オルヴィアと冷血神官2
今日は治癒院で実際に手伝いをする日だ。
受付をしたり、清潔な水や布を運んだり、待っている患者の対応をしたり、急ぎの掃除や洗濯をしたり。
つまるところ雑用にあてはまるものは全てすることになる。
外から見ることは何度かあったが、実際に治癒院の中に入るのは初めてだ。
だだっ広い空間に天幕で仕切りがされ、それぞれの天幕内に治癒師が一人ずつ待機している。手当が終わり次第、次の患者が呼ばれるようだ。
とはいっても人気の治癒師というものはいるようで、特にアランの天幕には若い女性ばかりが列をなしている。
見習いの令嬢たちもアランの手伝いに殺到してしまって、そこだけやけに賑わっていた。
それ以外の天幕は静かだが、アランのところに比べればという話であり、誰もがテキパキと忙しそうに働いている。
どこの手伝いをするかは自分で判断するように言われており、私はようやくまず自分から仕事をもらいに行かなければならないのだということに気が付いた。
忙しそうにしているところに飛び込んでいくのは、正直かなり気が引ける。
けれど何もせずに立っているのは、もっと申し訳ない。
勇気が欲しくて、私は髪を縛っているハンカチに触れた。
このまま突っ立っていたら、せっかく認めてくれたブレイクの信頼を裏切るような気がして、体に力がみなぎってくる。
よくよく辺りを見回すと、まだ手伝いがいっていない天幕があることに気が付いた。
替えの布を抱きしめ、私は一番端の天幕にええいと飛び込んだ。
「お手伝いします!」
「うわっ!?」
勢いよく飛び込んできた私に、中にいた治癒師が驚いた声をあげる。
「あ!ブレイク様!おはようございます」
思いがけず知り合いがいたことに、ほっと安心する。
「初めてのお手伝いなので何もわかりませんし、お役に立てるかわからないのですけど、頑張ります!」
ぺこりと頭を下げる私に、ブレイクは呆気にとられた顔をしたが、すぐに素直な自己申告ありがとうございますと笑った。
「あなたが見習いの中でも初心者なのはわかっているから大丈夫です。私も難しいことは頼みません」
「わかりました」
「では、最初の方を呼んできてください」
それからはもう怒涛だった。
ブレイクは次から次へと患者を治癒していき、私はあっちへこっちへと走り回ることとなった。
初めて知ったのだけど、人は忙しすぎると冷や汗が出てくるらしい。
手足に怪我を負った患者のために綺麗な水を汲んでは運び、汚れた布を捨てに行き、待っている患者を呼びに行って、足の悪いおばあさんを付き添いの家族と一緒に支えたり、車輪のついた椅子をとりに走ったり、持ってくるように言われた軟膏の保管場所がわからなくて迷子になりかけて泣きそうになったり、薬の入った瓶のふたを閉め忘れて何度も叱られたり……。
自分では一生懸命やっているのだけど、もたもたしてしまっているのがわかってすごくつらい。
それでもブレイクは怒ったりはせず、淡々と指示を出し続けた。
「他の人のようにできないのはわかっているから、一つずつ落ち着いてやりなさい」
できないと改めて人に言われてしまうのは正直落ち込むことだったけれど、同時に安心して泣きそうになったのも事実だった。
私はずっと「できない」どころか、「してもらう」ばかりの人間だった。
それでも一つずつ「できた」が増えて、微力でも人の役に立てるのは、すごく大変だけど楽しいことでもあった。
楽しいことではあるけれど、やっぱり私はまだまだ体力も気力も足りないみたい。
まだ午前が終わったばかりだけど、青い顔でフラフラしながら棚の整理をしていると名前を呼ばれた。
「次の患者が終わったら休憩しましょう」
やったー!と声を出して喜びそうになるのを我慢して、精一杯の笑顔で最後の患者を呼び込む。
小さな男の子を抱えた母親が、ものすごい勢いで立ち上がった。
彼女はブレイクの前に座るやいなや、息子の赤い顔を見せる。
「今朝からひどい熱なんです。早くなんとかしてください!」
母親のあまりの剣幕に、横で見ているだけの私は少したじろいでしまった。
そこそこに裕福な家の夫人なのか、身なりは整えられ、指には宝石がはまっている。
ブレイクが淡々と息子の熱を測ったり、首の付け根を触ったりしているあいだも、母親は我慢ならない様子だ。
「風邪ですね。薬を出しますから、一晩よく寝かせてあげなさい」
「治癒してくださらないのですか!?」
