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待ち伏せ。

 

「美味しかったねぇ」

「ひめ姉のパスタも美味しかった」

「今度作ってあげるね?」

「いいの!?」

「もちろん。あんな顔して食べてるの見たら、私も負けてられないからね」

「お店と張り合わなくても……」

「駄目なの、これは決定事項なの。このままゆーちゃんが寝取られたままじゃ私も気が気じゃないから!」

「寝取られた、って……。公共の場なんだから言い方をだね」


 僕達が入った頃がお昼のピーク時だったのか、席に余裕があるのを見つつ、腹を満たした僕達はランチの軽いデザートを口に運びながら食事の感想を言い合う。

 ひめ姉はこうして美味しいものを食べに行くと、毎回必ず決まって僕の「美味しい」を取り返す、と躍起になるのだが、その感情だけはイマイチ賛同しかねる。


「…………ところで、ゆーちゃん?」

「…………皆まで言わなくても分かるよ」


 ひめ姉は目を伏せ、問いかける。

 一つ下がったトーンが物語る問いの内容が何なのか、僕は聞かずとも分かっていた。


 夕飯に自炊していると嘘を吐いて、過去に作った写真を使い回していることか。

 それとも夜にきたメッセージを返すのが面倒で朝になってから「寝てた」と返して裏では時々夜更かししていることか。それとも──。


 と自分自身に関するひめ姉が口を挟みたくなるような問題が幾つも上がってくるのだが、今この瞬間に限って言えば、そのどれもが不正解と言わざるを得ない。

 僕とひめ姉の前に現れた大きな問題。それは、


「──どうして、さっきのモデルさんがずっとこっちを見ているのかしら?」


 僕があの人集りから逃げ出して来た理由。

 目と目が合ったその人が、全面ガラス張りで陽光を取り入れることが出来るようになっている間取りの中でただ一人、人の影をしっかりと落とす存在が佇んでいることだった。


 よく漫画やドラマ、アニメなんかで見かけていた、待ち合わせにやって来た女性が待ち合わせの時刻が近付いたことで髪の毛が乱れていないかを喫茶店のガラスで確かめる乙女な瞬間を切り取るシーンが一昔前には流行ったけれども、その乙女が仁王立ちして窓際の席に座る人物を見下ろすなんてシーンは、見たことも聞いたことも無かった。

 ましてや、その創作上の場面では、喫茶店のガラスはマジックミラーだったり、色付きガラスで中の様子が見えないようになっていて、でもよく見ればガラスの向こうで待ち合わせの彼と目が合ったりして――なんて想像を掻き立てられるような光景が目に浮かんでくるが、この店のガラスは無色の透明で、向こうからもこっちからもばっちり見えている。

 視界の端に映るモデルの女性は仁王立ちしたまま、一切微動だにせぬまま窓際の席を、正確には、僕を睨んでいるように思えて仕方が無かった。


 彼女が現れたのは、僕達が食事を終える間際の頃で、まだ時間はさほど経ってなどいない。

 ご飯を食べて気が緩んでしまったせいか、誰かがガラスの前に立ったなぁ、なんて思って創作世界の中での出来事をもい出しながらのんきにも視線を向けたが最後、見知った楠木さんの顔がそこにあった時には口に含んでいたものを喉に詰まらせて死ぬかと思った。冗談ではなく、本気で。

 それが決定打にでもなったのか、それから十分余りの間、彼女は席に座った僕を見下ろして微動だにしないのだ。道行く人も彼女の様子を観察しているかのようにも見えるし、お店の人が彼女に気付いて様子を伺っているのも分かる。

 それらに遅れて気が付いたひめ姉も横目でチラりと楠木さんの何か言いたげな表情を確認した後、アイコンタクトで色々と訴えられはしたが、ここは普段通りにしてくれ、という僕の願いが通じての会話が繰り広げられていたが、流石にそれも限界が訪れた。


