おわり
離れの玄関に迎えの馬車がやってくる。
妙に頑丈で立派な馬車なのは、殿下が手配したものだからだろう。未練が透けて見えて、苦笑してしまう。
あの日以来、私たち姉妹は離れの別館で暮らし、本館には父と母が残った。
母は寝起きは本館でするが、昼間は私たちが心配で別館にくることも多い。
今日もオルヴィアの出立の日だからと、朝からこちらに来ていた。
「オルヴィア、本当に行ってしまうのね……」
今にも泣いてしまいそうな母に、オルヴィアは軽やかに頷く。
「はい。神殿で修業して参ります」
先日、オルヴィア、ひいてはアドラー伯爵家は、正式にギルバート殿下からのプロポーズにお断りの返事をした。
殿下は名残惜しそうだったが、国王陛下が良いといってしまったので、もうどうにもならないと諦めたようだ。裏で陛下に絞られればいい。
もちろん騒ぎを起こした代償として、伯爵家は一部の領地を自主的に返上。オルヴィアは神殿に修行へ行くこととなった。最低でも四年は出てこられないし、真面目に神に仕え運が良ければ治癒師にもなれるだろう。
そして私もまた、もうすぐこの家を出ていくことになっている。
「四年も帰ってこられないなんて……」
「私、毎月お手紙を書きます」
「ええ。必ずよ。何かあったら、私一人でも駆けつけますからね。お父様はまったく頼りにならないですから」
小声になってちらりと後ろを見やる母の視線の先には、黙って突っ立っている父がいる。
父は少し離れたところで、話しかけるでもどこかへ行くでもなく、所在なさげな顔をしている。
父はあの日、サディアスに私たちへの執着を食べられて以来、ずっとこんな感じだ。
執着心を食べられた彼は、冷静に自身の振る舞いを振り返ることができるようになったらしい。そして自分が娘、特に私に嫌われていて、それが仕方ないことであることを理解した。
母も逆上して手をあげた父に思うところがあったようで、少々あたりが冷たい。そのため女たちが集まる場では、肩身が狭いようだった。
仕事でも先日の騒動があったために、周りからは白い目で見られているらしい。
あんなに執着していた娘たちをどちらも失うことになり、彼の心には大きな空虚が生まれていることだろう。
荷物を運びこみ終えたことを御者が知らせる。
「お姉様、今までたくさんありがとうございました」
「オルヴィア?」
「私、自分のことをかわいそうだと思って生きてきました。いつもどこかが痛くて、苦しくて、私ばかり楽しいことを知らずに生きていると。そんな私をお姉様は嫌わないでいてくれました。無茶をいって外に出たがる私の面倒まで見てくれて……それなのに、私、それが当たり前だと……」
「そんなことないわ。……情けない話だけれどあなたのことをうらやましいと、憎らしいと思ったことがないと言ったら嘘になるもの」
「それでも私はお姉様が好きです」
「私もよ」
私たちは涙ぐんで、最後の抱擁をした。
「ねぇお姉様。不思議と私、神殿に行くのが嫌じゃないの。だってやっと私の人生が始まったって感じがするんだもの。実は私、治癒師にもちょっと憧れていたの」
「あなたなら凄い治癒師になれてしまうかもね」
「ふふふ。どうかお元気でお姉様。サディアス様にもよろしくお伝えください」
そう笑って、オルヴィアは遠い地へ旅立っていった。
今日は婚約指輪を選びにいくことになっている。
私たちを乗せた馬車は、有名な宝石店を目指して街中をのんびりと進む。
結婚指輪は代々受け継いできたものになるので、婚約指輪は私が好きなものを一緒に選びたいとサディアスが言ってくれたのだ。
そう、私はサディアスと婚約した。
オルヴィアのことも父のこともある程度落ち着き、どうしてこんなに優しくしてくれるのかと尋ねたら、顔を真っ赤にしながらプロポーズされたのだ。
オルヴィアが殿下のことをお友達だと思っていたことに、噓でしょだの信じられないだの言っていたのが、まさかすべて自分に返ってくるとは。
「殿下が神殿までオルヴィアを追いかけてきたりしないかしら?」
少し不安になって尋ねた私に、サディアスはそれはないと愉快そうに笑った。
「もしそんなことになりそうなら、また僕の出番がくるだけだよ」
「駄目です!この間のもまだしっかり治ってないのに!」
「アマーリエは心配性だな」
父の執着を悪食公爵らしく食べてしまったサディアスは、そのあと丸一日寝込んだ。
食あたりを起こしたのだ。
「いつまでもしつこく残って、胃を圧迫してくる不快……ステーキの脂身ばかり皿一杯食べた気分……」
というのが食後の感想だ。
「いつもサディアス様が私の感情を食べる時と、あの時は違う感じがしたんですけど」
「そりゃそうだよ。僕がいつも食べているのは、アマーリエの心から生み出されたものだけで、心自体は食べていないもの」
「違うんですか?」
「心は人の魂そのもの。感情はそこから生まれる霞のようなもの。心を食べるということはその人間の一部を殺すことと同義。その分、僕の体にも強い影響が出てしまう。つまり僕は君の父を殺したも同然だ」
「え、生きてますよ」
「うん、まぁ、そうなんだけど……」
「生きてるし、私たちも父も新しい人生を歩き始めただけです。殺したなんて、無理して悪者ぶらなくていいのに」
「悪者ぶっているつもりはないんだけどなぁ」
でもこういうところが、この人の善良さで優しさなのだと思う。
