サディアスと恋の諸々3
馬車の用意が少し手間取っているらしい。僕とアマーリエは居間で支度が整うを待つことにした。
とはいっても、そう長くはかからないだろうし、中規模の夜会だから少しばかり遅れても大丈夫だろう。
懐中時計で時刻を確認し、コートの内側にしまう。
「まぁ、のんびり待っていよう」
いつかのギルバート殿下のプロポーズ失敗の夜を思い出させる美しい姿で、アマーリエは微笑んで返す。
多くの人にとっては喜ばしくない夜ではあったが、僕にとっては初めて彼女と踊った思い出深い夜だ。
あの時のアマーリエは深い湖のような青いドレスをまとっていたが、今日はグレーがかった薄い青のドレスだった。光沢のある生地の上には、銀と金の刺繍が上品にほどこされている。
部屋に迎えに行った時も綺麗だと伝えたが、見れば見るほど綺麗だし似合っていた。
彼女が僕の求婚を受け入れてくれた後、仕立て屋を呼んでいくつかドレスを作らせたもののうちの一着だ。僕も生地選びの時に同席したが、アマーリエはこのグレーブルーを一番に選んでいたように思う。
「今日のドレスもよく似合ってる。まるで月の光を集めたみたいだ」
アマーリエはありがとうございますと嬉しそうに微笑み、そっと自身を包むドレスを撫でる。そして恥ずかしそうに、僕から目線をそらして続けた。
「この生地を見た時、サディアス様の髪の色みたいで綺麗だと思って……」
「僕の?」
前髪をつまんで見てみるが、どこからどう見ても老人のような白髪にしか思えなかった。トラレス家に生まれる人の心を食べる者は、必ずこの髪色をしている。父もそうだったし、代々の当主たちの肖像画も老いも若いも関係なく全員頭が白い。
「こんなに綺麗な色ではないと思うけど」
「そうですか?私にはサディアス様こそ、月の光を集めたみたい」
手放しに褒められ、さすがに恥ずかしくなる。
でもまぁ、アマーリエにはそんなふうに見えているのならば、喜ぶべきことだ。
「じゃあ、揃いの服を着た僕はどう?」
同じ生地で仕立てた服がよく見えるように腕を広げた僕に、アマーリエは芝居がかった動作で眩しいふりをした。
「月を通り越して、眩しいです」
「それって単に白すぎるってことじゃないか」
「違いますよ!サディアス様が美しすぎてという意味です。正直隣に並ぶのは気が引けます」
「それは困るよ。これから夜会に行くのは、僕にとって君がどれほど大事な人かアピールするためなんだから」
「うぐ……」
何故か胸をおさえて、赤い顔でアマーリエはうめく。
照れていることは匂いでわかるので、僕はただかわいいなぁと彼女の赤い小さな耳を眺めた。
自分でも言うのもなんだが、出不精な僕が今夜の夜会にでることにしたのは、先ほども言った通り、アマーリエと僕がいかに親しいかをアピールするためであった。
先日の男爵夫人といい、迷惑な「心配」や「お節介」に辟易した僕は、穏便にことを解決する方法はないかと考えた。僕が嫌な思いをする分は別にたいしたことではないが、放っておけばアマーリエに直接余計なことを言う人間も現れるかもしれない。せっかく彼女と結婚できる幸運を手に入れたのに、いらぬ茶々で彼女の顔が曇るようなことは避けたい。
そこで今までほとんど無視していた夜会へのお誘いに応じることにしたのだ。
幸いアマーリエとの婚約を機にか、僕の体調が良いと聞いたからか、夜会の誘いはわんさか届いている。
その中から比較的大きなもの、人が集まるものを選んで、アマーリエと二人で出ることにした。
僕が彼女を大切に扱っている姿を見せれば、少しでも考える頭のある者は余計なことを言わなくなるだろう。そう考えたのだ。
「サディアス様はご自分の容姿がものすごく整っていることをもっと理解してほしいです」
「そうかな……僕は自分のことを白いアスパラガスみたいだと思うけど……」
本心から言ったのだが、アマーリエは白いアスパラガスという例えがツボに入ったらしく、んぐ、と喉に物を詰まらせたような声を出した。
「確かに白いですけど、ふ、ふふっ」
