性格が悪い。

 だからこそこの話には乗ってくると思ったし、その考えに至る僕もまた、相当に性格が悪いのだと思う。

 そんな二人に対して、宮野先生は呆れた様子で手に持った紙の束で僕達の頭を軽く叩くと、部屋の外に向かって歩きながら、笑って振り向いてみせる。


「……初めから、そのつもりだ」


 どうやら、宮野先生も相当に性格が悪いのかもしれない。


 楠木さんと目を合わせて笑った後に、表情を引き締めて歩き出す。

 先生の後に続いて、僕と楠木さんは昨日の四人が待つ部屋へと向かって歩いて行く。

 ただ、僕と楠木さんにとっては、まるで映画でも見に行くみたいな気分で向かう。

 この扉の先で待っているのは、どんな悲喜こもごもな感情だろうか。そんな気分を顔に出さないよう意気込んで、重く苦しい様子で部屋に立ち入っていくのであった。








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