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さん


悪食公爵に心を食べてもらうと決めたら、一時もじっとしていられなかった。

数少ない友人にお願いしてお茶会に招待してもらった私は、こっそり屋敷の裏口から通してもらって、拾った馬車で公爵のところへと向かった。

何時に迎えに来てといって使用人は追い払っておいたから、迎えの時間までに戻ればばれずにすむ。

そもそもオルヴィアのことで我が家はてんやわんやなのだから、私がちょっといなくなるくらい大した問題にはならない気がした。

……いや、さすがに駄目か。

というわけで、しっかり顔をヴェールで隠し、注意を払いながら私は公爵の屋敷へとたどり着いたのだった。


公爵家の使用人は、顔と身分を隠して訪ねてきた私を見て、すぐさま何をしにきたのかさっしたらしい。

何も言わずに目立たない入口へと案内してくれた。

事前に手紙などを送らなくてもいいと聞いたときは、本当だろうかと心配になったものだが、この様子を見るに大丈夫だったらしい。


「公爵様がいらっしゃるまで、こちらでお待ちください」

そう言って通された部屋は、落ち着いた雰囲気の客間だった。

壁紙は深いグリーンで、どっしりとした飴色のテーブルにはいい香りのする紅茶が置かれている。

そろそろとソファーに腰かけると、急に震えが背筋を上ってくる。

我ながら随分と大胆なことをしている気がして、いまさらながら怖くなったのだ。

もしも父にばれたら、何と言われるだろう。

ぶたれるくらいで済むだろうか。

とにかく激怒するに決まっている。

何て勝手なことをしたんだ!って。

だからといって、引き返すわけにはいかない。

きっと公爵に心を食べてもらえば、この恐怖もなくなるのだ。

「大丈夫……大丈夫……」

自分にそう言い聞かせて、私は紅茶で唇を濡らした。

カップの中で琥珀色の液体が揺れている。手の震えは簡単に収まりそうにないなと諦め、慎重にソーサーに戻す。

壁紙の繊細な蔦模様を眺めているうちに、それなりの時間が経っていたらしい。

ノックの音が聞こえ、少しして一人の男が入ってきた。


最初、私はてっきり随分と背の高いおじいさんが入ってきたのだと思った。

というのも彼は真っ白な頭をしていて、体も見るからに痩せていたのだ。

しかしその顔は、まだ年若い青年のものだった。

よく見ると白髪かと思った髪の毛は青みがかった銀髪で、痩せてこけているが鼻筋の整った涼しげな目元をしている。目の下にくっきりと浮かんだ酷いクマと、こけた頬の影のせいで、幽鬼めいた姿に見えるが本当は綺麗な顔をしているのではないだろうか。

それにしても具合が悪そうというか、言葉を選ばずにいうと死にかけというか。


「お待たせしました。自己紹介は必要ですか?」

彼はひどく事務的な調子でそう言って、挨拶もそこそこに腰かけた。

少し無礼な態度にむっとしたが、こちらも約束なしに訪ねている身分だということを思いだし、私はゆるゆると首を振った。

それにしても、使用人の一人もいない部屋で二人っきりになるなんて、公爵は少々無防備すぎないだろうか。

「私はあなたのお名前は尋ねません。ただ貴族であることを示していただければ、問題ありません」

「えっと、これでいいでしょうか?」

金の糸で家紋を刺したハンカチを見せると、彼はたいして確認もせずによろしいですと言った。

その顔色があまりに悪いので、私はついつい彼の顔を覗き込んだ。

「あの……」

「何か?」

どんよりとしたアンバーの瞳が、まっすぐに私を見つめる。

わぁ、まつ毛まで綺麗な銀色だわ。

見当違いなところに目を奪われる私に、彼は怪訝そうに眉をひそめた。

「私に感情を食べてもらいにきたのでは?」

「え?あ、はい!」

初対面の男の人の顔をじろじろ見るなんて、失礼なことをしてしまった。

崩れてもいないヴェールを整え、私は慌てて居住まいを正す。

「家族に対する憎しみを食べてもらいたいのです。いいえ、できるならば心ごとすべて食べてほしいのです」

ハンカチを握りしめそう告げると、彼はなぜかきゅっと苦しそうな顔をした。

「心をすべて食べられるということがどういうことかわかっているのですか?」

「いいえ。でも、あるよりはきっとマシだわ」

「心を食べられるということは、あなたという存在が消えることと同義。一種の死だ」

わざと怖がらせるみたいに、彼は不健康な顔ですごんだ。

けれど物心ついたころからオルヴィアという病弱な妹がいたせいで、全然話に集中できない。

というかこの人、オルヴィアよりもずっと具合が悪そうだ。

「その申し訳ないのですが、もしかしてお加減が悪いのでは……」

「気にしないでください」

そういわれても……。

「巷では私が乙女の心を丸のみするのを好むなどと言われていますが、私は悪食なのです。憎悪や嫉妬以外のものは食べる気になどならない。ですからあなたがどんなに望もうと、私はあなたのご家族への憎悪しか食べるつもりはありません」