 僕は彼女について触れるしか選択肢は残されていなかった。


「あの、お客様。外の方は……」

「……は、はい、知り合いです。すぐに出ますので……! ご迷惑を、お掛けしました」


 判決を言い渡されるかの如く迫って来た店員に対して、僕は平謝りをする他なかった。


「「ごちそうさまでした」」

「ありがとうございました」


 僕は知っている。

 さっきまで店員さんがお客さんには「またお待ちしています」と言っていたのを。

 ただの偶然かもしれないが、そのことに気付いた瞬間、僕はぺこぺこと繰り返し頭を下げながら平身低頭のまま店を後にしていく。


「……」

「あの……、楠木、さん?」

「……何か、用」


 お店を出てすぐ。ガラスの前で仁王立ちをしていた彼女は、ガラスに向かっていた体を九十度移動させて出入り口から出てくる僕達を待っていた。

 恐る恐る声を掛けてみると、返ってきたのはそっけない返事。

 それはこっちの台詞だよ、と言いたいのを胸に秘め、不満げな様子で僕とひめ姉を見比べる楠木さんの目的を探るように言葉を選んでいく。


「えぇと……今日は、お仕事……だったんだね」

「やっぱり、あんただったんだ」

「は……?」


 今の発言を浚うとなると、彼女の行動はかなり大問題と成り得るが、それはよろしいのでしょうか。

 まさか楠木さんは、窓際の人物が僕がどうか分かっていない状態であんな真似をしたというのか。本当に僕だったから、というか顔見知りだったから良かったものの、もしこれが他人だったなら彼女のモデルの仕事にも差し障るような大問題になりかねないような状況だったのではないか。

 というか、結果的に僕だったから良かったものの、楠木さんが仕事をほっぽり出してまで僕を追ってくる理由が分からなかった。


「とりあえず場所、移動しない? ほら、人目がキツいしさ。平気?」

「はい。私の分は、もう撮り終えてるので」

「へぇ、やっぱりモデルさんだったんだ」


 お姫様コンセプトのふりふり可愛い洋服に身を包んだひめ姉は、楠木さんを警戒した様子で下から見上げる。互いにヒールで身長を盛っているとは言え、元より十センチ近く身長差がある楠木さんは見下ろし、ひめ姉は見上げる形となる。それが却ってお互いの警戒度を上げるような結果に繋がり、食後の緩やかだった空気はどことなく張り詰めたものに様変わりを果たしてしまう。


 だが、ひめ姉の言う通り、お店の中から、外からも注目されるここでは場所が悪いと言わざるを得ず、ひめ姉は僕の手を取るように腕に手を這わせた後、指先を滑らせるように弾いて僕達を先導するように街中を肩で風を切って歩いていく。

 道中、時折振り返りながら「ご飯は食べた?」や「甘いものは平気?」と楠木さんを気に掛けているのは、何が目的なのだろうか。


「……冗談」

「はい?」

「冗談だから。最初から分かってた」

「はぁ……」

「あんた、撮影見に来てたでしょ」

「えっと、はい。偶然、通り掛かって」

「ふーん。偶然、ねぇ。その格好で?」

「ぅぐ……!」

「それで……。あの人は?」

「あぁ、ひめ──」

「──パフェを食べましょう!」


 僕の言葉を遮るかのように、ひめ姉は声高に宣言する。


「さっきご飯食べたばっかりなんだけど」

「スイーツは別腹。これ女の子の常識よ。それに、歩いたじゃない」

「パフェは、好きです」

「はい、ご一緒させていただきます……」


 デザートに出されたジェラートまで食べたというのに、まだ食べる気なのか。

 そう思っても、言わないことが平和への近道だということを僕は学んでいる。

 しかも、女性が二人揃った時の戦力は男が十人揃っても太刀打ちできないほどに強いことも知っている。

 故に僕は、パフェと聞いて微かに目の輝きを増した楠木さんの期待を削ぐわけにもいかず、カルガモの子供よろしく黙ってひめ姉の後をついていく。


 ひめ姉が僕達を引き連れて向かった先は、高級フルーツで有名なパーラーの出している飲食店。

 流石の敷居の高さと言うべきか、お店は中も外も上品そのもので、お客さんの層も女性がメインのようであった。二人はともかく、僕は場違いな気がしてならなかったのだが、メニューに描かれた色とりどりのフルーツが飾られたパフェの写真を見て、ひめ姉の言っていた別腹がなんとなく理解できたような気がした。

