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きゅう


トラレス公爵家には何度も訪れているが、泊まるのは初めてだ。

サディアスは私の唐突で無茶な頼みにも、嫌な顔一つせず頷いてくれた。

人目につかないように目立たない場所に馬車を回してくれたし、私たちを預かるとの言伝を父と、なんと国王にまで出してくれたらしい。

王家もかかわっていることだし、いろいろと考えてくれたみたい。


オルヴィアは泣き疲れたのかベッドで眠っている。

もう健康体といっても、やはり心配なのでこのまま一緒の部屋で寝るつもりだ。

この寝室も、今私が着ている寝巻も、随分前に亡くなった公爵夫人のものらしい。女性物の準備がないからといっても、亡くなったお母様のものまで貸してもらうことになり、本当に申し訳ない。

ベッドの縁に腰掛け、乱れたオルヴィアの前髪を整えていると、控えめなノックの音が聞こえた。

ノブに手をかけ、開けようとするとサディアスの慌てた声で止められた。

「そのままで」

扉が開かないように手で押さえているのだろうか、びくともしない。

「でも……」

「寝間着姿を男にやすやすと見せてはだめだ」

確かに見苦しいものを見せてしまうところだったかも。

化粧はしていないし、公爵夫人の寝巻はサイズがあっているとは言えない。おもに胸元の布とかが、だるーんと余っている。なのにウエストはそこまで変わらないから、生前の公爵夫人は恐ろしくスタイルの良い人だったようだ。

