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「どうしましょう、お姉様……」
王子からの贈り物を前に、オルヴィアは途方にくれた顔をしている。
花にドレスに宝石に。
昨夜出会ったばかりだというのに、ちょっとやりすぎではないだろうか?
「こんなにたくさんの贈り物をもらうなんて申し訳ないわ」
「何を言っているの、オルヴィア。殿下からのお気持ちがこんなに深いなんて、素敵なことじゃない!」
お母様はすっかり有頂天になって、使用人に花を飾るよう申し付けた。
「でも、昨日踊った時に体が弱いとお話したら、王宮の治癒師を紹介するとも言ってくださって……」
「治癒師を!?」
私と母はそろって大声をあげた。
だって、王宮の治癒師なんて、王族に連なる者しか診てもらえない。
治癒師は神殿で修業をして、人々を癒す特別な魔法を神から授けられた存在だ。
その能力にも程度があり、王宮の治癒師ならば老衰以外のたいていの病気は治せると聞く。
そんな凄い治癒師が診てくれるということは、オルヴィアもきっと健康になれるはず。
けれど王子がそこまでしてくれるということは、本気でオルヴィアに一目ぼれしてしまったということで、健康になったオルヴィアを婚約者に選ぶつもりだということだ。
その可能性に思い至り、我が家は天地がひっくり返ったような混乱に陥った。
けれど王子は予想以上に本気で、手紙が届いたかと思うと、夜会から三日後にはオルヴィアの寝室に王宮の治癒師がいた。
そしてオルヴィアは健康になった。
ずっと悩まされていた発熱や倦怠感はすっかりなくなり、走っても息切れしなくなったし、寝込むこともなくなった。
むしろ元気すぎて、お転婆なくらいだ。
「ギルバート様ー!」
屋敷の庭で、明るい陽の下でくるくる回るオルヴィアに、殿下はデレデレとした顔で手を振り返す。
整った顔だとデレデレしててもいちおう美形を保てるんだなと、いささか無礼なことを考えながら、私はそっと幸せそうな恋人たちから視線を外す。
たぶん殿下はすぐにでもオルヴィアに結婚を申し込みたいのだろう。
我が家から王妃が出るとは、しかもそれが妹だなんて、まさかまさかだ。
まぁでも、オルヴィアは国一番の美少女だもんね。
これまで体でつらい思いをたくさんしてきたから、幸せになって当然なのだ。
少し世間知らずで、頼りないけれど、殿下がそんなオルヴィアがいいというのなら、たぶんそれでいいのだろう。
別に自分が殿下に選ばれたかったとか、そんなことは思っていない。
けれど。
けれど。
「アマーリエ、お父様が帰っていらしたわ。それであなたに何かお話があるみたい」
「わかりました」
殿下が来ているから、慌てて帰ってきたのかな。
うへぇと心の中では悪態をついて、私は父の書斎へと向かった。
父の書斎は屋敷の中でも一等立派な部屋だ。
もてなすための客間と違って派手さはないけれど、日当たりとか家具とかは一番いい。
ずっと家にいるわけでもないのに、もったいないなと私はここに呼ばれるたびにいつも思っている。
「失礼いたします」
短く入れと返され、私は父の前に立った。
「お帰りなさいませ、お父様」
「ああ。ギルバート殿下がいらしていると聞いてな」
「ええ。中庭でオルヴィアがおもてなししています」
「そうか」
父はあまりうれしくなさそうに顎をひいて、ため息をついた。
「国王陛下からオルヴィアのことを聞かれた」
「それは……」
「あくまで世間話の延長だったが、そういうことなのだろうな」
なんだか嫌な予感がして、ぎゅっと手を握りしめる。
父は母やオルヴィアの前では決して見せない、冷たそうな顔つきでこう続けた。
「オルヴィアが王家に嫁ぐとなると、お前には早く婿をとってもらわねばならんな」
「……え?」
「すでに様々な家から打診は来ているんだが、婿となると慎重に選ばねば」
