アマーリエと嘘つきたちの宴4
「ダングラール侯爵夫人。この度はお招きいただき、ありがとうございます」
タイミングをうかがって話しかけると、侯爵夫人は大げさなくらいに喜んでみせた。
「ああ、アマーリエ様!本当に来てくださったのね!」
夫人はさっと私の頭のてっぺんからつま先まで見て、胸元で輝くトパーズに、ほうと感心したような色を浮かべた。
「もちろんです。夫人とのお約束を破るはずがありません」
「未来の公爵夫人は義理堅くていらっしゃるのね。私、アマーリエ様はてっきりいらっしゃらないかと思っていたわ。だってほら、お忙しいようですし、いろいろあったでしょう?こういう場には来づらいかと心配しましたのよ」
いろいろってなんだ。
いろいろって。
オルヴィアのことだろうか。
妹がギルバート殿下に恥をかかせたのに、よくものこのこと社交界に顔を出せると言いたいのだろうか。
もしもそうならば、その件は向こうとすでに折り合いをつけているのだから、部外者にとやかく言われる筋合いはない。
と、思ったが、我慢した。
その代わり、言われている意味がよくわからないというふうにとぼけることにした。
「はぁ。えっと、ええ。確かにサディアス様との婚約も急に決まったことですし、お仕事のお手伝いをさせていただいておりますので……」
夫人は私の反応に肩透かしをくらい、少し面白くなさそうに相槌を打つ。
その肩越しにじっとりと濡れた視線を感じて、ついと目をむけると、シェイラがいた。
ストロベリーブロンドに合わせた淡いピンクのドレスを着たシェイラは、吹けば飛んでいきそうな儚い笑みを浮かべ、じっとりと私を見つめている。
ちょっと怖い。
「そちらは?ご友人かしら?」
いったん話題を変えることにしたのか、夫人は私の横に立っているエマを見た。こんな子招待したかしらと、彼女の顔には書いてある。
「こちらはエルネスト公爵の孫娘のエマ様です。せっかくのご招待でしたから、私がお誘いしたんです」
「まぁ!エルネスト公爵の!」
思わぬ大物の名前に、夫人も周囲も目を見開いた。
そして当の本人であるエマが不愛想に、エマですと言っただけで黙りこくってしまったので、ますます彼女たちは目を見開き、顔を見合わせた。
そうだよね。
なんとなく、こうなる気はしていた。
孫娘の社交界復帰をよろしくと無責任に微笑むエルネスト公爵の毒気のない顔が浮かんで、私は無意識に行き場のない拳を握りしめた。
「本当に素敵な温室ですね!エマ様とも見て回るのが楽しみだと、先ほどまで話しておりました。噴水のレリーフ一つをとっても精巧で、ダングラール侯爵家お抱えの職人の仕事でしょうか?」
空気よ、変われー!という必死の思いが届いたのか、夫人は自身の見事な温室の自慢話を優先することにしたらしい。
「そうなんですの!よかったら、歩いて回りながら説明させてちょうだい」
「ぜひ、聞かせてください」
夫人が立ちあがると、ぞろぞろと他の女性たちも立ちあがる。
そうして私たちは夫人を先頭にして、何がいくらかかったか、夫人の要求にこたえるために職人がどれほど苦労したのか、という彼女の話を聞いて回った。
正直、いつエマが退屈だといい始めるかハラハラしていたが、意外なことに大人しくついてきてくれた。楽しそうとまではいかないが、いちおう好奇心はあるらしく私にぴっとりくっついて植物を熱心に眺めていた。
立派だが歩いてみると案外小さな温室だ。
夫人の自慢話がなければあっという間に一周していたことだろう。
などと考えているうちに、本当にもうすぐ一周してしまう。
良い頃合いを見て、エマと二人で夫人たちから離れようと思っていると、かたわらに誰かがまるで影のように寄り添っていることに気が付いた。
驚いてのけぞりそうになりながら見ると、それはシェイラだった。
彼女は夫人のおしゃべりが途切れたタイミングを見計らって、こう尋ねてきた。