「つまり君は白アスパラガスの妻になるわけだ」
我慢できずにアマーリエは吹き出す。ひぃひぃと苦しそうに笑う姿は、子犬や子猫がころころと遊ぶ姿のように可愛らしい。
「じゃあ私は先端が焦げたアスパラガスですね」
自らの栗色の髪を一束掴み、アマーリエは目じりに涙を浮かべて笑う。
思わぬ返しに一瞬呆けて、僕もまたたまらず笑い声をあげてしまった。
夜会も中盤に差し掛かった頃、ようやく僕たちは会場に到着した。
招待主の夫妻に遅刻を詫びると、ひどく興奮した様子の夫人に遅刻などどうでもいいと、今夜の僕らの装いがいかに素晴らしいか、人嫌いとうわさだったトラレス公爵が来たということがどれほど光栄なことか、などを怒涛の勢いで語られた。
人嫌いだと自称した覚えはないが、あまりに交流を持たないためにそういうことにされていたらしい。真相はただ単に外出する気力も体力もなかったというだけなのだが。
とにもかくにも予想以上の歓迎を受け、僕は当初の目的を果たすべく、アマーリエをそばから片時も離さず次から次に来る挨拶に応じた。
アマーリエも最初は緊張していたが、もともと伯爵家のしっかり者の長女としてやってきた女性だったので、そつなく挨拶と世間話をこなしていく。特に女性同士の会話というもののリズムは難しく、アマーリエが上手に応答する傍らでうんうん頷いているのが精いっぱいなこともあった。彼女を大切にしているところを見せつけるぞと息巻いていた自分が、少し恥ずかしくなった。
「トラレス公爵もすっかりとお元気になられて、やはり婚約者ができた効果ですかな?」
夫人のおしゃべりが止んだ隙に、その夫から投げかけられた質問に僕は首を振って答える。
「逆です。アマーリエと出会って私は健康になったので、結婚して欲しいと私が懇願したのです」
ギルバート殿下のように断られたらどうしようと不安に苛まれたことが、もはや懐かしい。
アマーリエはひたすらに困ったように眉を下げていたが、どちらかと言えば恥ずかしがっているだけのようで、彼女から負の感情の匂いがしないことを確かめつつ僕は心が思うままにアマーリエの良いところを話し続けた。
「彼女はよく私にハーブティーなどを淹れてくれまして。常日頃から私の体をいたわってくれる上に、仕事の手伝いもしてくれるのですよ。本当に助かっています」
「それはそれは。これからのトラレス公爵家は安泰ですな。なにより若くて幸せな二人というのは、いいものです」
「アマーリエさん、今度うちのお茶会にぜひいらしてくださらない?わたくし、恥ずかしいことに勝手にトラレス公爵家は怖いところだと思っておりましたけれど、誤解していたのね。ごめんなさい。これを機に、仲良くしてくださるかしら?」
「もちろんです」
「それにうちの人ったら不摂生で。よかったら夫を健康にする秘訣を教えてくださる?」
「私は何も特別なことは……でも、ぜひお茶会に伺わせてください」
終始このように順調に進んでいるかのように思われた。
その男は初対面だというのに、随分と馴れ馴れしい笑みを浮かべていた。
今にも弾けそうなシャツのボタンは真珠貝、大きな宝石のついたブローチで真っ赤なスカーフを留めており、自分を金持ちに見せたくてしかたないというふうであった。
息子と思わしき青年は、男よりもさらに派手に着飾り、あまり見た目で物を言うべきではないが「ぼんくら息子」という言葉を着て歩いているような軽薄そうな顔をしている。
なにより男が他の参加者を押しのけるように前に現れた時から、アマーリエの様子がおかしい。
困惑と嫌悪、拒絶の香り。
「やっとお会いできましたな、トラレス公爵!」
名乗りもせずに求められた握手を笑ってかわす。
「私の勘違いではなければ、あなたとは初対面かと」
男は無視された手を何事もなかったかのように顔の横にあげ、舞台役者のようにぱっと開いた。
「これは失礼した。私はヒーマン。西の方にしがない伯爵領をもっております。これは息子のアルベルトです。そちらのアマーリエの母が私の従姉妹でして。この度は私どももトラレス公爵と縁続きになれたことを光栄に思っております」
