無数の世界
部屋の中が、夕日に染まる。
洗濯物を取り込む音。
夕食の準備をする音。
掃除機をかける音。
子どもの笑い声。
鳥の鳴き声。
車の走行音。
様々な音に混じって、ダストの鼓動が聞こえた。
胸に埋めていた顔をあげる。
「ごめんね」
桜は顔を拭いた。
「いっぱい泣いたらすっきりしちゃった」
見上げた顔は、苦しそうに歪んでいた。
ダストが辛そうにしている。
「そんな顔しないで。私、大丈夫だから」
「桜」
ダストが桜の言葉を遮る。
「桜、知っているか? この世界には無数の世界が存在する」
涙に濡れたその顔を、ダストは美しいと思った。
愛しくて、愛しくて、たまらない。
この涙を止めるためなら、なんでもできる。
「この世界には、存在するものの数だけ世界がある」
「ダスト? 何を急に──」
「人にも、動物にも、虫にも、星にも。生命の数だけ世界は存在し、生命の選択の数だけ世界は存在する」
桜は途方も無い話に戸惑った。
「折り重なり広がりあい、複雑に絡み合い、増殖し、収縮している。1秒前の世界。1秒先の世界。1時間前の世界。1時間先の世界。1年前、10年前。1年先、10年先。数えきれない無数の世界が接続し存在している」
突然ダストがこのような話を始めた理由がわからない。
「桜の両親の生きている世界も、探せばきっとある」
「えっ?」
「そして俺には、それを捜す能力がある」
「ダスト……。それ、本気で言ってるの?」
「ああ。捜すだけじゃない。桜をそこに連れて行くこともできる」
桜はダストの顔に向かって手を伸ばした。
手が震えている。
ダストの頬を両手で包む。
「本当に?」
ダストはうなずいた。
想像した。
まだ両親の生きている世界。
そこに行くことができる。
また両親に会える。
「ただ、その世界にも桜はいる。桜がふたり存在することはできないので、桜は桜でない何かになる必要がある」
「私でない何か?」
「しかし記憶を操作することはできる。その世界の桜と姉妹になることもできる。そうすれば、桜は両親の子どもとして生きることができるだろう」
「そして、私ではない何かとして生きるのね……」
「ああ。そうだ」
桜は微笑んだ。
「そして、それは私の本当の両親ではないのね」
「まあ、それは……」
「私の両親は、私のいなくなった世界で亡くなっているから……」
ダストがうなずく。
「ありがとう、ダスト。でも、いいわ」
「どうして?」
「お父さんもお母さんもいないのは寂しいよ。でも……。私のお父さんとお母さんは、この世界の、私が傷つけてしまったふたりだけ」
桜がうつむく。
「私がこの世界からいなくなったら、ふたりが悲しむじゃない。お父さんとお母さんの分まで生きるって、決めたのに」
「そうか……」
「それに、私にはダストがいるから大丈夫」
桜がダストを抱きしめる。
(俺は、この言葉が聞きたかっただけなのか?)
口の中が苦いものでいっぱいになった。