 席は僕とひめ姉が並んで座り、対面する形で楠木さんが席に着いた。


「好きな物頼んでいいわよ。私出すから」

「そんな、悪いです」

「いいのいいの。ゆーちゃんのこと()()()、聞きたいから」

「ゆー、ちゃん……?」


 これまで、姉と学校の知り合いを会わせるという機会を得たことが無かったため、知り合いの前で普段の呼び名を呼ばれるのがどれだけ恥ずかしいかを、知らなかった。


「ふ、二人だけの時にして……!」

「二人だけの時……?」


 なんだかあらぬ誤解をしているようだが、僕としては羞恥心の方が勝っているので楠木さんに気を遣う余裕はなく。


「それじゃあ、後で、ね?」

「は、早く注文しよ!」

「……へぇ、そんな顔もするんだ」


 楠木さんの反応を伺いながらひめ姉は、わざとらしく向こうにも聞こえるような声量で耳打ちしてくるのも引き剥がしてどれにしようか頭を悩ませる。

 だが僕の頭の中は今、パフェよりも甘い思考に満ちていて、視覚から得られる情報を処理する余裕すらないまま脳を通過してどばどばと流れ落ちていく。


 ……これって、なんかそういうお話で見たことがある。

 そういうやつ、そういうやつではないだろうか?

 ラブコメ的展開、ってやつ? いや待って? どこに『ラブ』要素があるのだというのか。

 ひめ姉のことは好きだ。勿論大好きである。だがそれは家族としての愛情、親愛であって、性愛とはまるでかけ離れたもの。じゃあ楠木さんは、と言われると判断に困るというもの。

 何せ楠木さんと関わるようになってからまだ一週間しか経っていないのだから、彼女のことを好きか嫌いかなんて分かるわけがない。もし仮に好きか嫌いか、どちらか一方を必ず選ばなければならないのであれば当然『好き』だと言えるのだが、それは彼女のことを人間的に好きなのであって、異性として好きかどうかは判別できない。もしここで一方的に異性として好きだと表明したところで、彼女が僕に靡くなんてことは奇跡が起きてもありえない。絶対に、有り得ないことなのだ。

 彼女は確かに「明日もよろしく」と言ってくれたけれど、それは彼女の勉強を、課題を見てもらうことに対してのよろしくであって、そこに恋愛感情が挟まる余地なんて無い。あるはずがない。僕と楠木さんとでは、文字通り住む世界が違うのだから。


 もしもそこに、僕が一方的に恋愛感情を抱いたとすれば?


 確か以前テレビで見た。興味のない異性からの恋愛感情ほど気持ち悪いものはない、という文言。

 普段の彼女の態度や、小耳に挟む噂からして、楠木さんはそもそも異性に良い印象を持っていないのだろう。そんな状況で僕が下心なんてものを晒そうものなら、それは楠木さんに対する敵対行為と取られてもおかしくはない。

