体調不良
目が覚める。
いつの間にか眠っていたらしい。
狭くてボロい、単身用のアパート。
あれからふたりはここに戻った。
窓から差し込む光は明るく、どうやら朝のようだ。
(学校、行かなくちゃ……)
頭がぼんやりする。
体はだるく、関節の節々が痛い。
喉もいがいがする。
(風邪引いたかな……)
布団もかけずに眠っていた。
なんだかどっと疲れている。
髪をかきあげる。
するとダストが寝顔が見えた。
桜の造り上げた、理想の顔。
長いまつ毛にかかる影が濃い。
いつもより精悍に見えた。
ダストが目を開ける。
「おはよう」
そう言うと、ダストはうなずいた。
ダストが傷ついている。
桜を救えなかったから。
「体調、どうもないか?」
ダストが問う。
その声がガラガラだ。
「どうしたの。ダストの方が、よっぽど調子が悪そうよ」
ダストが咳払いする。
「なんでもない。大丈夫だ」
「大丈夫って……」
よく見ると、精悍に見えたのは、いつもより顔色が悪いせいだ。
「それより桜が心配だ」
「私は平気。ちょっと風邪ひいたかなってくらい」
「風邪なのか⁉︎」
「ちょっとだけよ。全然、大したことない」
「そうか……」
「うん」
「ちょっと悪いのか……」
ダストはなぜか落ち込んだ。
「さぁ、学校へ行こう」
ダストが立ち上がる。
「今日は休もうよ。ふらふらしてるよ?」
「俺は問題ない。『出席日数』というのは、進学に重要なのだろう」
「でも……」
「早くしないと遅刻するぞ」
学校へ行こうと外に出ると、廊下にナルがいた。
「なんの用だ」
ダストが前に出る。
「忠実ですね。とてもよく躾けられている」
ナルはとても暗い顔をしていた。
底なしの井戸のような瞳に、桜はぞっとした。
「あなたは、あなたの行いがどれほどダストに悪影響を及ぼしているのか、知っているのですか!」
「どういうこと?」
「あなたのせいでダストは」
「黙れ!」
ダストが大きな声を出す。
「君は、どうしてそれ程までにこの女に尽くすのです。この女にどれ程の価値があるというのです」
「お前に関係ないだろう」
「ええ、そうかもしれません。だがこの女は何も知らないのでしょう」
「いいんだ。桜なら、いいんだ」
ナルは酷く傷ついた顔をした。
「何? どういうこと?」
桜がダストの袖を引く。
ダストは首を振った。
「桜が知る必要はない」
「どうして」
「いいから行くぞ」
「ちょっと。ダスト、教えてよ」
「桜には関係ないことだ」
「何それ! あんな言われ方されて、関係ないはずないじゃない!」
「知らなくていい」
ダストは桜の腕を強引に引っぱると、空間を飛んで学校へ移動した。
桜は何度もダストに問いかけた。
しかしダストは頑なだった。
桜は腹が立った。
「ちょっと、ちゃんと私の話を聞いてよ!」
ダストの肩をつかむ。
いつも嬉しそうに桜を見つめるダストが、目をそらす。
顔は青白く呼吸が浅い。
眉間に皺をよせ、何かを堪えるような顔をしている。
額がうっすら汗ばんでいる。
「ねぇ、大丈夫?」
桜はダストの顔を覗き込んだ。
「とても辛そうよ」
「大丈夫だ。問題ない」
「保健室行こう?」
「大丈夫だ」
「次、体育だよ。できるの?」
「そうか。体育か」
「うん」
「わかった」
そう言ったのに、机に体を預けてしまう。
「ダスト?」
「授業が始まったら行く。桜は着替えに行かないと、間に合わなくなるぞ」
「保健室まで一緒に行くよ」
「大丈夫だ。後で行く」
「本当に? 絶対に行く?」
「ああ」
「それなら……」
仕方なく桜は教室から出た。
更衣室に行くためではない。
桜は職員室へむかった。
扉をノックし中に入る。
「失礼します」
桜は一直線にナルの前まで進んだ。
「聞きたいことがあります」
ナルは読んでいた英字新聞を机の上に置いた。
「授業でわかりにくい箇所でもありましたか?」
「はい」
「では、準備室に移動しましょう。あちらの方が教材も揃っている」
