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サディアスと約束を交わし、何食わぬ顔で帰宅した翌日。
私はなぜか友人のお茶会で悪食公爵と出会い、なぜか親しくなり、なぜか彼の仕事の手伝いをすることになっていた。
そういう感じの何一つとして理解できないというかさせる気のない説明が、大変丁寧で格式高い言葉に置き換えられた手紙をサディアスが父によこしたのだ。
しかも本人までもが訪ねてきて、さっさと父を説得してしまった。私からすれば取り付く島もない恐ろしい父だけれど、歴史ある公爵の彼にとってはなんてことはない相手らしい。
年下の公爵に丸め込まれた父は、それはもうたいそう不機嫌そうだったが、縦社会の序列には忠実らしい。
下品な言い方だけど、ちょっといい気味だと思ってしまった。
「で、なぜ、王宮に」
「思いがけず体調が回復したから、後回しにしていた仕事を片付けようと思って」
さっそく連れ出された私は、サディアスの馬車で王宮に向かっていた。
王宮で仕事を片付けつつ、昼食もとろうという考えか。
つまり。
「お弁当?」
「違う!薬!回復薬!」
「そこまでの効果が私にあるんでしょうか?」
というか急に王宮に連れていかれる側の気持ちも考えてほしい。
いくらサディアスにくっついていればいいと言ったって、私は彼の婚約者でもないし、職業婦人でもない。
「大丈夫。君は不安も美味しそうだし。あ、食べていい?」
「あ、はい。どうぞ」
なんだか適当にあしらわれた気もするが、求められるままに手を差し出す。
彼は手の甲に唇を落とし、私の不安とやらを吸い取り、食べた。
すうっと不安が消え去り、穏やかな心地が戻ってくる。
前回のようにぽっかりと穴があくほどの感覚はなかった。
「うーん、ほんのりスモーキーで、ひんやり。これは酒が飲みたくなる風味」
人の不安を酒のおともにしないでほしい。
本人は偽物だと言っているけれど、さすが悪食公爵の名は伊達ではない。
王宮に来たのは人生で二回目だ。
一回目は十二の時、父に連れられて書類上の手続きをしにきたときだ。
そういえばあの時、帰りにどこかへ寄ったような。
思い出の中をさまよっていて気が付くのが遅れたが、なにやらどんどん奥へ案内されている気がする。
すれ違う侍女や役人たちが、サディアスを怖がっているのか遠巻きに見てくるのが少し気になったけれど、当の本人はどこ吹く風といった様子だ。
確かにサディアスの見た目はまだまだ不健康そうで、悪食公爵なんて名前もちょっと怖いかもしれないけど、そこまで不躾な視線を向けることないじゃないか。彼は一生懸命に自分の責務を果たしているのに。
それにしても後回しにしていた仕事って、それこそ書類仕事だとばかり思っていたけれど、このままじゃ国王陛下にお目通りできそうな勢いだ。
だなんて思っていたら、本当にそうだった。
嘘でしょ。
どうしよう、今日のドレス変じゃないかな。
お気に入りのグリーンを着てきてしまったけど、失礼な色とか入ってないよね。
家を出るときはサディアスが似合っていると思ってくれるかどうかしか考えていなかったから、これを選んだのに!
恨めしい思いで見上げると、なぜか赤い顔をされた。
なぜ赤くなる。
国王が現れる合図に、その場にいたものは皆低く頭を下げた。
私はサディアスよりも数歩後ろで、壁際に逃げたい気持ちをこらえていた。
金属の装飾が揺れる音、重たい衣擦れの気配の後、頭をあげるよう声がかかる。
「久しいなサディアス」
「はい。ご無沙汰しております。私の体調がすぐれず陛下にはご迷惑をおかけいたしました」
「その様子だと少しは良くなったようだ。最後にみたお前といったら、死人が歩いているような顔だったからな」
「お恥ずかしいばかりです」
陛下の紫の瞳が、私へ向けられた。
目じりの深いしわが、なにやら愉快そうな形を刻む。
「そちらの女性は?」
「アマーリエ・アドラー伯爵令嬢です。私の特別な女性です」
な、なに言ってるの!?
ここが陛下の前じゃなかったら、誤解させるような言い方をしないでくださいと遮れたのに……!
