アマーリエと嘘つきたちの宴3
オルヴィアへの手紙には侯爵夫人のお茶会のことは書けなかった。新しい目標を見つけて頑張っている彼女を心配させるようなことは書きたくなかったのだ。
メレヴではもう初雪が降ったのだと無邪気に喜ぶところは相変わらずで、私は体に気を付けてと当たり障りのない返事とショールの差し入れを送った。
サディアスがせめて自分のできることをしたいと、張り切ってドレスやら宝飾品を用意してくれたので、自分では特に何も対策しないうちにお茶会当日になってしまった。
「うん、すごく可愛い」
サディアスは自分が用意したエメラルド色のドレスを着た私をいろんな角度から確認して、会心の笑みを浮かべた。
そしてマーサからネックレスを受け取ると、後ろをむくように促してくる。
「この石も代々受け継がれているものだ。結婚指輪はまだつけていけないから、今回はこれをつけておいき」
シャラシャラと冷たいチェーンが肌に触れる。
代々受け継がれているという大きなトパーズは、光を吸い込み、閉じ込めて、深く力強く輝いている。
「サディアス様の瞳みたい」
「そうだね。だから僕の代わりだと思って」
正面に回り込んでサディアスはトパーズをちょんちょんと指先でつついた。
「ただでさえ落としたり傷つけたりしたらどうしようと緊張しているのに……」
「大丈夫。年季が入っている分、頑丈さと幸運は証明済みさ」
冗談っぽく微笑み、サディアスは言葉を切った。
彼が腕を広げたので、私もそっと身を寄せる。
ドレスを崩さないためにか、サディアスの抱擁は普段よりも弱い。
「気を付けて行っておいで」
「はい」
抱きしめる腕がほどき、彼は仕上げと額にキスをする。
綺麗な顔が近づいてくることと、恥ずかしさに耐えきれず目をぎゅっとつむると、頭上からくすくすと愉快そうな笑い声が聞こえた。
なんだか現実味がないまま、ふわふわとした心地でダングラール侯爵家に到着した私は、エマと合流するために約束通り控室で彼女を待っていた。
すでにちらちらと視線を感じる。
ほらあれが、とか、ギルバート殿下の、とかそういう言葉がかすかに聞こえてくるのはきっと気のせいではないだろう。
でも不躾に見られたり、ひそひそ言われたりするくらいはどうってことない。
今の私はサディアスが用意してくれた素敵なドレスに、価値がありすぎて正直つけているのも恐れ多いネックレス、そして可愛いのお墨付きも貰っているのだ。まさに完全武装である。
妙に肝が据わって、私はむしろ堂々とした態度でエマを待った。
「あなたがアマーリエ・アドラー?」
名を呼ばれそちらに顔を向けると、どこか人形めいた少女が立っていた。
「エマ様ですか?」
「ええ。今日はよろしくお願いいたします」
エマはほとんど黒に近い紺色のドレスの裾をつまみ、綺麗なカーテシーをしてみせた。
慌ててこちらも挨拶を返す。
真っ白な肌に、黒檀のように美しい黒髪、そして銀細工を思わせる灰色の瞳。同い年の令嬢は絶対着ないであろう地味なドレスを身にまとった色彩のない少女。
ただ耳の上にさした淡いピンクのバラだけが、少女らしい彩を添えている。
それがエマだった。
「お爺様からの頼みだから仕方なく来ただけってこと、勘違いしないでちょうだいね」
眉根をきゅっと寄せ、不満を隠しもせずにエマは言った。
味方だと思っていたら、出会い頭にパンチを食らった。まさにそんな情景が頭に浮かび、私は引きつりそうな顔であははと笑うしかなかった。
かなり不安なスタートだったが、お茶会の会場である温室に入ると、その美しさに心を奪われた。
冬の日差しがガラスを突き抜けて、整えられた草花を白々と明るく照らす。ガラスを支える枠にも細かな装飾が施され、中央には小さな噴水まである。そして緑あふれる温室内を彩る女性たちのドレス姿は、美しい鳥たちが戯れている光景を想像させた。
温室というだけあって、空気はどこか籠っていてぬるい。
土と緑の匂いに、様々な香水や化粧品の花の香りがまじりあっている。
