アマーリエと嘘つきたちの宴7
夜の帳が降りる。
普段はひっそりとたたずむトラレス公爵邸からは、煌々と明かりがあふれていた。
次々と馬車が玄関に停まっては、着飾った人々が降りてくる。
トラレス公爵家は分家や親戚がほとんどいない特殊な家系なので、来賓のほとんどは悪食公爵に世話になったことがある、現在進行形で世話になっている人々で占められていた。
白と金を基調とした飾りつけは好評で、さっそく数人の好意的な夫人からお褒めの言葉をいただいている。
まだまだ安心するには早いとはわかっていても、自分に好意的な人がいるとわかっているかいないかでは心持ちがかなり違った。
「喉は渇いてない?」
スライスしたレモンが入ったグラスを差し出しつつ、サディアスが顔を覗き込んでくる。背の高い彼は横に並ぶとわざわざ腰を曲げてでも私の顔を見てくる。
「いただきます」
ありがたくグラスを受け取り、口をつけると喉の渇きがますます意識されて、一気に半分ほど飲み干してしまった。
レモンの爽やかな風味が鼻から抜けていく。
「サディアス様は大丈夫ですか?」
いくら広間といってもこれだけ大勢が集まっては、サディアス的にはつらいだろう。いちおう彼が感情の匂いで気分が悪くならないように、一定時間で換気をすることになっている。
「大丈夫。ほとんどの人は今夜の主旨を理解してくれているから、同じ匂いっていうのかな、いろんな匂いが混ざって酷いものになることはなさそうだ」
「よかった。でも、気分が悪くなったらすぐに言ってくださいね!絶対ですよ!」
こういう人がたくさんいる場所ほど、サディアスは我慢強く、体調の悪さを悟らせまいとするので、強く念押ししておいた。
わかったわかったと苦笑しながら、なぜか降参ポーズをされたのには納得いかないけれど。
ふっと長い体を折りたたんで、私の耳元にサディアの顔が寄せられる。
私の体は彼の淡い影の中にすっぽり収められた。
「今夜のアマーリエも本当に綺麗だ」
吐息がこそばゆいのと、恥ずかしいのとで耳をおさえて反射的に身を引くと、きょとんとした顔をされた。
「ありがとう、ございます」
嫌で体を引いたのではないことを私の真っ赤な顔で察したのか、サディアスは愉快そうにくすくすと笑った。
「客人を放置していちゃつかないでくれる?」
「エマ様!」
いつの間にやって来たのか、エルネスト公爵にエスコートされたエマが私たちの前にいた。
相変わらずの憎まれ口だが、今夜のエマはベージュの可愛らしいドレスを身に着けてきていた。
この年頃ならピンクや水色などの淡い色を着るのが普通なのだが、アイボリーに近いベージュはとても上品で、なにより一目で仕立てのよさがわかる代物だ。それにエマのつややかな黒髪と灰色の目にもよく似合っている。
首には淡いピンクのバラがあしらわれたリボンを結んでいた。
「素敵なドレス!今日もバラがお似合いですよ」
「……ありがとう」
孫娘が素直に礼を言ったことに、エルネスト公爵は驚いた顔をする。
彼は眩しいものをみるようにエマの小さな後頭部を眺め、それから私にありがとうと微笑んだ。
「今宵は孫娘ともどもお招きいただき、感謝する。改めて婚約おめでとう、サディアス、アマーリエ。ほら、エマ」
公爵に促され、エマは背中に隠し持っていたものをそろそろと差し出した。
それは一輪のバラだった。
彼女の首に飾られたのと同じもののように見える。
「おめでとうございます。……よかったら、これ」
「ありがとうございます!髪にさしても?」
棘は綺麗に取ってあるし、髪飾りも先日公爵から贈られた金細工のものだけをつけているから、バランスも崩れないはずだ。
エマが頷いたのを確認してから茎を短く折ろうとすると、サディアスが代わりにやってくれた。
彼は私の顎を持ち上げ、耳の上に慎重にバラをさす。
「……よし。できた」
「どうですか?」
エマからの目に見える形での好意が嬉しくて満面の笑みで感想を尋ねる。公爵は新しい孫ができたみたいに褒め、エマはいいんじゃないとぶっきらぼうながら照れたふうに笑ってくれた。
私たちが団欒を楽しんでいると、執事のターナーがしずしずと近寄ってきてサディアスになにかしらを耳打ちしていった。
「例の客人が到着したようだ」
きゅっと空気が締まる。
「では、我々は他の方々に挨拶してこようかな」
「はい。また、後で」
「エマ様……」
「私の心配よりも自分の心配をしなさいな」
つんと尖った鼻先を上向け、エマは公爵とともに去っていった。
例の客人たちは、いつかと同じようにぞろぞろと広間へ入ってきた。
ダングラール侯爵夫人を筆頭とするご友人方である。
もちろん夫人のそばには影のようにシェイラが付き添っている。
エルネスト公爵もいる可能性を考えてか、侯爵夫人の装いはさすがに抑えたものだったが、取り巻きを連れてこないという選択肢はなかったらしい。連れてきたい友人がいれば、身分が保証されている人物ならばかまわないと招待状に追記したのは私たちなのだが。
数多の夜会やパーティーを渡り歩いてきたとあって、夫人の足取りは堂々としていて優雅である。
まっすぐ私たちの前にやって来た彼女は、これまでで一番礼儀正しく挨拶をした。
「お招きいただき、ありがとうございます。トラレス公爵、アドラー伯爵令嬢、ご両人のご婚約、心より祝福いたしますわ」
美貌を氷のように凍てつかせ、サディアスは祝辞に感謝を述べる。
夫人の後方で侍女のように頭を下げている令嬢たちが、サディアスの凍った表情に恐怖の息をのむ気配があった。
