サディアスと恋の諸々2
「久しぶりに愛人のところから帰ってきたと思ったら、あの人なんて言ったと思います!?お前、また太ったんじゃないか?って!もう私悔しくって悔しくって!だいたい自分だって結婚した時からブクブクと肥え太ったくせに、私にだけ太っただの年をとっただの言いたい放題で、若い愛人のところに入り浸り!結婚した時に私の実家を支援したからって、いつまでも大きな顔をして、ほんっとうに嫌な男だと思われませんこと!?」
男爵夫人もよる怒涛の愚痴が、同意を求める問いで一旦途切れた。
僕はただただ、はぁ、とあいまいな笑みを返す。
夫人はその返答を都合のいいようにとらえたのか、さらに愚痴を話し始めた。まさに彼女の夫への愚痴は滝がごとく、怒涛の勢いでもってまくしたてられる。
これは一通り話して満足するまで終わらないな。
もはや悟りの境地へと至り、僕は組んでいた脚を入れ替え、繰り出される愚痴のリズムに合わせるように頷く動作をし続けた。さながら頭にバネを仕込まれた人形がごとくだ。
しかし夫人の境遇に同情を感じないわけではない。
若くして身売り同然で男爵に嫁ぎ、義両親からは冷遇され、夫は若い愛人ばかりを作っては入り浸り、たまに帰ってきては逆らえないのをいいことに暴言を吐かれ続ける。そんな暮らしをもう二十年は耐えている。
父から「悪食公爵」の仕事を引き継いでからずっと、夫人は定期的に通ってくる客人の一人であった。
「そういえば、公爵様もいよいよご結婚されると聞きましたわ」
「あぁ、そうですね」
急に自分の話題になったので、気の抜けた返事になってしまった。
アマーリエと彼女の父親との問題がいったん収まり、婚約を正式に発表したのは先週のこと。そのためここ数日は、夫人のように愚痴や世間話の延長上で婚約の話題に触れてくる客人ばかりであった。
「取次ぎをしてくださった方が、婚約者の方?お若いけれど、賢そうなお嬢さんだったわ」
「ええ。私にはもったないくらいの人です」
「まぁ……!でも、ねぇ……」
自分たち以外は誰も聞いてなどいないというのに、夫人は周囲をはばかるように視線を巡らせる。
それまで室内に漂っていた感情の質が、一気に変化していくのを感じる。
長年いぶされた鬱憤の煙たさから、熟しすぎて腐りかけた悪だくみの匂いへと。
「あちらの伯爵家も今後大変そうでしょう?トラレス公爵家のような王家と長くお付き合いのある家の方として迎え入れて大丈夫なのかしら?そういえば、ちょうど伯爵家に嫁いだ夫の従妹のところの娘さんが、婚約者の方と同じくらいの年で……」
また、か。
自分の息子でもあるまいし、人の結婚に茶々をいれるのはやめて欲しい。
「夫人」
これ以上は聞くに堪えない。
愛想笑いを消し去り、ぴしゃりと拒絶するように名前を呼ぶと、夫人は少し顔を青ざめさせた。
代わりにその娘と婚約でもしろと言うつもりであったのか。
だとすれば、とんだ侮辱だ。
僕にも、アマーリエにも。
「夫人ともそれなりに長いお付き合いですが、今後は私の妻となる彼女とも長い付き合いになっていくことでしょう。どうか彼女とも仲良くしてやってください」
言外に仲良くできないのならば付き合いはこれまでだと含ませ、僕は組んでいた脚をほどいた。いつでも立ち上がることのできる姿勢になった僕に、夫人は慌てて引き留めるように手を前に出す。
「ええ!ええ!もちろんですわ!私はただ婚約者様にお話相手がいるようでしたら、うちの親戚にちょうどいい年頃の娘がいると言いたかっただけです」
「それは良い考えですね。彼女にも伝えておきましょう」
伝えるつもりなど毛頭ないが、表面上は怒りを収めた僕に夫人は胸を撫でおろした。
「申し訳ないのですが、そろそろ次の方との約束の時間です。いつも通りでよろしいですね?」
実は次の約束などなかったのだが、ここで切り上げるのがどちらにとっても最良だろう。
そうしていつも通り、僕は夫人の鬱屈した夫への感情を食べ、夫人は心が軽くなったわりには浮かない表情で帰っていったのであった。
客間から出る気力もなく、ソファに沈んでいると、扉が半身ほど開き鉱物のような青い瞳が現れた。
「あらまぁ」
アマーリエは脱力した僕を見るやいやな扉をあけ放ち、窓につかつかと歩み寄る。そして慣れた手つきで全ての窓を開けていく。
新鮮な空気がたちまち流れ込み、少し熱をもった額を冷やした。
レースカーテンが大きく膨らむ。
ああ、そういえば今日はいい天気になるんだったか。
朝食の時にアマーリエと交わした会話をいまさらながら思い出す。
どうにも悪食公爵の仕事をしていると、この部屋以外の世界のことを忘れてしまう。
アマーリエは茶色の髪を揺らし、僕の顔を覗き込んだ。
「男爵夫人と何かあったのですか?」
「どうして?」
驚いて問い返す。夫人には釘を刺したつもりだったが、まさか帰り際、直接彼女に無礼なことを言ったのだろうか。
