幸せな未来
寂れた公園の裏にある、ひなびた単身アパート。
「夜ご飯、何にしようか」
アパートの部屋に入るなり、桜はそう言った。
「思ったより早く帰ってこられたね。バイト休まなくても良かったな。賄い損しちゃった」
部屋の片隅に置いてある料理の前に立つ。
その数はずいぶん少なくなった。
「結構減ったね。何が残ってるかな」
しゃがみ、皿に手を伸ばす。
すると、後ろから抱きしめられた。
「こら、ダスト。ふざけないで」
桜は笑いながらダストの手を押した。
「ふざけているのは桜だろう」
抱きしめる腕に、力がこもる。
「こんなことなら、桜の気持ちなど考えず、情報の全てを網羅しておけば良かった」
「ダスト」
「冗談じゃないぞ。この家から一歩も外に出られなくすれば良かった」
「あのねえ」
「本気だ。俺が本気になれば、そうできるのを知っているだろう」
桜が振り返る。
ダストの顔は、真剣そのものだ。
「この家の中にずっといれば、傷つくこともない。クラスメイトに嫌がらせをされることも、自分を襲った男と対峙することも、自分を追い出した伯母に頭を下げることもない。ずっとここで、俺と一緒にいたらいい」
桜はその未来を一瞬想像した。
それは何だか甘酸っぱくて、幸せな未来だった。
「バカなこと言わないで」
桜はダストの肩を押しやった。
立ち上がりキッチンへ行く。
キッチンに移動したところで、することは何もない。
ただダストから離れたかった。
意味もなくグラスに水を入れる。
飲み干すと、意外と喉越しは良かった。
気づかないだけで、喉は乾いていたらしい。
「ダストも飲む?」
グラスにもう一杯水を注ぐ。
「桜」
振り向くと、すぐ後ろにダストが立っている。
「なぜだ。なぜそうまでして頑張る必要がある。懸命に生きて何になる。努力して何になる。世界は桜に、少しも優しくないのに」
「うるさい!」
叫んだ拍子にグラスから水がこぼれた。
足先にかかり、靴下をじっとりと濡らす。
「ダストに何がわかるのよ! 宇宙人のくせに!」
ダストはとても悲しい顔をした。
「ああ。たしかに俺は、人間ですらない。だから桜の気持ちがわからない。教えてくれ。俺とふたり、この部屋でずっと一緒にいてはいけない理由を」
「それは……」
ダストが流しに手を伸ばす。
ダストと流しに挟まれ、桜は身動きがとれなくなった。
「なぜいけない」
ダストの顔が近づく。
「だから……」
唇が触れるほどに近い。
「だって……。死んじゃったもん」
ダストの動きが止まる。
「どういう意味だ?」
「お父さんも、お母さんも、死んじゃった」
「それはわかっている。だからこそ、桜が辛い思いをする必要など」
「死にたくなんか、なかったと思う」
桜はダストの言葉をさえぎった。
ダストの言葉は、すぐにでもすがりつきたくなるほど甘い。
「お父さんも、お母さんも、きっと死にたくなかった。もっともっと生きていたかったと思う。それなのに、突然無理やり命を奪われた。だから生きなきゃいけない。ふたりの分まで、精一杯」
「桜……」
「だってそれくらいしか、償う方法がわからない」
「償う?」
「お父さんとお母さんが死んだのは、きっと私のせい。私が悪いの」
「どういうことだ? 桜の両親はたしか事故で……」
「そう。死んだのは事故のせい。でも、私があんなことを言わなければ。きっと死なずにすんだ。だからふたりが死んだのは、私のせい」
急に力が抜け、桜は崩れ落ちた。
「私が、あんなこと言わなければ……」