また、朝
桜が目を覚ますと、目の前にダストの顔があった。
「おはよう。起きてたなら起こしてよ」
桜がそう言うと、ダストはくしゃっと歪んだ、少し困ったような笑顔を浮かべた。
「寝顔が見たいんだよ」
「いじわる!」
桜はダストの胸を叩こうとした。
しかしその手をダストが握る。
手にキスをして抱き寄せる。
「学校、行かなきゃ」
ダストは抱きしめる手に力を込めた。
「嫌だ」
「嫌って何よ」
桜は笑った。
起き上がろうとして、何も身につけていないことに気づく。
昨夜のできごとを思い出し、少し恥ずかしくなる。
「わっ、もうこんな時間。準備しなくちゃ!」
「ならば学校まで転移しよう」
「嫌よ。ダストの寿命が縮んじゃう」
「この程度で縮んだりしない」
「でも急げば間に合うよ」
「距離も近いし問題ない」
ダストは思い詰めたような、必死な顔をしていた。
「痛いよ」
ダストははっとした。
抱きしめる腕の力を緩める。
「すまない」
ダストはもにょもにょと小さな声で言った。
「……心配なんだ」
その様子に、桜は思わずきゅんとした。
(これって、もしかして独占欲ってやつ?)
桜の頬が、思わず緩む。
(昨日の夜、私と結ばれたから。なんちゃって!)
恥ずかしさのあまり、桜はダストの肩をばしんと叩いた。
「も〜! ダストってば。本当に寿命は縮まないのね?」
「ああ!」
「じゃあいいよ」
着替えを終えると、桜は両手を広げてダストの前に立った。
ダストが桜を抱きしめる。
ダストが明滅し、ふたりは学校へと転移した。
見つからないよう、ひとけのない場所を選んだ。
校舎と校舎の間。
そこなら大丈夫だと思った。
「今……」
声がしたので振り返ると、絵梨花がいた。
「絵梨花! こんなところで何してるの?」
「それより今、どこから現れたの?」
「えっ⁉︎」
桜が返答に困っていると、上空が眩く光った。
突如としてナルが現れる。
ナルは地面に降り立つと、ダストに詰め寄った。
「何を考えているんだ!」
ダストがナルの手を振り払う。
「お前に関係ない」
桜はふたりの間に割って入った。
「ちょっと、ダスト、ナル。やめなよ」
ナルが桜をにらみつける。
「邪魔をしないで下さい。そもそも君が」
「やめろ! 桜は関係ないだろう」
「この桜はね」
瞬間、ナルが吹っ飛ぶ。
ダストは渾身の力を込めて殴りつけた。
「ダスト⁉︎」
「行こう」
「待って。『この桜』ってどういう意味?」
「あいつの言うことなんて気にするな」
「でも!」
「待ちなさい!」
ナルが起き上がる。
ナルが走ると、ダストも走った。
激しくぶつかり合い、上空へ飛ぶ。
「あっ!」
桜は空を見上げたが、ふたりの姿は一瞬で見えなくなった。
「なにあれ……」
絵梨花が呆然としている。
「な、なんだろうねー! じゃあ私はこれで」
「待ちなさいよ」
絵梨花が桜の首根っこをつかむ。
「ダスト君もあなたも、鳴川先生も突然現れたわ。どういうこと?」
「それは、そのぉ」
「どうしてダストくんと鳴川先生は戦っているの?」
「どうしてかしらねえ」
「どうしてふたりは空を飛べるの?」
「んんんん〜」
「答えてよ!」
「えっとね。その、ダストとナルは」
「ナル⁉︎ さっきも言ったわよね、ナルって。何それ。あだ名?」
「あ〜。ええええ〜」
「そんなに親しいの?」
「いや、親しくはない。全然。全く」
「親しくないのに、あだ名で呼ぶの?」
「だからね、絵梨花」
「気安く呼ばないで!」
「え?」
「なんなのよ。いっつもいっつも。あなたは私の欲しいものをもっていく」
「そうかな。絵梨花の方がいっぱい持ってると思うけど」
「物じゃない!」
ダンっと足をふみ鳴らす。
「昔からそうよ。相川くんだって、真鍋さんだって。私が良いなって思った男の子も、仲良くなりたいなって思った女の子も、みんなあなたを好きになるのよ」
「えっ? えっ?」
「私の周りには、私の親とか、お金にしか興味ない人しか集まらないのに。どうしてあなたは愛されるのよ。あなたの何が優れているのよ。私の何がいけないのよ!」
絵梨花の瞳の闇が、重く、濃く、厚くなる。
足元から墨汁を霧吹きで撒き散らしたような、もやもやとしたものが立ち昇る。
空間が歪んだようにぐにゃぐにゃとなり、深海の底のような静寂と圧迫が押し寄せる。
「あなたさえ。あなたさえいなければ!」
つかんでいた襟首を引き寄せる。
その手を払いのけ、桜は逃げた。
絵梨花が桜を追いかける。
桜が逃げる。
今回は絵梨花のことを心配する余裕などない。
本能が逃げろと警告している。
校舎と体育館の間の小道を走る。
そこは煉瓦が敷き詰められ、いい具合にベンチが点在し、ちょっとした遊歩道みたいになっている。
この道を真っ直ぐ進めば、正門からの道と繋がる。
そこまで行けば、通学してきた生徒がいるだろう。
校舎の前にある聖母像の前には、朝の挨拶をする先生も立っている。
そこには生徒会役員も並んでいるはずだ。
生徒会長の絵梨花も、本来ならそこに立っているはずだ。
こんな時間にあんな所で、一体何をしていたのだろう。
頭の片隅でそんなことを考えながら走った。
頭の中で鳴り響く警告音とは別に、こんなことが日常に起きるはずないとも思う。
だって、こんなのどう考えても普通じゃない。
絶対おかしい。
自分が誰かに殺されるなんて──
桜の腕を、絵梨花がつかんだ。
引きずり倒される。
「どうしてよ!」
絵梨花が桜の首を絞める。
「どうして私じゃダメなのよ!」
「あ……」
桜は呻き声しか上げられなかった。
「私を見てよ! 私を選んでよ!」
いつの間にか、桜は動かなくなった。
それでも絵梨花は手に力を込め続けた。
異変に気づいた生徒が叫び声を上げる。
慌てた教師が間に入る。
しかし桜はとっくに生命活動を終えていた。
沢山の生徒が遠巻きにそれを眺めている。
更に後ろから、ダストはそれを見ていた。
「桜?」
一歩近づく。
しかしそれ以上近づくことができない。
「そんな……嘘だ……」
「嘘じゃありません」
ダストのすぐ後ろにナルがいた。
耳元に唇を寄せる。
「諦めなさい」
ダストは首を振った。
「嘘だ。嘘だ。嘘だー!」
ダストの体が輝く。
ダストはまたしても次元を超えた。
「またですか……」
ナルはダストのいなくなった空間を見つめた。
職員室のナルの机の上には、読まれなかった絵梨花からのラブレターが置かれていた。