2話
フェリーナの顔が近付き、その瞳の中に映り込む自分の姿に驚く。透き通った羽、綺麗に整えられた髪。自分の顔とは全然違う端正な顔に、思わず自分の身体を見下ろした。
知らない服。なんなら植物で出来ている。背中を捩って見てみると透き通った羽が肩甲骨から生えていた。
「な、何これ!? 妖精みたいになってる!」
「え? 君は依代の精霊じゃないの?」
依代の精霊はゲームの中で少しだけ出て来た存在だ。主人公は一度も使用した事はないが、何かを対価に死を肩代わりしてくれる存在で、魔王が住む魔界領の近くに生息している。そんな設定だった。それが、私?
きっとこれは夢だ、そう思って思い切り頬を叩いた。いたい。
私の突然な行動に驚いたのか軽く目を見開くその顔はとてもかわいくて。髪も、瞳の色も形も、身長や胸の大きさまで、全て、私が決めたものだ。
元からオタクだった自分が所謂"推し"を目の前にして興奮しないわけがなく、心臓が大きく跳ね上がり、動悸息切れはい救心。
夢だと思って、さっき自分で思い切り叩いた頬の痛みに夢じゃないことを思い出す。
もしやこれって異世界転移と言うやつでは? もっと言うなら、ゲームの中に転移したのでは!?
それならばここはゲームのどの場面だろう。依代の精霊をフェリーナが使用する場面は一度も無かった。それじゃあ、何故私は呼ばれたのだろうか。
改めて彼女を見てみれば、装備は妙にごつく、腰に下げている剣は半分くらいで割れて欠けていて。
「フェリーナ、魔王討伐は?」
そう問い掛けると何を当たり前な、とでも言いたげな顔をしてフェリーナは答えてくれた。
「討伐したよ。もう、この世界に魔王はいない」
*
フェリーナに話を聞いてみれば、既にこの世界は魔王討伐を無事に終わらせた世界だった。
ゲームでは魔王を討伐したフェリーナが、晴れていく空を見てエンドロールが流れるのだ。
エンド後の世界は無く、スタート画面に戻されそのままデータを初期化するしかない。そんな世界を、これから体験出来るらしい。ワクワクした感情が抑え切れず、自分でキャラメイクしたフェリーナが目の前に居て喜びが溢れ出そうになる。
「えっと、なんで私を呼んだの? 魔王を倒したフェリーナなら、誰にも負けないでしょ」
病気は回復魔法で治るし、魔王を討伐した勇者に勝てる魔物なんているわけが無い。
「次の魔王を、生み出さないために不死にならなきゃいけない」
「次の、魔王?」
「魔王は勇者と対の存在。私が死ねば、次の魔王と勇者が百年後に現れる。でも、もう魔王も勇者も生み出してはいけない」
一体どこでそんな情報を知ったのか。私のゲーム知識にない情報に目を白黒させつつ、フェリーナは続けた。
「だから、賢者の石を探す。その為の繋ぎとしてリーナを呼んだ。何らかの事故で死んでしまうとも限らないからね」
賢者の石。不老不死になると噂の、生命の石だ。この世界にそんな物が存在するのだろうか。私のゲーム知識は一切通じないらしい。私よりもフェリーナの方がこの世界を知っている。……それはそうか。私はこの世界の住人では無いし、今この瞬間に生まれたようなものだ。
「わかった。それじゃあ、賢者の石を見つけるまで私はフェリーナに着いていく」
「うん。君はリーナ。私のことはフェリーナじゃなくてフェルと呼んで」
紛らわしいからね、と曖昧に微笑むフェリーナは当然と言った顔で。勇者として生きてきたフェリーナは男として振る舞う術を身に付けた。そのために彼女はフェルと名乗り、厚い鎧を着込んだ。
いたたまれない気分に襲われて、彼女の指にぎゅうと抱き着く。精一杯身体を伸ばして、限界まで抱き着いて、それでも手は回し切れなかった。
「もう、フェルを名乗らなくても良いんだよフェリーナ。魔王を倒した君は紛れも無い勇者だ」
「ありがとう」
私の精一杯の主張は彼女にあまり響かなかったらしい。フェルで良いよ、とまた声を掛けられて、手で優しく身体を引き剥がされた。
手の中に包まれ、そろそろここを出よう、と歩き出した。
*
「フェル、精霊は居たか?」
「怪我は無いです……? ヒール掛けた方がよろしいでしょうか……!?」
「大丈夫」
一歩動くだけでガシャガシャと大きな音が鳴りそうな鎧を着込んでいる男性と、清廉そうな見た目で真っ白な衣服を着ている女性が私達を出迎える。
彼らはドーズとセネラ。勇者パーティの一員で、フェリーナの幼馴染だ。
戦士と白魔道士の称号を得ている二人は立派な盾役と回復役だった。選択肢を間違えると二人のどちらかが死ぬようなイベントがあって、それもあってこうして目の前に二人がいると言うのも中々感慨深いものがある。
「依代の精霊、リーナ」
フェリーナが私のことをそう紹介すると、ようやく私に気付いたのか二人の視線が私に刺さった。
「小さくてかわいいですね……。なぜ魔界領に生息していたんでしょう……。私気になります……」
「どうせ魔王が独り占めとかするためーとかどうでも良い事だろ。早く帰ろうぜ、今は家に帰りたくて仕方ないんだ」
そう呟いたドーズに頷いて、テレポートの呪文を唱えるフェリーナ。呪文に合わせて三人の足元に魔法陣が現れて発光しだす。
「──テレポート ハズマリの村」
眩い光が視界を覆って、思わず目を閉じる。目を開けば爽やかな空気が肌を撫でる。綺麗な草原が見えて、そして小さな家々が見えた。ここが、ハズマリの村。ゲームで何度も何度も見た場所だ。
歓喜に打ち震える身体を抑える前に、ドーズが大きく息を吸い込んだ。
「帰ったぞぉぉ!!!」
耳がキーン、と響くような感覚。見ればフェリーナとセネラは耳を塞いでいて、何故事前に知らせてくれないのかと思った。
「ドーズの声だ!」「フェル達が帰って来おった!」「魔王を倒したんだ」
ドーズの大声に村人が気付き、あっという間に周りは村人たちで埋め尽くされてしまった。口々に言いたいことを言う村人たちは、三人を揉みくちゃに撫で回す。いつの間にかドーズとセネラの両親がその輪に紛れ込んで、二人を強く抱き締めているのを見て、何故か少し胸が傷んだ。
「フェリーナ」
凛とした声が聞こえて、村人たちが一斉に口を紡いだ。左右に分かれ、フェリーナの前に道が出来る。
道の先にはハズマリの村の村長が立っていて、フェリーナは村長に向かって歩いていく。
「身寄りの無い女エルフだったお前が、勇者だという天啓を受けた時はどうなることかと思ったが……無事に帰って来れたようじゃな」
「はい」
村長の前に跪き、頭を垂れるフェリーナ。その頭を皺々な手が緩く撫でた。
誰が始めたかパチパチ、と拍手が聞こえそれは大きな拍手に変わる。
「お主にはまだやるべきことがある。……しかし、しばらくの間休息を取ることは誰も止めないじゃろう。ゆっくり休め」
フェリーナが立ち上がったのを皮切りに、魔王討伐のお祝いをしようと宴の準備が始まった。