「それならば、それで構いません。対価に何をお支払いすればいいでしょうか?」

私が個人で持っている装飾品で足りるといいのだけれど。

私の不安を笑うように、彼は初めて穏やかな笑みをみせた。

「対価など求めません。私にとって、これはただの食事ですから」

「……人の憎しみが美味しいのですか?」

「ええ」

本当だろうか。

美味しいものを食べているなら、こんなにも不健康そうな姿にはならない気がするし、なんというか……そう、いい人っぽいのだ。悪食公爵という名や、つっけんどんな態度のわりに、なんとなくいい人っぽさが隠しきれていない感じがする。


なんだかすっかり気が引けて、私はどうしたものかと言葉につまってしまった。

「っ……!」

公爵の口から短い呻きが漏れた。

彼はわずかに前かがみになり、胃のあたりを抑える。

顔色はますます青白く、額には一気に汗が噴き出した。

「大丈夫ですか!?」

「……大丈夫だ」

そんな絞り出した声で大丈夫と言われても、信じる人間はいない。

私は慌てて立ち上がり、平静を装うとする彼のそばにひざまずいた。

「すまない。少し休めば収まるから」

「いいえ。嘘はよくありません」

オルヴィアによくしてあげていたように、丸まった背中を優しくさする。

「人を呼んできましょうか?」

「卓上のベルを……」

彼の細い指が示す先に、小さなベルがある。

力いっぱいふると、見た目にそぐわない大きな音が響く。

すぐにドアが開いて、年かさの女性が入ってきた。

「マーサ、薬を」

「すぐにご用意いたします!」

メイド長か、少なくとも古株の使用人らしき女性が慌てて水と薬をもって入ってくる。

おぼつかない手つきで薬を口に運び、公爵はぐいっと水をあおった。

口の端から水が垂れて、服にかかりそうになる。

私は急いで握りしめたままだったハンカチを顎に当てた。

こんなに具合が悪いのに対応してくれたことが本当に申し訳なくて、心配でしかたなくなってしまう。

「……はぁ」

薬を飲んで人心地ついた様子で公爵は息を吐きだし、体から力を抜いた。

「お使いになってください」

ちょっと濡れてしまっているけど、口元が濡れたままでは不快だろう。

さきほど口元にあてたハンカチを差し出すと、彼はきょとんと私を見た。

「君、いい匂いがする」

「たしなみとして香水はつけていますけど」

「いや、そうじゃなくて……」


まどろむように、公爵の目が瞬いた。

うっすらと血色の悪い唇が開き、すうっと何かを吸い込む。

同時に私の中から何かが吸い取られていく感覚。

一瞬、ぽっかりと心が空になったような気がしたが、不思議と嫌な感じはしなかった。


「今のは……」

呆然とする私の目の前で、みるみるうちに公爵の顔色がよくなっていく。

良くなっているのは顔色だけではない。

どんよりと生気を失っていた瞳が、明るく輝きを取り戻している。

まるで太陽に透かした琥珀のようだ。

マーサと呼ばれたメイドが感激の声をあげるのが聞こえた。


ほんの数秒間ヴェール越しに見つめあっていた私たちだが、先に我に返ったのは公爵の方だった。

はっと上体を起こし、距離をとる。

「すまない!今のは無意識で、決して食べようと思ったわけでは」

「食べた?」

「……君が僕を心配する気持ちがあまりに美味しそうで、つい」

「それで具合がよくなったのですか?」

「ああ。もうずっとろくな感情を食べてないから……」

「では、もっとどうぞ」

ぽかんとする公爵に、私はどうぞ!と胸を張った。

「な、なんで?」

僕とか、ついなんで?って言っちゃうところとか、この人けっこう可愛いな。

「心配というよりは、愛でるような気持ちが湧いてきたのですが、それでも大丈夫でしょうか?」

「いい匂いがするからきっと美味しいんだろうけど……愛でる?」

「では、どうぞ」

なんだかよくわからないけれど、感情を食べられるというのがさっきのような感覚ならば、たぶん問題ないだろう。

それで公爵様の具合がよくなるなら、いくらでも食べてもらって構わない。

「どうぞって、気持ち悪くないのか?君はどうもないのかい?」

「一瞬、ぽっかりとした感じはありましたが、むしろすっきりするような感じはしました。ミントティーを飲んだみたいな」

「ミントティーなんて言ったのは、君が初めてだよ」

「好き嫌いありますものね、ミントティー」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

呆れた顔でそう言いつつ、公爵は耐えきれなくなった様子で噴き出した。

ふふふ、と上品に笑う顔は思いがけず幼い。


「いや。まずはお礼を言わないとな。ありがとう、名も知らぬご令嬢よ」

公爵はほんのりと柔らかい笑みを口元に浮かべて、ひざまずいたままだった私に手を差し伸べる。

「よければ名前をうかがってもいいだろうか?」

名乗ってよいものか一瞬の迷いはあったが、彼の微笑みにつられるように気が付いたら私は自らの名を口にしていた。

「アマーリエです」

「そうか。素敵な名だね。私のことはサディアスと」

「サディアス様」

「うん」

満足げに頷き、彼は私をその場に立たせた。

「ところでミントティーはいかがかな?」




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