犠牲
それはずっとずっと、ダストが自分に問うていたことだ。
自分はなぜこの世界に現れたのか。
桜にできることは何か。
その答えがやっとわかった。
桜の肩に、手をかける。
「触らないで」
ダストは困った。
桜の嫌がることはしたくない。
しかし、ダストにできることはこれだけた。
ダストが眩く光る。
「桜、目を開けて」
少しだけ、桜が顔をあげる。
ふたりは宙に浮いていた。
「わわっ!」
桜が驚く。
「大丈夫。あそこを見て」
ダストが前方を指差す。
そこには見慣れたものがあった。
桜の家が所有していた車だ。
大通りを走っている。
「ここはまだ、桜の両親が生きている世界。このあと酔っ払い運転に巻き込まれ、事故にあう」
上空から見下ろしているのでよく見えた。
両親の乗る車の前方に、ふらふらと蛇行する車があった。
「あの車はこのあと小学生の列に突っ込みそうになる。それを防ぐため、桜の両親はわざと車をぶつけた」
知っている。
大変なニュースになった。
飲酒運転をしていた運転手が悪いのはもちろんだが、桜の両親も責められた。
一歩間違えれば、桜の両親が小学生を轢き殺していたかもしれないからだ。
すると信号が変わり、両親の乗る車が止まった。
蛇行する車はスピードを緩めることなく進んだ。
そして──
「やめて!」
桜が叫ぶ。
小学生の列に車が突っ込む。
「何するの!」
ダストに食ってかかる。
「君の両親は助かった。これで、桜が辛い思いをすることはない」
「そうかもしれないけど、他の、それも子どもを犠牲にするなんて、絶対に嫌よ!」
「そうか……」
ダストがまた光る。
先ほどと同じ場面。
蛇行していた車のふらつきがなくなる。
「運転手の体内のアルコールを消した」
桜は固唾を飲んだ。
小学生たちが歩道を進む。
両親の車とすれ違う。
蛇行していた車が直進する。
信号が赤に変わる。
しかし車は止まらない。
交差点に飛び出し、大型トラックにぶつかる。
車がひしゃげ、回転する。
その車にバイクが当たる。
バイクが吹っ飛びバス停に突っ込む。
バス停に並んでいた人たちから悲鳴が上がる。
「そんな……」
桜は呆然とした。
「これもダメか」
ダストが光る。
今度は先ほどよりもっと前。
玄関先で、桜と両親がもめている。
何度も何度も思い出し、後悔した場面。
『うるさいうるさいうるさい! 死んじゃえ! お父さんもお母さんも、死んじゃえ!』
桜が家の中に入る。
両親が扉に駆け寄る。
ダストが光り、部屋の中に入る。
見慣れた桜の部屋だ。
ぬいぐるみを並べたベッド。
辞書の並んだライティングデスク。
本棚には小説より漫画の方が多い。
ソファー代わりのビーズクッション。
買ってもらったばかりのテニスラケット。
地区大会で優勝したら、買ってもらう約束だった。
あのラケットは、部の後輩にあげてしまった。
できないのに、いつまでも手元にあると、辛くなるからだ。
「へ⁉︎ 何⁉︎」
突然現れたダストと桜に、もうひとりの桜が驚く。
その瞬間、もうひとりの桜がくにゃくにゃと倒れる。
「何したの?」
「死んだ」
「はっ⁉︎」
「さぁ、玄関へ行け。まだ間に合う」
「何が⁉︎」
「両親がいる。早く行って、引き止めろ」
「どうして!」
「ここでなら、桜の望みが叶うだろう」
桜はぞっとした。
「やめて!」
「なぜ? 俺は桜を助けたい。苦しみから救いたい。そのためには、桜の両親が生きている世界が必要だ」
「もういい! もういいから!」
桜は叫んだ。
「他人の不幸で手に入る幸せなんていらない。私の望む幸せは、そんなのじゃない」
ダストの顔が苦痛に歪む。
「ではどうしたらいい。どうすれば桜を救える。俺は、どうすれば桜の力になれる」
(こんなにも──)
こんなにも、桜のことを想うダストを、どうして疑ったのだろう。
ダストにとって、違う世界の桜は何の意味も為さない。
簡単に殺してしまえるちっぽけな存在。
ダストに必要なのは、今、目の前にいる桜だけ。
十億の世界の中で、桜だけ。
これが愛でなくて、なんなのだ。
「ごめん、ダスト」
桜は頭を振った。
「元の世界に戻ろう」
「桜がそう望むなら」
ダストが眩く光る。