身勝手な拘束
目を覚ますと薄暗かった。
(え、何?)
見上げると、日向がいた。
桜は体をゆすった。
縛られている。
手も足も動かない。
周囲を見回すと、見覚えのある部屋だった。
家具は変わっているが、以前、桜が使っていた部屋だ。
「即効性があるのはいいけど、持続性がないんだよな、これ」
机の上に置いた小瓶を手に取る。
「まぁ、効いて良かったよ」
小瓶を机に戻す。
「どうしてこんなことするの?」
「逃げられたら困るからさ」
「どうして?」
「ここで暮らすためさ」
「どうしてよ!」
日向は少し困った顔をした。
(どうしてこんな奴を、お父さんに似てるなんて思ったんだろう!)
桜の目に涙がにじむ。
「そんな顔しないでよ。そもそも、君たちが悪いんだろう?」
「私たち?」
「君たち親子さ。君たちのせいで、僕たちは不幸になったのに」
「どういうこと?」
日向は机にある写真立てを手にとった。
その写真に見覚えがあった。
以前、桜たち親子が日向の家を訪れた時に撮ったものだ。
「ねぇ、知ってる? 桜のお父さんとお母さんは、学生結婚だったんだよ」
「知ってるよ。自分の親のことだもの」
父が大学生で、母が高校生の時だと聞いた。
父は母子家庭だった。
生活は楽でなかった。
父は必死に勉強し、特待生で聖寵学園の医学部に入学した。
それなのに学生の身の上で、子どもを作った。
明の姉、美里は大反対した。
明が医者になれば、それまで苦労し通しだった生活が、少しは楽になると思っていたからだ。
美里は口汚く母を侮辱し、それに怒った父は家を飛び出した。
「バカだよねぇ。自分から金づるを手放したくせに。そのくせ自分では稼げないからって、他の男に頼って。捨てられて」
日向に父親はいない。
「自分の不幸は、全て明さんのせいだと思っている」
日向は写真立てをもてあそんだ。
「母さんはいつも言ってたよ。『あいつさえいなければ』って。僕はすっかり勘違いしていた。『あいつ』っていうのは、明さんのことじゃない。君の母、幸恵さんのことだったんだ」
日向が遠い目をする。
「母さんは、本当は明さんのことが大好きだったんだ。だから、幸恵さんに取られて憎んだ」
机の上に、写真立てをそっと戻す。
「おかしいと思ったんだよ。嫌いなはずの人間と、どうしてそんなに比べるんだろうって」
『明はもっと頭が良かった』
『明はもっと早く走れた』
『明はもっと優しかった』
『明はそんなことしない』
「あきらあきらあきらあきら! もうたくさんだ!」
写真立てを払いのける。
地面に落ちて、ガラスが割れる。
「俺は明じゃない! 俺は日向だ!」
机を強く叩く。
「俺が聖寵なんかに入れるはずないだろう! 特待生なんかなれるはずないだろう!」
ゆっくりと顔を上げる。
桜を見る。
「桜はいいよね。幼稚園から聖寵に入れられてさ。なんの苦労もなく進学できるんだろ? 酷い違いじゃないか」
前髪が目にかかっている。
うっすらと涙が滲んでいた。
「でもさ、君がここで暮らせば、きっとあの時みたいに、みんな笑うことができるんだ。君がいれば──」
(助けて……)
桜は祈った。
(助けて。ダスト、助けて!)
そう思ったのに、ナルの声がこだました。
『ダストがあなたの記憶をいじっていないと、どうして言い切れるのです』
『ダストに会う一瞬前まで、生きていたかも知れませんよ』
『もしかしたら、ダストが……』
この記憶が、ダストの作った記憶でないと、言い切れるのか。
いつもいつも都合良く現れるのはなぜか。
(ダスト…………)
乱雑に積まれた雑誌の隙間に、ナイフがあった。
以前、日向が桜にむけたナイフだ。
桜は体をよじってナイフをとった。
手足を繋ぐロープを切る。
それに日向が気づく。
「何してる!」
日向が桜に襲いかかる。
逃げようとする桜の腕をつかむ。
桜がこける。
日向が押さえつける。
「やめて!」
桜はもがいた。
さらに進もうとすると、髪の毛をつかまれた。
ごんっという音がする。
日向が頭をつかみ、床にうちつけた音だ。
目の前が暗くなる。
日向はもう一度打ち付けようとした。
その時、美里の悲鳴が響いた。
「日向! あんた、何してるの!」
日向の手が止まる。
「あれ? 俺……」
日向の下から桜が這い出る。
桜はナイフを突きつけた。
「来ないで」
美里の動きが止まる。
桜は立ち上がり、部屋から出て行った。
慣れ親しんだ玄関から飛び出す。
桜は逃げた。必死に逃げた。
ここにいてはいけない。ここから早く逃げなければ。
一心不乱に走ったが、自分がどこへ逃げればいいのかわからなかった。
「桜!」
手首をつかまれる。
振り返るとダストがいた。
「桜! どうした!」
「離して!」
「どうした。なんだこの傷は!」
ナイフを無茶苦茶に扱ったので、手も足も傷だらけだ。
ダストが光る。傷は一瞬にして消えた。
「これでいい」
その瞬間、桜はダストの手を払い除けた。
「やめてよ!」
「桜?」
「どこからどこまで本当なの⁉︎ さっき日向がしたことは現実? それとも今、ここで、その記憶ができたの⁉︎」
「桜? 何を言っている?」
「本当のことを教えてよ! ダストはなんなの⁉︎」
「何って……」
「何をしに来たの? どうして現れたの? 私に何をしたいの? 教えてよ! もう頭がおかしくなりそうよ!」
桜は頭を抱えてしゃがみこんだ。