「ついでに一つ、罪の告白をしてもいい?」
「どうぞ」
「君はいい匂いがするって言ったこと」
「それがどうして罪の告白になるんですか?」
サディアスはまつ毛を伏せ、視線を自分の手元に落とした。
「僕がいい匂いだと感じたのは、君が抱えていた寂しさや孤独だったんだ。そのことに気が付いてからは、いい匂いだなって思うたびに自己嫌悪に陥ったよ。だって好きな子が悲しんでいるのに、美味しそうだって思ってしまうんだよ?そんなのって最低だ」
「そんなことないのに」
「はぁ……そういうところだよ」
呆れた調子で嘆いて、サディアスはずるずると行儀悪く背もたれに倒れこむ。
彼の袖をちょいちょいと引っ張り、私はにっこりと微笑む。
「そんなに落ち込むなら、私が寂しくならないようにサディアス様がそばにいてくれればいいんです。もう私の心すべてを食べさせてあげることはできませんけど、生まれてくる感情はいくらでも食べさせてあげますから。それともやっぱり寂しい気持ちじゃなきゃ、お嫌なのかしら……」
「そんなことはない!」
ならば良いではないか。
勢いよく起き上がったサディアスは、コツンとおでこを合わせてくる。
そして真摯な目でこう続けた。
「喜びも悲しみも恐怖も、君のなら僕にとっては全部ご馳走だ。……でも、できればいつも笑っていて欲しい。心があってよかったと思っていて欲しいよ」
鼻先が触れて、吐息を唇に感じる。
「君も感情を食べられたらいいのに。そうしたら、僕が君のことをどれほど愛おしく思っているか教えてあげられる」
少しひんやりした唇が触れる。
唇が触れていたのは一瞬で、すぐに離れていく。
それだけで私の顔は真っ赤になってしまう。
「ふふふ」
可愛いねと上品に笑う綺麗すぎる顔が直視できなくて、私はそそくさと体を離した。
窓の外に目線をやって、はたはたと手で顔をあおぐ。
馬車は大通りが交わる広場にさしかかろうとしていた。
よく考えなくとも、いくら馬車の中とはいえこんな街中でなんて大胆なことをしてしまったのか。
駄目だ。ますます恥ずかしい。
「お、お祭りでもやっているのかしら!」
にぎやかな広場を指さして場の空気を変えようとしたのだが、声は見事に裏返っていた。
「祭りというほどでもなさそうだけど、楽しそうだね」
小さな女の子が親に買ってもらったお菓子を手にはしゃいでいる。
あんなに飛び跳ねたら袋からお菓子が飛び出してしまいそうだ。
「見て、あのお菓子も凄く可愛くて美味しそう……」
屋台で売られている可愛らしい色の砂糖をまぶしたお菓子を指さし、私は急に思い出した。
ずっと昔。
子供の頃。
父と二人っきりで外出した時。
あの時も馬車で通りかかった広場では、小さなマーケットが開かれていた。
幼い私はそのにぎやかで楽しそうな光景に夢中になった。
「気になるのか」
父が低く尋ねた。
私はたぶん無言で首を横に振ったのだろう。
はしたないと叱られると思ったから。
しかし父は急に馬車を止めて、なんと自らマーケットへ歩いて行ったのだ。
そして私に買ってきたお菓子を渡してくれた。
「秘密だぞ」
そう言って、頭を撫でてくれた時、父はどんな顔をしていたのだろうか。
私は、どんな顔をしていたのだろうか。
「アマーリエ?」
「え?」
少しぼうっとしていたようだ。
呼びかけにようやく返事をした私に、サディアスは心配そうな顔をしている。
「気になるの?」
「え?えぇ、はい」
なんだかよくわからないまま返事をしてしまった。
せっかく二人で外出しているのに、ぼうっとするなんて。
私が反省していると、サディアスはなぜか馬車を止めた。
「少し待ってて」
そう言い残した彼は、あっという間に供もつけずに馬車を降りてしまう。
そして私が呆然としているうちに、私が指さしたお菓子の袋をもって戻ってきた。
「はい。温かいうちに食べるものなんだって。面白いよね」
お菓子の入った袋をそっと受け取る。
確かに温かい。
そして甘く、いい匂いがする。
思い出の中で、父は微かに微笑んでいた。
愛しいものへと向ける優しいまなざしを私に注いでいたのだ。
感情がこみあげて、涙となってあふれた。
「ど、どうしたの?」
急に泣き始めた私に、サディアスはおろおろと手をさまよわせる。
まさか今頃になって思い出すなんて。
なんだかとてつもなく悔しい気持ちになった。
きっと内緒でお菓子を買ってくれた父も、私を苦しめた父も、どちらも父なのだ。
憎しみばかりが募って、ずっと忘れていた。
だからといって、後悔するわけではない。
ただ。
ただ少し、切ないだけだ。
「ごめんなさい、嬉しくて」
涙を拭いて微笑む私に、サディアスは複雑そうな顔をする。
きっと嘘だと彼にはわかっているのだ。
それでも彼は何も言わなかった。
私が本当に悲しくて泣いているわけじゃないこともわかっているから。
それから馬車の中で私たちは、とても行儀が悪いけれどお菓子をわけあって食べた。
相変わらず胃が弱いサディアスは強烈な甘みにやられて、二口も食べずにギブアップした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!久しぶりに小説が書けて楽しかったです。
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