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2-14 侯爵家の長男

 今日は侯爵家の跡継ぎ予定の長男が特別な『マッサージ』を受けることになっている。


 サイモンの妻やその友人たちに貴族に対するマナーを肌がツルツルになった彼女たちに教えてもらったが、やや緊張している。


 よく考えれば、この世界に来て7年経つが、貴族が目上の人間として会話したことはここの領主一族しかなかった。勇者のニイジマ様でずっと特別扱いされて、貴族からも敬語を使われていた。


 ラキア家は、娘の命の恩人な俺に対し、かなりフランクで優しい方の貴族だからあれを貴族として参考にするのはダメらしい。

 普通はもっと厳しくて怖いものだと教えられた。


 俺にヘコヘコしていたあの貴族たちも平民相手にはオラつきまくり、怒鳴り散らし、横暴な態度を取っていたのかと思うと何とも言えない気持ちになる。


 つまりだ、俺は今日、初めてまともに貴族と平民として会話する。しかも、侯爵家は上位貴族だ。


 失敗する訳にはいかないのだ。


 サイモンの宿としても最高級のおもてなしをする必要がある。俺だけでなく、周囲の人間全員がピリピリとした緊張感に包まれていた。


 朝9時に出勤し、マッサージ屋の方は、緊急の患者以外は見ない臨時休業となっている。

 侯爵家──アーゼルグスト侯爵はダンジョンを管理する、ダンジョン省の次席官であり、イルラキアの街を訪れるのにもってこいの立場だった。


 この事はラキア領の領主にも通知済みで、名目はダンジョンの視察ということになっている。


 準備や打ち合わせをしていると、先触れの者が来て、もうじき来るとのこと。

 侯爵及びその長男が前日に宿泊していた、ラキアの領主の屋敷から、サイモンの宿を訪れる。


 表向きはこれから発展するダンジョンのある街に必要な冒険者や、商人、貴族の泊まる宿の程度を調べる為だ。



 そして、数十分程経ったところで、アーゼルグスト侯爵が到着した。




 ※アーゼルグスト侯爵、長男レオン視点


 勇者たちに魔王が退治され、勇者たちが元の世界に帰還した後も、王国貴族には祝いの空気が流れ続けていた。


 何かにつけてパーティや催しが行われ、王都中でも毎日がお祭り騒ぎだった。


 そんな中、俺は貴族同士の騎馬術の大会に出場していた。

 馬に乗るのは好きだし、楽しい。侯爵家の長男として恥じぬ成績を残したいと、その日は意気込んでいた。


 だが、アーゼルグスト侯爵家に対し、良からぬ感情を抱きている者は常にどこかにいる。その者たちが馬に細工をしたのだろう、俺が騎乗している時に馬が急に暴れ出した。


 馬上から放り出された俺は背中を強打した。その激痛で、ハッハッと浅い息をすることに必死で身体は全く動かせなかった。


 周囲の悲鳴は聞こえていたが、俺は息をする事しかできない。幸いにも暴れた馬に蹴られて死ぬことは無かった。


 すぐに教会の神官が俺の治療をしてくれる。慌てることはない、今はこの痛みに耐えていればいい。

 無様な姿を衆目に晒したことに関しては父上に対して申し訳なく思ったが、今は何も出来ないし、そもそも馬が暴れ出したのは俺のせいじゃない。


 救護室に運び込まれた俺のもとに神官が駆けつけ、俺の背中に治癒魔術をかけた。その瞬間、ビシッと背中に激痛が走り、あまりの痛さに声すら出なかった。


 しかし、すぐに痛みは消えた。安心した俺はすぐに立ちあがろうとしたが、何故か地面が顔に近付いてきた。いや、俺が倒れたのだ。

 それと同時に、違和感を覚えた。痛みは消えたが、同時に下半身の感覚も消えていた。


 どれだけ動けと命じてもピクリとも動かない。自分で足を触っても、足に触られた感触がない。

 その事実を認識した途端、得体の知れない恐怖に襲われた。


 すぐに治せと命じても神官はオロオロとして何度も魔法をかけるが、足の感覚は戻らない。


 その後、教会の上位の神官が俺の身体を診察したところ、下半身を動かす命令を送る組織と、砕けた骨が複雑に絡まった状態で治癒をしてしまったせいで、それが正常な状態になってしまったらしい。


 要するに治癒に失敗したのだ。


 ふざけるな!いつも高いお布施を要求しておきながら、俺の足を一生動かせない身体にしただと?

 治療した神官は処刑せよと命じたかったが、結果は誰がやったところで同じだったそうだ。

 治療せねば、普通なら骨折で死んでいただろうと。


 元通り治せるとしたら、勇者の治癒術師、ニイジマ殿くらいだと奴らは言う。規格外の治癒術を使いこなす彼にしか出来ない複雑な怪我だったのだと。


 勇者たちは帰還した。なんとタイミングの悪いことだ。これほど、自分の運の無さを呪った事はない。


 侯爵家の跡取り息子が歩くことも出来ないと知られるのは良くない。このことは超重要機密として、関わったものに重い箝口令が敷かれた。


 教会としても侯爵の息子の足を不自由にさせたと知られるのは都合が悪いらしく、それを飲んだ。


 俺は表向きは落馬の怪我で現在リハビリ中であるということになっている。


 俺は絶望した。大好きな馬で怪我をして、馬に乗ることどころか歩くことも出来ない。便を漏らす感覚すらないので、無様にも糞を垂らす毎日。


 従者に車椅子を押させて移動し、窓から歩く人々を眺めるだけの生活。毎晩人知れず涙を流し、周囲にはなんでもないというフリをしていたが、だんだんと心が弱っていくのを感じていく日々。