目を白黒させて、目だけで非難する私に、サディアスは悪戯が成功した子供みたいに笑った。
「冗談です。彼女の感情を食すことは、私にとって妙薬を口にすることと同義なのです」
「ほう。それはまさしく特別な女性だな。お前の好き嫌いには、マーカスも手を焼いていたものだが」
「その点では、本当に父にも陛下にもご心配をおかけしました」
「いい。残念なことにマーカスはこの場に居合わせることができなかったが、これからのトラレス公爵家は安泰だろう。今日、お前の顔を見て、私は確信したよ」
「ありがたき言葉です」
「して、アマーリエ嬢よ」
「はい」
びっくりして声が裏返りそうになっちゃった。
「貴殿の妹に、私の息子が世話になっているようだな」
「私の妹こそ、ギルバート殿下に本当によくしていただいております」
「アドラー伯爵は良い娘たちを持ったな」
「ありがとうございます」
国王から良い娘だと褒められたのは本当に光栄だけれど、ついでに父の評判があがったことがなんとも複雑だ。喜ぶべきことなのだけれど。
陛下の御前を辞すと、どっと疲れが襲ってきた。
き、緊張した。
「緊張の味って酸っぱいんだよね」
「サディアス様!」
「ごめんごめん。でも国王陛下はいい方だっただろう?」
「陛下とは親しいのですか?」
「父が陛下の良き相談相手、というか精神面でのサポートをしていたんだ。若いころの話だけど」
あいまいな言葉でぼかしたが、つまり陛下も若いころは不安な気持ちとかを食べてもらっていたのだろう。
国王陛下でもやっぱり怖いとか、つらい気持ちをなくしてしまいたいと思うのだな。
それができてしまうのなら、なおさら。
じゃあ、感情を食べる側のつらさは誰が取り除いてあげるのだろう。
「トラレス公爵!」
後ろから追いかけてくる声に、私たちは足をとめた。
ギルバート王子が早足で私たちを追いかけてきていた。
「ああ、礼は必要ない。呼び止めたのはこちらだから」
「ありがとうございます」
「ずっと体調がすぐれなかったそうだが、少し良くなったようだな。あなたの体は王宮の治癒師でも治せないものだったが」
え、王宮の治癒師でも治せないの?
もしかして私が訪ねた時、本当にものすごく体調が悪かったのに出てきてくれたの?
「はい。こちらのアマーリエ嬢のおかげです」
「やはり、隣にいるのはアマーリエ嬢だったか。後姿を見てそうではないかと思ったんだ」
ギルバート王子は国王に似た紫の目を親しげに細める。
「妹には大変目をかけていただきまして……」
「オルヴィアは本当に素敵な子だよ。君のことも素敵な姉君だと、よく話してくれるんだ」
ところで、とやや声を潜め、とても真剣な表情をする。
どうしたのだろう。
何か大事な話が、とこちらも身構える。
「オルヴィアの好きなものを教えてくれないだろうか?」
結局、オルヴィアかい。
いけない、つい言葉を選ばずつっこんでしまった。
「花でも宝石でも色でもいいんだ。なかなか彼女を心から喜ばせる贈り物がわからなくて」
「オルヴィアはきっと贈り物よりも、殿下と一緒に外へ出掛けるほうが喜びますわ。あの子は最近まで、日の高いうちに外に出ることも禁じられていましたから」
「……そうか」
何かをかみしめる殿下に、サディアスが問いかけた。
「失礼ですが、殿下は今度の夜会で求婚なさるおつもりでは?」
失礼ですがと前置きしても、なかなかに直球な質問だ。
近く予定されている夜会は、王家が催すものだろう。
確かに求婚するには良いシチュエーションかもしれない。
殿下も少し面食らったようだったが、すぐにぐっと顎をひいて真面目な顔つきになった。
「もちろん、その考えがなかったわけじゃない。彼女は本当に可憐で、天真爛漫で、まさに妖精だ……できることなら、ずっと私の手で守ってやりたい……。しかし伯爵はオルヴィアも元気になったばかりだから、もう少し好きなように家で過ごさせてやりたいと……」
自分が手放したくないのでは、とはさすがに誰も言わなかった。
我が父ながらやや気持ち悪いというか。
いや、それは私の主観が強すぎるからかもしれないけれど、でもやっぱり少し気持ち悪いですお父様。
「そうだ!今度の夜会では、私がオルヴィアをエスコートし、サディアス殿がアマーリエ嬢をエスコートするのはどうだろう。アマーリエ嬢ももうオルヴィアのそばに付きっきりでいる必要はないのだろ?」
「それはそうですけど、サディアス様のご迷惑に」
「いえ。実は申し込もうと思っていたのです。アマーリエがよければ、エスコートさせてほしい。こんな陰気な男では嫌かもしれないが……」
「そんなことはありません!」
ああああ、勢いでエスコートを受けることになってしまった。
またお父様の機嫌が……。
不安と憂鬱と少しの期待が入り混じって、胃が重たくなってくる。
と思ったら、何か抜けていく感覚があって、暗い気持ちだけがきれいさっぱりなくなる。
横を見上げると、サディアスの口がもぐもぐ動いていた。
「食べました?」
「食べてないよ」
「嘘おっしゃい!もう!そんな暗い気持ちを食べても美味しくないでしょう!」
「アマーリエのなら美味しいよ」
そんなわけないでしょうに。
でも、本当にそうなら、少しうれしい。