「えっと……」
「心配するな。ちゃんと良い婿を私たちが選んでやる」
せめてどんな候補がいるのかだけでも、教えてもらえないのだろうか。
もう自分が決めてしまうつもりでいる父を、私はなんとか説得しようと口を開こうとした。
「はぁ……アマーリエ。なぜ、お前は男で生まれなかったのだ。お前が男であれば、安心してオルヴィアを嫁に出せたというのに」
一瞬何を言われたのかわからなくて、私は固まった。
「まぁいい。オルヴィアが健康になり、王妃になれるのだ。あの子がその重責に耐えられるか不安ではあるが、そこは私やお前が支えればいい。ふむ。そうなるとやはり婿は信用できる男でなくては困るな。分家のやつらにもつけ入るすきを与えないように見張っていなくては」
「……お父様は、私が男であればよかったのですか?」
なんとかそう絞り出すと、父はようやく人間らしい顔つきになった。
「ん?ああ、すまない。言葉の綾みたいなものだ。お前は私の可愛い娘だとも」
そんなことは聞いていない。
言葉の綾だと、可愛い娘だとでもいえば、許されるとでも思っているのか。
「私たちでこれからもオルヴィアを支えていこう」
私たちって、私も?
私はこれからも、お父様の言いつけ通りに生きて、望まれるままにオルヴィアのために生きるの?ずっとそれに耐えろというの?
そして私は気が付いたのだ。
私は死ぬまで、この家に、父に縛られ続けるのだと。
どうやって自分の部屋に戻ってきたのか、よく覚えていない。
ちゃんと笑顔で父に答えられただろうか。
そうじゃなかったら、後からあの時の態度はなんだったのだ。お前はすぐ不満そうにする、と叱られるかもしれない。
そういう時の父は何を言っても言い訳をするなと怒鳴り、誰も逆らえなくなるのだ。
私はふらふらとベッドに腰かけ、それから力なく倒れこんだ。
ドレスにしわが寄ってしまうと思ったけれど、なんだかもうどうでもよくなってしまった。
これが貴族の娘に生まれるということなのだろう。
私は特別に不幸じゃない。
だって暖かい家があって、三食美味しいものを食べさせてもらって、健康で。
でも。
幸せでもない。
幸せではない。
激情が腹の底から湧き上がって、体が内側からバラバラに壊れてしまいそうだった。
どうして私ばかり!と泣き叫びたい。
それと同時に、被害者ぶるんじゃないという誰かの非難が胸を刺す。
父が憎い。
母が憎い。
そして可愛いはずの妹すら憎い。
私はこの家から、父から逃れることができないのに。
父の期待通りに頑張ってきたつもりだったのに、その結果が「男だったらよかったのに」だなんて。
そんなのどうしようもない。
のろのろと枕を抱きしめ、声を殺して私は泣いた。
輝かしい中庭で殿下とオルヴィアが笑いあっていて、そこに母と父が加わっている様子が思い浮かんだ。
そこには私はいない。
いなくても、誰もさみしがらない。
それがあまりに惨めで、憎らしくて、涙が止まらない。
こんなドロドロとした憎しみを抱いてこれからやっていけるのだろうか。
いや、やっていくしかないのだ。
でも、いくらなんでも、もう上手くやっていく自信がない。
ふと、脳裏にある人物が浮かんだ。
治癒師のような特別な能力を持った人間は、少なからずいる。
そのうちの一人。
彼は人の感情を食べるのだという。
しかも憎しみや嫉妬などの醜い感情を好んで食べる。感情を食べられると、すっきりその感情はなくなってしまうらしい。
中には恋人への愛情を食われて、廃人のようになってしまった男もいたと聞く。
しかも彼が一等好きなのは、乙女の心を丸のみすることなのだという。
そうだ彼にこの感情を食べてもらおう。
いっそのことこの心すべてを食べられたっていい。
どうせあっても苦しむだけだ。
そして私は決心した。
人呼んで悪食公爵。
サディアス・トラレス公爵に会いに行こうと。