オルヴィアと冷血神官1
たくさんの方に読んでいただけて嬉しくなったので、おまけをぼちぼち書き始めました。
オルヴィアのお話は3、4話くらいで、アマーリエたちのその後も元気が続けば書けたらいいなと思っています。
ブクマや評価、大変励みになっております。ありがとうございます!
まさか生まれ育った家を離れる日が来るなんて。
神殿へ向かう馬車の中で、私は少し泣きそうになった。
まだ出発して一時間も経っていないというのに、もう家が恋しい。
嫌だわ。私ったら、まるで小さな子供みたい。
目じりに滲んだ涙を拭いつつ顔を上げる。
生まれた時から体が弱くて、家族には心配ばかりかけてきたし、お姉様にもたくさん迷惑をかけてきたことだろう。私は自分のことで精一杯で、お姉様に何もしてあげられなかったのだとわかったのはつい最近のことだ。
ギルバート殿下と夜会で出会い、健康な体を手に入れてから、私の日常は驚くほどに変化した。
体のどこも痛くなくて、鉛のように重たかった手足は思うままに動かすことができて、走れば体の隅々まで血液が満ちていく感覚が心地よいことを知った。
健康であるということは、こんなにも素晴らしいことなのかと感動した。
だからギルバート殿下が望むことはできるかぎりしようと思った。
たくさん一緒にお出かけしたし、たくさんお礼も言った。
抱きしめられるのは怖かったけど、我慢した。
だって男の人って大きくて、ダンスの相手をすれば私が疲れたと言ってもなかなか離してくれないんだもの。
じゃあどうして夜会に行きたがったかというと、ベッドの上でしおれていくだけの存在にはなりたくなかったからだ。せめてきらびやかな場所で、他の年頃の女の子のように私も輝きたかった。
そのせいであんなことになってしまったのだけれど。
「もう、うじうじのするの終わり!」
ぺちぺちと両頬を叩いて、気持ちを切り替える。
これから私はお母様もお姉様もお父様も、誰もいない神殿で、一人でやっていかなくてはいけないのだ。
もう誰かに頼りっきりではいけないし、自分で自分のことを考えなくちゃいけない。
自分を変えなきゃ。
大神殿がある都市メレヴは、国内でも三番目に栄える大都市だ。
各地に神殿はあるが、メレヴにある大神殿には最大規模の治癒院と、治癒師や神官になるための学校も併設されている。
そのため自然と人があつまり、大規模な都市を形成している。
王宮の治癒師に次いで優れた治癒師がいるということもあり、多くの裕福な商家が本邸を構えているのも理由だろう。
つまり王都から遠く離れた僻地、というのは間違ったイメージなのである。
ということを私はこの目で見て初めて知った。
どの建物も立派で、決まりでもあるのか壁は一様に白と青だ。
騒がしくはないが、ゆったりと過ごす人々の姿はどこでも見ることができて、王都とは違う人の多い都市の空気があった。
そしてその中心にそびえる大神殿も、当然のごとく巨大だ。
聖堂から祈りの歌が漏れ聞こえ、隣の治癒院には行列ができている。
停車場で降り、案内が来るというので、呆気に取られつつ待つことしばし。
治癒院から一人の男性が小走りでやってくる。
首まできっちりと詰まった白いひざ丈の服。神官だ。
急いだせいでずれた眼鏡の位置をきっちり直してから、彼は私の名前を呼んだ。
「オルヴィア・アドラー?」
「はい」
彼は深い青の目を細め、さっと私の全身を見た。それも品定めするみたいに。
なんだかちょっと無礼な人だ。
「貴族宿舎の管理担当をしているブレイクです。まずは部屋に。それから食堂や共有の水場などの使い方を説明します。時間が押しているので、質問は後でまとめてお願いします」
「よ、よろしくお願いいたします!」
慌てて下げた頭を上げると、ブレイクはなぜか面食らったかのようにのけぞった。
「言っておきますが、私は平民の出です。しかしここではあなたの身分はあくまで見習い。ですので、私は神官として接します。いいですね」
「はぁ」
ピンと来ていない私に、またもや彼は変な顔をした。
「まぁいいです。荷物は?これだけですか?」
「はい」
荷物はトランク二個までといわれてきたのでその通りにしたのだが、もしかして駄目だったのだろうか。
不安になる私をよそに彼はさっさとトランクを持って歩きだしてしまった。
「ま、待ってください……!」
せめて一個は自分で持てますと言おうとしたけど、ブレイクはすたすたと歩いて行ってしまう。その神官服の裾が汚れているのが、なぜか妙に印象に残った。
神殿で見習いになってから、早くも数日が経った。
ようやく一日の流れにもなれ、一人で寝起きする自信もついてきた。
それと同時になじめないこともいくつか。
「オルヴィアさん、おはようございます」
「おはようございます」
「あぁ、今日もなんてお美しいのかしら。いまからお祈りに?」
「はい」
「まだ来てすぐですものね」
比較的見習い歴の長い彼女たちは、クスクスと笑いあう。
「あんまり真面目だとあの冷血神官に目をつけられて、雑用を押し付けられてしまいますよ」
「どなたのことですか?」
「最初に案内をしてくれたブレイク様のことよ。本当は様なんてつけて呼びたくもないのだけれど……病の子供の治癒を拒んで酷い味の粉を飲ませようとしたり、もう助からない病人のところを回って気休めの治癒をしてはお金をもらったりする卑しい神官なのよ!」
「平民出身だから裕福な商家や貴族を妬んでいるんだわ」
「私もこの間、瓶のふたを閉め忘れただけでひどく叱られましたの。それはもう恐ろしくて……!」