「温室って本当に温かいんですね」
感動してつい話しかけると、エマは意外にもそうねと素直に頷いた。
「エマ様も温室は初めてですか?」
「昔あったらしいけれど、覚えていないわ。燃えてなくなったから」
エルネスト公爵の息子夫婦が亡くなった火事は十年前。
ということは、エマは当時五歳だったということか。
さっそく地雷を踏んでしまったと頭を抱えたい気持ちになりつつ、私は謝るべきかそれとも無難な返事で濁すべきかを考えた。
けれど取り繕った言葉はすぐに見抜かれてしまいそうで、一周回って考えるのをやめた。
「覚えていないなら、これが初めてみたいなものですね。挨拶をしたら、エマ様が見たいところから回りましょう」
私よりも身長が低いので自然と上目遣いになりながら、エマはじっとこちらを見つめる。
まるで動物がこちらに敵意がないか見定めているみたいだ。
怖くないよと語りかけるように微笑むと、さっと目線を外された。
「バラを……見てもいい?」
「もちろんです。お好きなんですか?今日も頭にさしてらっしゃるし」
とことこと歩きつつ尋ねると、エマは自身の耳の上で柔らかく咲くバラに触れた。
「似合ってないでしょ」
「そんなことはありませんけど……」
お世辞を言おうものなら許さないとばかりに睨まれる。
「お洋服とは合っていないかも」
その通りだとエマは頷き、鼻の頭にしわをよせた。
「私もそう言ったのに、ルーファスが勝手にさしたの。久々の外だから、お守りにつけていってって。信じられない」
「ご兄弟ですか?」
「自称婚約者」
「自称、とは」
「お爺様が認めていないから、自称どまりなのよ」
エルネスト公爵が孫娘のそばに置いてほしいといって聞かないから拾ってどうのこうのと言っていたような。
「根が性悪の……」
「それを言ったの、お爺様でしょう?まぁ事実だからいいけれど」
事実なのか。
根が優しいとか善良はよく聞くけど、根が性悪ってどういうことなのだろう。
「でもその人はエマ様のことが、本当にお好きなんですね」
「なぜ?」
「だってエマ様を心配して季節じゃないバラを手に入れて、髪にさしてもいいように棘も綺麗にとって、それで見送りに来てくれたのでしょう?」
それって本当に好きな相手だからこそできることじゃないだろうか。
エマは数度瞬きをしたのち、みるみるうちに赤くなった。
意外にも年相応というか、女の子らしい反応が返ってきて、ちょっとびっくりしてしまう。
けれど同時に親近感が湧いてきて、私はこのつっけんどんな少女がただの人見知りなのだと理解した。
なんだか手のかかる妹が増えたようで、急に構いたくなってくる。
オルヴィアもいたら、二人で構い倒したのに。
「よかったらエマ様のことをいろいろ教えてください」
エマは少し驚いた顔をして、別にいいけど、と小さな声で答えた。
侯爵夫人のことなど忘れてエマとの親交を深めたいのはやまやまだったが、主催に挨拶しないわけにはいくまい。
私たちは中央の噴水前で、一番大きなテーブルを囲んで歓談している侯爵夫人のもとへと歩いて行った。
夫人の横にストロベリーブロンドの頭がちらりと見えて、無意識に体が強張る。
その瞬間、足が何かに引っかかって、体が前につんのめった。
「きゃっ!?」
盛大にこけそうになった私の腕をエマが引っ張ってくれて、なんとかこけずに済む。
「どんくさいわね」
「あ、ありがとうございます」
ドッドッと大きくはねる心臓を服の上から手でおさえ感謝すると、エマはきっと私の頭越しに何かをにらみつけた。
「この温室には意地悪な木の根があるみたいね」
どういう意味だろうと彼女の視線を追いかけたが、木なんて見当たらない。
棒を飲んだように立ち尽くす令嬢がいるだけだ。
なるほど、意地悪な木の根、ね。
「行きましょう」
「いいの?」
「はい」
ここで騒ぎ立てても侯爵夫人を喜ばせるだけだ。
でもいちおう顔はしっかり覚えておこう。
念のため。念のためね。