アマーリエと嘘つきたちの宴5
帰宅して、お風呂に入って、着替えると、もう夕食の時間になっていた。あまりたくさんは食べられない気分だったので、マーサに軽食をお願いする。
想像以上の疲労感に襲われながらダイニングへ降りると、すでに待っていたサディアスがどうぞと椅子を引いてくれる。
私が腰かけると、彼はいつも通り隣に腰掛けた。
「お疲れ様」
「ありがとうございます……」
彼のいたわりに満ちた微笑みを見ると、やっと帰ってきたという実感がわいて、なんだか泣きそうになった。
「サディアス様も夕食がまだですよね。今、食べますか?」
ちゃんと美味しい感情を出せるか不安になりつつ尋ねると、彼はゆっくりと首を振った。
「君がお腹を満たして、ゆっくりしてからで大丈夫。いちおう僕も今から夕食を食べるし」
「私もその方がいいと思います。今は何を考えても、疲れたって思っちゃうから、全部しおしおの感情になってしまいそうで」
しおしおという表現が気に入ったのか、サディアスはあははと声をあげて笑った。
「ごめん、笑ったら失礼だよな」
「しおしお」
「あはは!」
つられて二人して笑い転げていると、スープが運ばれてきた。
サディアスも食べることを考慮したスープなので、具はよく煮込まれた野菜だけだ。しかし深い色合いのコンソメにはしっかりと肉の風味が溶けていて、香りだけで唾液が湧き出てくる。
食前の祈りを捧げ、私たちはさっそくスプーンを手に取った。
半分ほど胃に収めると、体が内側から暖かくなってくる。
ほっと肩を落とし、隣を見るとサディアスは頬杖をついてこちらを見ていた。
「侯爵夫人に意地悪されなかった?」
「されたと思うんですけど……」
歯切れの悪い返事に、サディアスは不思議そうに瞬きする。
「エルネスト公爵の孫娘さんが……なんというかすごく強烈な子で、それどころでなくなってしまったという感じです」
「大変だったんだね」
「はい……」
夕食の続きを味わいながら、私は今日あったことをぽつぽつと彼に語った。
「何度、手で口をふさごうかと思ったことか」
侯爵夫人やシェイラに何を言われても、されても、受け流してみせるぞと意気込んでいって、まさか別の苦労をするはめになるなど誰が予想できただろうか。
今更ながら思い出すほどにエマの人形めいた不愛想な顔が、憎たらしく見えてくる。
「けれどエマ様がいたから助かった面もあったと思います。少なくとも何時間もねちねち言われずには済みましたし、夫人の興味も私からそれたようでした」
「その口ぶりだと、嫌なことは言われたんだな」
「……オルヴィアのことを少し」
「王族に恥をかかせたって?」
「妹が妹なら姉も姉だから、サディアス様もギルバート殿下みたいにならなければいいわねって」
「なんだそれ」
きゅっと眉間にしわを寄せ、サディアスは怒りをあらわにした。
「僕は殿下と違ってプロポーズは成功しているぞ!」
たぶんそういう意味ではないですと思ったが、言わないでおいた。
怒っているサディアスがとても微笑ましかったので。
「あとはシェイラさんが急に泣き出して少しハラハラしましたけど、エマ様がなんなのこの茶番って」
エマの真似をしつつ言うと、わぁとサディアスは軽く身を引いた。
「それは強烈だ」
「でしょう?」
「エルネスト公爵め、とんだじゃじゃ馬娘を任せたな……」
彼はため息をつき、デザートのナシにフォークをさした。
そしてはいと口元に差し出してくる。
あ、私が食べるんだ。
ちょっと恥ずかしいけれど、あーんと口を開けると良く熟したナシが舌の上に乗った。
噛みしめるとじゅわっと果汁があふれ、思わず笑顔になる。
そんな私の様子に、サディアスは満足そうに目を細めた。
「シェイラはどうして泣き出したのかな?まともな理由じゃなさそうだけど」
「えっと」
私の方がサディアス様のことを先に好きになったのに!という意味合いの涙だったと思うのだが、それを本人に言ってしまっていいのだろうか。
悩んだけれど他に言いようもなかったので、それとなく遠回しに伝えた。
「それはおかしい」
おかしいとはどう意味だろう。
自分を好きになるなんて、みたいな意味だろうか。
「サディアス様はご自分が思っているよりも、かなり好意を寄せられているかと」
「そうじゃないし、アマーリエがいるから他の女性に好かれる必要もない」
そこまで言い切られるとむずがゆいような、嬉しくてにやけてしまいそうになるような。
「シェイラは僕に好意を抱いていないはずだ」
再びどうして断言できるのかと不思議に思うと同時に、私もその理由に思い至った。
「彼女の感情を食べた時、一度も好意の味はしなかったし、この間侯爵夫人と一緒に来た時も感じなかった。僕に好意を抱いているなら隠していたことになるけれど、あの状況でそれは変だろう?」
「確かに。じゃあどうしてシェイラはあんなことを?」
サディアスは腕を組み、椅子に深くもたれた。
「一つ仮説はある」
しかしまだ確証はないからと、彼がその仮説を口にすることはなかった。
そこまで言っておいて肝心なところは教えてくれないのかともやもやするけれど、そのうち教えてくれるだろうと諦めた。
「そういえば相談が一つあるんだった」
空を見上げて思案していたかと思うと、ぽんと手を打ち、サディアスは居住まいを正した。