「伯爵から、明日君たちを迎えにいくと返事がきた」

「わかりました」

扉越しの声はくぐもっていて聞き取りづらく、私は自然と額を押し付けるような体勢になる。

「ありがとうございます」

何も言わずにかくまってくれたことも、私のために腹を立ててくれたことも、私を特別だと言ってくれたことも。なにもかもに、感謝するほかない。


しばらく返事がないので、もしかしてもうどこかに行ってしまったのだろうかと思った頃。

「君は、あの家に帰りたいか?」

家はいつだって私の帰る場所で、いるべき場所だ。

帰りたくないなんて考えたこともなかった。

いや、違う。

考えないようにしてきたのだ。

成長するごとに、居心地が悪いと、息苦しいと感じるようになっていたことから目を逸らしてきた。

私、本当は……。

「帰りたくありません」

そう言葉にした瞬間、勝手に涙がこぼれた。

涙を止めるために息を止めて歯を食いしばる。

けれどどんなに息を止めても涙はあふれ続けて、苦しくて息を吸うとひどいうめき声が漏れた。

泣いているのがばれるのが恥ずかしくて、私は乱暴に涙をぬぐう。

躍起になればなるほど、食いしばった歯の間から嗚咽が漏れた。

「……アマーリエ。開けてもいい?」

「駄目です」

即答すると、苦笑する気配があった。

「自分から開けるなと言っておいて勝手だとはわかっているけれど、君を抱きしめたいんだ」

それは小さな子供をなだめるような優しい声だった。

まるで私は八歳の女の子で、サディアスは優しいお兄様みたいだ。

返事のかわりにちょっとだけ扉を開ける。

反対側からやんわりと拒もうと思えばできる強さで扉が開かれ、廊下の明かりが部屋に満ちていた闇を追い払っていく。

彼ももう寝るところだったのだろう。

シャツだけのラフな格好をしたサディアスは、ゆったりと腕を広げ私を抱きしめた。

男性にしては細身に見える彼だが、私の体はすっぽりと収まってしまう。

「本当の気持ちを教えてくれてありがとう」

首を横に振ると、額をこすりつけたみたいになる。

サディアスは長身の体を折り曲げるようにして、私を強く抱きしめた。

そして掠れた声で囁いた。

「君のために僕が本当の悪食公爵になったとしても、許してくれるかい?」





昨夜ぶりのはずなのに、正面に腰掛けた両親の顔は憔悴しきっていた。

まるで一晩で一気に老け込んだみたい。

私とオルヴィアも昨夜はたくさん泣いたから、二人とも化粧で隠せないほどに目がはれている。

そのうえオルヴィアはずっと暗い顔で俯いて、普段とは別人のようだ。

もちろん私の顔も真っ青で、見られたものではないだろう。

本当にみんな酷い顔。

サディアスはまるで私を守る兄のように、隣に腰掛けていた。


「娘たちがご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

ちっともそんなことは思っていないだろうに、硬く強張った表情で父は頭を下げる。

「後日またお詫びに伺いますので、今日はひとまず娘たちをつれて帰らせていただきたい」

「お詫びなど不要です。飲み物はいかがですか?実は最近、ミントティーに凝っていまして」

「結構です」

苛立ちを隠しきれずにきっぱり断り、父は腰を浮かせる。

それよりも速くたちあがったサディアスの手が伸びて、父の肩をぐっと押さえた。

すとんと元の場所に座らされた父は、ますます目元を険しくした。

「何をする」

「私は人の感情を食すことで腹を満たす悪食公爵と呼ばれています。事実、多くの人々がここを訪れ、私に様々な感情を食べてほしいと願ってきました」

「そんなこと、今関係ないだろう」

「あります。彼らの多くはどうにもならない人間関係に苦しんでいた。叶わぬ恋、捨てられぬ執着、そして身を食い破らんとする憎しみ、嫉妬。それらから解放されたいと願い、ここに来る」

まさかと思い、私は彼を止めようとした。

しかし彼は、両親にむかってこうはっきりと言った。

「私がアマーリエと出会ったのも、彼女が自らここを訪ねてきたからです」

「何ですって?」

ハンカチを揉みくちゃにしていた母が初めて声をあげる。

「アマーリエは私に心をすべて食べてくれと頼みました。これからも良き娘でいられるように、何も感じないようにしてほしいと」

「そんな……どうしてなの、アマーリエ?いったい何が気に食わなかったの?」

「ごめんなさい、お母さま……気に食わないとか、そういうわけではないの」

「じゃあ、どうして?……私たちがオルヴィアばかり可愛がるから。そうでしょう」

「違います」

「嘘つかないで。そうならそうと、どうして言ってくれなかったの。ああ、私がいけなかったのね……あなたが良い子だからと、オルヴィアを優先したから……」

「お前、落ち着きなさい」

「でも、あなた!」

「黙りなさい!」

怒鳴りつけられ、母はぎゅっと身を縮こませた。ハンカチを握りしめる拳が小刻みに震える。

「アマーリエ。どうか母を許してやってくれ。何もお前が可愛くない、ということはないのだ」

「……わかっています」

「だがお前も悪い。お前は自分のことばかりでオルヴィアが大変な時だったというのに公爵家に入りびたり、その理由が心を食べてもらうだと?なんと自分勝手な。自分ばかりがかわいそうだとでも思っているのか?」

「違います。私は!」

「言い訳をするな。そんなふうだからお前は、オルヴィアのように殿下に選ばれなかったのだ」

「お父様、私は殿下に選ばれたいなど……!」

「ええい、お前はいつもそうやって反論ばかりする。そこが可愛くないのだとなぜわからん!私はお前のことを大事に思って、愛しているからこそ言ってやっているというのに!」