アマーリエの母の従姉妹、ということは、その息子はアマーリエのはとこか。
ほとんど他人に近い親戚ではないか。しかも母方の。
それで縁続きと言われても、はぁとしか返しようがない。
「ご婚約の報を聞き、ぜひご挨拶に伺いたいとアマーリエには手紙で伝えていたのですが、公爵様は多忙の身ゆえと突っぱねられてしまいまして」
アマーリエのこめかみが白く緊張するのが横目で見えた。
彼女が理由もなく手紙を突き返すはずがない。その理由は深く聞かずとも、ここまでの態度で察してあまる気がしたが、男の次の言葉で確信に変わった。
「これだから女は嫌いなのです」
ははは、とさも面白いことを言ったとばかりに笑い、息子もそれに続く。
僕は彼らからアマーリエを少しでも遠ざけようと、彼女の腰に回した腕に力を入れて、自らの後方へ引っ張った。
「我が公爵家は親戚が多い方ではないですから、ぜひこの縁が続くよう願います」
「まことにそう願いたい!アマーリエがいつまでも公爵の寵愛を受けられるよう祈っております。それにしても公爵はお目が高い!あのオルヴィアではなく、アマーリエを選ぶのだから」
「それはどういう意味でしょうか?」
「どういうもなにも、見た目よりも中身を選ばれたのでしょう?私も息子の嫁にぜひしっかりもののアマーリエをと、アマーリエの父に打診したものでしたが……」
「息子の嫁ではなく、息子を婿に、の間違いでは?」
沈黙を貫いていたアマーリエが、我慢ならないというふうに呟いた。
男の頬が一瞬ひくりと痙攣する。
なるほど。息子をアドラー伯爵家の入り婿にして、あわよくば、と昔から狙っていたのだろう。アマーリエが彼らを嫌悪する最大の理由は、彼らが縁続きであることをたてに厚顔無恥な振る舞いをしてきたから、といったところか。
「アマーリエは私が出会った女性の中でも、一等美しい女性です。あなたがたにとっては残念なことだったでしょうが、彼女と結婚の約束を交わせた私は本当に幸運です」
万が一でも、アマーリエが見るからにぼんくらなこの息子と結婚することにならなくてよかった。
そうなっていないということは、アマーリエの父が拒否したのだろう。彼は娘たちへの思いは歪んだ部分はあっても、アマーリエのことをどうでもいいと思っていたわけではなかった。貴族の娘として生活に困らないように、行く末だけは真剣に案じていた。だがその思いは一方的で現実的な部分だけを見ており、精神的な部分の理解は足りていなかった。だから最後まですれ違っていた。それは彼の心の一部を食べた僕には、いまや我が心のことのようにわかる。
「我々が真に親族になる日も近いですな。しかしそうなると、アドラー伯爵家の跡取りが不在になってしまう。その点を公爵は何かお聞きになりましたかな?アマーリエは何も教えてくれないのですよ」
「さぁ。でもオルヴィアがいるでしょう」
「あの子は駄目でしょう。見た目こそ妖精もかくやという可憐さですがね、夫を取るにしてもあんなことがあってはまともな夫が見つかるかどうか」
僕の背からでるように、言葉を遮る勢いでアマーリエが言う。
「オルヴィアは今は治癒師になるために頑張っています。ですから婿を無理にとらせて夢を妨げるくらいなら、父方の従兄弟に継がせると両親も言っています」
「それは初耳だ……。アドラー伯爵も随分と甘いことを言うようになったものだ」
真実、彼女たちの母はまだオルヴィアに婿を取らせることを諦めていないと聞いたが、アマーリエはあえて両親と言い切った。
「またあの子爵位も継げない次男坊か。娘が嫁ぐと父親も弱気になるのか……ここはひとつトラレス公爵、妻の実家を助けると思って誰がアドラー伯爵家を継ぐべきか我々と協議しませんか?親交を深める傍ら……」
ようやく本題に入ったか。
つまるところこの男は、自分の息子をアドラー伯爵家の跡継ぎにするよう協力して欲しい、と言いたいのだ。
アマーリエの母の従兄弟という細い縁を手繰り、さらにはほとんど他人の僕にまで親族だと厚顔に主張してまで。