「そういえば、アマーリエ様はいつからサディアス様とお知り合いなのですか?」
しん、と周囲が急に静かになった気がした。
「だいたい三か月前くらい、かしら」
本当にいろんなことがあったから、実際の数字よりも長く感じる。
プロポーズされたのだって、一か月前のことなのだ。
「たったの三か月……」
シェイラはひどくショックを受けた様子でそう呟くと、なんといきなり顔を覆って泣き始めた。
「えっ!?」
わけがわからず素っ頓狂な声をあげる私と対照的に、シェイラのまわりには彼女を慰めるために数人が集まる。
ハンカチを渡されたシェイラは、こぼれる涙を拭き取りつつ、ごめんなさいとか細い声で謝る。
謝られたところで、いっそうこちらがいじめているような心地になるだけで、私はますます困ってしまった。
「かわいそうにシェイラ……」
「つらいのね」
「どうか泣かないで」
肩に添えられた慰めの手たちに甘えるように、シェイラはこくこくと頷いた。
「いらっしゃい、シェイラ」
侯爵夫人が手招きをする。
シェイラはよよよとおぼつかない足取りで、夫人の肩にもたれ泣いた。
またもや私は何を見せられているのか。
「このシェイラはかわいそうな子なのよ」
かわいそうな子なのだと言われても、はぁそうなのですか、としか言いようがない。
しかしできるだけ同情しているような雰囲気で、私はそうなのですかと頷いた。
「結婚式を目前に婚約者が急死し、その悲しみを一年かけてやっと乗り越えられそうというところで……」
「夫人、いいんです……これも運命なんだわ。一年間密かにサディアス様を思っていただけで何もしなかった私が悪いのです」
「でもあなたは亡くなった婚約者の喪に服していたんだもの。淑女として仕方のないことよ」
「サディアス様が幸せなら、私はいいのです。私の悲しみを癒してくださったサディアス様に憧れ、私もサディアス様を癒してさしあげられたらと……でも、三か月で婚約を決めたくらいですもの。アマーリエ様に私が敵うわけがなかったのです」
なるほど。
こういう感じか。
シェイラは婚約者の死の悲しみを癒してくれたサディアスを好きになり、一年の喪があけたらアプローチするつもりだったが、ぽっと出の私にサディアスをとられたということなのだろう。
残念ながら彼女の方が先にサディアスのことを好きだったとしても、順番ではないのだからとしか言いようがない。
さぁ何か言いなさい、とシェイラの頭をなでる侯爵夫人が私を見る。
毅然とした態度を取るべきなのかもしれないけれど、それは相手の思う壺のような気がするし、別にこれくらいの居心地の悪さどうってことない。父に心の内をぶちまけて以来、喜ぶべきか嘆くべきか一層私の神経は図太くなっていた。
すすり泣くシェイラ。
これ見よがしに同情する周囲。
侯爵夫人は私が口を開くのを待っている。
そんな膠着状態を破ったのは、エマだった。
「なんなの、この茶番。私は温室を見にきたのであって、こんな茶番を見にきたわけじゃないんだけど」
エ、エマ様ー!?
「茶番ですって?」
シェイラにハンカチを渡した女性が、怒りを含んだ甲高い声をあげた。
「それ以外になんだというの?そこのご令嬢は、結局、自分が選ばれなかったことを棚にあげて、アマーリエに横取りされたって言いたいだけでしょう」
「横取りだなんて、そんなこと……私はただ、私のほうが先に」
「私のほうが先に好きになったのに、なんて誰でもいえることじゃない。トラレス公爵に好きになってもらうために、何かしたわけでもないのでしょう?」
「だからそれは喪に服していたから」
「喪に服していても親交を深めるくらいはいいはず。好意を抱く以前に、感謝しているのならなおのことよ」
「ひどい……どうしてそんなことをおっしゃるの……?」
「自分は好き勝手言うくせに、言われるのは嫌なの?そっちこそ酷いんじゃなくて?」
エマ様ー!