 ぬいぐるみが局部を持てば、男だろうと女だろうと恐怖する。楠木さんにとって僕は、ぬいぐるみのままでいなくてはならなかった。


 僕と楠木さんは、ただの勉強を教えて教えられるだけの関係。

 同じ部活に入っているのも、彼女が勉強が不出来だということを知られないためのカムフラージュに過ぎないということを忘れぬよう再三に渡って自分に言い聞かせるのだった。


「ふぅ……」

「……なんでそんなに焦ってんの」

「ぜ、全然!? あ、焦ってなんか、ないよ?」

「汗、凄いけど」

「あ、あはは……」

「注文決まった? 値段なんて気にしなくていいんだよ? どれにするか、決めた?」

「えっと、はい」

「紅茶? それともコーヒー?」

「それじゃあ、紅茶にします」

「コーヒー、苦手なの?」

「あ、えっと……、はい……」

「そう? じゃあ私も紅茶にしよーっと」

「お、お気遣いなく」

「そんなんじゃないよ。私も紅茶の気分だっただけ。ちなみにゆーちゃんはコーヒー飲めないもんね」

「え? あぁ、うん。苦いからね」

「そう、なんだ」


 僕が一人で甘い思考に盛り上がっては、苦い感情で冷静さを取り戻している間に、二人はさっさと注文を決めたらしく、後は僕の決定を待つだけのよう。


「それじゃあ」


 そう言って店員さんに注文したのは、ひめ姉が季節の果物が選別されたパフェ、僕がご自慢のフルーツを盛り合わせたワッフル、そして楠木さんは普通にランチのサンドウィッチセットだった。


「……パフェ食べに来たんじゃないの?」


 注文を聞き終えた店員さんが去って行くのを見送ったひめ姉は、どこか冷ややかな目線で僕達に目線を這わせてくるが、パフェを食べたいと言ったのはひめ姉だけだし、僕達はただ食べたい物をチョイスしたに過ぎない。

 とは言え、お金を出してもらっている立場でそれ以上文句を口に出すつもりは無く、無難に「美味しそうだったから」とでも言って誤魔化しておいた。その間、楠木さんは年相応というか、随分と幼い様子で注文した後もメニューに視線を落としていたのでひめ姉の面倒な絡みからは逃れていた。ひめ姉の絡みから逃れる方法はそれか、と今後は僕もその手法を真似しようと心に決めて品々が届けられるのを待った。


「……さてと。そう言えば、お名前聞いてなかったよね?」

「紹介が遅れてごめんなさい。私は、楠木陽葵って言います。そこの涼村君とは、同じクラスで、同じ部活に所属しています」

「へぇ、陽葵ちゃん、っていうんだ。私は、九桜姫和。ひよりちゃん、って呼んでいいからね」

「では、姫和さんで」

「それで、陽葵ちゃんは現役学生でモデルさん、でいいのかな?」

「はい。撮影現場に、涼村君といらっしゃっていましたよね」

「たまたま通り掛かってね。お仕事の方は抜け出してきちゃって平気なの?」

「私はまだバイトの身分なので、今日は先輩たちに付いて回って路上撮影の勉強をさせてもらっていただけです。本日分の撮影は、もうスタジオで済ませてきているので」


 お互いに猫を被っているのが分かる僕としては、相手を探って牽制を仕掛けようとするひめ姉に対して、何故かひめ姉だけでなく僕をも合わせて推し量るように伺う楠木さん、という構図が出来上がって、全てを知っている高みの見物の視点を持つ僕からすれば、見ているだけでも愉快に思える光景。

 このまま誤解されたままでは話も拗れたまま、折角運ばれてくるデザート達も美味しくなくなってしまいかねない。ならばここで、僕が二人に冷や水を浴びせ掛けてやらねばならないのではないか。

 いや、決して手元のお冷を投げつけるという意味では無くて。


「はいはい、ひめ姉もそこまで。えっと、楠木さん。驚かせてごめんね。それと、うちの姉が迷惑をかけてごめん」

「は……? お姉さん?」

「そう。ひめ姉は、僕の姉です。ちなみに、この格好もひめ姉の趣味でして……」

「もー、ゆーちゃんがひめ姉って言うなら私もゆーちゃんって呼ぶから」

「え? お姉さんって、梅女の人って……」

「え? あぁ、梅ヶ峰には通っていたけど、今はバリバリの社会人よ? 私」

「……涼村君、ちょっと」


 説明を受けて僕とひめ姉を交互に見やる楠木さんだったが、ようやく自分の思い違いに気が付いた彼女はこめかみをひくひくとさせながら手を招き、僕は向かいの席から彼女の隣に移動させられる。