 俺の人生はここで終わるのだと…………。


 そんなある日、父上は俺を私室に呼びつけ奇妙な話をし始めた。


 政治的な駆け引きに巻き込み申し訳ないと謝る父に怒りすら覚えた。俺は跡継ぎなのだから、狙われるのは覚悟の上だ。侯爵家を継ぐとはそういうことだ。


 そんな分かりきったことに対し謝罪など今更聞きたくもない。


 そう怒った俺に対し、新しく発見されたダンジョンのある、イルラキアに向かうのでついて来なさいと静かに言う。


 何故、足の不自由な俺に旅に同行せよと言うのか。足手まといに他ならないし、そんな俺を人目に晒すとは正気の沙汰とは思えなかった。


 だが、話には続きがあった。馴染みの商人がイルラキアには腕の良い治癒術師をいると言う。だが、教会の者ではないので表立って、治療することは出来ないからマッサージ屋を営んでいると。


 そう言った事情で闇治癒術師として生計を立てている者は稀にいると聞く。だが、腕前は教会の人間と大して変わらない。それ以下のことも多い。


 ああ、父上は藁にもすがる思いで情報を集め騙されているのだと思った。聞けば王都でも幅を効かせるエストニール商会の会長、サイモンがもたらした情報だと。


 商人は信用が命だ、そんな下らない嘘を侯爵に吐くとは考えにくいが、やはりそんな美味い話があるかと。俺は正直に騙されているのでは?と進言した。


 だが、その商人、サイモンは目が悪かったのだが、今では人並みの視力に戻っており、普通の治癒魔法とは違う技を持っていると身をもって証明したのだと。


 騙されていても、少し金が減る程度、後継者問題に比べれば些末なこと。2人とも騙されたと思ってイルラキアに行ってみないか、いや後生の頼みだからついてきて欲しいと頭を下げられた。


 ここまで言われては俺も頷くほか無かった。父上の顔は侯爵家の主人ではなく、息子を心配するただの父親の顔だったのだから。



 馬車に乗り込み、数日後イルラキアに到着した。領主のラキア家に招かれそのマッサージ屋を営む男の話を聞くと、なんとその男は領主の屋敷を定期的に訪れ、領主の腰をマッサージし治療しているとだと言う。


 一度教会と揉めた末、教会の出て行ったこの街という特殊な事情もあり、領主もその男を大切にし、守ろうという態度が感じられた。


 その様子を見て少し期待が持てた。領主が認めているのだから少なくとも詐欺師ではなく、それなりに実力があるのは間違いない。


 他言はどうかしないで欲しいと頼まれたが、こちらとしても今更、無能な教会連中に、「違法で治癒魔法の商いをしている男がいるぞ」と報告してやる義理などないし、こんな田舎の街に来てマッサージ屋に治療してもらったなどと口が裂けても言えるはずがない。


「ようこそおいでくださいました、アーゼルグスト様。エストニール商会に足を運んで頂きありがとうございます。宿のご紹介をと、言いたいところですが、お茶でもいかがでしょう?」


「うむ、私は構わぬが息子は長旅で少々疲れているようだ。どこか休める場所はあるか?」


「それでしたら、我が宿にはマッサージが出来る者がおりますので、そちらで疲れを癒してはいかがでしょう?」


「丁度良い、レオン行ってきなさい」


「はい、ではお言葉に甘えて父上、失礼します」


 示し合わせたように父と宿の主人が休むように話を持っていき、俺は言われるまま宿屋の一室でマッサージを受け、休むこととなった。


 そこにいたのは、随分と若い銀髪の奇妙な男だった。


 そして、男はケニイと名乗り、俺をベッドの上に乗せて身体のあちこちを指で押しながら調子を尋ねる。


 うむ、中々の腕前だ。長旅の疲れが癒えていく。思わず声が漏れてしまうのを必死に我慢しなくてはならないとはな。


 ただ無言というのもつまらなく、見事なマッサージ術に気を良くした俺はこれまでの経緯を話してやった。


「はあ……なるほど、私めにそのようなお話をわざわざしていただきありがとうございます」


「ケニイよ、それは貴族言葉では聞いてもいない話を長々と聞かせよって。という意味になるぞ」


「えっ!?も、申し訳ありません!」


「よい、平民の貴様に貴族の作法を求めるのも無理な話だ。それにそのような皮肉のつもりで言っていないのであろう?」


「も、もちろんでございます!」


 不思議な男だ。俄仕込みの作法であることは明らか。だが、節々に平民らしからぬ洗練された動きや言葉遣いが出る。

 それに平民とは思えぬほど小綺麗だ。


 王都でも幅を効かせる商会お抱えのマッサージ師となると、清潔にしているのも納得いくが……それにしても肌や髪の美しさは貴族のようだ。


 まるで、上位貴族が平民のフリをして貴族の相手をしているかのような歪さを感じる。


 ああ、それにしてもマッサージというのはこれほど気持ちの良いものだったか。


 旅で座りっぱなしの足腰の筋肉がほぐれていくのを感じる。


 あれほど重く感じた下半身が今では羽のように軽くなっているではないか──ん?


 な、何だと!?


 足が、足に感覚が戻っているではないか!?


 足を手で押されているのを感じるぞ……!

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