カップ麺と手料理と
桜は学校までの道のりをひたすら走った。
いつもは余裕を持って出ているのに、ダストのせいでギリギリになってしまった。
桜の通う聖寵学園は、同じ敷地内に幼稚園から大学院まである一貫校だ。
青々とした葉を茂らせた並木道を進み、高校の校舎へ入る。
三階まで駆け上がり、教室に入る。
「はぁ、疲れた」
なんとか遅刻せずに済んだ。
「朝からなに疲れた顔してるの?」
席に座ると、同じクラスの真鍋杏奈がやってきた。
桜の前の席に座る。
何度かクラスが離れたことはあるが、杏奈とは幼稚園からの付き合いだ。
「杏奈。おはよう」
「おはよ。ショウ見た?」
桜の心臓が飛び跳ねる。
「へ⁉︎ なにが⁉︎」
「なにがって。テレビよ。昨日でてたじゃない」
「あ、あぁ。あれね。……見れなかった」
「またバイト?」
「本当なら見れたんだけど。色々あってさ」
「じゃあ今度うちにおいでよ。撮っといたからさ」
「ホント⁉︎ ありがとう!」
「いつがいい?」
「ちょっと待って、シフト表みるから」
手帳を開く。
「なにこれ、びっしりじゃない!」
杏奈が横から覗き込む。
カレンダーには、アルバイトの印がずらっと並んでいる。
「働き過ぎよ」
「うん……」
たしかに今月は詰め込み過ぎた。
しかしそうせざるを得ない事情があるのだ。
「こんなに働いたら体壊すよ?」
「そうなんだけど……」
「なにが?」
突然目の前に顔が現れる。
「相川くん!」
桜と杏奈の間に割って入ってきたのは相川恭平だ。
高校からの外部生で、桜はこの春初めて同じクラスになった。
「ちょっと恭平、勝手に見ないでよ」
杏奈が恭平に言う。
杏奈と恭平は水泳部に所属している。
同じクラスになったのは三年生からだが、一年生の頃から親しくしているようだ。
恭平は拗ねたように言い返した。
「見てねえよ。それより、邪魔なんだけど」
杏奈が座っているのは恭平の席だ。
「あ、ごめんね」
桜は謝った。
「暁月さんは悪くないだろ」
「そうよ。桜が謝ることないよ」
「お前は謝れよ」
恭平が杏奈の頭を小突く。
「ちょっとやめてよ。座るくらいいいじゃない」
杏奈は恭平の手を払いのけた。
しかしそう言いながらも、あまり嫌そうではない。
手を叩かれた恭平も笑っている。
「じゃあね」
杏奈が自分の席へ戻る。
「わりぃな」
恭平が桜に片手を上げる。
(相川くんが謝る必要なんてないのにな……)
桜はそう思ったが、口には出せなかった。
いつもと変わらない学校生活を終え、いつもと同じアルバイトをこなし、家路につく。
今日は近道などせず、いつも通っている明るい道を歩く。
玄関扉を開けると、とてもいい匂いが漂ってきた。
「なにこれ」
桜は思わずつぶやいた。
「おかえり」
満面の笑みを浮かべ、ダストが出迎える。
エプロンをつけ、お玉杓子を持っている。
「じゃーん」
ダストが両手を広げる。
部屋の中には、所狭しと料理が並んでいた。
ハンバーグ、エビフライ、唐揚げ、とんかつ。
グラタン、ピラフ、ポテトサラダ、きんぴらごぼう。
筑前煮、ひじきの煮物、かぼちゃの煮物等々。
折りたたみ式のテーブルには置ききれず、床にまで広がっている。
「これはなにって聞いているの」
「俺は今日一日、桜の言う通りテレビでいっぱい学習したぞ。そして、何もせず家にいることは良くないと学んだ。お世話になる人には感謝しなければならないともな。だから俺は桜の為に料理を作った!」
ずらりと並んだ料理を避け、部屋の中へ入る。
「作ったって、どうやって作ったのよ」
ダストが偉そうに腰に手を当てる。
「ちゃんと遺伝子の情報にあったぞ。あと、テレビからも学んだ」
「ボタンを直した時みたいに、どっかから湧いて出たわけじゃないの?」
「もちろんだ。手作りに意味があるからな!」
「じゃあ材料はどうしたの?」
「もちろん買った」
「どうやって」
「そこのお金を使った」
「えっ!」
ダストが得意げにカラーボックスを指さす。
桜はカラーボックスに駆け寄った。
しまってある封筒を取り出す。
中には、わずかな小銭しかない。
「ない!」
「お釣りは入れたぞ」
「違う! どうしてお札が一枚もないのよ!」
「使ったからだ」
「どうしてよ! 一万円以上あったはずよ!」
「そうだな。全部使った」
ダストがにこにこ笑う。
「なんでよー!」
「だからこの料理を」
「違うー!」
ダストの言葉を遮り、思わず叫ぶ。
「この中に入れていたのは今月の食費よ!」
「知っているぞ。遺伝子の情報にあった。だから食材を買ったんだ」
「だから、どうしてほとんど使い切ってるのよ!」
「ん?」
ダストが不思議そうな顔をする。
「まだ月初めなのよ! 全部使っちゃったら、残りの一ヶ月なに食べて生きていくのよぉー!」
握りしめたせいで、封筒がくしゃりと潰れた。
「えーっと……」
ダストは理解するのに時間がかかっているようだ。
