はち
「ごめんなさい!」
脱兎のごとくかけて、オルヴィアは観衆の中へと飛び込んだ。
ぶつかった人から驚きの悲鳴があがる。
殿下は魂を抜かれたみたいにひざまずいたままだ。
私はサディアスが一緒にいるのも忘れて、逃げたオルヴィアのあとを追いかけた。
「オルヴィア……!」
人垣をかき分け、途中で靴が片方脱げたのにもかまわず、オルヴィアが消えていった中庭へ飛び込む。
「オルヴィア!」
闇の中でもうっすらと光る金の髪を見つけ、私は植え込みに隠れた彼女を見つけた。
「オルヴィア……」
「お、お姉様……私……」
私の顔を見たとたん、オルヴィアはひっくひっくとしゃくりあげ始めた。ぼろぼろと玉のような涙が薄青い瞳からこぼれ落ちていく。
何はともあれ、私は泣きじゃくるオルヴィアを抱きしめてやることにした。
「お姉様、怒ってる?」
しゃくりあげながら言うものだから、ひどく聞き取りづらい。
とにかく落ち着かせようと思い、トントンと背中を叩いてやる。
「怒ってなんかいないわ。混乱はしているけど……。オルヴィアもてっきり殿下をお慕いしていると思っていたから」
「嫌いというわけではないの。ただとても親切にしてくださる方だなぁって、お父様とお母様が一緒にいなさいと言うから、お友達のつもりでいたんだけど」
「あなたお友達のつもりだったの!?」
あまりにびっくりして、思わず大声で叫んでしまった。
いや、だって、お友達って。
そんな、そんな馬鹿な。
あんなにアピールされていたのに?
はぁ……噓でしょ……。
というか誰も、お友達じゃなくて恋人だと殿下は思って通ってきていると教えなかったの!?
誰もって私もだけど!
まさかお母様すらちゃんと教えていなかったなんて、思わないじゃない!
「だって、私はずっとお父様たちやお姉様とおうちで暮らすものだと思っていたんだもの……そうじゃなきゃ、お父様もお母様も生きている意味がないっていうから……」
「それは……」
確かにそんなことを言っているのを度々聞いたことがある。
でもそれは長生きすら難しい状態だった病弱な娘への願いであって……。
いや、オルヴィアはその言葉を本気にしてしまったのだ。
ずっとそう言い聞かせられてきたから。
「それに私が殿下の妻になるなんて無理よ!私だってそれくらいはわかるもの!」
「オルヴィア……」
「どうしよう。お父様に叱られてしまうわ……」
めそめそ泣くオルヴィアの頭をなでながら、私はほとほと困り果ててしまった。
事情はわかったし、オルヴィアの気持ちもわかったけれど、どうすればいいのだろう。
父はオルヴィアに甘いから、本気で嫌がっているとわかれば何とかしようとしてくれるかもしれない。
けれど一度怒りに火が付いた父は、誰であろうと止めることはできない。
もしも激昂して彼女をぶったら?
甘やかされ大切にされるオルヴィアに嫉妬して、複雑な思いを抱いていたことは事実だけど、私は何も彼女にひどい目にあって欲しいとは思っていないのだ。
むしろ言い分を聞いてもらえずに、頬をぶたれる痛みと悲しみを知っているからこそ、知らずにすむならそうであって欲しいと思う。
一度つけられた傷と痛みは、二度と消えないと知っているからだ。
「アマーリエ」
私を探すサディアスの潜めた声が聞こえた。
妹を抱きしめたまま、ここにいると手を振ると、彼はすぐに気が付いて体をかがめて近づいてきた。
「中は凄い騒ぎだ。しばらく戻れそうにもない」
「父は……」
「君たちの母上がショックで倒れてしまって、伯爵は慌てふためいていたよ」
サディアスは私の胸の中でめそめそ泣いているオルヴィアに視線を投げかける。そして私の背にそっと手を添えてくれた。
彼の手が触れたところが温かくて、初めて中庭がひどく寒いことに気が付く。
彼は無言で目配せし、私の足元に何かを置いた。
それは途中で脱げて、どこかへいってしまった私の靴だった。
わざわざ持ってきてくれたのだ。
彼の優しさに、にわかに勇気が湧き上がり、私は思い切って口を開いた。
「サディアス様。少しの間、私たちをかくまっていただけませんか?」