2-20 決着の時
森の中を進む。鬱蒼と生い茂る草を掻き分けて、奥へ、奥へとただ歩く。
「静か過ぎる……」
森の浅い部分ではあれほど動物の気配がした。木の上で鳴く鳥や、小さな生き物が草を揺らす音がした。
だが、ある時点から不気味な程音が消えた。
風の音だけが聞こえる。
だが、臭いは違った。
死臭──肉が腐った嫌な臭いがふわりと漂ってくる。
何物かが、食い散らかした後が、そこら中に残っている。
近い。ヌシを森の外側へと追いやったものがこの近くを根城にしているのは狩りの素人の俺でも分かる。
全然気付かなかった殺気、気配がこちらを見つめているような感覚に襲われている。
このヒリヒリとした肌を突き刺すような緊張感は久しぶりだ。
魔王と対峙した時ほどではないにしろ、油断すれば死ぬ危険のある状況に置かれているのは間違いない。
グロロロロロロ…………。
唸り声のような不気味な音が森の木々に反響してどこからともなく、聞こえてきた。
先行していたディーンが左手を挙げて俺に止まるように指示した。
近い……もう、いつ襲撃されてもおかしくないだろう。
準備していたポーションをあおり、戦闘に備える。
スクロールに手をかけていつでも使える用意をする。
「ケニイ、近いぞ……油断するなよ──」
「ッ! ディーン! 上だッ!」
ディーンが振り返り俺にそう言いかけた時、奴は姿を現した。
正確には視認は出来ていない、ただディーンの10mほど先の木の上で僅かに不自然に木が揺れたのが視界に入って、叫んだ。
「ッ!?」
ディーンが振り返った時には既にそこにはいなかった。
「木の上を移動してるぞ!」
「どんな魔獣だ、くそっ!」
ディーンの背中に立ち、お互いに背後を庇い合う。
ガサッガサササッ!
素早く木の上を移動する何かはその動きでは考えられないほど、最小限の音しか出さない。
目玉をギョロギョロと動かし索敵に徹するが捉えきれていない。
くそ、視界が悪過ぎる。ここは奴のテリトリー。こちらが圧倒的に不利だ。
「ケニイ!伏せろぉおおおっ!」
「!?」
咄嗟に頭を下げると、ブオンッという風切り音がして、ディーンが吹き飛ばされた。
ガキンッという金属がぶつかったような高い音が響いたと思ったらディーンは俺の右側に5mほど転がり幹に身体を打ちつけた。
「ディーン! 大丈夫かっ!」
「ケニイッ油断すんな! 次はお前を狙うぞ!」
分かってる、分かってるが……どこにいる!?
集中して気配を探りながらディーンに声をかける。
「動けるか?」
「ああ……だが、今ので護符を1枚使っちまった……一撃でも喰らったらヤバいぞ」
マジかよ、護符が無かったらディーンは今頃死んでた……間違いなくA級の実力だ。
ディーンだって昔は冒険者をやってたらしいし、B級の上くらいの実力はある。
そんなやつが来ると分かっててガードしたのに、そんな威力の攻撃なんて。
「ディーン、長期戦になるほど不利だ! さっさと片付けるぞ!」
「分かってる……が、その前にヒールをくれ」
「今迂闊に動いたら危ない! 何か時間を稼ぐ手段はないかっ!?」
「あるが……ハイリスクだぞ」
「今でも十分ハイリスクなんだ、何でも良いから時間を稼げるなら頼む!」
クソ、後1人でもタンクの役割をしてくれるやつがいたらディーンを回復させてやれるんだが、俺しかいない。
俺がディーンを回復する瞬間に俺を狙ってくる。
「いいか、俺の合図で目と耳を塞げ! タイミングをミスったらお前も無防備になるぞ!」
「ッ! 分かった!」
ディーンの意図を理解して合図を待つ。
「1……2の3ッ!」
ディーンがポケットから取り出したソレを俺の近くに投げた。
俺はすぐに目と耳を塞ぐ。
キィィイインッ!と耳をつんざくような爆発音と共に森の周辺が真っ白になるほどの光を放つ。
フラッシュグレネードのような効果を待つ魔道具だ。
効果はほんの一瞬。だが、どんな生き物でも光と音が異常なまでの強さで発生すると思わず身体が硬直する。
その隙にディーンに駆け寄り治癒魔法をかける。
この動作は俺の得意分野だ。本気を出せば全回復するのに1秒もかからない。
「凄えなお前、嘘みたいに痛みが消えた。肋骨が折れたんだがな」
「そんなもん、俺からしたらかすり傷と同じだ」
「言うねえ、流石は街1番のマッサージ屋だな」
そんな軽口を叩いている間に奴は木の上からドスっという音と共に落下してきた。
「な、なんだあァッ!? こいつはっ!?」
地面に這いつくばるそいつはとんでもない姿をしていたのだった。
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※ディーン視点
危ねえ、ケニイの護符が無かったら即死だった。娘の敵とは言え、冷静な判断が出来ていなかった。
それにしても身体中の痛みが一瞬で消し飛ぶとは一体どんな修行したらこうなるんだよ。
畜生、こいつがもっと早く産まれてたら一緒に冒険者として山ほど稼げただろうに……。
いや、今はそんな事を考える場合じゃねえ、とにかくこいつを倒さないと……ってどうやって倒す?