エマ……もう心の中では呼び捨てでいいや、こらー!エマー!
言ってくれたことは私も同意だし、ちょっとスッキリしたけど、言いすぎですー!
「エマ様……!」
ドレスの袖をひっぱりもうやめてくれと首を振る私に、エマは不服そうに鼻の頭にしわをよせる。
「エルネスト公爵が孫娘を表に出さない理由がわかったわ」
侯爵夫人はシェイラを慰める手を止め、嘲る調子で言った。
「どういう意味かしら?」
ずっと年上の夫人に対しても、エマは不遜に聞き返す。
そりゃダングラール侯爵よりもエルネスト公爵のほうがずっと立場も権力も上だろうけど、それにしても凄い度胸だ。
「皆さん、許してあげましょう。エマ様は幼い頃に御両親を火事で亡くされているのです。きっと甘やかされて育って、社交界での振る舞いも、人の心もわからないのよ」
エマも不遜だが、侯爵夫人もひどい言いようだ。
それに両親が亡くなっていることを持ち出すのは、違うのではないだろうか。
少なくともエルネスト公爵は火事のトラウマにいまだに悩まされているのだ。エマだって心に深い傷があるはず。
いくら腹が立ったからといって、二回りも下の女の子の傷をえぐるのはあんまりだ。
「ダングラール侯爵夫人!」
「なにかしら?そもそもアマーリエ様はどういうおつもりで、この子をここに連れてきたの?この子なら私をコケにしてくれるとでも期待してかしら?」
「なっ……」
「妹も妹だけれど、姉も姉ね。サディアス様もギルバート殿下のようにならなければいいのだけれど」
「ああ、サディアス様……」
夫人の言葉にシェイラが嘆く。
私は何から抗議すればいいのだろう。
オルヴィアのことは今は関係ないし、確かに大事にはなったけれどちゃんと和解もしたし、なによりオルヴィアは自ら罰としてメレヴの神殿へ旅立っていったのだ。だいたい人前で計画性もなしにプロポーズした殿下にだっておおいに非はあった。
さすがに言い返さなくては口を開いたが、それよりも先にエマが言葉を発する。
「お爺様が私に甘いのは事実ね。だから私もこういうところにはあまり顔をだしたくないのだけれど、お爺様がアマーリエのことを気に入ってらっしゃるから、たまには外に出てみようと思って私からお願いして連れてきてもらったの。でも、来たのは間違いだったみたい」
思いがけずエマが擁護してくれて、私は驚きをもって彼女を見た。
てっきりエルネスト公爵に言われて嫌々ついてきたのだとばかり。
「やめてください!」
場違いな制止に、私もエマも固まった。
シェイラは胸の前で両手を握りしめ、涙でうるんだ瞳をエマへと注ぐ。
「エマ様、もうおやめになってください……!私も家族同然の付き合いだった婚約者を亡くしたので、エマ様のお気持ちはわかります。おつらかったでしょう。悲しくて、どうして私だけと人に八つ当たりしたくなりますよね。私にはエマ様の気持ちが本当にわかります。だからもう傷つけないで……人のことも自分のことも」
シェイラはエマの手を取り、痛ましい笑みを浮かべた。
周囲から、ああシェイラ……と憐れむような感動するようなため息があがる。
しかし相手はあのエマであった。
「誰、あなた。うざいわ」
「へっ?」
「私のことを勝手にわかったような顔で、あなたの勝手な感傷に私を巻き込まないでくれる?率直に言って不愉快よ」
シェイラの手を振りほどき、エマはオルヴィアと同い年の少女とは思えないほどの迫力でにらみつけた。
「寄ってたかってトラレス公爵の婚約者に嫌味を言って怒らせようとするのも悪趣味だし、あなたのような人をそばに置いて好き勝手させている侯爵夫人も、そんな妻を持つダングラール侯爵自身も程度が知れる。お爺様にはそのように伝えます」
「なっ……!?女同士の問題を殿方に知らせるなんて、無粋な!」
夫の名前があがり、侯爵夫人の顔色がにわかに青ざめた。
