アマーリエと嘘つきたちの宴9
偽の婚約披露宴での騒動から早くも三日経とうとしている。
案の定サディアスは食あたりを起こし、今日の昼になってやっと食欲が戻ってきたところだ。
そして彼の回復を見計らったように、今日は見舞客が訪ねてきていた。
仕事でも使う客間で、エマは借りてきた猫のようにミルクがたっぷり入った紅茶をちびちび飲んでいる。
その横顔を付き添いの青年がニコニコと見つめ、私は顔色の悪いサディアスの肩にせっせと薄手の毛布をかけていた。
「寒くありませんか?」
「ありがとう。大丈夫」
父の時もそうだったが、やはり人の悪感情を根本から食い尽くすと彼の体にはかなりの負担になるようだ。
偽の婚約披露宴を開き、場合によってはシェイラの欲望を食べつくすことになると聞いたとき、正直賛成ではなかったし、できればそうならなければいいと思っていたが、今後はもっとちゃんと反対しなくてはならないだろう。
こんなふうにしょっちゅう胃を壊していては、せっかく取り戻した健康にも影響が出てしまう。
これから先、結婚して同じ時を過ごしていくのだから、私はできるだけ彼に長生きして欲しいのだ。
「エマ、美味しい?」
素直にこくりと頷くエマに、青年はでれでれと溶けた笑みを浮かべる。
彼の名前はルーファスという。
歳は私よりも少し年上で、癖の強い紫の髪を一つに結んでいる。
エマにとって祖父と並んで数少ない心の許せる人物であり、エマのそばにいたいとエルネスト公爵に懇願して拾われた、あの公爵に根が性悪と評された青年である。
そして彼はダングラール侯爵夫人のお茶会の後に、エルネスト公爵の使者としてやってきた人物であり、偽の婚約披露宴でシェイラに毒もどきを売ったと証言した商人でもあった。
今回のことも半分は彼が図ったことであった。
経緯を簡単に説明するとこうだ。
エルネスト公爵の使者としてやって来たルーファスから、私たちはシェイラが毒物を探しているということを知らされた。
ダングラール侯爵夫人の命令か、自身の意思かはまだわからないが、お茶会でのことが動機になっているのは間違いないだろう。そこで自分が商人のふりをして接触したところ、シェイラは「とある高貴な方からの命」で毒を探していると言った。飲み物に混ぜても気づかれにくく、すぐに効き目がでるものがいいと、彼女は条件をつけたらしい。
シェイラが誰かの命を狙っていることは明白だ。
また彼女には婚約者を殺した疑いもかかっていた。
彼女の婚約者はとても真面目な人間で、結婚式を目前にして、普段はあまり飲まない強い酒を飲み、真冬に一人で家に帰り、自宅へは遠回りになる道を通って真冬の池に落ちたというのだ。
彼の両親は本当に事故だったのかと、あまり態度の良くなかったシェイラを疑っており、ルーファスは彼らからも直接話を聞いてきていた。
しかし問題は標的が絞り切れないことであった。
ダングラール侯爵夫人が命令したとすると、自身に恥をかかせたエマだろう。
しかしシェイラ個人の怨恨を考えるならば、アマーリエ、つまり私の可能性もある。
そこで危険を知らせにきたというわけだ。
そもそも彼が商人と偽ってシェイラに接触したのは、お茶会での出来事と顛末を聞き、エマに害をなそうとする者がいないか警戒してのことだったらしい。
おかげで事前に命を狙われているかもしれないことを知れて助かった反面、エマのことに関する執着と行動力が凄すぎて正直怖い。
とにかく犯行を防がなくてはと、私たちはエルネスト公爵も交えて相談しあった。
その中でサディアスがこう言ったのだ。
「シェイラの標的はエマでもアマーリエでもないかもしれません」
「では誰かね?」
「ダングラール侯爵夫人です」
そして偽の婚約披露宴が開かれ、サディアスの予想は当たった。