力が抜けてしゃがみ込む。
「どうしよう」
途方に暮れ、悲しくなってきた。
そこでダストが名案を思いついた顔をする。
「一ヶ月かけて食べれば」
「もつ訳ないでしょ!」
桜が言うと、ダストは右手を掲げた。
突然部屋の中が眩く光ったので、桜は目を細めた。
「え? なに?」
「時間を止めたぞ。これで大丈夫だ」
ダストが得意そうに笑う。
「時間を止めた?」
「ああ。正確には止めた訳ではなく、料理の周りだけ空間を切り取り時間が動かないよう時空の」
「ああもういい! 聞いてもわかんない!」
桜は癇癪を起こした。
ダストが少ししょんぼりする。
「簡単に説明して」
「……ようするに、時間を止めた。食べる時になれば時間を動かそう。これで腐敗の心配はない」
「そう、それは便利ね……」
なんだかがっくりと力が抜けた。
「なんか疲れた。私は賄いを食べたから、今日はいいや。ダストは食べたの?」
「作るのに忙しくて忘れていた」
ダストがキッチンに行き、鍋に水を入れる。
「何してるの?」
ご飯なら目の前に山ほどある。
「これを食べる」
ダストがカップ麺を掲げる。
「せっかく作ったんだから、こっち食べれば?」
桜は並ぶ料理を指差した。
「これは桜の為に作ったものだ」
ダストの言葉に、桜は改めて並ぶ料理を見た。
どれも桜の好きなものばかりだ。
これだけ作るのに、どれほど時間がかかっただろう。
言いようのない罪悪感にかられた。
「じゃあ一緒に食べよう」
「もう食べたのだろう?」
「せっかく作ってくれたし。カップ麺よりも美味しそうだよ」
「カップ麺なら昼にも食べたが、なかなか美味しかったぞ」
「そう?」
「でも桜が朝に作ってくれたやつの方が、もっと美味しかった」
そう言ってダストが笑う。
「どうした? 急に体温が上がったぞ?」
「なんでもない! とにかく、一緒に食べよう」
桜の耳は真っ赤になってしまった。
並ぶ料理を見る。
桜は自然と手が伸びた。
「私これ。ハンバーグにする」
大好物なのだ。
「じゃあ俺も」
ダストの手が淡く光る。
「時間を元に戻したぞ」
両手でお皿を持ち上げ匂いを嗅ぐ。
それだけで幸せになる。
「ん〜、いい匂い。ダストはすごいのね」
「これはサクラの遺伝子にあった情報を元に作ったものだ。だからすごいのは桜だ」
「そんなことないよ。私、こんなの作れない」
一度だけ作ったことがある。
しかしその時は、外は焦げ、中は半生という大失敗だった。
「いただきます!」
大きな口を開け、ハンバーグを頬張る。
「美味しい!」
あまりの美味しさに驚いた。
美味しいだけでない。初めて食べたはずなのに、懐かしい味がする。
「すっごく美味しい。こんなに美味しいハンバーグ食べたの久しぶり。なんていうか……あれ?」
桜の頬を涙が伝った。
「どうした⁉︎」
突然泣き出した桜に、ダストが戸惑う。
頭の中で情報を検索する。
「人が涙を流す時。それは悲しい時、寂しい時、痛い時、辛い時。どれだ⁉︎」
桜は首を振った。
「違う……」
ダストがおろおろする。
「何が違う?」
「全部」
「全部⁉︎」
「これ、お母さんの味だ」
ほろほろほろほろ。
とめどなく涙が出てくる。
「お母さん?」
「残ってたんだ、私の遺伝子の中に。お母さんの味……」
涙をぬぐい、もう一度ハンバーグを口に入れる。
「…………ダスト」
「なんだ?」
「ありがとう」
ダストは困惑した。
料理を作ったのは桜に喜んでもらうためだ。
お礼を言われたということは喜んでいるのだろう。
しかし桜は泣いている。泣かす為に作ったのではない。
桜の頬に手をのばし涙をぬぐう。
涙のついた指をなめる。
「泣いているのに、喜んでいるのか?」
「うん」
「喜んでいるのに、悲しいのか」
「うん」
「わからない。嬉しいのか、悲しいのか、どっちだ」
桜は力なく笑った。
「どっちかなぁ。普通だったら『親は?』とか『保護者は?』とか、面倒くさい質問がくるところなんだけど。そっか。あなたはそんなこと聞かないか」
「聞いた方が良いのか?」
桜は少し考えた。
「ダストならいいかも」
「なぜ?」
「言っても、憐れんだり励ましたりしなさそうだから」
「では聞こう」
「私の親、ふたりとも死んじゃったんだよね。事故で」
「そうか」
「ふふっ」
「どうした?」
「やっぱり、憐れんだり励ましたりしなかった」
「した方が良いのか?」
「糞食らえよ」
「糞食らえ?」
「ごめんなさい、口が悪いわね。忘れて。ようは、しない方が良いということよ」
「そうか」
桜は涙をぬぐい、ハンバーグを食べた。
「美味しい」
ゆっくりと味わって食べる。
「それで、結局喜んでもらえたのだろうか?」
見ると、ダストがとても不安そうにしている。
桜は自分の気持ちばかり優先して、ダストの気持ちを考えていなかったことに気がついた。
下がった眉に、不安そうな瞳。
「とても嬉しい。ありがとう」
桜は微笑んだ。