「ごめんなさい。私は社交界での振る舞いも人の心もわからない小娘ですので。それでは、ごきげんよう」
「ちょ、ちょ……」
呆気にとられる私の腕を掴み、エマは一礼するやいなやすたすたと出口へ歩き始めた。
華奢な体のどこにそんな力があるのか。私はずるずると引きずられ、挨拶もままならないまま温室を後にした。
「エ、エマ様!」
馬車を待たせているところまできて、ようやくエマはこちらの呼びかけに足を止めた。
そうして振り返った彼女はなんと満面の笑みであった。
「ふふふ、楽しかった!見た?あの顔!」
くすくすと笑う姿は年相応だが、やっていることは全然可愛くない。
「エマ様!」
「なに?」
私は腰をかがめ、彼女と目線を合わせた。
「さっきの振る舞いは淑女としてあるまじきものです」
「でも、あの人たちはアマーリエを寄ってたかっていじめようとしていたじゃない。お爺様もアマーリエのことを助けてやりなさいって言っていたわ」
「そうですけど、あれではエマ様が嫌な子だと思われてしまいます」
「かまわないわよ。どうせ私、嫌な子だもの」
ふん、といじけたふうにエマは鼻で笑う。
「本当に?」
「そうよ。どうせお爺様とルーファス以外で私のことを好きになってくれる人なんていないんだから、どう思われたっていいもの」
「でもエマ様の振る舞いによって、エルネスト公爵やそのルーファスさんも人から偏見で見られてしまうかもしれません。あなたのことを恨む人が、彼らに害をなそうとするかも」
「そんなの……!」
激昂してエマは大声を出したが、否定できずに言葉を飲み込んだ。
しかし納得がいかないと、低く抑えた声で続ける。
「私は間違ったことは言っていないわ」
「正しいことなら何を言ってもいい、は私には言い訳に聞こえます。エマ様は自分が言いたいこと、したいことだけを考えていて、それが周囲にどうとられるか、相手をどういう気持ちにさせるかは二の次にしています。私はエマ様がそんなことにも気づけないほど愚かな人には見えません」
「アマーリエには、関係ないことでしょ」
「ええ。関係ありません。ですが先ほどエマ様は、私のことを助けようとしてくれました。私はそれが嬉しかったから、エマ様と向き合うことにしました」
「……助けたわけじゃないわ。お爺様に頼まれていたし、見ていてイライラしたから」
「いじめられそうになっている私を見て、怒ってくれたんですよね?」
エマは肯定しなかったが、否定もしなかった。
ただ少し気まずそうに両手を握りしめ、顔を俯けている。
その姿がどことなく、誰も愛してくれないのだといじけていた幼い自分にかぶって見えた。
刺々しくて、不愛想で、いつも不満を抱えていて。
だけれど、本当は寂しくて。
誰かに助けて欲しいのに、手を伸ばすことも、伸ばされた手を素直に取ることもできない。
そんな複雑で破裂しそうな思春期特有の苦しみが、エマを通して私の中によみがえった。
「助けてくれてありがとうございます。だからこそ、私はエマ様が悪者になるのは嫌です」
「私はいいって……」
「もし次があったら、もっとスマートにやりましょう」
「は?」
「私もまだまだ上手く言い返したり、やり返したりできないんですけど、エマ様よりも経験だけはありますから、二人でまたどこかおでかけして上手な振る舞いを学びませんか?」
「私といても楽しくないわよ」
「うーん、そうかも」
「ちょっと!」
憤慨する様子がおかしくてからから笑うと、エマも毒気が抜かれていったようで、徐々に穏やかな顔つきになった。
「お友達になってくれますか?」
かがめていた腰を伸ばし、そっと手を差し出す。
エマは下唇を突き出したり、噛んだりしてもじもじしていたけれど、そろそろと私の手を掴んで握手をしてくれた。
エマの手は尊大な態度とは対照的に小さく、頼りなかった。