 そこでは隣に腰を下ろしただけに留まらず、楠木さんによって僕は腕を引かれ、ふわりと香る楠木さんの良い匂いに酩酊しそうになるくらいの至近距離に互いの存在を感じながら、ひめ姉には聞こえない声量で「どういうことなのよ」と僕が攻め立てられる。


「……お姉さん、現役学生って言ってたじゃない」

「い、言ってないよ、そんなこと。まぁ、卒業生とも言ってないけど……って、痛っ」

「……どっからどう見ても大学生にしか見えないじゃない! 顔も似て無いし、それに名字も違ってるし、私はてっきり──」

「てっきり?」

「……なんでもないわよ」


 やっぱりひめ姉と僕は傍目から見ても顔似てないんだ、と軽くショックを受けながら、何かを言い渋る様子の楠木さんに背中を押されて元の席に戻された。

 しかし、戻った先で待っていたのは安息ではなく、今度はひめ姉に手招きされて身を寄せられる。


「……陽葵ちゃん、私達のことカップルだと思ってたでしょ?」

「いや全然? むしろ、ひめ姉が社会人のことに驚いてたよ」

「えーそれも嬉しい~、ん、だけど、わざわざゆーちゃんのこと追ってきたんだよ!? それだけの理由があってこそじゃないの!?」

「普通に興味本位とかじゃないの? 僕の私服がこれだったら他のクラスメイトでも驚いて後を追うくらいはするでしょ。まぁ、そもそも僕をを僕だって認識できる人がどれくらいいるか分からないけどね」

「ゆーちゃんが自信あるのかないのか分かんない……」

「後ろ向きに前向きだからね」

「まぁでも、少なくとも陽葵ちゃんはゆーちゃんに気付いたってことだよね?」

「……」


 そんな風に雑談している間に、注文の品々がテーブルへとやってくる。

 店員さんの手によって運ばれてきた品々はどれをとっても一級品だと素人目で見ても分かる輝きを放っていて、男の僕ですら感嘆してしまえるのだから女子たちはもっと目を輝かせているだろうと思って隣に目線を移す必要も無く、黄色い声が上がった。


「きゃ~! めっちゃ可愛い~! 略してめっかわ。食べるのがもったいないわ~! 陽葵ちゃんのも可愛すぎる……! 後で写真見せてちょうだい!」

「は、はい……!」


 楠木さんの口からはひめ姉のように黄色い声こそ上がりはしないが、彩り豊かなランチセットに唾を飲んで一際目の輝きを放つ姿は、見ているこちらまで幸せになりそうだった。

 目の前のものに夢中になる楠木さんは僕が見ていることにも気付かないようで、プロカメラマンが如く何枚もシャッターを切るひめ姉に釣られて目の前のランチセットの写真を撮る楠木さんの姿は、大人びた衣装が目に入らなくなるくらい少女のようだった。


 ひめ姉が、僕や正紀さんの食べる姿が好きだ、と言っていた気持ちが少しだけ理解できたような気がして二人が満足いくまでこれでもかとシャッター音を店内に響かせた後、ようやく目の前の甘味に手を付けていく。


「ん~、美味しい。ゆーちゃんも食べる? はい、あーん」

「ひ、一口でっか……」


 他愛ない会話を繰り広げながらパフェを食べ進める中、ひめ姉は僕の返事を聞く様子もないままスプーンを差し向けてくる。

 それをいつものように差し出されたスプーンに口をつけると、生クリームの濃厚な甘みとフルーツのさっぱりとした味わいが口いっぱいに広がる美味さの衝撃にしきりに頷きを繰り返して親指を立てる。

 一度に頬張り過ぎたため喋ることはできないが、目を瞠って何度も頷く僕を見てにこやかになるひめ姉は、今度はお返しを期待するように小さな口を下品にならない程度に開いてみせる。