あり得ないくらい、すばしっこいし攻撃力も半端ねえ。護符はお互いに後一枚。
どっちかに連続して攻撃されたら俺たちは終わりだ。
「ケニイ! 魔法で周囲の木を倒せるか!? 頭上をウロチョロされたら厄介だ!」
「行けるがその間の防御は頼むぞ!」
「任せろ!怪我しても一瞬で治るなら問題ねぇ!」
こんなピンチでもケニイの回復力は頼りになる。
あいつからすれば、即死攻撃を当てなかったら絶対に回復するんだからな。つまり、あいつにある程度の知能があれば、あっちも長期戦は不利だと思うだろう。
こっちの護符の事情なんて知らねえんだから、さっしの攻撃じゃ効かないって誤解してくれると助かるが……。
「行くぞ! ウィンドカッター!」
ケニイがスクロールを使って周囲の木を倒す。これで視界が広くなったから戦いやすい。
それにしても、あいつは一体なんなんだ?
以前に会った時は夜だったからハッキリと姿を見たわけじゃない……だが…………こんな魔獣は見たことがない!
同じなのは、嫌な気配だけ。こんな……訳の分からん見た目じゃない。
木から落ちてきた奴の姿は蜘蛛の脚に、胴体に熊が乗っており、腕は長いカマキリ、尻尾は蛇だ。
これだけでも十分に異様な姿だが、熊の胴体の肩には複数の魔獣の頭がくっついているように見える。
しかもグチュグチュと気味悪く動いている。
そんな姿を観察していると、背中の肉が盛り上がり、コウモリのような羽が生えた。
「飛ぶのかこいつ!?」
羽音を立てて数メートル地面から離れた。
すると熊の頭がコウモリの頭に変形しやがった。
「ギャアアアアアアアアアアッ!」
「ッ!?」
耳がキンキンする、これはコウモリの出す高い声か!?
複数の魔獣の特徴と能力を使い分けられるってことかよ、反則だろ!?
脳が揺さぶられて気分が悪くなったが、すぐに治った。ケニイが腕をこちらに向けているということはあいつが何かしてくれたんだろう。
「ディーン、あいつの羽と脚、奪えるか?」
「任せろ。何か考えがあるんだろう!?」
「ああ、あいつに近づくことさえ出来れば何とかなるかも知れない!」
格好つけて返事はしたものの、出来るか確証はない。
だが、やらないと死ぬ。
俺には家族がいる、もうあんな顔をさせるつもりはない!
「ケニイ、少し本気を出すぞ。その後は俺は使い物にならないかも知れんがな」
普段、ケニイに必要なのかと聞かれるこの剣はただの剣じゃない。魔道具だ。
魔法の使えない俺でも魔力はある。その魔力を剣に蓄積することが出来る。
しかもその魔力を俺の身体能力向上に変換出来る優れものだ。
その能力を起動させるのにも、それなりの魔力を吸われてしまうが、今が使い時だろう。
この日の為に魔力を貯めに貯めて、肌身離さず持ち歩いていたんだからな。全部使ったら俺の身体が持たないかも知れない。
だが、今日はすぐ近くにケニイがいる。身体の心配をする必要はないから全力で行かせてもらう……。
スーーッ。
深く息を吸い込み、神経を研ぎ澄ませる。
『覚醒せよ!』
起動の呪文を詠唱すると身体からゴッソリと魔力が抜ける感覚が来る。そしてその後に身体に力が溢れていく。
行けるっ!
「ケニイ、信じてるぞぉっ!」
光のような速度で魔獣に斬りかかる。
地面が抉れるような強さで蹴り、一瞬で間合いを詰めた。
「うらぁっ!」
この速度には、流石のあいつでも対応出来ず、片方の羽をぶった斬ってやることに成功した。
素早く背後にまわり込み、後ろ側の脚を一気に4本纏めて切断する。
奴はバランスを崩して、地面に倒れ込んだ。
隙ありぃっ!
そのまま背中に袈裟斬りをお見舞いしてやるッ……刃が通らねえ!