シェイラがダングラール侯爵夫人の命を狙い、悪食公爵の罰を受けたことはすぐに広まり、彼女の両親は娘ともども王都を出て行った。商家に婿入りした息子を頼って港町へ逃げていったともっぱらの噂だ。
せめて港町で彼らが静かに暮らせることを願うばかりである。
ダングラール侯爵夫人は夫の迎えで自身の屋敷へ戻った。夫の侯爵はサディアスとエルネスト公爵に、これからは妻を療養の名目で厳しく監視し、近いうちに田舎の領地で静養させると誓った。
侯爵夫人がエマを害そうとしていたことについて、妻を野放しにしていた侯爵自身への罰はエルネスト公爵がゆっくり与えるとのことだ。
そしてサディアスは来週の本当の婚約披露宴に向けて、体を回復させているところである。
しかしまだ私にはどうにもわからないことがあった。
「シェイラはどうしてエマ様でも私でもなく、侯爵夫人を殺そうとしたのでしょうか?」
改めて口にすると自分や自分の友人が殺されそうになっていたという事実に、ぞっと寒気がする。
サディアスはもぞもぞと毛布にくるまった体をゆすって答える。
「シェイラにとって大事だったのは、自分が注目されることだったんだ。そしてその手段として人から憐れまれ、同情されることを選び、そのうちかわいそうな自分に酔いしれるようになってしまった。彼女の悲しみが純粋な悲しみの味でなかったのは、かわいそうな自分に酔いしれる快感と混ざったものだったからだ」
「つまりシェイラは、かわいそうな自分が好きだった?」
「うん。そしてかわいそうな自分が、周囲に慰められ、優しくされることを期待したんだろうね」
サディアスの言葉を裏付けるように、ルーファスが付け加えた。
「実際婚約者の死をきっかけに、シェイラは人の好意を利用してダングラール侯爵夫人とも知り合ったようですよ」
「同情されて何が気持ちいいのかしら。ムカつくだけだわ」
「エマ様はそうかもしれませんね」
「アマーリエはわかるっていうの?」
「……自分のことを誰も見てくれない、と思うことが凄くつらいというのだけはわかるかもしれません。そのために誰かを傷つけようという考えは到底理解できませんけど」
ソファの上で休ませていた手に、サディアスの手が重ねられた。
彼は私の手を毛布の中に引きずりこみ、自身の腹部に充てるようにして握った。
「侯爵夫人にとってシェイラが慈悲深い自分を演出するための道具だったように、シェイラもまた侯爵夫人をかわいそうな自身を演出し、華々しい世界に行くための道具にしていたんだろう。だからあの晩、大勢の前で侯爵夫人を殺し、泣き叫ぶことで自分が悲劇の中心人物になろうとした」
「そんなことしたって、どうせすぐにばれるって思わないのかしら?」
「エマ。そんなことを考える人間は、そもそも自分の婚約者を殺したりなんかしないよ」
「それもそうね」
考えるだけ馬鹿らしいと、エマは肩をすくめた。
それからはたと何かを思い出したのか、片眉を吊り上げこう言った。
「そういえば私も聞きたいことがあるのだけれど、ルーファス」
「なんだい?俺のお姫様」
「あなた、シェイラには無害だけれど口に含めばすぐにわかるちょっと苦い薬を毒と言って渡したと言っていたわよね?」
「そうだね」
「あれがちょっと苦い薬ですって?実際に飲んだ侯爵夫人は、立っていられないくらいに苦しんでいたようだけど」
「あはははは。まぁいいじゃないか。サディアス様の予想は見事的中したし、万が一飲んでも死なないし」
「むしろ私やアマーリエが飲んでも面白いくらいに思ってたんでしょ!」
「あははははは」
エマに胸倉をつかまれ揺さぶられながらも、ルーファスはけらけらと笑う。
「なるほど。これが、根が性悪……」
思わず呟くと、エマは怒りをあらわに叫んだ。
「性悪どころか邪悪よ!まず顔からして胡散臭いのよ!この変態!ストーカー!」