アマーリエや妹のオルヴィアも、この男は心の中で馬鹿にしているはずだ。言葉の端々から敬意などまるで感じない。
もはや表面上でも穏やかに対応する必要があるのか。
僕の髪色に似ているからと選んだドレスに身を包み、今夜誰よりも美しく輝いていたアマーリエの顔が曇っているのを見て、僕は自分がひどく怒っていることに気が付いた。
アマーリエが父親に責められ、ぶたれそうになった時にも感じた。
自分はてっきり怒ったり、喜んだり、感情の起伏が少ない人間だと思っていたが、それはただ怒ったり、喜んだりするほどに大切なものがなかったというだけなのだ。だから今、こんなにも怒りを感じている。
僕はうちに渦巻くものを覆い隠し、にっこりと微笑んだ。
そして一度は無視した握手を求めて、手を差し出す。
「なにはともかく、これも縁です。仲良くしましょう」
「ええ、ぜひ!」
男のぶよぶよとした白い手がすぐに伸びてきて、僕の手を握る。
その手を引っ張り、僕は男の耳元に口を寄せる。
男が身のうちに秘める感情が、ひどい臭気を伴い鼻腔に満ちた。
「時に伯爵は私が悪食公爵と呼ばれているのはもちろんご存じかと思います。あなたとご子息の虚栄心、鬱屈したプライドは実に美味しそうだ」
男の後ろに控える息子にも聞こえる程度の小声で囁く。
父親の顔越しに目を見開き見つめてくる僕に、息子は蛇に睨まれたカエルのようになった。
まさしく彼には今、僕が獲物を見つめる怪物に見えていることだろう。
「心を丸のみされた人間は、廃人になるのですよ。人は殺さなくとも、殺せるなんて、面白い話ですよね」
そっと体を離し、もう一度にっこりと笑う。
握った手を解放すれば、もう男が余計な言葉を発さずに立ち去るであろうことは、真っ青になった顔を見れば一目瞭然であった。
きらびやかに着飾った人間の群れの向こうに男とその息子が消えるのを見送ると、ついついと袖が引かれた。
「サディアス様、最後に何を言ったんですか?」
「うん?」
とぼけてみるが、通用しませんよとばかりに睨まれる。といっても上目遣いで、大変可愛らしいものではあった。
「アマーリエこそ手紙のこと黙っていただろう?」
「それは……ああいう人だと知っていたので、ご迷惑になると……勝手に断りの手紙を出してしまってごめんなさい」
しゅんと俯くアマーリエに慌てて、そうじゃないと否定する。
「僕だって話を聞けば断っていいと言ったと思う。ただ相談してもらいたかった、とは思う」
「ごめんなさい」
謝らせたかったわけではないのに、アマーリエはますます俯いてしまう。
僕は彼女の手をとり、顔を上げるよう促した。
「僕が君に頼ってほしいだけなんだ。だからそう落ち込まないで」
「そうでしょうか。もう十分頼ってしまっていると思うのですが……」
「じゃあもっと頼って。僕は嬉しいから」
しょげた眉の角度が少しだけもとに戻る。
それでも彼女がまだ申し訳ないと感じていることを、僕の鼻は感じ取っていた。
後悔はスミレの紫の匂いがした。
「アマーリエ」
できるだけ優しく名前を呼ぶ。
「君の家族やさっきの人みたいな人間に、これからも君が悩まされることがあったら、僕はどんなことをしてでも君を守りたいと思うし、悪食公爵と呼ばれていることすらも利用するし、むしろ悪食公爵も悪くない、と思うんだ」
「それって……?」
「つまり、君が僕の生きる意味ってこと」
青い瞳が光を反射する湖面のように輝く。
このまま自分だけを見ていて欲しいと思うと同時に、もっと色んなものにその瞳を輝かせて欲しいとも思う。
そのためにも、彼女に頼ってもらえる自分になりたいと、改めて思った。
ぽかんとしたままのアマーリエに僕は微笑みながら手を差し出す。
「せっかくの夜会だ。嫌な気持ちは忘れて、僕と一曲踊ってくれませんか?」
ふわりとつぼみがほころぶように、アマーリエが微笑む。
それだけで僕の世界も輝き始める。
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