分厚く、硬い毛に覆われた胴体部分は致命傷となる俺の攻撃を防ぎやがった。
グッ!?
俺の脚に蛇の尻尾の先から出ている毒針のような物が刺さっている。
こいつ、なんでもありじゃねえか!
だが、痛くても毒は効かねえ、ケニイの魔道具があって助かったぜ。
後は残りの脚と危険な腕を落とすだけが……ケニイのダガーで接近して斬り込むしかねえのか。
やってやるぜ、この野郎がっ!
「ディーン! 突っ込むな!」
「なっ何ぃっ!?」
切断したはずの脚が生えてやがる、どういうことだ!?
「こいつは回復能力が高いみたいだ!切ってもまた生えてくるぞ!」
「だけど、無限に生えてくるはずがねえ、限界があるはずだ!」
「一旦退け!作戦を変更する!」
「チッ!」
素直に一旦引いて、奴の様子を伺う。
幸い、今はダメージの回復に専念しているのか、こっちを襲ってこない。
「おい、ケニイ、どうするよキリがねえぞ」
「ああ……だが分かったこともある。奴は体内の魔力を使って回復しているようだ。魔力が切れたら回復は出来ない」
「そりゃ当たり前だろうが! 問題は魔力が尽きるまでこっちの身が持たないってことだろうが!」
「へへ……一つ、とびっきりクレイジーな作戦があるんだが聞くか」
「勝てるならなんでもいい!」
「分かった。でもお前はめちゃくちゃ痛い目に合うぞ? 作戦はこうだ────」
「なっ!? てめえ! イカれてんのか!?」
ケニイから聞いた作戦は飛んでもないものだった。
「それに本当に出来んのかよ!?」
「ああ、マッサージ屋でいつもやってることを派手にやるだけだ」
「やるだけっておい……しゃーねえ、やるしかねえようだな」
ケニイの作戦は俺が奴に密着する。そして俺の後ろにケニイが回る。
俺はダガーで奴を刺しまくる。すると当然抵抗してくる。
その隙に奴に大ダメージを与え続けながら俺を同時に回復させるというものだ。
俺は死の寸前までダメージを食い続けながら、回復され続ける。
イカれてやがる。
要するに、根性の勝負ってことだろ!?
帰ったら酒を大量に奢ってもらうからなケニイ!
「うぉおおあああああっ!」
もう一度奴に近付き、機動力となる脚を全部斬るっ!
そして厄介な腕をダガーでブッ刺す!
おお、スパッと切れやがる!なんて便利なんだこいつは!
いてててっ!こいつの身体中から毒針みたいなのが出てきて刺さってんだが!?
毒封じのペンダントが割れたぞ!?
「ケニイ!今だ!やれ!」
「任せろぉっ!キュアヒールヒールキュアキュアッ!」
ケニイの魔法で毒と傷が相殺されている。これならなんとか耐えられそうだが、ケニイに向かう攻撃まで俺がガードしなくちゃならねえ!
左手に持ったダガーと右手に持った剣を振り回して必死にケニイの防御に徹する。
あいつにダメージを与える隙がない!大丈夫なのかこれで!?
「届いたっ! 街のマッサージ屋舐めるんじゃねえぞゴラアアァッ!」
ケニイの手が魔獣に触れた時、ケニイは叫んだ。
なんだ!? 魔獣の身体が削れていくっ!?
魔獣の身体の削れた部分から肉が蠢いて再生されていっている。
ふっ……なるほど、ケニイは身体の一部を増やすだけじゃなくて減らすことも出来たのか……。
つまり、こいつの限界が来るまで削っちまうってこったな!?
「グォアアアアアアッ!」
魔獣が胴体よりも先に腕の回復を優先させて、デカい鎌を振り回しだした。
流石にこいつも、このままじゃヤバいと気付いたな。
だが、ケニイには当てさせねえっ!
ケニイの手を切断しようと振るう鎌を剣でガードする。
俺は今までないくらいに高速で動きまわり、その全てを防ぐことに徹する。
身体中、切りまくられて痛いがその瞬間に俺の身体は治癒する。
ケニイの魔力量は一体どうなってるんだ!?
こんなん神官100人分くらいあるんじゃねえのか!?
何分経った……?
いや、何秒だ?
俺の剣の能力もそろそろ限界だ……身体が重くなってきやがった……。
あっ……!
まずい、弾く方向が悪いっ!
このままじゃケニイに……!