「はい。薬で十分でしょう。あとはよく水分をとらせるように」
「こんなにつらそうなのに?」
「薬で治る病気は、薬で治すべきです」
そんな……と呟き、母親はきっとブレイクをにらみつけた。
「自分が疲れているから治癒したくないのね!私、聞いたことがあるわ。見習いの方たちがあなたのことを冷血神官と呼んでいるところを」
「なっ……!」
確かに朝一番からずっと彼は働いているが、そんな個人的な感情で治癒を拒むような人ではない。
それに冷血神官だと呼んでいるのは、普段からちゃんと仕事もしていない見習いたちだ。
けれどブレイクは顔色一つ変えずに、静かにこう返した。
「私の個人的な事情や感情は抜きに、特に子供の風邪は、治癒ですぐに治さず薬を出して様子を見ると治癒院では決まっているんです」
「薬ってあの酷い味のする粉でしょう?この子にはあんなもの飲めないわ!」
「湯に溶かして少しずつ飲ませれば、少しはましでしょう」
「もういいです!他の治癒師のかたに診てもらいます!あちらの新しい治癒師の方は、あなたみたいにぐずぐず言わずになんでもすぐに治してくれるらしいですし。やっぱり平民あがりの治癒師はケチでだめね」
捨て台詞を吐き、母親は猛然と天幕を出ていった。
ひらひらと揺れる入口の布を呆然と見つめていると、ふぅーとブレイクが息を吐きだすのが聞こえた。
彼は立ち上がり、のびのびと背伸びをする。
飄々とした仕草が意外で、私は少し驚いてしまった。
「お疲れ様です。午後からはいつも通り、宿舎で仕事をしてください。昼食は食べられそうですか?」
「は、はい……」
ならばさっさと行けとばかりに片づけを始めるブレイクに、私は恐る恐る尋ねた。
「あの、ブレイク様はどうしてさっきの子供を治癒してあげなかったんですか?」
「子供のころから治癒でなんでも治していると、ちょっとした病気でも体が抵抗できないまま大きくなってしまいます。この治癒院がいつも人であふれているのも、そういう体の弱いまま大きくなった人々が多いからです。彼らはちょっとした風邪や食あたりでも治癒してもらえばいいという感覚だから、自分も自分の子供もすぐにここに連れてくるし、治癒しても体は弱いままだからまた病気にかかる」
「だから薬で治せるものは治すように言うんですね」
「そうです。……苦しむ我が子を見ていられないという親の気持ちも、わからないことはないですが」
「だからってさっきの人は酷いと思います。あんな……」
酷いあだ名をわざわざ本人に言うなんて。
言いよどむ私に、ブレイクは苦笑する。
「冷血神官と呼ばれていることは知っています。実際、私はあまり愛想がいい方ではない」
「そんなことありません!いえ、確かに決して愛想がいい方ではないですけど、でも冷血は言いすぎです!だいたい人間は温血動物だって、この間勉強して私ですら理解しているのに!」
そんなことを言う人のほうがよっぽど冷血ではないか。
拳を握りしめて力説した私に、ブレイクはぽかんとしたのち、顔をうつむけて笑い始めた。
なんだか前も同じことがあったような。
「はぁ……まったく励ましたいのか、それとも本気でいっているのか。でも、ありがとうございます」
お礼を言われるようなことは何もしていないと思うのだけど……。
納得いかない顔をしていると、再び笑われる。
ブレイクはやっぱり無礼な人だ。
別に笑われて嫌な感じは、しないけど。
「オルヴィアさん、その……よかったら、一緒に昼食をとりませんか?」
驚いて、えっと短い声を上げると、彼は目をそらしてずれてもいない眼鏡の位置を直した。
「いえ、やっぱり……」
「もちろん行きます!一緒に食べましょう!」
もしかして、私と仲良くなりたいと思ってくれたのだろうか。
なんだかんだで貴族宿舎では友達もいないし、その前から個人的に誰かと親しくするという経験が少なかった私は、彼からの思いがけない申し出に一気に嬉しくなってしまった。
ギルバート殿下とは友達のつもりだったけれど、そうでなかったことを知ったいまとなっては、これが初めての友達というものかもしれない。
「私、お友達とお昼を食べるの初めてです」
「お友達ですか」
「あ、慣れ慣れしかったでしょうか……」
見習いとして良くない態度だったかもしれない。
しおれる私に、ブレイクはゆるゆると首を横に振った。
「いいえ。むしろ光栄なことです」
この時の私はまだ、自分が人からどう見えるかなんて何一つわかっていなかったのだ。