職員室から出て行く。
ナルの担当教科である英語の準備室まで移動する。
後からついて入った桜は、中を見て呆気にとられた。
葉や貝の形を彷彿させるロココ調の家具。
繊細なモチーフを刻んだ壁面。
タッセルやフリンジで飾られたカーテン。
チェストの上に置かれた陶磁器や置き時計。
そこはまるで宮殿のサロンのようだ。
広さも普通の準備室ではない。
教室の何倍もの広さがある。
ナルは優雅な曲線を描くアームチェアに座った。
「なんの用です」
膝を組み、その上に両手を乗せる。
「教えて欲しいの。私は何を知らないの?」
ナルはふっと笑った。
「嫌です」
「どうして?」
「ダストはあなたに教えたくないようでした。勝手に教えて怒られたくありません」
「どうしたら教えてくれる?」
「あなたがダストの前から消えてくれれば」
「それは無理よ」
「なら無理ですね」
「じゃあどうしてここに連れてきたの? ナルなら、私なんて簡単に煙に巻けるでしょう」
「ふん。浅知恵だけは働きますね」
ナルは膝から手を離し、組んでいた足を下ろした。
「いいでしょう。私の話を最後まで聞いて、それでもダストの隣に立ち続けるほど厚顔無恥でないことを祈りましょう」
桜は部屋の中へ進んだ。
とても豪華なのに違和感があった。
違和感の正体はすぐにわかった。
贅を尽くした家具が沢山あるのに、椅子はひとつしかない。
この部屋で椅子に座っていいのはナルだけ。
そういうことだろう。
桜はナルの正面に立った。
ナルが語り出す。
「私たちは元を同じくした存在。母なる宇宙から生まれたもうひとつの宇宙。星が生きるよりも長く生き、時を超え空間を超え、あらゆる生命の頂点に君臨する。神に等しき存在」
桜はうんざりした。
こういうことを言う時のナルは、本当に神々しくて嫌だった。
「その神に等しき存在にも、寿命はあります」
「そうなの? ダストが前に、何万年も生きるって言ってたけど」
「何万年か何億年かわかりませんが、遥かな時を私たちは生きることができます。本来であれば」
「本来であれば?」
「そうです。神に等しき私たちですが、力を使い過ぎれば、命は確実に減ります」
「力?」
「以前、私があなたを北へ連れて行ったことがありましたね?」
「そんな、旅行に連れて行ったみたいに言わないで。殺そうとしたんでしょ?」
「そうです」
ナルは平然とうなずいた。
「しかしあの時、私はあなたを地球上ではない場所、この世界とは違う次元へとは連れて行きませんでした。そうすればダストに見つかる可能性は低くなるにもかかわらず。なぜだかわかりますか?」
「いいえ」
「命が減るからですよ。次元を渡るにはとても力がいります。ましてや異物を抱えて飛んだら尚更です。あなたなんかのために、私の命が縮むのが嫌だったのです」
「異物って……」
「あなたのことですよ。その点、空間転移なら大した力を必要としませんからね」
ナルが鼻を鳴らす。
「次元の移動はクッションに針を通すようなもの。細く尖った針なら貫通するのは難しくないが、太くなるほどに力を要する。異物を抱えて次元を渡るなど、自分で自分の首を絞めるようなものです」
「え、ちょっと待って。昨日、ダストは私を抱えて移動してたよ」
「だからですよ。ダストに守られていたとはいえ、あなたも多少の影響は受けたでしょう」
風邪かと思ったが、体がダルくて喉や関節が痛かった。
「少しくらい私の命が縮んでも、あの時あなたを別次元へ連れていけば良かった」
ナルの目が暗い色を映す。
「ダストの消耗はあなたの比ではありません。どれほど命が減ったかわからない」
ナルが肘掛けを殴る。
「あなたは何様のつもりです。そこまでされる価値が、あなたにあるのですか!」
桜はよろよろと後ろに下がった。
「あの時、さっさと殺してしまえば良かった」
桜は何も言えなかった。
喉が張り付いたように声がでない。
生きていることが罪のように思え、桜はその場から逃げ出した。