私を指さし、激しく糾弾する父に、最後まで残っていた親子の情や、いつかわかってくれるかもしれないといった淡い期待がことごとく打ち砕かれていくのがわかった。

魂が抜けたように黙り込む私を、父はなおもにらみつける。

その時、冷えた指先に温かいものが触れた。

サディアスの手が、真っ白に固まった私の指を握っていた。

琥珀色の瞳は私のかわりに父を見据え、ぴりぴりと殺気立っている。

少なくともここには今、一人、私の味方をしてくれる人がいる。


ふと、何もかもが馬鹿らしくなった。

私、何を守ろうとしていのだろう。

この人たちは私たちを迎えに来たという口で、オルヴィアに心配の一言もかけやしない。

何が大事だ。

何が愛しているだ。

そんなものクソくらえだ。


「お父様はいつもそう。愛していると言えば、何をしても、何を言ってもいいと思っているのよ」

「なに?」

「言い訳ばかりしているのはあなたのほう。今も本当は私に怒っているわけじゃない」

「父親に向かって、あなた、だと?なんて口のきき方を……」

父の言葉を遮り、私は立ち上がった。

見下ろす父は思っていたよりも小さくて、私はそれがひどく悲しくなってしまった。

「本当は元気になったオルヴィアが自分の思い通りにならないことが気に食わないだけ。本当は病弱な娘を大切にする優しい父親ぶっていたかっただけ。それができなくなって面白くない上に、せっかくの殿下からのプロポーズをオルヴィアが勝手に断ったから、自尊心が傷ついていらいらしている。それを私に八つ当たりしている」

父は絶句し、信じられないものを見る顔で私を見た。

「……お前がそこまで酷い娘だとは」

「酷い?私が?私はお父様にどんなに叱られても、ぶたれても、他人の前でけなされても、いつかすまなかったと抱きしめてくれるものだと信じてきました。オルヴィアを優先する気持ちも理解していたつもりです。でもお父様は一度だって私の言葉を聞いてはくれなかった。オルヴィアの言葉さえも。どうしてオルヴィアがプロポーズを断ることがわからなかったの?病弱な時はずっと家族と一緒の家にいるのが幸せで、元気になったのなら殿下と結婚するのが幸せだなんて、どうして本人の意思も聞かずに決めつけることができるの?」

「それはお前たちが子供で、何もわかっていないからだ!」

父の怒声に肺がびりびりと震える。

でも、不思議と怖くない。


「そうよ、私たちはお父様とお母様の子供。でもそれ以前に、一人の人間だわ。私も、オルヴィアも、お母様も、お父様のものじゃない。私の心も、人生も、私だけのものよ!お父様なんて、嫌い!大嫌い!」


気が付いたら私は泣いていた。

初めて父に最後まで口答えすることができた。

初めて嫌いだと口にすることができた。

たったこれだけのことに、とてもとても時間がかかってしまったけれど。

それでも私にとっては、大きな一歩だった。


「アマーリエッ!」

顔を真っ赤にし、父は立ち上がった。

目の前のテーブルを蹴散らす勢いで、私に手を伸ばす。

もう片方の手は開いた形で、高くあげられていた。


ぶたれる!


「あなた!やめて!」

母の悲痛な声。

私はぎゅっと目をつむって、体を縮こまらせた。

オルヴィアが後ろから飛びついてきて、小さな体で庇おうと身をよじる。


バシン!


掌が頬を激しくぶつ、乾いた音がした。

でも痛くない。

どうして?

おそるおそる目をあけると、目の前にサディアスがたっていた。

「こ、公爵……」

傾いだ頭を戻し、彼は髪を払った。

頬が真っ赤になっている。

彼は私を庇って、かわりにぶたれたのだ。

さすがの父も、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。

彼は無礼にも伯爵の身分でありながら、悪食公爵を平手打ちしてしまったのだ。


「あなたの娘への愛情を、私は嘘だとは思いません。けれどそれはもう歪んだ執着だ。歪んだ執着は相手に歪んだ理想を押し付け、傷つけることになる」

「私、は……」

「そしてあなたは娘を害そうとし、いままさに私を害しました。よって悪食公爵として、あなたのその執着もらいうける」

ゆらりと白く筋張った両手が、父の頭を掴んだ。

琥珀色の瞳が、自ら恐ろしい光を放つ。

「あ、あぁ……!」

わななく父の体から、黒い靄のようなものが現れた。

それは細くたなびく煙となり、サディアスの口へ吸い込まれていく。

靄の色が薄くなりはじめて、サディアスはこれまでと口を閉じた。

ふっと父の体から力抜け、その場にへたり込む。

「あなたぁ!」

母が縋りつき、涙にぬれた顔で必死に生きているかを確かめる。

父は生きていた。

しかし何か大きなものを失ってしまったかのように、ぽっかりと口を開け呆然と私たちを見つめていた。




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