本人はやはりいまだに自覚が薄いが、サディアスはとんでもない美形なのである。
そしてとんでもない美形というのは、表情を失うととんでもない威圧感と恐怖を与えるものなのである。
ということを隣で見ていた私も初めて知った。
むしろぽやぽや、ぱやぱやした人だと思っていたけれど、もしかして私と一緒にいるときはいつもニコニコしていたからか。
これからもサディアスがぽやぽやぱやぱやしていられるように頑張ろうという謎の決意が生まれたのだった。
「アマーリエ様、先日は当家にてご不快な思いをさせてしまいましたよね」
侯爵夫人は心底反省していますといったふうに眉尻を下げる。
きっと反省した様子を見せて謝罪すればすぐに許してもらえると思っているのだろう。しかし私は毅然とした態度でこう返した。
「もとから愉快な思いをできると思ってはいませんでしたから」
「まぁ!どうしてそんなことを」
「ダングラール侯爵夫人は私のことも、アドラー伯爵家のことも良く思ってらっしゃらないようでしたから」
「そんな……!確かに口が過ぎたこともありましたけれど、今は本当にアマーリエ様のことをトラレス公爵夫人にふさわしい人物と思っておりますわ」
今はということは、前は違ったということにならないだろうか。
期待していたつもりはないが、夫人が本当に反省しているわけではないことに少しがっかりしている自分がいた。
「でも、こうして呼んでくださったということは、少なくとも私のことは許してくださったということでしょう?」
「許すも何も、私は最初から怒ってすらいません。ですからどうかお気になさらないで」
本心かと聞かれれば少し怪しいところもあったが、夫人はとても安心した様子だった。
「そういえばギルバート殿下がいらっしゃると噂で聞いていましたけれど……」
「残念ながらご都合が合わなかったようで」
「それは残念……」
大げさに残念がり、夫人はアマーリエ様と名を呼んだ。
「何か困ったことがあったらいつでも私を頼ってくださいましね」
ぐいぐい近づいてきて手を握ろうとするので慌てて身をひく私を、すぐにサディアスが前にでて庇ってくれる。
「ええ、ぜひ頼りにさせていただきたく思います。これからも、互いの身分にふさわしい交流を続けていければと私もアマーリエも考えています。ダングラール侯爵夫人」
自分の方が身分も立場も上であることを忘れるなと、サディアスは黄金の瞳で告げる。
夫人は先ほどの勢いもどこへやら、やや顔を青ざめさせ静かに頷いた。
「……あの、アマーリエ様」
そのまま侯爵夫人は去るものと思っていたが、こんな空気にもめげずに言葉を発する者がいた。
シェイラだ。
彼女はあのストロベリーブロンドを綺麗に結い上げ、未婚女性だとアピールするような色合いと形のドレスを身にまとっている。人の婚約披露宴を出会いの場にするのは勝手だが、少し露骨すぎるように見えた。
シェイラは例のうるんだ小動物の目で、私を見つめる。
「アマーリエ様とサディアス様のお幸せを心からお祈りさせてください」
彼女は恋心を抑え込む憐れな少女のように、私たちの幸せを願ってグラスを差し出した。
グラスの中身は、今夜のために用意した酒だ。
和解の印として受け取ってほしいということだろう。
私は少し悩んで、そのグラスを受け取った。
「ありがとう。あなたにも幸せが訪れますように」
「……はい」
シェイラは最後にちらりとサディアスを見上げ、未練を断ち切るかのように踵を返した。そしていつものように夫人の取り巻きの一部と化した。
「失礼いたします」
いささか元気をなくした様子で侯爵夫人と取り巻きは、ぞろぞろと私たちの前を去っていった。
彼女たちが離れるや否や、ぶはぁとサディアスは息を吐く。
「はぁー、緊張した。ちゃんと公爵っぽかった?」
「はい。とても」
むしろ怖すぎるくらいだったが、それは言わないでおこう。
「見て、エルネスト公爵とエマ様のところに行くみたいだ」
サディアスの視線を追いかけると、ダングラール侯爵夫人とエルネスト公爵が何かを話している。
公爵の顔はあくまで柔和だが、それが逆に恐ろしいのは私の気のせいだろうか。
エマは公爵の隣でお人形のようにじっとしていた。
こうして遠くから大人しくしているところを眺めると、本当にお人形みたいに綺麗な子だ。将来はきっとクールな美人になることだろう。
公爵との話は一区切りついたのか、夫人は今度はエマと話し始めた。
声は聞こえないが、すぐに和解できたらしく、夫人は私のときと同じようにエマの手を取ろうとした。
エマはうっと一瞬嫌そうな顔をしたが、隣に保護者がいてはさすがに拒めないらしく、持っていたグラスを給仕に預けようと背後を振り返る。
しかし給仕が寄ってくるより先にシェイラが現れ、エマの侍女にでもなったかのようにグラスを受け取る。彼女なりの敬服の表し方ということだろうか。
エマは苦虫を嚙み潰したような顔で夫人と握手を済ませ、シェイラからグラスを返してもらう。
嫌すぎて顔に出ないように我慢できなくなっているのがわかって、申し訳ないけれど笑いそうになった。
無事和解できたということで夫人はまたもや取り巻きを連れて公爵たちの前を辞す。
やがて立ち止まり、シェイラと何事かを囁きあった。
自身も喉の渇きを覚えたのか、彼女は差し出されたシャンパンの入ったグラスを受け取る。
煌々ときらめく広間の中、私とエマ、ダングラール侯爵夫人の三つのグラスが傾けられた。
そしてグラスの割れる音。
悲鳴が響き渡った。