 スイーツを食べに来たときは大体こうしてお互いに違うものを頼んで食べさせ合いっこをするのだが、一瞬楠木さんが同席していることすら忘れてしまえるくらいに自然な流れでいつものようにひめ姉がしてくるものだから、ワッフルをひめ姉の一口サイズに切り分けたところでようやく彼女の存在を思い出す。


「……え、っと」

「仲が良いのね」

「はーやーくー」

「うっ……」

「差し上げたら? お姉さんが待ってるじゃない」


 いつものことなんだと言い訳する暇もなく、黙々とランチセットを食べ進める楠木さんの方を僕は油が切れかけたロボットのようにギギギ、と首を向けるも、ひめ姉の催促に屈する他無く、フォークの上に乗ったミニワッフルプレートをひめ姉の口元へと運ぶのだった。


「ん~! ワッフルがカリカリのフワフワで美味しー! はい、陽葵(ひまり)ちゃんも、あーん」

「いえ、私は……」

「はい、あーん?」

「あ、あーん……」


 僕が動揺するのも束の間、ひめ姉のパフェよりも甘い毒牙は彼女にも襲い掛かり、楠木さんは面食らった様子のまま、成す術なくひめ姉の手で盛られたパフェが載ったスプーンを迎える他無かった。

 そして、ひめ姉の番が終われば次は当然相手からのお返しを要求するのがひめ姉であり、それを断れる者など、堅物の父さん以外に見たことがない。

 とは言え、初対面の相手にやるのは初めて見たのだが。


「お、美味しいです……」

「んんー! やっぱりチョコパフェも魅力的だよねー! フルーツパフェにするかチョコパフェにするか悩んだんだぁ。でもこうして食べられたし、ラッキーってことだよね」

「楠木さん、うちの姉がごめんなさい……」

「い、いえ。ちょっと、私の周りにはいないタイプで困惑しただけだから」

「いや、うん、まぁ……それだけじゃ、ないけど」


 楠木さんは言葉の通りに目を回して困惑した様子を見せていた。

 ただ、ひめ姉のスプーンが僕の口に触れた後にひめ姉を経由せずに楠木さんの元に届いたことを理解しているのかどうか。


 物体を経ての唾液の交換。


 俗に言う間接キスのようだが、それを口にするのは憚られるどころか気持ち悪すぎると自分でも理解しているため、ここは知らぬ存ぜぬで押し通すつもりで邪な思考を意識の外に追いやる。それに、ひめ姉とはこれまでも幾度となくやってきたことだし、今更意識することでも無いか、と色々と考えないようにしてワッフルを食べ進める。

 その後、学校での僕や楠木さんの様子をひめ姉が聞いたり、彼女の進路がひめ姉が通った道と同じ梅ヶ峰女子大学であると知って「後輩が出来た」と嬉しそうにするひめ姉がいたりと、終始ひめ姉のペースで時間が進んで行くのだった。


「ゆーちゃん、トイレは平気?」

「え、何、突然。平気だよ。それを言うならひめ姉こそ」

「ゆーちゃん?」

「あー……、そう、かも。うん、ちょっと、お手洗いに……」


 三人のお皿が綺麗に片付けられて食後の紅茶を嗜んでいると、突然ひめ姉からそんなことを聞かれる。

 飲み食いしてすぐに出るほど僕の内臓系は活発ではなかったのだが、断ろうとすればひめ姉はジトっとした目でこちらを見て来るが為に、僕は首を縦に振らざるを得ない。


 ひめ姉は、楠木さんと二人きりで話がしたいと言うのだろう。その為には僕が邪魔だと。席を外せと言いたかったのだが、楠木さんに余計な警戒心を与えるわけにはいかないと言葉を選んだのを察した僕は、さりげなく席を立つ。

 どうしてか楠木さんにまでジトっとした目線を送られてきたのだが、彼女はきっとデリカシー云々について視線で訴えているのだろうが、姉弟の間にオブラートで包むようなデリカシーが存在している訳がなく、僕は大人しくお手洗いに向けて席を立つのであった。








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