俺は咄嗟に動いた。そして、世界がゆっくりと動くように見える。
俺の脇腹にカマが刺さって、身体が真っ二つに裂けていくのと同時に焼けたような痛みが走る。
俺は、いや、俺の胴体は横に吹っ飛び、ケニイの腕がやつの胸の中に突き刺さるのが見えたところで意識が…………。
「ん……?」
生きてるのか? 身体には感覚がない。痛みもない。
ということは死んだのか、死にかけなのか。
「ディーン! 起きろっ! おいっ!」
「ケ……ニイか……あいつは……」
「安心しろ、あいつは死んだ!」
そうか。あいつは死んだのか……良かった……。
「ケニイ、俺はここまでだ…… 流石のお前でも真っ二つの俺は無理だろ……」
「何言ってんだ! お前の下半身あるって、治しといたぞ!」
「え……?」
「感傷に耽ってないで、目開けて確認してみろ」
重いまぶたを持ち上げて、ケニイに背中を支えてもらいながら俺の下半身を見る。
ある……じゃねえか……俺の自慢の息子もしっかり……。
「はぁっ!?なんで裸なんだよ!?」
「お前の脚がなくなった瞬間に生やしたんだよ。服は再生出来ないから仕方ないだろ」
「流石に、フルチンのおっさんにズボン履かせるのは抵抗があったからな」
「布くらいかけろよ!森の中で下半身だけ裸ってどんな変態なんだ!?」
お前のアイテムボックスになら、布くらい入ってるだろ?
「ケニイ!何事だこれは!お主のピンチを感じて急いでやってきたら……ぬぉああっ!? ディーン! お前なんて格好をしておる!?」
シェリーがどこからともなく転移魔法でやってきた。
シェリーは俺の股間をもろ見てしまい、両手で顔を隠しながら、俺に罵声を浴びせてくる。
「違っ!これはケニイがっ!」
「早よう、ズボンを履かんかいこの変態めが!」
こういうのは、いつもケニイの役回りだろ!?
なんで俺がこんな目に……!?
「ほら、ディーンさっさと履け……このズボンは返却不要だ」
「あっ、こらテメェ、暗に俺が汚いって言いてえのか?」
俺だってこんな格好嫌だぞ。だが、魔道具の反動が身体が全く動かせないんだよ!
「ケニイ、悪いが履かせてくれ……身体が動かん」
「お前の生ケツ触るのは勘弁してくれ……シェリー、俺とディーンをディーンの家まで転移させてくれ、家族にやってもらおう」
「我輩の転移魔法が汚れるが……直接触るよりはマシか……」
一瞬フワッとした浮遊感に襲われて、森の中から見慣れた我が家に風景が変わる。
「あなたっ!?」
「えっ、先生!? パパ……何してんの……」
おい、そんな目で見るな!俺はお前の敵を倒した偉大なる父だぞ!
「森で少々トラブルにあってな、ディーンのズボンがダメになって、ディーンも戦闘で力が無くなったみたいで動けないらしい。俺たちがズボン履かせるのには少し抵抗があるから、後は家族で頼む……シェリー、さっきの場所に戻ってくれ」
「分かった、こんな場には我輩もおりとうないからな」
「んじゃ、後は家族で」
そう言い残し、ケニイとシェリーは消えた。
「あなた、何があったの?」
「森で下半身裸になる事態って何してたの……まさか先生と……」
「違うっての!……お前ら俺は遂にやったぞ……」
「やったってまさか……」
「だから違うって! カルラ、お前の顔に傷をつけた化け物をぶっ殺してきた、俺は……俺は……」
チクショウ!涙が出てきて、喉が痙攣しやがる!
俺はずっと、 ずっと、あの時から死にそうな暗い顔をしていたカルラを見てられなかった。
あの時、俺にもっと力があれば守ってやれたのに。
カミラは俺のせいじゃないと言うが、俺が一番分かってる。そんな気遣いすら俺には痛かった。
だが、カルラの傷はケニイがすっかり治しちまったし、後はあいつを倒すだけだった。
とうとうやり遂げた。
そう思うと、これまでの記憶や気持ちがドッと溢れてきて…………。
「あなた、お疲れ様……」
「パパ、私の為だよねありがとう」
ありがとう、これだ。これが聴きたかった。
この一言の為なら命を賭けられた。
俺の長い戦いがやっと終わったんだ。
カルラ、カミラ、こんな俺を支えてくれてありがとう。
そして、ケニイ。家族にありがとうと言える機会を俺に与えてくれて、本当にありがとう。
「寝ちゃったね……」
「凄い戦いだったんでしょうね、あの剣の力を使ったのよ、きっと」
「そうだろうね、でも、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな上にこんないい笑顔で下半身裸じゃカッコ悪いね」
「カッコ悪いくらいがこの人らしくて良いじゃないの」
「そうだね……おやすみ、パパ」