「アラン様とはまるで真逆だわ」
「オルヴィアさんも初日は嫌な思いをなさったでしょう?」
「でもブレイク様は荷物を持ってくださいました」
「男として当たり前のことだわ!」
「ああ、オルヴィアさんったら本当に世間知らずで……。なんてかわいそうなのかしら。私たちが今度街へ連れて行ってあげますからね」
「そうよ!こんなところでお祈りばかりしていたら、気がどうにかなってしまうわ!」
「ねぇ、そういえば新しいお店が……」
ひとしきり勝手に話かけて、新しくできた店の話題に興味が移った彼女たちは聖堂とは反対の方向へと歩いて行く。
早めに解放されて、ほっと肩から力が抜ける。
いつもああしておしゃべりしているところしか見ないけれど、割り振られた掃除や裁縫の仕事はどうしているのだろうか。
あれでもここでは古株にあたるらしく、私は正直がっかりしていた。
貴族宿舎というものがあるくらいだから、見習いに占める貴族の割合は高い。
私は殿下とのことがあったから、罰のような形でここに来たけれど、実家の財力や影響力に不安のある令嬢にとって神殿で見習いをしていたというのは一種のステータスになるのだそうだ。
だから四年間きっちり修行をして治癒師になる者は逆に少なく、みんな二年ほどで実家に戻り、結婚するのだそうだ。
私がアドラー伯爵家の出身だと言うと、全員から驚かれた。
そしてなぜか美しさゆえに求婚者がむらがり、ギルバート殿下も巻き込んだ争いになりかけたので神殿へ自らやってきた悲劇の美少女ということになっている。
いったい何がどうなってそうなるのかしら。
きっとみんな噂話に飢えているのだろう。
そして真面目に見習いの修行をしている私を、今のところ面白がっているという感じだ。
午前中は聖堂で一時間ほど祈り、昼食まで聖典の勉強をすることになっている。
お祈りの言葉は古風な言い回しが多くて、内容も私には難しい。
ちゃんと勉強をしていたらこんなに読むだけで苦労しなかったのだろうと苦い思いにもなるが、毎日一小節は必ず新しく暗唱できるようになろうと決めている。四年続ければさすがに全部覚えられるはずだ。
今日もお祈りをなんとか終わらせ、勉強道具をもって歩いていると、中庭でお茶会めいたものが開かれているのが見えた。
輪の中心にいるのはアランとかいう男性の見習いだ。
まだ四年間の課程を修了していないけれど治癒師としての力を授かった優秀な人らしい。
令嬢たちと違って、貴族の子息たちはほとんどが家を継げない次男、三男であり、本気で治癒師になろうとしている人は多い。とはいっても四年かけても治癒師になれるかは運だから、街で仲良くなった裕福な家の娘と結婚して婿入りするのが無難なのだ。
そんな中、三年で治癒師になったアランは整った容姿も相まって、神殿内外を問わず女の子たちの憧れの的なのである。
現に朝挨拶した古株の子たちもアランのおっかけばかりして、神官のブレイクによく叱られているらしい。
ということを聞いてもいないのにみんな教えてくれる。
みんな本当に暇なのね。
などと少し意地悪なことを考えた罰か、一際強い風が回廊を吹き抜けた。
髪の毛が揉みくちゃになって、目の前が見えなくなる。
夜会では見事なウェーブだと誉めそやされた金髪も、こうなってしまえば絡まって仕方がない。
ひどく嫌な気分になって、もう!と悪態をつきながら、私は柱の陰に急いで隠れる。
ぐちゃぐちゃになった髪を払いのけ視線をあげると、柱を挟んだところにブレイクが立っていた。
「あ、ブレイク様。ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう……」
ブレイクは口元をおさえ、なぜか顔をうつむける。
どうしたのだろうと見つめていると、肩がかすかに震え始めた。
どうやら私の頭があまりに大暴れしているので、笑っているらしい。
「……ごめんなさい、お見苦しいでしょう」
でも一度こうなってしまうと、手だけではどうにもならないのだ。
しゅんとうなだれる私に、ブレイクは慌てた調子で謝った。
「いえ。こちらこそ、女性に対して失礼でした」
彼はごそごそと上着のポケットからハンカチを取り出し、こちらへ差し出した。
「よければこれで髪をまとめてください。風が吹くたびにそう髪が荒れていては大変でしょう」
「でも、これはブレイク様の私物では?」
「差し上げます。いらなければ捨ててください」
「そんなことしません!」
「……そうですか」
貰いものを捨てるような人間だと思われていたことが心外で強く否定すると、眼鏡の奥の鋭い目がほんのりと和らいだ気がした。
「ありがとうございます」
受け取ったハンカチは、まるでブレイク本人の性格を表すかのように、ぴっしりと伸ばされしわ一つない。
ふわふわとまとまりのない髪の毛をかき集め、もらったハンカチで縛るとかなりスッキリした。
あとでちゃんと櫛を通して、綺麗に結びなおさなきゃ。
ブレイクは親切にも、私が髪をまとめている間、荷物を預かってくれていた。
そして急にこんなことを言ってきた。
「あなたは本当に修行をするためにここへ来たんですね。私はあなたのことを勘違いしていたようだ。わからないことがあったら質問をしに来なさい」
「はぁ……ありがとうございます」
よくわからないけれど、私は何か誤解をされていたらしい。
こういうところが世間知らずだと笑われるのだろうか。
でもブレイクが冷血神官だなんて酷いあだ名をつけられるほど冷たい人間ではないことくらいは、私にもわかった。
無礼な人、というのは事実だけど。
 