「なんですか?」
「僕たちの婚約披露宴をしようと思うんだ」
「私たちの?」
そういう派手なことはしたがらない人だと思っていた。
驚く私に、彼はとても真剣にこう続けた。
「公爵位を継いでから僕は、体調がすぐれないことを理由に身分にふさわしい振る舞いをしてこなかった。悪食公爵らしく引きこもって人の感情を食べて過ごせばいいだろうって怠けていた」
「本当に体調がすぐれなかったのだから、仕方ないです」
「いいや。やっぱり僕の怠慢だ。そのせいでダングラール侯爵夫人のような人間から、僕だけでなくアマーリエも軽んじられてしまった。今日のことは僕の責任だ」
「サディアス様……」
サディアスは体ごとこちらを向いて、私の手を握りしめた。
「どうか、許して欲しい」
「許すもなにも、私は怒ってすらいません」
「うん。ありがとう」
ほっと彼は美しい顔をほころばせた。
「だから僕たちの婚約披露宴をしよう。知り合いをたくさん呼んで、ギルバート殿下にも来ていただけないか聞いてみるよ。殿下がお祝いに来てくれれば、きっとアドラー伯爵家が王族に恥をかかせたなんて誰も言わなくなる。この間も殿下とお会いしたけど、相変わらず失恋中でめそめそしているだけで、恥をかいたなんてちっとも思っていなかったから、お願いすれば来てくださるはずだ」
サディアスの心遣いを嬉しく思いつつ、いまだにめそめそしているらしい殿下のことを思って少し笑いそうになった。
「これからはトラレス公爵として、ちゃんと振舞おうと思う。僕自身もだけど、アマーリエも公爵家の人間として尊重されるべき人間なんだと、周囲に示していきたい。どうかな?」
「もちろん、お手伝いします」
「ありがとう」
「もう、どうしてサディアス様がお礼を言うんですか?私の方こそ、そこまで考えてくださってありがとうございますって言わなきゃいけないのに」
「僕たち似た者同士だから。お礼の言い合いになってしまうね」
本当に、その通りだ。
苦笑する私に、サディアスはそっと顔を近づける。
彼の意図を察して瞼を下ろすと、唇に柔らかいものが触れた。
優しく下唇を食まれ、胸が高鳴った。
私のことを一生懸命考えてくれたことへの嬉しさと、キスの多幸感があふれ出す。
サディアスはキスしながら薄く開いた唇の隙間から、私の心からあふれて止まらない感情を吸い取り、うっとりと息を吐く。
湿っぽい吐息が離れ目を開けると、自分からキスをしてきたくせに赤い顔で微笑む彼がいたのだった。
婚約披露宴の準備は日々の仕事と並行して、順調に始まった。
披露宴をしたいと言った時のマーサを筆頭とした使用人たちの気合の入り方といったら、私たちを超えていたかもしれない。
会場は長らく使っていない屋敷の広間。
料理や飾りつけの手配はまだ半分くらい。
何色をテーマにするかは私が決めていいと言われたので、白と金にすることにした。
サディアスの髪と瞳の色だ。
そのかわり衣装は私の瞳の色にしようとサディアスが提案したので、青い衣装を仕立て中だ。
あんまりゆっくり準備していると、本格的に寒くなってしまう。
そろそろ招待状を送るリストを作るかというころに、彼はやって来た。
「先日はエマ様が大変お世話になりました。こちらはエルネスト公爵とエマ様からお詫びの品として預かってきたものです」
エルネスト公爵の使いとしてやってきたその青年は、ひどく静かな動作で贈り物をテーブルの上で滑らせた。
公爵から感謝の手紙、エマから短い感謝と謝罪の手紙をそれぞれ受け取っていたので、まさか使いの者が贈り物まで持ってくるとは思っておらず、私もサディアスも正直かなり驚いた。
それだけ孫娘を溺愛しているということなのだろう。
中を確認してほしいと目線で促されたので、おそるおそる開けると立派な金細工の髪飾りが入っていた。すごくよく光る石もついていて、ちょっと見ただけでとんでもなく高価なものだということがわかる。
思わず顔を見合わせる私たちに、青年はニコニコと感情の読めない顔で笑っていた。
癖の強い髪を後ろで一つに結んでいる。
最初はエマみたいな黒髪かと思ったが、紫がかった不思議な色合いをしていた。
まだ二十になっているかいないかくらいなのに、妙に老成した雰囲気もある不思議な青年だ。
サディアスは彼がきてからずっと変な顔で鼻を擦っているし、私もこのつかみどころのない青年を前にしているとどうにも落ち着かない心地になるのであった。
「婚約披露宴のご準備で困ったことがありましたら、ぜひお申しつけください。エルネスト公爵家は協力を惜しみません」
「どうして私たちが婚約披露宴をすることを……?」
まだ招待状を送るどころか、リストを作ろうかという段階なのに。
サディアスのいぶかしむ視線に、彼は飄々と答えた。
「耳が早いのだけが取り柄でして」
照れたように青年は頭をかく。
誰も褒めてなどいないのだが。
ますます怪しいなと思っていると、ふと彼の胸元に淡いピンクのバラがさしてあることに気が付いた。
あのバラ、どこかで見たような……。
「そうそう!そこで一つ、お耳にいれたいことが」
青年は大げさに手を打ち、にっこりと微笑む。
彼の黒い瞳は、なぜかこれからサーカスでも始まる前の少年のようにピカピカと楽しげに光っていた。