罵詈雑言を浴びせられながらも、ルーファスは幸せそうだ。
そんな微笑ましいような、微笑ましくないような光景を見つつ、私は肩に寄り掛かってきたサディアスの頭に自身も頭を寄せるのだった。
エマたちが帰るのと入れ違いに、メレヴからの手紙が届いた。
北の空気をまとってきたかのように冷たい表面を撫で、待ちきれずにその場で開封する。
行儀が悪いとは思いつつも、読みながら居間に戻った私は、オルヴィアからの返事に飛び上がって喜んだ。
「サディアス様!婚約披露宴に合わせて、オルヴィアの一時帰宅許可が下りたそうです!」
「本当?よかった」
ふんわりと微笑んでくれる彼の隣に飛び込むようにして腰掛け、文面を見せる。
「治癒院での真面目な働きを認めてもらって、早めの冬季休暇として扱ってもらえるそうです。お世話になっている神官様も連れて行きたいって」
「僕はかまわないよ」
「じゃあ、大丈夫だと返しておきますね」
「こっちにいる間、オルヴィアはどこに泊まる予定なんだい?」
「いちおう実家に泊まる予定です」
婚約披露宴にはギルバート殿下が来るし、世間の目もあるからオルヴィア自身が参加することはできないが、それでも久々に顔を合わせて過ごせるのは嬉しい。
手紙を抱きしめて喜ぶ私に、サディアスは蜂蜜のような明るい目で言った。
「アマーリエも少し実家で過ごしてみるかい?」
「え?」
思いもよらぬ問いかけに、間抜けな声が漏れる。
サディアスは私がじっくり考えるのを促すように、黙ってこちらを見つめた。
実家で過ごすということは、両親とも顔を会わせるということになる。
そういえばサディアスの屋敷に住み始めてから毎日忙しくて、母から届く心配と愚痴が半々の手紙に似たようなことばかり書いて返しているくらいだ。
母いわく、母も父も、私とオルヴィアのことを心配に思っているらしい。
その言葉が本当かどうかはわからないけれど、私は「心配している」という文字を見るたびに胸が痛くなって、読み終わったらすぐにしまっていた。
というか意識的に両親のことを、特に父のことを考えないようにしていた気がする。
娘たちへの執着を失った父とどう接すればいいのか。
親にあだなすようなことをした娘を両親はどう思っているのか。
たぶん私は顔を会わせて、言葉を交わすことで、それらを知るのが怖かったのだ。
でもオルヴィアもいる場なら。
彼らにとっては不肖の娘たちかもしれないけれど、私たちのことを憎んでいたり、恨んでいたりすることだけはないだろうと思えるから。
「考えてみます」
前向きに。
そう付け加えた私に、サディアスはゆったりと瞬きをして頷いてくれた。
「少し寝ようかな」
「披露宴までにしっかり回復しないといけませんものね」
「そうとも。僕は誰よりも立派に君をエスコートしなくちゃならないからね」
そんなに意気込まなくたって、サディアスはもとから立派な人だ。
だって偽の婚約披露宴では、彼のためにとあんなにたくさんの人が無償で協力してくれたのだ。ひとえに彼の人柄のなせるわざに他ならない。
だから私は本当に彼のことを誇らしく思う。
「サディアス様、お慕いしています」
「どうしたの急に?」
びっくりと眠たげな眼を見開くサディアスに言いたくなっただけだと笑った。
「僕もアマーリエのことが好きだよ」
愛しい気持ちを、思った時に、思ったままに伝えられる関係がこれからもずっと続くといい。
そう願って、私はサディアスと額をくっつけて笑いあった。
これにて、嘘つき編終了です。ここまで読んでくださり、ありがとうございます!感想の返信は一律しないことにしていますが、いただいた感想は大事に読ませていただいております。ありがとうございます。
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