「お帰りの際まで、異常なくらい丁寧だったので」
「あー……」
そっちか、と再び脱力。
「なんでもないよ」
アマーリエはほんのり不思議そうな顔をしたが、追及する気はないらしかった。それよりも部屋の環境を少しでも快適にすることに腐心して、廊下からいろいろなものが乗ったワゴンを運び込んだ。
てきぱきと薄い色の茶を淹れ、窓辺にいい香りの花を置く。
花なんか置かなくてもアマーリエがいれば僕はきっと十分なのだが、自分のために動き回る彼女の姿を見ていたくて黙っていた。
「ミントティー?」
「今日のはマーサと一緒に作ったブレンドです。カモミールにリンゴと少しはちみつを加えてみたんですよ」
「ああ、あの匂いのいいお茶か」
「はい。でもちょっと味がお好きじゃなかったやつです」
「そんなこと言ったっけ?」
「言ってないけど、そういう顔をしてましたよ」
「君には隠し事が通用しない気がしてきた」
体を起こし、湯気の立つカップを手に取る。
リンゴとはちみつの甘い香りに、白い花のかすかな青臭さが心地よい。
一口含めばちょうどよい甘さが広がった。
ふっと息を吐き、顔を上げると微笑んでいるアマーリエと目が合った。
「お仕事お疲れ様です」
「……うん」
彼女の言葉と微笑みで、一気に胃のあたりで渦巻いていた不快感が緩和された気になる。我ながら現金な男である。
どうせ現金な男ならば、もっと甘えてしまおうか。
カップを机の上に戻し、自分の真横よりは少し離れた場所を指さす。
「アマーリエ、ここに座ってくれないか?」
素直に指示した場所に腰掛けたアマーリエの膝めがけて横向きに倒れる。
膝の上に頭を乗せると、アマーリエはわっと戸惑ったような声をあげた。
「少し休憩」
頭が一番収まる場所を探してもぞもぞするたびに、彼女はわぁだかひゃぁだか言う。珍妙な声に思わず笑うと、その振動がくすぐったいのかまた珍妙な声が上から聞こえる。
彼女に膝枕をねだるのは初めてで、何食わぬ顔を装っているが正直なところは少し恥ずかしかった。
「私の膝、固くないですか?」
「ちょうどいいよ」
「そ、そうですか?」
横目で見上げたアマーリエは、赤い顔でやり場に困った手をうろうろさせている。
照れているのだろうか。
だとしたら可愛いな。
嫌だと思っているような匂いもしないし。
まださ迷っている手を掴んで、顔の前に引き寄せる。握ったまま彼女の膝の上で互いの手を落ち着けた。
アマーリエの滑らかな手の甲を親指でなぞりつつ、自分が思いのほか疲れていたことに遅まきながら気が付く。
肉体的、というより精神的に疲れた。
男爵夫人のように露骨な人間ばかりではないが、アマーリエとの婚約に水を差そうとする客人には正直辟易するし、怒りを感じる。
もっと強く言い返してやろうかとも思うが、結局は理性的な部分が勝って釘をさすにとどめる自分にも嫌気がさす。
やはり父のような威厳が、自分には足りないのか。
見た目の貧弱さはアマーリエのおかげでかなり無くなったはずだが……。
高圧的に振舞うのは性に合わない。
とはいえ、外野にこれ以上何かを言われるのはさすがに腹に据えかねる。
「僕は頼りないな……」
思わず呟くと、アマーリエの手がぴくりと震えた。
「私には誰よりも頼もしいです」
ゆっくりと握った手に力が込められていく。
「少なくとも、サディアス様は私が怖くて仕方なかった父から私を救ってくれました」
救われた、などと思っているか。
僕がしたことは、彼女とその父親が真に和解する道を断っただけなのではないか。
歪んではいたけれども確かに父親が抱いていた娘たちへの愛、執着、思いを僕は根こそぎ食べた。
それは部分的な殺人に等しい。
それでも、僕は好きな子に傷ついて欲しくなかった。
好きな子がその父親に取られてしまうのが嫌だった。
僕はアマーリエの心を食べるどころか、彼女のすべてが欲しくなってしまった。
それを「救った」などと、君は言ってしまうのか。
人の心を食べないと生きていけない化け物の血が流れている男に。
僕の心のうちなど知りもしないアマーリエは、お疲れなんですね、と空いた方の手で僕の頭を撫でる。
「サディアス様はいつも頑張っています。今日はもうお休みにしてしまいましょうか?」
「……いいや、大丈夫」
瞼を閉じて、サラサラと前髪を梳く指先の感触に集中する。
耳にかけてはハラハラと落ちるそれを、彼女は飽きもせず指先で集める。
「ちょっと君に甘やかしてもらったら、すぐ元気になるから」
「じゃあ頑張って甘やかしますね」
ふふ、とアマーリエがこぼした笑みに、また前髪がハラハラと落ちた。
それもまたアマーリエの指先に集められ、そしてまたこぼれていくのであった。
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